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第十六章【林偉 ―りん・うぇい―】


 一


 石之助のところへ義理の息子から電話があったのは、一週間ほど前のことである。今年に限って気を使ったのか何なのか、「せっかくのクリスマスだから泊まりに来たらどうか」という誘いであった。

 もちろんクリスマスなどといった祭りに興味は無いものの、妻が逝ってからしばらく、冬を一人で過ごしてきた退屈な身だ。せっかく声をかけてくれたのだし、正月を待たずに顔を出してもいいかもしれないと気を向かせたのだが、では甘えようかと頷く前に、礼司はこう続けてきた。

「小梅さんもお義父さんに会いたがっているそうですし」――。

 その口ぶりはいつも通りの飄々とした調子であったから、からかおうとするような他意があったかは知れない。

 しかしそんなことを言われて、「そうかそうか、じゃあ顔を出すかな」などと言えるほど素直な石之助でもなく、つい、行けたら行こうかなとか、元気があったらなとか、細かい言い方は忘れたが、ともかくそのような曖昧な答えだけして、そのまま電話を切ってしまった。

 結果として遠まわしに断るようなやり取りになってしまったのは不本意ではあったが、まあ、一人の冬も毎度のことである。正月にはどうせ顔を出す習慣になっているし、それまでは例年通り、テレビでも見ながらのんびり過ごしていようと考えていたのだ。

 そう。少なくとも、昨日までは。

 実のところ、不本意が胸中で燻っていたのだろう。クリスマスイヴの今日に至って妙に落ち着かなくなり、結局、のこのこと電車を乗り継いで、礼司たちの住む町まで来てしまった。今はとうに改札も出て、駅前通りのコンビニの前である。

 バス停の脇に立つ街路樹を見上げ、石之助は煙草の煙をくゆらせる。

 狭い間隔で並ぶ街路樹には、よく見ると、それぞれに電球らしきものが仕掛けられていた。今はまだ正午にもなっていないが、夜になればピカピカと光るのだろうか。そう都会でもないくせに生意気なことだ。

