24、時代は変わる
上海ラボへ戻った私たちを待っていたのは、悲しい知らせだった。
北方の航海から戻った真田信繁が病を得て、死の床にあるというのだ。
「現代の医学で治せないなりか?」
「たぶん癌ですわ。現代の医学でもどうしょうも無い。」
私たちがアメリカを旅しているうちに二年の月日が流れていた。いつか私たちが迎えねばならない時が来たようだ。
木場三尉のギンヤンマが真田邸を監視している。信繁はやつれ果てて、足腰も立たないようだ。一子、幸昌と鄭芝龍が代わる代わる看病している。
その日、伊達政宗が真田信繁を見舞った。
伊達の行列が真田屋敷の門前に控えている。近所の住人たちは何事かと様子をうかがっている。真田屋敷は庶民が暮らす地域にあるのだ。
小さい、あまりにも小さな屋敷だと政宗は思っただろう。財産を蓄えることもなく、栄達を望むことも無く、だだ自分が信じる道を歩いてきた男だ。
信繁は床から出ることはできなかったが、久しぶりに上体を起こした。体を起こす力も残っておらず、幸昌に助けられてようやくのことだった、
信繁は自らの死を悟っている。これが盟友との別れになる。
二人は茶を飲みながら、ほがらかに談笑している。あれこれと昔話に花を咲かせた。織田信長の下で共に戦ったこと、台湾の役のこと、そして懐かしい人たちのことである。
「真田殿、憶えておられるか。戸部典ノ介殿という妙な御仁のことを。」
「憶えておる、憶えておる。あれは御仏の化身ではないかと、わしは思うておる。」
戸部典子の目に涙が浮かんだ。遠い時の彼方で、二人の男が自分の話をしている。会うことも、声を届けることさえ許されていない。
正宗は信繁の体を気遣って半時ほどの滞在で真田屋敷を後にした。政宗が帰った後、信繁はぐったりして横になった。命を削っての盟友との再会であったのだ。
その三日後、真田信繁は逝った。享年五十二歳である。
涙をこらえながら、戸部典子は早退を申し出た。
「帰って、信繁君の菩提を弔いたいなり。」
今日はもう帰れ。私の部屋の台所に、この間、免税で買ったセブンティーン・イヤーズ・オールドがある。飲んでいいぞ。
「知ってるなり。でも、ありがとなり。」
戸部典子はぽつりぽつりと歩みながら、上海ラボを後にした。
私は時空通信で木場三尉に真田屋敷の監視任務の終了を告げた。
「了解!」
木場三尉の声も涙で濡れていた。
ギンヤンマが信繁の魂を運ぶかのように、太陽に向かって飛んだ。
時代は変わる。
真田幸昌は袁崇煥の下で武将に取り立てられることになった。父、信繁は幸昌が武将になることに難色を示していた。戦の時代はもう終わり、平和の時代に戦い続けることこそ男の本懐であると幸昌に説いていた。海に乗り出すこと。そして必ず正義をなすこと。それが信繁にとっての戦いであった。
父の雄姿を見て育った幸昌は、未だ初陣さえ終えていないことに忸怩たるものがあった。袁崇煥からの誘いがあったとき、真田の血が騒いだ。袁崇煥は幸昌の資質を見抜いていた。冷静沈着にして大胆、父、信繁の才能をよく受け継いでいる。幸昌はその期待に応え、袁崇煥の下で。めきめきと頭角を現した。
鄭芝龍は北の海の探索の際、船団長であった李旦にその腕を見込まれていた。十代の若者とは思えない見事な操船技術。数字に明るく、商才も並ではない。何よりも利発である。李旦は北の大地との貿易に乗り出すことを考えていた。北の海は海産物が豊富であり、特に昆布は保存がきき、食材として非常に優れたものになると踏んでいたのだ。また、アザラシやテンの毛皮も、価値のある商品になる。
芝龍は李旦の北海行の商船団に加わることになった。彼にとって海は信繁が与えてくれた、生きるための場所なのだ。
長く義兄弟として育ってきた幸昌と芝龍は、それぞれが別の道を歩むことになったのだ。
時代は変わる。
一六二〇年、皇帝、織田信忠が崩御し、太宗の廟号を贈られた。海帝国の基盤を作った、この生真面目な皇帝は民衆に愛された。信忠の葬儀には多くの民衆が従い、葬列はどこまでも続いた。
三代皇帝、織田信政が即位した。信政は凡庸な皇帝であったが、自らが凡庸であることをよく理解していた。象徴として君臨し、政治自体は有能な部下に任せる。ただ、理解できないことは分かるまで何度も訊いた。
海帝国は既に盤石であり、信長、信忠が築いた路線を踏襲するだけで、大きな問題は起こらなかった。
一六二二年、石田三成も鬼籍に入り、宮廷は世代交代することになる。
三成は、死の二年前に、愛新覚羅ヘカンを宰相に、大河内信綱を副宰相に抜擢した。ヘカンは初めての日本人以外の宰相である。ヘカンと信綱は、三成の秘蔵子であったのだ。
