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若葉の憂鬱

若葉の章です。

テストも終わって一息ついたころ、私の周囲はあわただしかった。

学年上位者が、こぞって転校するという事態。

何が起きたか各クラスの中でも話題になっていた。


私は事情を知っているが、そのことを言う気にはなれなかった。

なにより、社の気持ちを考えると、そういうものは早く風化させておきたかった。


しかし、自分の思い通りにはいかないのが、世の中というものだ。

吐く息が、やたらに重く感じていた。


これはため息なのだろうか?

周囲の思惑に流されるままに、事務所の前に立つ私は、いまだにこのドアを開けられずにいた。


「お父さん、いる?」

小声で扉をそっと開き、中の様子を確認する。

この時間帯は大抵パチンコに行って留守のはずだ。


しかし万が一ということもある。

予想通り、目の前の所長の机には誰もいなかった。


よかった。

ここにいなければ、大丈夫だ。

だが、何となく違和感がある。半分体を中に入れて、事務所の中を見回した。


「どうした?若葉」

安心していた私の心に、無情の刃が突き刺ささる。

もう一歩部屋に踏み込んで、ドアの死角に目を向けた。


そこには煙草をくわえた中年オヤジが、インスタントコーヒーを作っている姿があった。


終わった……。


最悪の舞台が整ってしまった。

どうしてこう間が悪いというか、いてほしい時にはいなくて、いなくていい時にはいるんだろう?

