最終話、星めぐりの歌
ローマにおける天使降臨から一年が経ち、キリスト教徒の反乱はなりを潜めていった。ローマ教皇から、戦いを止めよとの何らかの指示があったものとみえる。
海王朝は繁栄の時を迎えていた。水路、陸路に張り巡らされた交通網は、商品経済を発達させ、資本主義の原型が現れつつあった。日本人の勤勉さと中国人の本来持つ合理性は、産業を発展させ新しい技術を生んだ。
学問の発達にも目覚ましいものがあった。ガリレオ・ガリレイの教え子たちが、知の体系に挑み、あらゆる学問に影響を与えた。
子どもたちは学校で読み書きを学び、識字率は爆発的に向上した。学問の書だけでなく、巷には読み本が溢れかえり、庶民までもが物語の世界に遊んだ。
貧しかった人々も耕作地や仕事を得て、日々の暮らしには満足するようになった。芝居や浮世絵など、庶民の娯楽も発達し、人々は楽しみを得るようになったのだ。
織田信長以来の極端な自由放任経済は是正され、商人たちの利益には課税された。税金は国家の福祉政策の原資となった。九州大乱の原因はローマ教皇の陰謀だったが、海王朝の官僚たちは、貧困と格差にあると結論付けたからだ。
この繁栄がいつまで続くのか私は知らない。しかし、平和の下にしか繁栄はない。
上海ラボに戻った私たちに、中国政府からのお咎めは無かった。十字作戦は、私たちと自衛隊、つまりは日本人が勝手にやったことで、中国政府は関知しないというのだ。
これで中国とアメリアの裏取引は安泰というわけだ。中国政府は、碧海作戦を危機から救い、チベット暴動を闇に葬った。私たちは中国政府の掌の上で踊らされていただけなのかも知れない。
穿った見方かも知れないが、ひょっとすると私たちも中国政府も、天野女史の掌に転がされていた可能性も否定できない。国連はこの難しい調停を見事に裁いたのだ。これが平和のための捨て石とするならば私は納得してもいい。しかし、暴動の鎮圧で殺されたチベット人にも同じことが言えるだろうか。
私と戸部典子は辞表を出した。もう、終わりでいい。中国政府は辞表をすんなりと受理した。中国にとっても私の役割は既に終わっていたのだ。
腹立たしいわけではない。寂しいわけでもない。判然としない何かが残っただけだ。
アメリカ福音派の大立者ビリー・ハートフィールドは十字作戦を強行した自衛隊を「悪魔の軍隊」と呼び、私と戸部典子をサタンの手先と呼んだ。大天使ミカエルに対して失礼な奴である。サタンも元を正せば天使であったのだから、それも納得できないではない。
その翌年のLGBTプライドに戸部典子は大天使ミカエルのコスプレで参加し、福音派の人々を激怒させることになる。にまにま顔の大天使がピンクのバスの屋上から手を振っている姿が「LIFE」誌の表紙を飾った。この時のスピーチで戸部典子はローマ教皇の前でやったスピーチを再現した。「今すぐ戦いを止めるなり!」と。そして「ユニバース!」、世界よ! と叫んだ。
ニュー・ヨーク、この世界の中心で「世界」と叫んだ馬鹿者である。しかし、馬鹿者だけが世界を変えうるのだ。私も戸部典子も、そのことを真田信繁という不思議な男から学んだ。
自衛隊の反乱は処分されることになった。自衛官がシビリアン・コントロールを離れ、独自の作戦行動を取ったのだから仕方がない。ところが田中一尉以下、自衛隊ドローン部隊は処分の対象外とされた。処分は佐官以上、やまと艦長の広岡二佐や、潜水艦ホエール艦長の竹部三佐、田中一尉の上官が部下の監督不行き届きで降格となったくらいだ。お気の毒である。
自衛隊ドローン部隊が撮影した十字作戦の映像は、日本国民の心を掴んだ。自衛隊が、決断の遅い中国政府の態度に反抗して、独自に作戦行動を開始し、海王朝の危機を救ったのだ。日本国民はこれに喝采を贈った。
自衛隊がシビリアン・コントロールを離れたことに危機感を持たない日本人にも驚くばかりだ。天野女史が二・二六事件から十字作戦と名付けた警告には、誰も気づかないようだ。
それどころか反乱に加わった自衛官たちを、国民は愛国者に祀り上げようとしている。あの時、私が田中一尉にお願いしたことは結局この熱狂に飲み込まれてしまったようだ。もはや「愚民ども」などと言う気も失せた。
首謀者のひとりであるこの私がこういう言い方をするのもどうかと思うが、世界は理解するにはあまりにも複雑になり過ぎた。
私は、ほんの少し世界を理解する者として、語るべきことを語らねばならない。
上海ラボを去る日が来た。
陳博士、李博士ともお別れである。このお二人もこっそりではあるが反乱に加担して私たちを助けてくれた。
私たちは固い握手を交わした。
「いつまでも友達なりよ。」
戸部典子はそう言うが、私たちは既に生涯の友なのだ。
「お元気で。先生との仕事はとてもエキサイティングでした。」
陳博士が笑って言った。
「体に気を付けてね。あまり食べ過ぎないように!」
李博士、それは私に言っているのか?