ヘカンの胆力、信綱の知恵、三成はことあるごとにそう言った。かつで三成が知恵を絞り、ときに暴走気味になると、副宰相、大谷吉継が調整した。三成の経験が、全く異質な二人を帝国の両輪に据えることにさせたのだ。
時代は変わる。
「馬上少年過ぐ 世平らかにして白髪多し」
三成の葬儀に列席した後、伊達政宗は役目を辞して領国、仙台へと帰った。領国は長い間、家老職にある片倉家が取り仕切っていた。政宗は隠居するつもりだ。もはや、盟友、真田信繁はこの世に無く、共に戦った仲間たちも老い、この世を去る者もあった。仙台はもはや帝国の辺境に過ぎない。なれど、その美しい土地が老境を迎えた政宗には懐かしく思われた。やるべきことは既に成した。我ながらよく戦ったと思う。あとは、ただ、帰るのみである。
「人間、五十年」の時代である。伊達政宗、五十五歳である。
上海の伊達屋敷には政宗の次男、忠宗が入った。忠宗は優秀であった。宮廷への出仕もそつなくこなし、伊達水軍の貿易も見事な手腕で取り仕切っている。アムステルダム帰りの弟、宗清を相談役として西欧との貿易にも乗り出している。
仙台に帰った伊達政宗は、故郷の海の幸、山の幸を食べて、体力、気力を再び充実させていた。この男は長生きなのだ。仙台に帰ってから十四年も生きることなる。
こうなると戦国武将の血が騒ぎだすのだ。政宗はかつて真田信繁が語った北の海や大地の事を思い出した。そこにある、まだ見ぬ人々や物産、そして若き日の憧れ。政宗は船を仕立てて蝦夷の地に何度も渡り、アイヌの人々と交易を開始した。これが後に伊達の北方貿易として確立していくことになる。
政宗は真田信繁との約束がようやく果たせたように思った。政宗は信繁を偲んで、盃を傾ける。
「残躯天の赦す所 楽しまずして是を如何にせん」
時代は変わる。
平和の時代が来た。明王朝の残党も退治され、辺境の遊牧民族たちも海王朝の火砲の威力の前に沈黙している。もはやアジアに帝国の敵はなかった。海と河にはどこを見ても船影があった。流通網が張り巡らされ、人や物が激しく行き交った。
西欧からの船も多数来航している。ポルトガル船やオランダ船、イギリス船、旧教国、新教国取り混ぜて様々な国から波頭をたててやってくるのだ。目的は交易である。台湾の役のような領土的野心を見せることはもうない。
海帝国は自由の国である。人々は競争し、富を築くも、栄達を望むも自由である。一方、競争社会に取り残された者たちもいた。競争は常に敗者を生む。街には貧困が蔓延し、格差は人々の心に怨嗟を生んだ。
海帝国は現代のアメリカに似ている。自由は正義である。ただし、自由だけが正義ではないのだ。
そして、反乱の火の手が上がる。
各地でキリシタンたちの反乱が頻発するようになっていた。
袁崇煥の軍に加わった真田幸昌は初陣を果たした。彼は砲兵隊を率いてキリシタンの反乱軍の鎮圧に向かった。
鉄砲の音がこだまし、大砲が火を噴いても、キリシタンたちは死を恐れずに向かってくる。彼らは死ねば天国に行けると信じている。
それは虐殺でしかなかった。幸昌は向かってくるゾンビのような集団に、大砲の弾を集中させた。キリシタンたちは吹き飛ばされて死体の山を築いていく。
「これは戦じゃないなり。武将たちの誇りも、死者への敬意も、何もないなり。」
戦国武将を心の友とする戸部典子には、見たくない光景だっただろう。だが、歴史はそれが何であろうと直視すべきものなのだ。
キリシタンたちにとって、死ぬことが正義なのだ。宗教との戦いは、非合理との戦いでもある。
反乱は鎮圧しても、鎮圧しても、雨後の竹の子の如く、次々に起こった。鎮圧に向かい皆殺しにする。真田幸昌が肉体的にも精神的にも疲れていくのがわかる。
時に一六二三年。真田幸昌、二十四歳の若者にとって、死闘は果てしなく続くように思われた。
キリシタンの反乱には、キリシタンだけでなく、貧困に喘ぐ人々や、戦国の世に取り残された負け組の荒武者たちが合流していたのだ。
これらの反乱が、糾合し一大勢力となれば海帝国の屋台骨を揺るがしかねない。海帝国にとって看過できる事態ではない。
この反乱の映像は、キリスト教諸国、とりわけアメリカのキリスト教徒たちの非難の的になった。キリスト教徒が、何十万人も虐殺されていると言うのだ。
何を言っているのだ。この時代、西欧ではドイツ三十年戦争が始まっていて、旧教と新教の領主が血で血を洗う戦いを続けているのだ。しかも領土的野心や領主間の思惑が絡み、新教軍と旧教軍が連合したり離反したりで、わけが分からないことになっているのだ。
彼らはキリスト教徒同士の戦いは容認できても、異教徒にキリスト教徒が殺されるのは許せないと言うのだ。
キリスト教福音派の大立者ビリー・ハートフィールドは信長を「悪魔」と呼び、海帝国を「悪魔の帝国」と呼んだ。
訂正してやろう、信長は「第六天魔王」だ。覚えておけ!