「もう好景気でも無ぇんだがな」

何を呟いても悪態染みてしまうのは若い頃からの悪癖だった。

 どこからかクリスマスソングが流れている。

 さて、どうして顔を出したものか。

 腕を組んで歩くカップルを視線で見送ってから、ついと横を見ると、灰皿の向こう側に、旅行用のキャリーバッグを携えた若い女が立っていた。

 派手な女である。

 真っ黒なサングラスに、真っ白な毛皮のコート。それから美しくウェーブのかかった長い髪。

 音を立てることもなく、いつの間に現れたのだろう。

 それに――。

 女は細長い煙草に唇をつけ、薄い煙を空気に溶かした。

「警戒してるわね」その唇がぽつりと言う。「何か感じたのかな」

玲瓏な声だった。

 石之助に言っているのだと気付いたのは数秒後である。

 こちらが答える前に、女はサングラスをずらした。

「あなた、もしかして私と同類かしら」

獣じみた視線をこちらへ向け、挨拶をするように、艶めかしい妖気で撫ぜてくる。

 やはり妖怪か。

それも相当に強い。あの白狐かそれ以上――縛術などで太刀打ちできる相手では無かろう。

 石之助はしかし、身構えることをしなかった。

「いや」

わしは人間だが、と答えながら、言い知れぬ感覚に戸惑う。

 女の妖気には妙な懐かしさがあった。

 はて、どこかで相対したことがあったような。

 己が記憶を探っても心当たりには至らない。だいたい、こんな派手な女ならば、一度会えば忘れるはずもない。初対面のはずだ。

 女は小さな顔を軽く傾げて、石之助の瞳を覗き込んでくる。

「確かに妖気が無いわねぇ。でも私の力は感じた、と」

ぱちくりと眼が瞬く。

「ってことは、もしかして、石字縛師の子だったりして」

「……。そうだけどよ」

「きゃあ、ほんとに?」女の顔が急激に輝きを帯びた。「なんて偶然なのかしら!」

そして唐突に飛びついてくる。

 石之助は仰け反ろうとしたが捕えられ、凄まじい怪力で抱き寄せられて悲鳴を上げた。

「おま、あ、危ねぇ! 煙草が!」

「あはは、この子ったら照れてるのね。可愛いったら無いわぁ」

「照れてねぇ! 何だコラ、放せ馬鹿野郎!」

香水臭い。とにかく香水臭い。何事だ。

 女は石之助に正面から抱きついたまま、煙草を持っていない方の手で禿頭を撫でまわしてきた。

「このツルツル頭――そっかそっか、あなたが石之助ちゃんね。石楠花ちゃんから話は聞いてるわよ」

「石楠花だあ?」もがけど体は離れない。「何だ手前、孫の知り合いか」

「もっと深い仲だわよ。あなたともね」

「な――に」

「あら小梅ちゃん、会いたかったわ」

「こ、小梅ッ?」

石之助は紅猫鬼に抱きつかれたまま、無理やり顔を横へと向ける。

 そこには、分厚いコートで着ぶくれた小梅の、笑うでも怒るでもなく、ただじっとこちらを見つめる立ち姿があった。

 大きな目から放たれる視線。

 女と抱き合っている石之助。

 もちろん、言い訳をするのもおかしな話だ。

 おかしな話なのだが――

「あ……あのな小梅」

つい言い訳をしてしまう。

「違ぇんだぞ。これはだな」

しかも上手く出来ない。最悪である。

 小梅はなぜか考え込んだ様子で下を向いた。

「ええと」複雑なしかめっ面である。「なんか――ううん、何だろなあ」

「んー?」

女はふわりと石之助を開放し、小梅の方へ歩み寄る。

「どしたのかしら、小梅ちゃん」

「いえ」

小梅は顔を上げぬまま、毛糸の手袋をした手でげんこつを作り、それを口元にやって、ぶつぶつと愚痴るように言った。

「別に悪いことじゃないと思いますよ。二人は親戚同士だし、ぜんぜん悪いことじゃないですよね」眉間の深い皺。「……でも公衆の面前ですし、男女があんなふうに抱き合うのは、ちょっと、いかがなもの、かな、と思いました。それだけです……うん、それだけです」

「ふうん?」

女は興味深そうに薄笑いを浮かべてから、ちらりと石之助の方を見てきた。

「そっかそっか」くすりと。「ごめんね」

「……」

何を笑ってやがる。

石之助はそう言いかけたが、そちらへ話が広がるのはまずいと思い直し、言葉を飲み込んだ。

 小梅は上目づかいに付け加える。

「あのね、ほんとにそれだけなんですよ」

「うん。うん」

女は頷きながら小梅の頭を撫でる。

 ――それにしても。

 石之助は改めて女の横顔をまじまじと見た。

 親戚、だと?

 こんな派手派手しい親戚に心当たりは無い。ましてや妖怪の、――待てよ。

「おい、まさかあんたァ」

「そうそう、まだ名乗ってなかったわね。あなたのご先祖様の紅猫鬼よ。さあ今すぐ尊敬なさいな」

女は煙草の煙を吐き出し、偉そうに笑った。

 なるほど――と言うべきか。

 さっきから本能的に見当が付いていた気もする。石之助は驚くことすらできず、ただ、かくりと肩を落とした。

「……。マジか」

「ほんとはねえ、石之助ちゃんの住所はもう知ってるから、いきなり訪ねて行って驚かすつもりだったのよ。だから石楠花ちゃんや小梅ちゃんには緘口令布いてたし、正体のまま家を襲撃するサプライズとかも色々考えてたんだけど――バッタリ出くわすとはねえ。ここんところ奇縁が続いて大いに結構だわ」

「随分若ぇな」

「すっとぼけたこと言うのね」

「いや――」

毛の無い頭をかく。

 妖怪だから若くて当然。それはそうなのだが、自分の先祖となると、これがどうにも奇妙だ。出会いが唐突なせいもあるのだろうが実感がわかず、冗談を言われているような気にさえなる。

 コンビニの前に据え付けられた灰皿へ煙草を放り込み、石之助はポケットに手を突っ込む。訊きたいことは幾つかあった。

「んで? 健在だったことにゃ驚かねえが、どうして小梅らと知り合いなんだ。まさかわしらの知らんところで、何百年も見神の裏にいたんじゃ無ぇだろうな」

「どうして私がそんなもんの手伝いしなきゃいけないのよ。任氏……今はシロだっけ? あのコの妖気を久々に感じたから、ちょっと前に一度遊びに来たの。その時に偶然知り合ってね」

「今までどこにいたんだ?」

「色んなところよ。ここ何年かは海外で女優やってるわ。ビクトリア・ウーって名前で」

聞いたことないかしら、と、再びサングラスをずらして顔を見せてくる。

 確かにどこかで見た覚えがあった。

「……ああ」

しかし出演映画のタイトルまでは思い出せない。少なくともゲーリー・クーパーより有名ではないはずだ。

 紅猫鬼はその反応が不満だったようで、ちっ、と小さく舌打ちした。

「イマイチ驚かないわねぇ。畜生、もうちょっと名前売らなきゃだわね」

「いや――、しかしまあ、感心するぜ」呆れたとも言えるが。「妖怪が女優やってるなんざ、今まで聞いたことも無ぇ。大胆なもんだ」

「何でもやりたいタイプなの」

さてと、と紅猫鬼は再び歩み寄ってきて、しかし石之助の前に立つでもなく、置きっぱなしだったバッグのキャリーバーに手をかけた。

「このまま石之助ちゃんともお話していたいけど、生憎と私、今回の休みは小梅ちゃんとデートするために来たのよ。だからまた今度ね」

「なんだデートってのは」

「あーっ、そうだ」

小銭を放り込みたくなるほど大きく口を開け、小梅が間抜けな声を出す。

「あの、ビクトリアさんには言ってなかったですけど、今晩、殿山さんのお家で食事会があるんですよ」石之助の方を見る。「石之助もそれで呼ばれたんでしょ?」

「ん――まあ、な」

一応頷く。

 紅猫鬼は、食事会? と小首をかしげた。

「なんでまた……ああ、クリスマスイヴだからか」

「はい。ですからビクトリアさんも一緒にどうですか? みんな喜びますよ。またビクトリアさんとごはん食べたいなぁって言ったら、夜々ちゃんも大輝ぼっちゃんも礼司さんも石楠花お嬢ちゃんも、そうだねって言ってましたもん」

