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冷たい玻璃  作者: 和奏
冷たい玻璃
3/13

硝子玉


 智樹が目を覚ますと、そこは白い壁に覆われた病室だった。

 寝かされている硬めのベッドのすぐ側には、両手で智樹の手をきつく握る、憔悴した母の姿。

 療養している智樹に、母は多くを語らなかったが、病室に運ばれるまでの事をぽつりぽつりと口にした。


 あの晩。智樹が家を飛び出してすぐに、母も外へ出たのだという。

 母から池の付近を探すように頼まれた近所の人達は、道祖神の前で乗り捨てられた智樹の自転車を見つけ、そこから後を追い山へ入ったそうだ。そして、池に落ちた智樹を助け出した。

 幸い、大きな水音を聞きつけて、駆け付けた人たちにすぐに引き上げられたので、智樹は大事に至らずに済んだ。

 そう説明する母の声は、掠れて力ない。

 母が話すのは、智樹の事だけ。

 目を合わせずに終始俯いている母が、大事なことから目を背け避けているように感じて、智樹は表情を陰らせる。


「……ねぇ」

 母さん、と智樹が次の言葉を紡ぐ前に、「それとね……」と、母は口早に声を被せて話を遮る。

「見つけた時に、これをしっかりと握っていたそうなの」

 あなたの? と躊躇いがちに母が寄越したのは、見覚えのない透明な硝子玉だった。


 何故か。


「……うん」

 掌で転がるそれを眺めた智樹は、「知らない」と言えずに肯定する。

 池に落ちる前には、持っていなかった物。

 引き上げられた時に自分が持っていたという無色透明の硝子玉は、その昔、祖父が池の底に落とした物のように思えたから。

 見たことのないそれを、智樹は知っているような気がした。

「ねぇ? 母さん」

 おもむろに身体を起こした智樹は、硝子玉を掌にぎゅっと握る。

 手の中の物を透かすほどにじっと見つめていた智樹は、姿勢を正して母を真っ直ぐに見つめた。


 ――じいちゃんと、……祐樹は?


 尋ねられた母は、口を引き結び、黙った。

 気の遠くなるような重い沈黙の後、彼女は薄く口を開く。

 祖父は、独りで歩いているところを近所の人が見つけ、保護されたから無事だった、……と。

 祐樹は――。


「――あの子……、まだ、帰って来ないの」

 ぼんやりとした無感情の(まなこ)で、母は、うわ言のように呟いた。


「そう……、なんだ」

 隙間風のような薄い声音で返しながら、智樹はほんの少し目を伏せる。

 母の言葉が、胸の中にすとんと落ちてきて、妙に得心がいった。

 どうしてだろう。

 祐樹がいないことは、なんとなくわかっていた。



 季節が巡り、いくつもの夏が訪れ、そして去っていった。

 あれから数年が経ち、けれど祐樹は見つからず、帰っても来ない。

 智樹は時々、ふらりと道祖神の前にやって来ては、そこからぼんやりと山を見つめる。

 手の中に、無色透明の硝子玉を握って……。


 硝子玉は、『祖父の秘密の場所』が本当にあったことを報せるために、祐樹が握らせたのだと思えた。

 そして、池に落ちた時に聞こえた祐樹の声。

 彼はあの時、確かに智樹と一緒に空を眺めて。

 今も尚、透明な冷たい玻璃の中から、刻々と変化してゆく美しい空の彩りを、飽きずに眺めている。


 ――そんな気がしたから。


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