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冷たい玻璃  作者: 和奏
冷たい玻璃
2/13

智樹


「智樹、……智樹! 起きて! ねぇっ!」


 瞼を閉じていても差し込む、部屋の眩しい白熱灯の明かり。

 そして、母の差し迫った金切り声に、智樹は叩き起こされた。

 明るい部屋の中に相反して、カーテンの隙間から覗く窓の外は、深い闇。

 ……深夜であることが、窺えた。


「じいちゃんがいなくなって、祐樹も……、いない?」

 上体を起こした姿勢で聞く母の説明が、寝起きでぼんやりとする智樹の頭に、鈍く響く。

「じいちゃん……、外に出てしまったんじゃなくて?」

 呆然とした智樹の口から、戸惑う声が細く零れた。

「祐樹は……、じいちゃんがいなくなっているのに気付いて、探しに……」

「それなら誰かを起こすでしょう!?」

 大声で被せるようにして、すぐさま母は智樹の言葉を打ち消した。


「お父さんが近所の人に声を掛けて、この辺りを探してくれているのだけど……! ねぇ、祐樹は何か言っていなかった!?」

 取り乱した母は、縋るように智樹に尋ねた。

 いなくなった祖父と祐樹を関連付けるものを思い出し、ばつが悪い顔をした智樹は、尻窄みに答える。

「昼間に祐樹と……、昔、じいちゃんから聞いた、あの話をしていたんだけど……」

「……え?」

「池の、話」

 驚愕の表情を浮かべる母親の顔から、さぁっと血の気が引いた。


「俺……、ちょっと探してくる」

 胸騒ぎを覚えた智樹は自転車にまたがり、祖父から何度も聞いた話を思い浮かべながら、夜の田舎道を走った。

 皆の探している近所ではなく、山へ向かって。



 祖父の話を夢中になって聞いていた、まだ幼い頃。

 智樹が祖父の秘密の場所へ繋がる目印を知ったのは、年明けの神社で祭事が行われた時だった。

 祭りとあってか、いつになく酒を飲み酩酊した祖父からこっそりと聞きだした、秘密の場所へ繋がる目印。

 それは、集落のはずれの、道の脇に立つ道祖神だった。

 祖父の子供の頃には山へ続く登山道だったが、いつしか道は塞がれ、道祖神が祀られるようになったのだと。

 早速祐樹にも教えて、一緒に祖父の秘密の場所へ出掛けようと思っていた。

 けれど。


 ――道祖神か。

 勢いのある炎の、パチパチと爆ぜる音に紛れて、智樹の耳に大人たちの声が届いた。

 今しがた、祖父から聞いたばかりの単語に、智樹は足を止める。

 焚かれた炎の脇で酒を酌み交わしている年老いた大人達が、何かを話している。

 本人たちは知ってか知らずか、酒を飲んだことにより、普段よりも少し声が大きくなっているようだった。

 智樹は視線を滑らせ、そのうちの一人、よく知る近所のお爺さんの顔を窺った。

 ――最近はなくなったが……。何だったんだろうな、あれは。

 ――ああ、どんなに駄目だと諭しても、子供が寄せられていく池、か。


(池……?)

 祖父よりもずっと歳をとったお爺さんの皺深い顔が、揺らめく朱い炎に照らされ、濃い影を落とす。


 ――水はあんなにも澄み切っているのに、池底に落ちた子供が見えないなんてなぁ。

 ――ああ。落ちても戻ってくる子供もあれば、戻ってこられない子供もいて……。

 ――神隠しだなんていう者もいたが、道祖神を祀るようになってからは、無暗に近づく子供もいなくなった。

 ――子供好きの神様がきっと、村から子供が連れて行かれないよう、悪い物から守って下さっているんだろう。

 有難いことだ、と誰かが悼む口調で、ぽそりと呟くのが聞こえた。

 そうっと、その場を離れた智樹は、母の姿を見つけると、尋ねていた。

「母さん、子供の消える池なんて、あるの?」

 驚くほどに険しい顔をした母は、叱るのにも似た真面目な低い声音で「誰から聞いたの?」と、問い返してきた。

 祖父の秘密の場所、目印の道祖神、透明な水。……悪い物。

 それらを繋ぎ合わせてしまった智樹は、口ごもりながら答えた。

「……じいちゃん、から」

 促されるままに、祖父から聞いた内緒話をすると、母は露骨に嫌な顔をした。

 その時から、智樹の中で祖父の秘密の場所は、夢のある冒険物語のような、きらきらとした明るいものではなくなっていた。



(怖かったから……)

 大人たちの口調や雰囲気から、祖父の語る秘密の場所が、怖くなった。

 口にすることはおろか、話を聞くことさえ悪いことをしているような気持ちになった。

 だから、祖父に話をせがむのを止めたのだ。

 祐樹に自分の見聞きしたことを伝えるのは、彼の大事なものを壊してしまうようで言えなかった。

 道祖神という目印さえ教えなければ、祐樹だって池へと辿り着けない。

 大丈夫だと思った。

 

 山のふもとまで来ると、智樹は自転車を道の脇に乱暴に投げ捨て、目印となる道祖神の脇を擦り抜け、草叢(くさむら)へと分け入る。

 山の空気が濃くなり、空気がひやりとして変わった。

 

 歳を重ねて、また一つ知ったこと。

 集落の外に連なる山々の中には、一か所、立ち入ってはならないとされる『忌み地』があるという。

 どんなものなのか公に語られず、静かに忘れ去れるのを待つかのような、それ。

 祖父の秘密の場所はそこだと、智樹は確信する。


 冷たい水に沈んでいく祖父と祐樹の姿が脳裏を過り、智樹は(たま)らず声を張り上げる。 

「祐樹っ! ……じいちゃん!」


 片手に持つ小さな懐中電灯の明かりを頼りに、智樹は草叢を掻き分け、小川を辿り池を探す。

 茂みを払い、吹き抜けてゆく風にしっとりとした水の()を嗅ぎ取るのと同時に、足許で、ぱしゃ……、と水音が立った。

 刹那、ぐらりと身体が傾いで重心を失う。

 次いで、鋭利な刃物で全身を刺されるような冷たさを感じて、息が止まった。

 重しを括りつけられたかのように、冷たい水底へ、するりと身体が引き込まれていく。



 こぽ……、と耳許で水と空気の混ざる音がする。

 ――池に落ちたのだと、思考は後から付いてきた。

 慌てて目を見開いた智樹の後を追うのは、くるくると円を描きながら光を散らす懐中電灯。

 そこから真っ直ぐに伸びる一筋の透明な光芒は、黒い水に宇宙(そら)のような深い碧と、細かな硝子細工にも似た白い気泡を映して()せる。

 水であって、そうではない。

 まるで、硝子越しに水中を覗き込んだかのような絵が、智樹の網膜に鮮明に焼き付く。

 不意に。


 ――ああ、やっぱり。夜も綺麗だ……。


「……っ!」

 とぷとぷという水音に混じり、耳許で祐樹の囁く声が、聞こえたような気がした。

 満天に散らばる星の下、冷ややかな暗碧の水に揺蕩う智樹の背を、とん――、と軽く突き上げるのは、掌。

 幼い頃から、常にそばに在った人の、手。

 智樹に触れた時の、馴染みのある力の入れ具合。

 振り返らずとも判る、双子の兄の、それ。

(祐樹……!?)

  

 ふつ、と懐中電灯の明かりが消えて、智樹の視界が墨一色に塗りつぶされた。


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