「要するに任氏以外ね」

人差し指で前髪を払い、紅猫鬼は笑う。

「ま、そうだわね。夜になったら顔出してみようかしら」

「わあい!」

「へえ」諸手を挙げた小梅を見て、紅猫鬼は感心した顔を見せた。「わあい、ってホントに言う子、初めて見たわ。可愛かったからもう一度やってくれる?」

「え?」

「……わしゃ先に行ってるぜ」

なんだか馬鹿馬鹿しくなってきた。石之助はポケットから出した片手をいいかげんに振り、二人に背を向けて歩き出す。

 木枯らしの吹き抜ける足元――

 飛んできた二つの「またあとでね」は、感心するほどぴったりと揃っていた。


 二


 なだらかな坂を下りきるように、穏やかに目を覚ます。

 今は何時だろうか。

 暗闇の中に光るLEDの文字盤は、だいたい十時を指している。午前だろうか、午後だろうか。雨戸を閉め切っているから分からない。せめて何時に眠りについたのか思い出せればいいのだが、ここ最近ではそれすら判然としなくなっている。

 布団から片腕を出して目をこすると、隣に寝ていた長身が、もぞりと動いた。

「……あ」耳元で声。「タカミチ起きた」

やわらかな肌の感触と体温。

 孝道はその体を抱き寄せた。

「うん。クロはずっと起きてたの?」

「ずっと起きてるじゃなかったけど、さっきから起きた。いい子にしてた」

とがった舌先が孝道の頬を舐める。

 くすぐったい。

 わずかに顔をしかめて問う。

「今はもう夜かな」

「それはたぶん違う。まだ昼とクロは思ってる」

「ふうん」

まあ、どうでもいいか。

 ベッドの上のリモコンを探り当ててテレビをつけると、深い闇の中に、十四型の画面が浮かび上がった。たしかに昼間の、それも火曜日の番組だ。

 ということは――今日は母がいるのか。

 今風呂場へ行ったら顔を合わせてしまう。

「ち」

舌打ちが出た。

仕方あるまい、シャワーは夜になるまで我慢しよう。

 こんこんとドアがノックされる。

 孝道は返事を返さず、寄り添うクロは息をひそめる。

 ドアの向こう側で母は勝手に喋った。

「孝道、起きてるの?」

「……」

答えない。

 テレビの明かりに照らされるクロの顔が、「自分は隠れていたほうがいいか」と無言で問うてきたが、孝道は静かに首を振った。どうせ母はこのドアを開けないのだ。

 母の声は小さかった。

「昨日……」

――何も食べてないわよね。

ドア越しには最後まで聞き取りづらい。

 孝道は床に落ちているビニール袋を見る。中に入っているのは、コンビニ弁当の残骸と、空になったペットボトル。また夜になったらクロが捨てに行くだろう。

 クロはただ黙っていた。

 さっき、声がしてたみたいだけど――と母は言う。

「……誰かと電話してたの?」

「してないよ。気のせいだろ」

また舌打ちする。窓から入ってきた妖怪を部屋で飼っているだなんて、まさか言うわけにもいくまい。

 これ以上は億劫だった。

「もうさ、いいから下でテレビでも見てなよ」

「うん……」母はしかし小さく続けた。「昨日買ってきたお弁当、ここに置いておくから」

「分かった」

「……それとね」

「何」

「こないだ言ってた、山中さんのところのお店……あれね、一人くらいならいいかもしれないって。アルバイトは今、高校生の子が一人しかいないみたいだから」

「そう」

「まだ二十三だし、専門学校なんか行きたいなら、学費は何とかするけど」

「うん」

「……何か――やりたいこととか、無いの?」

「今は別に」しつこい。「いいから早く行けって」

「でも、このままずっと」

「ああもう、うるさいな!」

ドアに枕を投げつける。

「しつこいよ! 何か用があったら、こっちから呼ぶから!」

「……」

母は黙り、

「……わかった」

と言い残して、ドアの前から去って行った。

 消えてゆく足音。

 クロが耳打ちする。

「どうするタカミチ」

「何が」

「お弁当。きのう夜クロの買ってきたが食べたから」

「ああ――」

孝道は日に一度しか食事を取らない。無性に特定の何かが食べたくなって、クロにこっそり買いに行かせた時には、母が用意した食事が余ってしまうのだ。今回などがそうである。

