Extra chapter【生 ―LIFE―】
降りだした雨を肩に受けながら、その大男はシィホンを見下ろしていた。
「この街のどこかに、一人、変わった力を持った奴がいるらしい」
感情のうかがい知れぬ狼のような顔。その口が開き、低い声でシィホンを問いただす。
「そいつについて何か知ってるか」
「変わった……力」
「生来的な特異能力だ」
男の眼は鈍く光っている。
シィホンは座り込んだまま唾を飲み込む。男の迫力がそうさせていた。
「どうして……」
そんなことを訊くの?
男はシィホンの疑問を察してか、それともただ急かさんとしてか、より低い声で言葉を投げてきた。
「ケリをつけなきゃならん問題がある。知っているのか、知らんのか。さっさと答えろ」
「し、知ってるわ」
シィホンは痙攣的に答えていた。
「知ってる。ちょ――超能力者、一人、知ってるわ」
あれはいつだったか。たちの悪いジャンキー女たちに絡まれているところを助けてくれた、お人よしの女。その以前から噂は聞いていたが、思っていたよりもずっと若い女だった。
シィホンの返答を受け、男の目がわずかに、ほんのわずかにだが、感情の動きを見せた。
「そいつの名は分かるか」
しかし感情の正体は知れない。
素性も知れない男に恩人の名を教えることは躊躇われたが、この男もまた恩人であることを思い出し、シィホンはゆっくりと告げた。
「フゥリィ」
男の瞳を覗き込む。
野獣のように深く、暗い瞳。
だが――
「フゥリィ・ゴールドよ」
「そうか」
男は巨躯をひるがえす。
灰色の雨。
シィホンは反射的に呼び止めていた。
「待って」
「何だ」
男は立ち止るだけで振り向かない。
シィホンは大きな背中に言った。
「ありがとう、い――生かしてくれて」
「……」男は顔だけを半ばこちらへ向けた。「気にするな」
「あの、わ、私」
あれ? 何を喋り始めたんだ、私は。
「私、クォーターなんだけど、私のおばあちゃん、が……リーベンレンで」
未だ震え続ける唇が、勝手に言葉を紡ぎだす。
「おばあちゃん、小さい頃、私に……生きてたら色んな良いことがあるって、でも、死んだら全部無くなっちゃうって、私にいつも言ってて」
だからどうした。こんな話に何の意味がある?
「その――だから――本当に」
馬鹿か私は。
「……本当に……ありがとう」
ほら、結局また同じ言葉じゃないか。
大男はシィホンの無意味な話を黙って聞いていた。
そして何も言わず、また歩き出す。向こうを向く瞬間、その顔が微かに笑っていたように見えたのは、きっとシィホンの見間違いだろう。
遠ざかってゆく背中を見つめながら、シィホンは思う。
フゥリィ・ゴールド。
お人よしの女だった。シィホンも疑り深い方ではないが、それとは比べ物にならないほど人の良い雰囲気を、彼女は持っていた。この街では長生きをしないタイプ――「またね」と微笑む顔を見た時、直感的にそう思ってしまったのを覚えている。
まだ生きていればいいのだが。
よろよろと立ち上がり、泥水に汚れた自らの姿を見下ろす。
そして顔を上げると、男の姿は雨の中に消えていた。