このオヤジのそういうところが不思議だった。


「なんだ?友達でも来たのか?まあ、お目当ては……」

ニヤつく顔が憎らしい。


すべてわかってやっているんだ。

本当にやらしい。


ずかずかと事務所の中に押し入り、そのままの態度で奪い去る。

「き・ん・え・ん!」

何度言ったらわかるんだろう。

年頃の娘がいるのだ。ちょっとは遠慮してほしい。


いつもは着ないスーツを着込み、今か今かと待ちわびていたと思われる、その姿。

おそらく窓から確認していたに違いない。


タイミングを計って、視界から消えるようにコーヒーを入れているのだろう。

本人は爽やかな笑顔と思っている、微妙な笑顔を維持しながら、所長の机に戻っていた。


「社なら、今は出かけてる。幼馴染を迎えに行ったよ」

意味ありげな顔は、私に何を期待しているのだろう。

幼友達を迎えに行くのは当たり前じゃないか。


たしか、4年間、日本各地で勤務してたんだっけ。

社は前にそう書いてくれた。

何の仕事か知らないけど、20歳でそれだけ勤務できるってすごいと思った。


「今から、友達が来るけど、ここ使っていいよね?」

一応仕事場だから確認はしておくけど、拒否される恐れはないだろう。


普通の依頼はここには来ない。

大抵が、お父さんが話を聞いていることが多い。

ここでお父さんと社以外の人を見たことがなかった。


「ああ、ただ俺も今手の離せない重要な仕事を抱えているから、ここで仕事している。まあ、俺のことは気にすんな」

コーヒーを飲みながら、笑顔で私に告げてきた。


ウソだ。

全く昔から嘘が下手な人だ。

その鼻をかく左手が物語っていた。


「いいけど、お父さんこそ邪魔しないでよね」

くぎを刺しておかないと、面白半分で乱入してくる恐れがある。

今日の主役はいないけど、その手の話題に食いつくオヤジがここにいた。


社に会いたいというからここに来た。

社と話したいというからここに来た。


会っても話さないと言っても、会うだけでいいということだ。

あまり拒否してもという思いから、ついつい承諾したのはいいが、まさか、このオヤジが待っているとは誤算だった。



妙にそわそわしている……。完全に話に乱入する気だ。

「お父さん、仕事いいの?」

素知らぬ顔して、尋ねてみる。


「ああ、大丈夫だ」

何が大丈夫なのか知らないが、机の書類をめくっていた。


ああ、社を呼び出せばよかった。

今度、社の携帯を買いに行こう。メールならしてくれるだろう。


これから起こる出来事を、正確に予知できるような気がしていた。


預言者じゃないのに……。

私はもうため息しかつくことができなかった。




***




勢いよく扉が開かれ、快活な声が部屋中に響き渡った。


「わっかばー。きたよー!」

元気のよい声が、事務所の中に響き渡る。

びっくりして、思わず宿題の手を止めていた。

明美が来たと一発でわかる。

その快活な性格は、その言動から伝わってきた。


「こら、明美。行儀が悪い。ほら、雫もはやく。失礼します」

後ろからの声は、明美の非礼をわびつつ、その優等生ぶりをいかんなく発揮していた。

黙ってはいってくる雫の背中を押して、自らは優しく扉を閉める。

そして、どこというわけではなく、一礼していた。

よくできた行動で、そうするのが自然と思えるような子だ。


3人とも室内を眺めて、社がいないとわかると、盛大にため息をついていた。

他に若干1名いるんだが、視界に入っていないのだろう。


宿題をカバンになおし、お茶を用意しに立ち上がった時、自然と所長の椅子に目がいった。


未知との遭遇。

その顔はそう告げていた。

思わず、にやりとしてしまう。



「あっちにいるのが、おとうさん。みんな知ってるよね」

用意したお茶を3人に配り、一応存在をアピールしておく。


「おじゃまします。いまさらだけど」

「これは失礼しました。小松智美です。お邪魔しています」

「…………」


3人が3人らしい挨拶をしていた。


「ああ、ごゆっくり……」

お父さんは、まだ回復していなかった。



「ところでさ、社さんいないじゃん。どこいったの?もどってくるの?」

自分のお茶を用意して戻ってくるなり、明美に食いつかれた。


「私もいると思ったんだけど、幼馴染が帰ってきたから迎えに行ったみたい」

さっき聞いた情報を、そのまま3人に伝えた。


「幼馴染?どこから?女?」

智美の質問は容赦がなかった。

というか、雰囲気変わりすぎだ。


「なにそれ?私、聞いてないよ。私の社さんに女いたの?」

何が私の社さんだ。

さりげない私の物アピール。それをほかの二人が聞き逃すはずなかった。


「明美。あなたの社さん呼ばわりするのやめてよね」

「…………」

雫は何も言わないが、その意見には賛成のようだった。しきりに頭を振っている。


「まあ、まあ。いいじゃん。勢いよ。それより若葉。どうなのよ」

明美は明美でとぼけていたが、そのこと自体を訂正しようとはしなかった。


「いや、あの社だし。男だと思うよ。たしか、日本中を仕事でまわってるって……」

少しの動揺を隠しつつ、私は知っていることをすべて話す。


知っているようで知っていない。

近いようで、近くない。

私と社の関係は、そんなあいまいな距離でつながっている。

それも、私が言った言葉。

その言葉が、今の私たちをつくっていた。


「というよりも私もあまり知らないよ。社、あんなだし。そんな喋ると思う?」

社のせいにして悪いが、そうとしか言いようがなかった。


それでも社は、私に歩み寄ってくれていた。

社は今までと同じように接してくれている。

そこに甘えるように、私は社と接していた。


私からは、一歩も踏み出していない。


「そりゃそうか。でも、あの寡黙なとこがいいのよ。あと、その後の笑顔。もう、私も蕩けちゃったわ」

明美が身をよじって訴えていた。


「ああ、この子ね。生徒手帳落としたときに、社さんが探してくれたらしいのよ。この子、どこでも飛び回るでしょ。いろんなとこ行ったらしくて。しかもあの事件があったじゃない。自分の生徒手帳がどこかの誰かにとられたと思うと怖かったんだって」

私の訝しむ顔に、智美が説明をしてくれた。


なるほど、そういう事があったのか。

2週間用務員していたから、それなりに生徒とはかかわりを持ったんだ。

しかし、そんなこと一言も言ってくれなかった。


言うわけないか……。

私は社に聞いてもいないのだ。


「で、それってどこにあったの?」

私はそこが気になった。

結局あったようだけど、社がどう行動したのか。

事件と関係があったのか?


「えへ。実はなくしてなかったの。カバンの中に入れてたの忘れてた」

智美のため息が聞こえてきた。


あきれた。

たぶん私は唖然とした顔になっていたに違いない。

智美から、小さな笑いが聞こえてきた。


「でもね、そのことを正直に話したんだ。怒られるかなーって思ったけどね」

遠くの方を見ながら、目の前で手握る姿は、乙女だった。


「そしたら、暗記カードペラペラめくって、(よかったね)だって。その時の笑顔たまらない。」

身をよじりながら、訴える姿は、まさに恋する乙女にふさわしかった。

社にしては当然の事だろう。


救えるものを救うのみ。

それが社の信念らしい。


どこまでも社は社ということだった。

でも、そう言えばほかの二人はどうなのか?

特に雫が気になった。


「智美と雫は、社となんかあったの?」

この流れだと、社エピソードになるだろう。その理由も話すはずだ。

私の目論見に、智美はすかさず乗ってきた。


「私は学外よ。塾の帰りにね。ちょっといきがってた人たちに注意したの。その時に逆切れされちゃってね……。危ない目にあいそうになったときに、社さんに助けてもらったの」


この子はもう……。

正義感もいいが、もう少し自重してほしい。


「で、どんなだったの?」

明美は興味津々だ。見れば雫も身を乗り出している。


「もうね、超かっこいい。まさに、王子様!」

普段の優等生も、社をあらわす言葉は少ないようだった。

でも、ただそれだけで、3人は分かり合っていた。


「わかるわ。その状況」

明美はまた別世界に旅立とうとしていた。


「雫……あんたまでそっちにいくの?」

思わず言ってしまっていた。


ハッとした表情になり、雫は元の雫に戻っていた。


「で、どうすごかったの?」

一応確認しておこう。

まさか、力を使ったとは思えないが、危ないことしてないといいけど……。


「もう、てんで相手にならない。あの頭の悪そうな連中、社さんに攻撃するけど、かすりもしなのよ。すれ違いざまに手刀で一撃。5人があっという間に地面をなめてたわ」

うっとりとその時の様子を浮かべながら、智美は話を続けていた。


「それでね、座り込んでいた私に片手を差し出して、暗記カードで(けがはない?)ときたのよね。私も動揺していたから、その時は大丈夫と答えたのよ。でも実際は、足をくじいてたみたい。立ち上がろうとしたときによろけちゃった。その時、すかさず支えてくれたのよ。たぶんわかってたんだと思う。でないと、あれだけ素早く対応できないよ」