「いいよ、クロが食べて」

「クロ何も食べなくても大丈夫ですな。大切はおみずとドングリだけでした」

「それじゃあとで僕が食べるよ」

「タカミチさっき怒ったか」

「うん?」

「顔が怖いになった」

クロの柔らかな手が、孝道の頬に添えられる。

「声も大きすぎた。クロ、びっくりだから嫌かもしれない」

「うん、ごめんね」

頬の手を取って握り、キスをする。

「ちょっとイラついただけだよ」

「……」

クロは不意に黙った。

 小さな頭を抱き寄せて、髪に隠れた耳に問う。

「どうしたの、クロ」

「……タカミチはお母さん嫌いですか」

「ん? ――ああ」

ふう、と天井に息を吐く。

「時々だよ。分かってることを何度も言われると、時々ね、鬱陶しいんだ」

「クロは馬鹿ですから心配する。クロも同じだろうと思う」

「違うよ」

長い黒髪を指で解き、囁く声で笑ってみせる。

「クロのことだけは好きだよ」

「好きか?」

「うん。好き」

「本当の好きか」

「本当に好きだよ」

「……そうか」安心したような声。「なら平気」

そしてクロは孝道の腕を逃れ、布団の中にもぐり込んでゆく。

 ごそごそと手が入ってくるのを感じながら、孝道は静かに目を閉じた。

「音がしたら母さんに気付かれるからさ」

慣れた手つきで触れてきた指は、少し冷えていた。

「今は最後まで出来ないよ」

「……ん。心配なしでいい」

布団の中から返事が聞こえる。

「クロが出してあげるのだけだから、タカミチそのまま何もするな」

「うん――」

軽く腰を浮かす。

すぐさま、クロが手際よく脱がせてくれた。大体がこうした調子なので、最近では介護されているような錯覚に陥ることもある。

 起き抜けなのでさほど乗り気でもなかったが、やがて先端に舌先が触れ、細かく動き出すと、それでようやく血が通ってきた。

 薄目を開けて天井を見れば、テレビの明かりが安っぽいイルミネーションのように反射していた。

「夜になったら――っと」吸いつかれた。「また……ちょっと散歩しようか。窓から抜け出してさ」

「んう」

クロの嬉しげな鼻息が聞こえる。

「んうう」

「無理に返事しなくていいよ」

孝道は布団の中でクロの頭を撫でる。

「楽しみだな。クロのポケットの中、あったかいからさ」

夜までには時間があるが、インターネットでもしていれば、半日くらいはすぐに過ぎてしまうだろう。

 再び目を閉じて意識を集中すると、クロが普段よりも丁寧に接してくるのが伝わってきた。さっき少し不機嫌な様子を見せたから、機嫌を取ろうとしているのだろうか。

 そういえばクロは以前、「怖い奴にいじめられていた」と言っていた。仲間が一人もいないとも――あれが本当なら、もしかして、孝道とどこかが同じなのかもしれない。

 やっとできた味方に嫌われたくないのだ。

「好きだよ、クロ」

頭を撫でながら孝道は呟く。

「好きだよ」

今はもう、クロだけがいてくれれば良い。

 外は風が強いのだろうか。

 閉められた雨戸がかたかたと震えていた。


 三


 日本のファミリーレストランに入るのは初めてらしい。火のついた煙草を片手に、紅猫鬼はしかめっ面でメニューをながめている。

「料理の名前が長いわね。ホームテーブル特製生き生きホウレン草の大盛りスパイシー炒め……ビタミンたっぷり有機野菜のイタリア風まろやかドレッシングサラダ……こういうの、ちゃんとフルで言わないとマナー違反になる?」

「メニュー指さすだけでだいじょぶですよ。これとこれ、みたいな」

「なるなる」

紅猫鬼は煙草をくわえてページをめくる。

「じゃあ、これにしようかな。どっさりキノコと新鮮卵の――ええと、玄米入りヘルシー雑炊。小梅ちゃんは何食べるの?」

「私はハンバーグランチにします」

「おっけい。じゃあ店員さん呼ぼうか」

「あ、そのボタン押すんですよ」

「ボタン? これ?」

呼び出しボタンを手のひらに乗せ、紅猫鬼は目を丸くする。

「これ押せば来てくれるんだ。はあー、日本も変わったわねぇ。こんな社会で暮らしてたらコミュニケーション下手になっちゃうわ」

いかにも外国人らしい心配をしつつ、紅猫鬼はボタンを押す。

 向こうの方で呼び出し音と返事が聞こえ、ものの数秒も経たぬうちに女性店員がやってきた。

「はい、お待たせしました」

「早いわね」

「はい?」

「何でもない何でもない。ええとね、これと――これ。あとホットコーヒーちょうだい。小梅ちゃんは飲み物いる?」

「いえ、私はセットにドリンクバーがついてますので」

「ドリル……何?」

「えっと、あとで説明します」

「あの――ご注文は以上でよろしいですか?」

「ん? ああうん」

紅猫鬼はメニューを閉じて頷く。

 店員は、では――と注文を繰り返し、間違いのないことを確認すると、メニューを回収して引っこんで行った。

 紅猫鬼には一連の流れも新鮮だったようだ。

「たった三つの注文をわざわざ繰り返して確認するなんて……団体で来たら確認するだけでもひと苦労ね」

「そうですねえ」

「で、ドリンクバーって何?」

「一定料金でお茶やジュースが自由に選べて、飲み放題なんです。ほら、あっちの方にあるスタンドから持ってくるんですよ」

「ふーん」

小梅の指した先をながめ、紅猫鬼は煙草を弄ぶ。

 その顔が、急にこちらへ向きなおった。

「そんで? さっきから何考えてんのかしら?」

「え」

「あたしゃ任氏と違って人間の中で何千年も生きてきたのよ。小梅ちゃんがさっきから何か言いたそうにしてるってことくらい、ニンニク食べた後のすかしっ屁みたいにバレバレなんだから」

