グリズの涙
その日の夜、俺はグリズが帰ってくるのを待っていた。もちろんそのまま帰ってこなくなる可能性もあるが、フラれて一人になりたくない時もあるだろうからな。
夜も更け、もう帰って来ないかと思った頃、へべれけに酔ったグリズが千鳥足で帰ってきた。
いつもは従者がいるはずなのに、誰もいなかったのは従者を置いて一人になりたかったのだろう。声をかけるかどうか一瞬迷ったが、声をかけて反応を見てから決めればいいと思い、できるだけ優しく声をかける。
「グリズお帰り」
「ただいまロック。俺はとんでもないピエロだったよ」
「ダメだったってことか?」
「あぁ、全然ダメ。なにもかもダメ」
「まぁそんな時もあるよ。女性はその人だけじゃないからな」
俺はグリズにコップに氷を入れて水を渡してやる。
少し酔いを醒ました方がいい。酒をこぼしたのか、服から高級なウイスキーの香りがしてくる。
グリズは俺から水を受け取ると一気に飲み干し、そのまま口を抑えると近くのゴミ箱に飲んだものをキラキラと放出した。
「少しスッキリした」
「そうか。それでどうだったんだ? 話したいなら聞くけど」
「あぁ、ぜひ聞いてくれ。俺が好きになった女性はアネサ村へ行く彼のために寒さを抑える雪結晶のペンダントが欲しかったらしい」
なんということだろうか。最初からそれを知っていたら、俺たちだって買いにいくことはなかっただろう。恋愛なら略奪するのも悪いことではないと思うが、グリズはそんなことをするタイプではない。
「そうか。それは……なんともだな。その彼氏はなんのためにアネサ村へ行くんだ?」
「聞いて驚け、アネサ村にはドラゴンがいるんだと。しかもスイジュ国との秘密の抜け穴があるんだとよ。それを見つけてアネサ村の連中を捕まえるために国の特殊機関、闇の衣として出発したらしいよ」
国の特殊機関闇の衣が? 諜報機関の情報は普通家族であっても聞かされることはない。それが他人であるグリズや彼女が知るはずはなかった。
グリズの話が段々とおかしな方向へ向かって行く。
「それは……大変だったな。そんな理由で探していたなんてな。それにしても……その情報が出回るってことが……」
「すごいだろ? 俺たちはその闇の衣が出発する前にアネサ村へ行き、ドラゴンを見つけ、ロックはアネサ村を救ったんだ」
「そうだな」
「俺はそれを聞いた時に思わず笑っちまったよ。闇の衣の奴らは捕まえるなんて生易しいことはしない。それなら諜報機関がでる。一貴族でもそんな情報が出回るなんてことはないんだ。それなのに彼女が知っているってことは……誰かにはめられたんだ」
「なんでグリズを?」
「俺じゃない。ロックを引っ張り出すためにだよ。思わずやけ酒しちまったが、ロック気をつけろ」
「俺を狙ってグリズを動かした奴がいるってことか」
「あぁたまたまかもしれない。だけどな、ドラゴンがいる村に闇の衣が行くって話をたまたま貴族の令嬢が知って俺に雪結石が欲しいなんて言ってきた。しかも、都合よくコロン村の食料危機が起こったって話で魔法使いがいない。だけど、ロックには言い忘れていたんだが、コロン村の村長は食糧難になりそうだったから、これから助けを呼ぼうと思っていたって俺に言ったんだ」
「なっ!? どういうことなんだ?」
「毎年食料不足になるようだが、今年はまだ食料危機まではなっていなかったらしい。あっちで聞いた時にはたまたま誰かが気を使っただけかと思ったが、実際帰ってきてわかったよ。すべては仕組まれていたんだと」
いったいどこからどこまでがそうなのかわからないが、思い返せばコロン村の店主は雪結石は夏じゃなければ手に入らないと言っていた。雪結石を買いに行くと言ったのに、それを同行した行商人が知らないわけがない。
「グリズ、あの一緒に行った行商人はグリズの知り合いなのか?」
「そうだぞ。もちろん。古くから知っている」
「どこで知り合ったんだ」
「もちろん、古くから知っている友人だ」
「だから、どうやって知り合ったんだ?」
「ロック、何回も説明しているだろう。説明……して……る? あれ? 俺はあいつとどこで知り合ったんだ」
あきらかにグリズはそのことが思い出せないようだった。
記憶や認識を操作する魔法を使う奴には心当たりがあった。
「なにか幻術をかけられたようだな」
「あぁ……バカだったな……親友を巻き込んで。本気で恋していたと思っていたんだけどな」
「その貴族の女性とはどこで出会ったんだ?」
「それも……」
グリズは椅子に深く座りながら瞼を抑え、声を殺しながら静かに泣き出した。
俺は静かにグリズの肩に手を置く。彼の背中が小刻みに震えていた。
グリズの恋心をもてあそびやがって……。
「グリズ今日はもうゆっくりしろ。俺はちょっと出かけてくるから」
「どこへ行くんだ?」
「夜の散歩だよ。グリズも一人になりたいだろ?」
「あぁ、そうだな。すこしゆっくりするよ。ロック、本当に情けない友達で申し訳ない」
「謝るなよ。グリズは悪くない。恋するってのは胸が熱くなって、キュンとして楽しいものだからな。その分冷静な判断ができなくなって誰だって失敗はするもんさ」
グリズはゆっくりと頷くとそのままソファに横になった。部屋の中にはグリズの泣き声だけが響いていた。