27、信長の帝国
講演会当日、京都学院大学を訪れてみると長蛇の列ができていた。
私の講演会にこれだけ人が集まるのか!
驚きである。なるほど、岡田君が私を呼んだ理由が分かった。彼は教師でありながら、妙に商売っ気があるのだ。
碧海作戦は、毎日、ニュースやワイド・ショーで取り上げられている。その現場にいて、アドヴァイスを与えているのが私なのだ。ひょっとすると、私は人気者なのか?
普段は上海にいるから実感がなかったが、こういう光景を見ると嬉しくもあり、身が縮む思いでもある。
「すごい人なりよ。先生、緊張してるんじゃないなりか?」
戸部典子は私のマネージャー気取りでついてきたのだ。
会場は大教室と呼ばれる千人を収容できる教室である。
開場は十三時、開講は十四時である。飯でも食うか。
やはり学食に行ってしまう。この大学の学食は広いし、メニューも多い。私はまたまたトンカツ定食を頼んだ。戸部典子はから揚げ丼である。
「ここの学食は安いからときどき利用したのだ。ここのから揚げ丼は美味しいなりよ。から揚げが乗ったご飯に、甘辛いタレがたまらないなり。」
なんか、それ旨そうだな。ちょっとだけ味見させてくれ。
「いいなりよ、その代わりトンカツ一切れもらうなり。」
なんか、学生たちが私たちのほうを見ているぞ。みんな笑っているではないか。
そうだ、戸部典子は正真正銘の有名人なのだ。
「写真、一緒に撮ってもらってもいいですか?」
可愛らしい女学生が声をかけてきたので、その場にいた希望者全員で記念写真を撮ることになった。学食のおばちゃんがシャッターをきってくれた。
さて、お腹もいっぱいになったし、行くか。
舞台袖から客席を見ると、満員御礼である。客席の熱気に気圧されて、緊張してきた。
一応、学生さんが優先的に入場できるようになっているらしいが、報道関係者みたいなのもいる。いちばん後ろの席にかたまっている女性たちは何だろう。なんか、この女性たちの場所だけが、妙な空気なのである。
「気を付けるなり、あれは全歴連のお姉さま方なり。」
全歴連? なんじゃそりゃ。
「全日本歴女連盟なりよ。変なことを言うと恐ろしいことになるなりよ。」
歴史マニアの女たちか。何が恐ろしいもんか!
石田三成は弱っちい、なんて言うとまずいのか?
私がそいう言うと、戸部典子のにまにま顔がどんどん青くなっていくではないか。
いったい、どんな恐ろしいことがあるんだ! 教えてくれ! 教えてくれ! 戸部典子!
演壇に立った私は、「みなさん、こんにちは」という挨拶で講義を始めた。
私は「信長の帝国」というテーマで話をすることにしていた。
中国の歴史に一本の線を引くとなると、宋王朝の時代になります。宋王朝の時代、中国には階級というものが無くなりました。皇帝という特異点を除いて、全ての人が平等になった。貴族というものが居なくなったのです。
貴族の替わりに政治権力を握ったのが官僚です。科挙と呼ばれる試験に合格した者ならば、出自に関わらず出世できるようになったのです。学問を収めた者が権力を持つことを正当化する思想として、朱子学が生まれました。誰もが平等に、そして自由に競争できる社会、これが、中国の歴史的な社会モデルです。
日本は違います。江戸時代は、身分制度が厳格でした。武士の子は武士、百姓の子は百姓。この場合、競争はほとんど生まれません。平等でもないし、自由でもない。けれど、江戸時代が不幸な時代だったと言い切ることはできません。それなりの生き易さがあった。
戦後の高度成長期の日本企業は、年功序列と終身雇用を採用していました。この制度も江戸時代に似ています。過度な競争よりも、協調することによって国力を上げた。そのかわり、若いというだけで実力を認められないこともあった。いい大学を出ただけで一流企業に入社できた。仕事ができなくても終身雇用が保障されていた。これは平等でもなければ、自由でもない。でも、悪い社会ではなかった。