「あ……う、はい」なぜか顔が熱くなる。「すみません」

「こっちこそゴメン」

「はい?」

「今説明されたばかりなのに気が回らなかったわね」紅猫鬼は恥ずかしげに笑う。「このまま話し始めちゃったら、小梅ちゃんの飲み物がずっと無いままになっちゃう」

「あ――」

「何か持ってきてからでいいわよ」

「す、すみません」

小梅は頭を下げて立ち上がり、慌ててドリンクバーに駆けた。

 それからコーラを注いだグラスとストローを手に席へ戻ると、紅猫鬼は、一本目の煙草を灰皿に押しつけているところだった。

「なんか、家族連れが多いわね。平日の昼間なのにさ」

「きっとクリスマスイヴだからですよ」

よいしょと正面に座り直す。

 紅猫鬼は、なるほどねえ――と無表情で二つ頷いてから、改めて身を乗り出してくる。

「で? なぁに話って」

「あ……」思わず視線を落とす。「ええと」

「もしかして石之助ちゃんとのことかしら」

「違いますよおっ!」

「大きな声出さないの」

「うう」

ストローを袋から出し、グラスに突っ込んでかき回す。

「……。そんなに分かりやすかったですか、私」

「さっき? けっこう分かりやすかったわよ」

「今さらなのに――恥ずかしいなぁ、もう」

「後悔しないようにね」

「え――」

小梅は顔を上げる。

 紅猫鬼は笑っていた。

「後悔だけはしちゃ駄目よ。私たちの一生は長いけど、想いはずっと消えないから……あら、ありがと」

店員の置いたコーヒーカップを引き寄せ、砂糖の袋を開ける。

「私もね――」

さらさらと流れ落ちる白い結晶が、熱いコーヒーに溶けてゆく。紅猫鬼は苦笑いして首を振った。

「って、何でもないわ。ごみんごみん、話を戻しましょっか」

「……はあ」

小梅はコーラをひと吸いして、ストローから唇を離す。まだ炭酸がきつい。少し時間が経って薄まってからの方が小梅の舌には合っている。

 ともかく。

「その、ちょっと言いづらいことなんですけど」

「頼みごと?」

「……。はい」

「難しいお願いかしら」

「けっこう難しいです。だから、ほんとはお願いしようかどうか迷ってたんですけど」

溶け始めたグラスの氷が音を立てる。

「その……ビクトリアさんは御存知ないと思いますが、最近、この近くで行方不明になる人が多いんです。まだ遺体が見つかったとかいうことはないので、テレビではあまり大きく取り上げられてないんですけど、もう何人もいなくなってるらしくて」

「――」

ライターを持った手が、ぴたりと止まる。

「……行方、不明」俯いた瞬き。「……ね」

「それで入神家の偉い人たちが、夜々ちゃんと私に帰ってこいって」

「ふむふむ?」

二本めの煙草にすばやく火をつけ、煙を吐き出しながら紅猫鬼は顔を上げる。

「もうちょっと詳しく説明してもらっていいかしら」

「あ、はい」

あわてて頭の中を整理する。どうも順を追って話すのは苦手だ。

「あのですね、最初から夜々ちゃんと私――っていうか、夜々ちゃんですね。夜々ちゃんがここに引っ越してくることに、上の人たちは良い顔してなかったんです」

「凶暴な誰かさんがいるから?」

「いえ、無理やりにでも大輝坊ちゃんを見神の本家筋のところに連れて行って、手っとり早く夜々ちゃんと夫婦にしたかったんだと思います。夜々ちゃん自身はそんなふうに相手の意思を無視するのは嫌だって言ってたし、私も反対でした。それに私としては、夜々ちゃんが外の世界に出て、学校とかに通う良い機会だと思いまして」

「なるほど」

「だからシロさんがいたことは、どっちかというと……あくまでこっちに越してくる名目としてはですけど、良い方に働いてくれたんです。皮肉にもっていうかなんていうか、口実の一つになったので」

