第三部プロローグ【追憶 ―ついおく―】
母様、痛い。
痛い。痛い。母様、痛い。母様。母様。
ああ――せっかく眠ろうとしているのに、この獲物の何とやかましいことか。任氏は苛苛と目をこすり、猪の毛皮が敷かれた巨木のうろから這い出しつつ、泣きわめく子供を睨みつけた。
その男の子は、巨木の脇に生えた細い木に、頑丈な草のつるで括りつけられたまま、根気よく大声で泣いていた。左耳が無く、そこから血が滴っている。さっき任氏が切り落として食ってしまったからだ。
人の身では容易に立ち入ることもかなわぬ、静かな、静かな森の奥。
空には黄色い月が輝いていた。
月明かりを真上から浴びながら、任氏はやれやれと歩み寄り、子供の前に立って、小さく溜息をついた。
「お主という子は全く、やかましうて敵わぬな」
出来るだけ長く新鮮な味を楽しめるよう、必要なだけ肉を切り取りながら、少しずつ、少しずつ食うつもりなのに。
お前の痛みなど、どうでもいいのに。
こんな森の奥で叫んで誰が来るというのだ。どうして無意味なことをするのだ。ただ自分を苛立たせるためにやっているのではないか。だいたい人間が――餌ごときが喋ったり泣いたりすることに、何の意味があるのか。
子供は任氏の苛立ちも知らずに泣き続けた。
「放せ、放せ! こ……この物の怪めッ! 母様のもとへ……母様、母様! か、かあさ」
「これ、やかましいと言うておる」
任氏はただ子供の頬を叩くつもりだった。
だが、眠いせいか力の加減が上手いようにいかなかった。
子供の首はごきりと音を立て、そして、頭がぶらりと垂れ下がった。
――折ってしまったか。
任氏は舌打ちする。
「面白うない」
今晩はさして腹が減っていないから味見だけで終わらせるつもりだったが、こうなってしまうと、出来るだけ早く食うに越したことはない。
任氏はたおやかな両腕を振るう。
子供の体は、括られていた細い木と共に、ばらばらになって転がった。