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冷たい玻璃  作者: 和奏
緋鯉
10/13

水中花


 くるくるくるくる……。

 

 澄み切った淡い水色の空を、薄い影を纏う一輪の白花が回りながらゆるやかに降ってくる。

 白花の放つ甘やかな芳香が、じわりと馴染んでとける。

 

 晴れた青空のようであって、其の実、空ではない。

 霞むほどに遠く高いところに懸かる陽。そこから降り注ぐ黄金(きん)の光は、一枚の水面に阻まれて、より柔らかに、繊細に透き通る。水中に薄く射しこまれた幾本もの光の薄布(カーテン)が水面の動きに合わせて揺れる。

 わずかな陽光を受けて、小鳥の如く舞う薄鈍色の小魚の鱗が、きらりきらりと鋭利な光を散らした。

 

 浮力を持たない白花は。

 沈むほどに青が重なり深みを増す碧の中を、小魚に見守られながらたおやかに降りてくる。

 凍えて時を止める白花は、緋色の魚の下半身を持つ少女のほっそりとした白い繊手に、ことり、と収まった。

 

 純白の花に負けず劣らずきめ細やかな白い肌をした少女は、それを見据えて微かに小首をかしげる。肩で切り揃えられた細く黒い絹糸のような髪が水を孕み、ゆるりと泳ぐ。掌の白花を見つめることで伏せられた長い睫毛が、底知れぬ深淵を思わせる黒い瞳を(けぶ)らせた。

 少女の小さく形の良い唇が、薄く開く。

「これは、何という花?」


 うっすらと藍に染まってなお、透けるように白い少年が儚く微笑む。

「……梔子(くちなし)だよ」

 少年の脳裏に、緋鯉の関心を惹くために水路に梔子の花を流そうと提案した青年の顔が浮かんだ。

 いろいろと気遣ってくれた青年を――、久しぶりに『人』と関わり『情』に触れたことを思い出し、少年は心を和ませる。


 くちなし……、と。記憶に刻み込むように少女の唇が知ったばかりの花の名をなぞり、白花を少年に差し出した。

 花柄を摘まみ取り、間近で梔子の花を眺める少年は、目を細めて懐かしむ。

 瞼を閉じて、花の香をたのしむ。

「梔子の花は、すぐに枯れてしまうのだけど」

 結ばれた蕾が緩く綻び始めるのと同時に芳香を放ち始める、艶やかな白花の寿命は短い。

 翌日には、花弁は張りを無くして艶を失い、黄色く変色し始める。

 少年の手の中にある満開の梔子の花も、花柄から下は無く、既に朽ちていくだけの存在。――だが。

「ここは、冷たい水底だから――」

 いずれ香りは散ってしまっても、花は美しい姿を留め続けるだろう。

 少年は、少女のこめかみ近く――、黒髪に梔子の花を挿して飾った。


 少女は自身の頭に手を添わせる。黒髪をつう、と滑る指先は、しなやかな花弁の触り心地を確かめるようにそっと撫でる。

 

 少年は目を落とし、おもむろに首を巡らせ背後を振り返った。

「――形のない、玻璃の棺だから……」

 涼やかな水底(みなそこ)に在る花々を見遣る。

 春の水仙に始まり、桜、薔薇やラナンキュラス、スイートピー。

 夏の紫陽花や向日葵、桔梗。秋の竜胆にガーベラ。

 そして、冬の真っ赤な椿……。

 狂った季節の風景が、そこにあった。

 少年によって水底に挿された色とりどりの花々は、さながら水中花の如く静かに咲き誇る。

 直に『池』投げ込まれたのか、それとも偶然に『路』を流れて辿り着いたのか。

 皆一様に、茎なり花柄なりで根と絶たれ、自然の摂理では生きることの叶わない『死んだ』もの。

 けれど、朽ちることなく美しい花の姿を保っている。

 死にながら、生きている。

 冷たく透明な玻璃の世界は、現世でもなければ冥界でもない。

 複雑に入り組んだ、生と死を繋ぐ冥路(めいろ)の綻びであり、淵。  


 少女は、緋彩(ひいろ)の滲む薄硝子にも似た尾鰭で、優美に水を蹴る。つい……、と少年に寄り添い、両の手で彼の頬を優しく挟み、引き寄せる。

 濃褐色の瞳を覗き込み、間近く見つめ合う。


「……祐樹も、ここに在る花と同じ?」

 

 少女の眼差しを受け止める祐樹は、澄んだ硝子玉のような瞳に静謐さを湛えて。

 答える代わりに、碧い月光に染まった雪よりも青白い頬を緩めて、柔らかに微笑した。


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