「無理に引き離したら任氏の襲撃にあって、御家全滅は免れないって理屈が成り立つわけだ」

「でも、問題がひとつあって」

「任氏は人を殺さなくなっていた」

「……はい」

小梅はこくりと頷いた。

「夜々ちゃんとシロさんの間に緊張感があったうちはまだ誤魔化せてたんです。けど、いつまでもそんな感じじゃなかったし」コーラの泡を見つめる。「シロさんが丸くなったと分かってくるにつれて、本家の人たちはまた段々強気なことを言ってくるようになりました。こっそり大輝坊ちゃんを連れてこいとか、あとは居場所を分からなくしちゃえばいいとか……。確かに今のシロさんなら、そうなっても、夜々ちゃんや見神の人を殺したりはしないと思います。でも、誰も死なないとしても、そんなのダメですよね? シロさんは泣いちゃうし、石楠花お嬢ちゃんも泣いちゃうし、夜々ちゃんも大輝坊ちゃんも納得いかないし、誰も幸せにならないですよね?」

「まあ、そりゃあ、ね。私も反対だわ」

灰皿に煙草を置き、紅猫鬼はコーヒーカップに口をつける。猫だけに猫舌なのだろうか、随分ちびちびと飲むものだ。そういえば以前寿司を食べていた時も、念入りに茶を冷ましていたような記憶がある。

 小梅は上目づかいに頷いた。

「絶対そうですよね。だからずっと断ってたんです」

「けれど、最近の行方不明云々って話が、向こうの新しい口実として加えられた」

「です」頷く。「やっぱり外に居させるのは危険だとか、そんな感じで。ちょうどこの辺りは眠り石があった跡だから、危険な妖怪絡みに違いないって……本気でそこまで思ってるかどうかは分かんないですけど、最近毎日そんな電話がかかってくるんですよ。夜々ちゃんには電話取らせないようにしてますけど、あの子も何となく気づいてると思います」

「それで私に話をつけてほしいってことか」

紅猫鬼はカップを置いて微笑んだ。

「いーわよ。その本家とやらに行って脅かしてやりましょ。まあ、離れの二、三軒でも吹っ飛ばせばビビってもう何も」

「わあわあわあ、違います!」小梅は焦って腰を浮かす。「脅迫はやめてください!」

「違うの?」

「はい――」

小梅は椅子に腰を落とす。嫌な汗が全身から吹き出していた。

「じゃなくて私……その、いっそ行方不明事件を解決できちゃったらいいなって、思ったんです」

「あ、そっか」

「分かります?」

「うん。つまりアレでしょ? 敢えて事件に首を突っ込んでみて、もし事件を起こしているのが危険な妖怪だったら、かえってシメたもの。そいつをうまく片付けることができれば、保護役としての危機管理能力を本家とやらに見せ付けることができる――かもしれない、ってわけだ。そうなりゃ今後は、少なくとも、危険がどうこうって理屈でうるさく言われる面倒が無くなると」

紅猫鬼は煙草を持ち直し、早口に代弁してくれる。

「まあ、上の人とやらが本気で心配してるかはともかく、実際この辺りは眠り石が壊れたばかりだから、人がいなくなってる裏に妖怪がいる可能性はそれなりに高いと言えるでしょうね。あくまで他の地域と比較しての話だけど」

「うーんと……シメたものとかは思ってないですけど、だいたいそんな感じです。でも――」

「小梅ちゃんじゃあ力不足」紅猫鬼は煙を吐く。「仮に都合良く妖怪の仕業だったとして、そしてその妖怪を特定できたとしても、今の小梅ちゃんだと接触した途端に殺されちゃうかもしれない。かといって任氏には理由が理由なだけに相談しづらいし、そもそも、周りのメンツじゃ情報収集力もタカが知れてるから、事件のことを調べようにも調べられやしない。石之助ちゃんだって現役過ぎてネットワークが死んじゃってるでしょうしね。もちろん本家に協力をあおぐなんて本末転倒、以ての外」

とん、と灰を落とす。

「でも、数多の高度な術式を使いこなす天才であり、任氏と並ぶ妖力を持ち、おまけに美しくて優しくて美しくて美しいビクトリアお姉さまが力になってくれるなら、ひょっとして――なんて思っちゃったわけだ」

「……。はい」小さく頷く。「厚かましいお願いなので、言おうかどうしようか迷ってたんですけど。ビクトリアさんは時間もないし、せっかく来てもらったのにこんなことをお願いするのも」

「良いわよ別に」

紅猫鬼は笑いながら煙草を消した。

 小梅は顔を上げる。

「ほんとですか?」

「可愛い小梅ちゃんの頼みだもの。第一、今回は小梅ちゃんのために来たんだからさ」

「あ――ありがとうございます!」

こうもすんなりと承諾してくれるとは思わなかったので、まともな礼の言葉が出てこなかった。小梅はただ何度も頭を下げる。

「ありがとうございます。あの、ええと、ありがとうございます!」

「ちょっとちょっと、そんなに感謝されても困っちゃうだわよ。調べてみて妖怪が関係してなかったら、結局何の得にもならないんだからね」

「いえ、それはそれでいいんです」小梅は首を振る。「夜々ちゃんたちの近くで変な事件が起きてること自体、親として気持ちが悪かったので。解決して悪いなんてことないんです」