さて、織田信長です。この人は、平均的な日本人じゃないですよね。特異な合理主義で非合理な中世を焼き尽くしたような武将です。碧海作戦においては、中国の持つ自由競争の社会と、信長の合理主義が奇妙なハーモニーを奏でだしたのです。つまり、あらゆる人間が実力だけで勝負する超競争社会です。
自由というのは際限がありません。お金儲けする自由。人を馬鹿にする自由。アメリカなんかでは銃を持ち歩く自由が認められています。人を殺す自由だってあります。自由はどこかで規制しないと、万人の万人に対する闘争になってしまいます。そのために国家がある。「社会契約論」というのを、たぶん高校時代に勉強したと思います。国家が自由を規制するのですが、どこまで規制するかは、意見が分かれます。
平等は、競争のスタート地点をできる限り平等にしておくことが望ましいです。お金持ちの子供だけがいい教育を受けられるのは平等ではありません。勉強ができる者がいい学校に行ってお金持ちになる。できないものは貧しくなる。これは、狭義の平等です。誰でもが幸せに生きられる世界が理想なのですが、競争による格差を認めなければ共産主義国家のようになってしまいます。
自由と平等は矛盾する概念である場合があります。もし、正しい国家というものがあるなら、それは自由と平等の絶妙な配合によってしか生まれません。
信長の中華帝国は、この自由と平等の計測器が、針が振り切れるほど極端に触れているようなものなのです。
ところが信長の帝国は、今のところうまくいっている。何故だと思いますか?
そう、帝国が恐ろしい勢いで成長しているからですよ。人口も爆発的に増えているし、人口をまかなう食料もどんどん増産されている。貿易は盛んになり、世界から富が集まってきています。だから、最大公約数的な正義の位置が非常に高いところにある。
みんな、碧海作戦の映像を見て、夢みたいな歴史だと思っているかも知れませんが、歴史っいうのは、常に変化していくんですね。諸行無常なんですよ。
これから、信長の帝国は平和と安定のなかで、新しい問題にぶつかっていくことになるでしょう。既に変化は始まっています。
ここまでしゃべった私は、演壇の上に置いてあったペットボトルのお茶を飲んだ。
反応は上々だ。
私は続けた。
この間、アメリカに行ってきました。アメリカって、信長の帝国に、ほんとによく似ているんですよ。自由の国でしょ。自由競争の果てに、人口の一パーセントの富裕層が富の九十九パーセントを所有しているという歪な世界になっているんですね。こうなると平等が阻害されます。
でもアメリカはいい国ですよね。いろんな人々がいる。人種や民族のるつぼです。ゲイやレスビアンの人たちが、ニュー・ヨークの街を占拠してパレードしてるんですよ。私も参加してきましたけどね。
それと、宗教にはびっくりしました。福音派という人たちがいて、進化論も天動説も否定してるんですよ。こういう人たちが一億人近くいる。
信長の帝国にもゲイはいますね。信長自身がね、森蘭丸とかね。衆道という文化がありますから、取り立てて問題にならない。キリスト教世界では神に背いていることになりますけどね。
宗教に関しては、アジアは全く西欧と違いますね。マックス・ウェーヴァーの説が正しいとするならば、資本主義はプロテスタンティズムが作ったことになります。宗教が歴史を進歩へ導いたわけです。
アジアの思想や宗教が近代を生み出さないとするならば、信長の帝国は近代の萌芽を西欧から輸入しなければならない。石田三成の艦隊がやったのがそれです。
ただ、こういう目に見えない物を輸入すると、もれなくプラス・アルファがついて来るんですよね。これからは、様々な要素が変化となって現れてきます。そして、それとの戦いになる。
碧海作戦のニュースなんか見るときはね、こういうことを頭に置いておくと、いろんなことを考えるヒントになります。できれば、そんな風に見て下さい。そして自分の頭で考えてください。
何事も考え抜くこと。大学は知識を学ぶだけではないのだ。そのことを言い終えると、私はにっこり笑って講義を終えた。