なぜか、明美と智美と雫は顔を突き合わすように話していた。


「で、どうなったの?」

明美が先を促した。


「わたし、お姫様抱っこって初めてだった……」

頬を染め、恥じらう乙女がそこにいた……。


黄色い悲鳴が事務所に響き渡る。

ガールズトークも最高潮だった。


「それで、雫はどうしたの?」

3人目。雫がなぜなのか知りたかった。

視線が雫に集まると、困ったようにうつむいていた。


「若葉。このところの雫、休み時間に見かけたことあった?」

智美が助け舟を出していた。

そう言えば、最近お昼も一緒に食べてなかった。


まさか?


「そうなのよ。この子ね、初日から用務員室に入りびたり。ほら、若葉が社さんに話しかけたでしょ。その時の会話を聞いていたんだって」

雫の方をみると、首を縦に振っていた。


あの時の会話って……?いったい何話したんだっけ?

私が考えているのを見て、明美が楽しそうに笑っていた。


「社。話さないで用務員つとまるの?暗記カードで大丈夫?」

口調まで真似しなくてもいいだろうに、でもさすがに明美はうまかった。


「私そんなこと言ったんだ。でも、それで雫が入り浸る原因になったの?」

そんな要素はなかったが、何かが雫の琴線に触れたのだろう。

全員の視線が雫に注がれた。


「話をしなくても大丈夫な方法を知りたかったの……」

消え入るような声で、ようやく話し出したその言葉は、雫が精一杯絞り出したもののようだった。

雫はずいぶん努力している。

うまく話せなくても、何らかの方法で自分の意志を伝えようとしている。


たぶん社に似た感覚を感じたのだろう。

それが、違うものに変わったということか。

でも、この子と社がいる風景。


想像して、不意にふきだしてしまった。


「なに?なんか妄想?」

明美の容赦ない一言は、羞恥の心をかき立てていた。


「なんでもない。ただ、雫には謝っておくわ。ごめん」

想像して笑ったことに、謝罪しよう。

でも、その光景はなんだかほのぼのとしていた。


「どうせ、社さんと雫が、二人して縁側でお茶飲んでいる姿なんか想像したんじゃない」

智美の洞察力には頭が下がる思いだった。


「いや、縁側じゃないけどね。でも、社は暗記カードで、雫が頭振って会話している二人の姿想像したら、なんだかほのぼのとした感じでね。思わずよ、おもわず」

真っ赤な顔でうつむく雫を見ながら、まんざら想像ではなかったことに、なんだかほのぼのとした気分になっていた。


社も社でちゃんと相手してくれていた。

この子たちは、明美を除いて物が無くなった子たち。

他にもいたが、特に智美と雫はいやがらせのような感じだった。


特に雫は、何も言わないせいで、何かと誤解を受けやすいし、からかわれやすい。

可愛らしい、小さな体もあいまって、小学生の時から、よくからかわれていたものだ。


「若葉。あんた知らないかもしれないけど、社さん、特に雫には優しかったんだよ」

明美が意地悪そうな顔でつげてきた。


社はたぶんわかっている。雫が危ういことがわかったんだ。


「そうよね。若葉も自分の立場、雫に奪われるかもね」

智美の顔も意地悪だった。


「なに?どういうこと?」

相変わらず下を向いている雫をよそに、二人のその顔に問いただす。


「雫と社さん、一緒に帰ること多かったんだ。雫が待ってたと言うのもあるけど、歩きながらも、よく頭なでてもらってるの見たよ」

「若葉の妹ポジションも危ないかもね」

好き勝手なことを言う二人に、私は真実を黙っておこうと思っていた。


「おまえたち、お目当ての彼が帰ってきたぞ」

珍しく乱入せずに、黙っていたお父さんが、窓の外を見みていた。

やけに嬉しそうに告げるその顔からは、なんだか嫌な予感しか感じなかった。


「やった!」

明美のうれしそうな声が響き渡る。


急いで身支度を整える智美と雫。

対照的な二人が同じ行動をとるのは見ていて楽しかった。


「ああ、そういえば言い忘れてたが、社の幼馴染な。葉月さんっていうんだ。もちろん、とんでもなく美人だぜ」

天地をひっくり返すようなその言葉は、私たちの時を止めていた。


ある程度まとめてとおもいましたが、今回はここまでです。

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