「そっか」

煙草を消してコーヒーを一口すすり、紅猫鬼はぽつりと言う。

「それじゃまあ、便利な奴のところに行ってみようかしらね。この時間じゃ起きてないと思うから、もう少ししたら」

「便利な奴?」

「ああ、使えることは使えるけど、どうしようもない奴よ。小梅ちゃんは会わない方がいいわ」

そう言って紅猫鬼は苦笑いした。

 映画を見ている時は気付かなかったけれど、こうして実物を見ると、紅猫鬼の笑顔は石楠花によく似ている。いや、順番が逆か。石楠花が似ているのだ。先祖返りは顔立ちまで先祖のものに立ち返るのだろうか。

 近くの席に座っていた三人組の客が立ち上がり、ばらばらとレジの方へと歩いてゆく。

 紅猫鬼は「そうだ」とカップを置いた。

「ちょっと思ったんだけど、もし妖怪がこの辺りで悪さをしているなら、小梅ちゃんたちの誰かが気づいてもおかしくなさそうなもんよね。ある程度位の高い妖怪なら、妖気を消してる可能性もあるけど……何か、妙な気配を感じたこと無かった? ここ最近で」

「ここ最近?」

どきりとする。

 寒気と共に脳裏に蘇ったのは、あの夜に見たシロの姿だった。

 夜空を飛ぶ白い影と、降り注いできた暗い妖気。

 考えないようにしていたのか、ずっと心の隅に引っかかっていたのか、それは自分でも分からない。ただ小梅の目は、あの光景を確かに覚えていた。あれは?

 頭の中に――靄がかかる。

 いけない。

 靄を振り払うように、小梅は首を横に振った。

「特に」うつむいたのは無意識でのことだった。「何も無かったです」

「ほんとに?」

「はい」

今度は縦に。

 そして胸の内で小さく呟く。

 ……そうです。

 私は本当に疑ってないんです。あれは怪しいことなんかじゃなかったんです。行方不明事件なんかとは、絶対に関係があるわけないですから。

そうですよね。ばかばかしいですよ。

だから――だから、それを確かめるためにも、私は――

「何もありませんでした」

自身に念を押すように、もう一度頷く。

 ありがとうございました、とレジの方から声が聞こえる。

 小梅はもう何も言えないでいた。

 紅猫鬼はしばらく小梅の顔を見つめていたが、やがてまた、柔らかに微笑んだ。

「うん、分かったわ」

三本目の煙草に火をつける。

 吐き出された紫煙はやけに濃厚だった。


 四


 落ち着いて考えろよ、まだ午前中じゃないか。日が暮れるまでには時間があるさ。

 そう自分に言い聞かせながらも、大輝はさすがに焦り始めていた。

 いったい自分は何を買えばいいのか。

 石楠花のペンダントトップに、父のシガレットケース。あれらは特に迷うこともなく決まったので、先週のうちに購入し、今はもう自室の引き出しに忍ばせてある。あとは本人に手渡すだけだ。

 だが、シロに贈るプレゼントだけが、いっこうに決まらない。

「何を渡しても――」

デパート屋上のベンチでひと休憩しながら、大輝はため息をついた。

「喜んではくれるんだろうけどなあ」

よっこらしょと脚を組み、空を見上げる。

 なにせリボン一本を大事にしてくれるような人だ。ハンカチだろうがメモ帳だろうが、ありがとうと受け取ってくれるのは間違いない。だが、

「……そういうわけにもいかないしなあ」

今度は空にため息を吐き出す。

 掃除、洗濯、買い物、夕飯作り。それから弁当の支度に至るまで、ここ最近では、およそ全ての家事が、シロ一人に任せっきりになっている。

 それに対してシロが得ているものといえば、せいぜい雨をしのぐ屋根と、あとは食事くらいのものである。食事だってシロ自身がこしらえているのだから話にならない。悪い言い方をすれば、無給で住み込み家政婦をしてもらっているような状態だ。

 だから何か――そう、こういう時くらい、何か、感謝の気持ちを伝えられるような物を贈りたいのだが。

 唸りながら背を丸めた大輝の正面に、ぶわりと大きな風が吹き付けてきた。

 思わず体ごと横を向く。

 と、近くのビル群が見えた。

「……あ」

大手ビール会社の巨大な看板を見て、大輝は口を開ける。

「酒かあ」


 五


 小梅と別れてから一時間と少し。電車に揺られて石川町の中華街へと辿り着いた紅猫鬼は、その外れにある雑居ビルの階段を、眉間に皺を寄せながら上っていた。もちろん、こんな埃臭くて暗い階段を好きで選んだわけではない。エレベーターが故障していたのだ。

 相も変わらず酷いビルである。転がったゴキブリの死体や壁のヒビは百歩譲って許すとしても、手抜き工事であちこちが傾いているのはいただけない。こうして階段を上っているだけで平衡感覚を失いそうになるのだから、ここで暮らすには相当な無神経さが必要になるだろう。