さあ、行こう。
私たちが歩き出すと、人民解放軍の諸君が敬礼した。彼らは私たちに敬意を払ってくれている。私と戸部典子は敬礼のお返しをしながら、玄関まで廊下に居並ぶ人民解放軍の敬礼に送られた。
飛行機の窓から中国の大地が見えたとき、私には感慨があった。悠久の歴史の大地ともお別れだ。心残りはある。レポートをもう少し細かく書いておくべきだった。中国の歴史ももっと勉強したかったし、史跡巡りで行っていないところがずいぶんある。それから、李博士を一度くらい食事にでも誘うべきだった。いつも一緒に飯を食っていたのは悲しいことにこいつなのだ。
戸部典子は私の隣で柿ピーをぼりぼり食いながら美味しそうにビールを飲んでいる。
関西国際空港で私たちを出迎えたのは、マスコミの取材だった。新聞社、テレビ局、様々な腕章をつけた報道陣が、私たちをもみくちゃにした。
驚いたことに、私たちは愛国英雄になっていたのだ。冗談じゃない! 私たちはマスコミを無視することにした。
その中に、ちゃちなデジタルカメラを振り回している若者がいた。
あの青年ではないか。私が京都学院大学で講演をしたとき、私を売国奴と呼んだ青年だ。
どうしたんだ、と訊くと、京都で仲間たちとネット放送を始めたと言うことだ。京都ブロードキャストというらしい。何か心境に変化があったのかと訊くと、「ほんとうのことが知りたくなりまして」と頭を掻く。
ほんとうのことだと、生意気に。だが、いい言葉だ!
私たちは青年についていくことにした。既存のマスコミなんかには、何にも語りたくないが、この青年のネット放送なら、ほんとうのことが語れる。
青年と仲間たちは西陣の古い町屋を改装して、スタジオにしていた。二階は青年の住居である。
手作り感満載の町屋スタジオで、戸部典子と面白トークだ!
「日本に着いたら、愛国英雄になってたなり!」
「ちょっと前までは、売国奴だったんだけどな。」
「あたしなんか、国賊なりよ!」
それから、私たちを国賊とか売国奴と呼んだコメンテーターたちをなで斬りにしてやった。私たちが栄誉ある流行語大賞を受賞した「愚民ども!」と「卑怯なり!」の連発で、面白トークが毒舌トークになってしまった。
ネット放送は爆発的な人気となり、大手テレビ局も京都ブロードキャストという超弱小ネット放送局の許可を得て映像を使わなくてはならなかった。毒舌が過ぎたせいで。まともに使えるところはごく一部だけどな。
青年は坂下三成という名前だった。私たちは彼を「小三成」と呼んだ。小三成は、今でもコンビニのバイトを続けている。ネット放送には手弁当で参加しているのだ。
私たちの出演以来、ネット放送は少しずつ利益を出すようになっていったが、彼らはこの仕事をお金ではなく使命のように思っているようだ。これが「志」というものだ。
私は京都学院大学で教鞭を取ることになった。歴史社会学という講座である。碧海作戦の元アドヴァイザーという肩書は、大学にとっても貴重らしい。講義は盛況である。
私の研究室の机の上には今もニュー・ヨークで撮った写真が飾っていある。超イケメンの陳博士と、エレガントな白のワンピースに身を包んだ李博士と、にまにま顔の戸部典子と私が写っている。あの碧海作戦の日々も懐かしい思い出になった。
大学の近くにマンションを借りて、京都ライフを満喫している。街を歩き史跡を訪ね、旨い物を食う。これほど散策して楽しい街は無い。
週に一度くらい、戸部典子の実家「広沢亭」に飲みにいくのも楽しみのひとつだ。いちげんさんお断りの店に行くのは鼻が高い。料理はとても美味しい。さすがミシュランを断った店だ。