 空き缶やゴミ袋を蹴飛ばしながら五階にたどり着き、吸う気の失せた煙草を足元に捨てて、つま先で踏みつける。

 林偉探偵社――そう書かれた汚いプレートが、数年前に来た時と同じく、目の前のドアに貼りついていた。

 すう、と息を吸い込み、そのドアに怒鳴る。

「リン! リン・ウェイ! どうせ暇なんでしょ? 久しぶりに命令しに来たわよ!」

おまけとばかりにドアを蹴飛ばしたが、これはやめておけばよかった。そういえば今日の靴は気に入りの一足である。

 さて、それにしても返事が返ってこない。

 紅猫鬼は勝手にドアを開け、事務所の中を覗き込む。

 以前にも増して雑然としたデスクや、接客意識の低さが窺われる汚いソファは見えるものの、持ち主の姿は見えない。

 ということは、食事中だろうか。

 紅猫鬼はつかつかと階段を下り、今度は四階のドアに、正面から張り手を食らわせた。

「ウェイ!」

ドアが開くと同時に鍵が壊れ、金属の部品が景気良く飛び散る。

 タイル張りの床に転がるネジ。

 家具も何も無い部屋の中央では、眼鏡をかけた半裸の男が、どうやら人間であったらしい物の上に覆いかぶさって、その臓腑に食らいついているところだった。

 閉め切られていた空間に、血の臭いが充満している。

 男はゆっくりとこちらを見た。

「……鍵の意味がありゃしない」赤くぬめった口で溜息をつく。「その乱暴さはどうにかならないのか、紅猫鬼」

「その肉は男? 女?」

「男だったな」

ウェイは立ち上がり、汚れていない小指で眼鏡を直す。

「いつも通り不法滞在者だ。昨日攫ってきたんだが、まあ、騒ぎにもならんさ」

漢族の遺伝子を受けた薄い顔と鋭い眼は、涼しいを通り越して挑発的にすら見える。

 この生意気な面持ちがカンに障るのだ。紅猫鬼は顔をしかめ、鼻をつまんで見せた。

「血生臭いわね」

「そういえばお前は人を食わないんだったか。……取りあえずドアを閉めろ。万一誰かに見られたら面倒だ」

「あたしに指図なんて、たかが半妖が偉くなったもんだわ」

後ろ手に扉を閉め、紅猫鬼は壁に寄りかかる。

 ウェイは拾い上げたタオルで手を拭きはじめた。正面から見ると二十歳に見える顔が、横から見ると三十路に見える。なんとも不思議な造形だ。

「いつこの国へ来た」

「さっきよ」

「面倒ごとなら他を当たってくれ。お前が来るとろくなことにならん」

「そう嫌な顔しないの」

ポケットから財布を取り出し、ぽいと投げる。

 拭い終えた手で、ウェイはそれを受け取った。

 紅猫鬼は笑う。

「そこからテキトーに抜いて良いわよ」

「一方的だな」

「頼りにしてるのよ」

煙草を取り出し、火をつける。

 実際、ウェイの捜査力は優秀だ。どんな力を使っているのかは知れないが、結果を出せる以上、確かに優秀であることは間違いない。

 ウェイはタオルで唇を拭い、髪を撫で上げた。

「何の依頼だ」

「ある地域で起きてる連続行方不明事件について情報が欲しいわ」

「あれか」

漂う煙を邪魔そうにしながら、ウェイは浅く頷いた。

「眠り石のあたりだろう。あれなら、居なくなった連中に共通点がある」

「相変わらず話が早いわね」

やはり興味深い能力だ。なんとかしてシステムを聞き出せば術式で疑似再現も出来ようが、それはまた、別の機会にするとしよう――紅猫鬼は灰を落とす。

「で、共通点って?」

「呆れるほど簡単なことだ。消えたのはどいつもこいつも、同じ公立中学の出身者だな。しかもほとんどが同年度の卒業生ときている」

「簡単すぎるわね」

「そこの校長は文明新聞の社長と親戚関係だし、文明は民営党とべったりだからな。同業者同士の慣れ合いや上下関係の分かりやすいこの国じゃ、報道にも思慮がいるらしい。同じ学校の教師が校内で消えた時も、事件に発展しなかったくらいだ」

「なんていう学校?」

「日台中学だったかな」

「へえ――?」

石楠花たちが通っている学校か。考えてみれば、あの辺りならば学区も被っていて当然のことだろう。

 紅猫鬼は指先で煙草を回し、ふむと唸る。

「なーんか見えてきたわね」

「もっとも、消えたうちの一人は年も学校も違うがな。……こいつは関係無いのかね。分からんな」

「同期卒業生の電話番号リストとか、調べられる?」

「調べる必要はないさ」

ウェイは上半身裸のままポケットに手を突っ込み、こちらへ歩いてくる。

「だが生憎と、紙とペンは上にしか無いんだ。少し待っていろ」

そしてドアを開けて出て行った。

 残された紅猫鬼は死体に目を落とし、ふんと鼻を鳴らす。

「よくこんな生臭いもの食べられるわね」

ウェイといい――任氏といい。

 そして煙草をひと吸いしたところで、はっとした。

「あっ、財布!」

あいつめ、丸ごと持って行きやがった。

 紅猫鬼はあわてて食事部屋を飛び出し、リン・ウェイを追いかけた。


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