学食のメニューも全て制覇した。戸部典子の言うように、ここの学食のから揚げ丼は絶品である。
戸部典子は、評論家兼ジャーナリストのような仕事をしている。世界中を飛び回っているようで、この間はチベットに行ってきたそうだ。時々、テレビにも出て戦国武将談義や歴史解説をしている。
本もいっぱい出しているみたいだ。戦国武将関連にだけでなく、世界の人々との交流した旅行記のような本がベストセラーになっていた。「戸部典子の京都案内」とか「戸部典子のグルメブック」なんてのも好評である。本の表紙氏には必ずあのにまにま顔が載っている。
京都ブロードキャストにもときどき出演している。私も何度か呼ばれて、彼女と面白トークをした。不定期だが看板番組になっているようだ。
京都学院大学にも週二回くらい講師として来ている。国際交流学という講義らしい。何処にでも臆さず入り込んでしまう彼女らしい講義だ。
学食で会うと、お互いのおかずの取り合いになる。この間なんかは、私の塩サンマ定食のサンマを戸部典子が全部食い、私が戸部典子のトンカツを平らげてやった。学生たちの笑いものである。
学生たちは、碧海作戦の話を聞きたがるのだが、ここは勉学の場だ。面白トークをする場所ではない。
それでも、年末の最後の講義だけは、碧海作戦スペシャルにした。学生たちは爆笑しながら講義を聞いた。特に、戸部典子のエピソードは滑らない話だ。
講義の最後は、私が碧海作戦から身を引くことを決めた日の話で締めくくる。
ローマから上海に帰る潜水艦は、太平洋の赤道付近で浮上した。
私たちのように密閉された空間での生活に不慣れな者もいる。夜になると浮上して外の空気を吸うのだ。
十七世紀の太平洋である。空は満天の星だ。
熱帯の夜の空気は気持ちがいい。私は潜水艦の甲板で深呼吸した。
水平線には、ぐるり三百六十度、黄道十二星座が海の上に並んでいる。しし座、みずがめ座、さそり座、私は星座を数えて、夜空を楽しんだ。遠い昔から人間は夜空を見上げてきたのだ。
歌が聞こえる。宮沢賢治の「星めぐりの歌」だ。夜空を見上げながら戸部典子が歌っている。
あかいめだまのさそり ひろげた鷲のつばさ
あおいめだまの子いぬ ひかりのへびのとぐろ
オリオンは高くうたひ つゆとしもとをおとす
いい声だ。心に沁みる歌声だ。戸部典子よ! 愛と平和の使者よ! その歌声でこの汚れた世界を浄化してくれ。
「おお、その歌は知っているぞ」と田中一尉が野太い声で歌い出した。田中一尉が歌い出すと、さらに何人かが声を合わせて歌い始めた。なんだか、自衛隊のごつい男たちの合唱団が出来上がってしまった。
アンドロメダのくもは さかなのくちのかたち
大ぐまのあしをきたに 五つのばしたところ
小熊のひたいのうへは そらのめぐりのめあて
みんな、高らかに歌っている。彼らは反乱部隊なのだ。せめて星々に彼らの気持ちを伝えたかったのかも知れない。
「さん、はい!」
戸部典子が振り向いて、指揮を始めた。指揮に合わせて自衛隊の「むくつけきおのこ」たちが歌う。
「みんな歌うなり! 歌うなりよ!」
戸部典子が手にしている指揮棒は、握り手に紅い大きな宝石がついている。それって、ウルバヌス八世の短い杖ではないか。お前、それ持ってきたのか!
あかいめだまのさそり…
私は苦笑しながら、「星めぐりの歌」をつぶやくようにして歌っていた。
歌声は潮騒にかき消され、星々まで届くことはないだろう。それでも人々は歌い続けるのだ。歴史の続く限り。
私はもう一度、空を見上げた。降るような星の中、私は思った。
私たちの歴史は、この夜空の星の瞬きに過ぎない。