26、世界へ去る
ゼーランディア城は落ちた。台湾は中華帝国の版図となった。
国家主席、劉開陽が居並ぶ政府高官たちとひとりひとり握手を交わした後、声明を発表した。
「中国はひとつである」と。
これに対して台北の中華民国政府は沈黙を守った。
台湾の大衆の間でも碧海作戦は密かに人気を集めており、別の時空とはいえ新しい可能性を秘めた中華王朝に期待する向きもあったのだ。
ゼーランディア城には井伊直政の兵が進駐した。直政はゼーランディア城を「台南城」と改め、ここを中心に台湾南部の統治をおこなうのだ。
オランダ人やイギリス人の捕虜たちは、巨大船の二番艦、雲長丸に乗せられ寧波へ送られた。その中にジェームス・ドレークの姿はなかった。表向きは逃亡したとされたが、島津豊久について鹿児島へ向かうことになっていた。
桜島丸が台南の港を離れていく。豊久とドレークが船の甲板で手を振っている。
戸部典子がぴょんぴょん飛び上がっては手を振り返している。
「豊久君! 陣羽織、大事にするなり!」
あっ、泣いてやがる。
「目から汗が出ただけなり!」
昔の青春ドラマみたいなセリフだな。
九鬼守隆の帝国第一艦隊も白い航跡を残して、台湾の海域を離れていく。南シナ海に戻るのだ。再び、西欧艦隊の来襲があるやもしれない。哨戒活動が任務なのだ。
石田三成の玄徳丸は袁崇煥の部隊を乗船させ、上海を目指す。皇帝に対して戦勝報告を行わなければならない。
シラヤ族たちには土地が与えられ、農耕が教えられた。これまで狩猟採取で食物を得ていた彼らが、米つくりや畑仕事に馴れることができるのだろうか。あの豊かな森は失われたのだ。これからは食物は作るしかないのだ。
シラヤ族の救出などと言ってきたが、これから始まるのは植民地支配なのである。ここは貿易の重要な基地になるはずだ。中国人や日本人が台湾に移住してくることになるだろう。
シラヤ族に文明というものの光が当てられることになる。光は必ず影をつくる。先住民たちの首狩りの風習は野蛮の一言で否定され、差別や偏見が生まれることだろう。
そんな時は、ゼーランディア城落城の伝説を思い出して欲しい。
歌うなり、踊るなり。
私たちは解りあうことができるのだ。
真田信繁には二本マストの新しい船が贈られた。石田三成の粋なはからいだ。三成は三本マストのガレオン船を贈るつもりだったが、信繁が中型船を希望したのだ。
「我ら四人では、大型船は操れませねゆえ。」
「ならば、水兵を何人かつけてもよいぞ。」
「四人くらいが気楽で、私の性に合っておりまする。」
欲の無い奴、と、三成は笑った。
「信繁君、新しいい船の名前は考えたなりか?」
「おう、真田丸よ!」
新・真田丸、試し運転である。私と戸部典子も乗り込んだ。
マストのてっぺんに登った鄭芝龍がロープを引っ張ると、ばん、という音を立てて帆がいっぱいに膨らんだ。一気に最大船速だ!
「気持ちいいなりー!」
日は高々と天空にあり、真田丸が白波をたてて海上を滑っていく。
水平線は白い弧を描き、私たちを海の向こうに誘う。
この時代の人々は、海の向こうに何があるのか、まだ知らない。
素晴らしいもの、恐ろしいもの、そして世界の人々が待っているのだ。
「戸部殿、今回はほんとうにかたじけなかった。戸部殿がおらなんだら、シラヤ族の皆は戦火に焼かれていたやも知れぬ。」
「いいのだ、拙者の世界ではあたりまえのことをしただけなり。」
「世界? 戸部殿のお国は何処かのう?」
「拙者は、この世界の向こうから来たなり。この海の向こうをずーと行けば、そこに世界があるなり。」
「世界か! 行って見たいのお!」
この時代の人々の認識は、中華帝国と見知らぬ海の向こうの「世界」が存在している。
海の向こうに私たちの世界はない。時の彼方だ。
だが、そう思うことにしよう。私たちはどこかでつながっていると。
私たちは現代へ戻った。
世界はゼーランディア城攻略戦のニュースで持ち切りだった。私たちは時の人だった。
戸部典ノ介のにまにま顔が「ニューズウィーク」表紙を飾っていた。私たち三人の軍師も話題の的で、特にネゴシエーター李博士が大人気だった。美人で、知的で、ディスコ・クイーンだ。男たちが放っておくわけがない。
いつまでたっても騒ぎが収まらないので、碧海作戦上海ラボでは記者会見を開くことにした。取材希望が殺到して、抽選での記者会見になった。
まぁ、どうせ学術的な質問はでないだろう。
案の定だ。アメリカ人の女性記者が、シラヤ族の歌について質問だ。
「歌は心をつなぐものなり。言葉が通じなくてもあたしたちはきっと理解しあえるなりよ!」
「その言葉、きっと世界へ届けましょう。」
女性記者はにっこり笑ってマイクを置いた。
今度は日本人の男性芸能記者だ。芸能記者なんか呼ぶなよ。
「戸部典子さん、真田信繁との恋愛が噂されていますが?」
「信繁君とは男の友情なり。男同士の友情があたしの大好物なり!」
わかったような、わからんような。
今度はインド人記者から、李博士に質問だ。
「李博士、ポリウッドがあなたのダンスを見て映画の主役に抜擢するとのことですが?」
「光栄ですわ。女スパイの役なんかどうかしら。」
李博士、本気じゃないだろうな。
こんな質問ばっかりっだ。会場は笑いに包まれている。
そんな会場の空気に水を差したのが、日本の国際経済政治軍事問題評論家の赤坂竜彦だった。真田信繁を軟弱者呼ばわりした奴だ!
「碧海作戦は中国政府のプロパガンダだと思いませんか?」
赤坂竜彦は舞台に向かってボールペンを突き付けた。その切っ先が戸部典子を差している。
戸部典子のにまにま顔が固まった。
「信繁君も政宗君も豊久君も義によって戦ったなり! 命を賭けることがとんなことか知ってるなりか? 世界を誰かに託すことなり! だからみんな笑って死んでいけるのだ。」
「とんだ茶番ですよ。義ですと、それで台湾を中国の植民地にしたわけですか?」
「あんたみたいにエラソーに人の悪口言ってる人には分からないなり!」
赤坂先生、ここは私が答えよう。私たちの歴史では日本が台湾を植民地化しました。台湾の統治は非常に良好でした。それでも先住民の反乱があり、日本支配を恨みに思う者がいます。文明の光と影、そして、その結果の是非を判断できるは歴史そのものだけなのだ。そして歴史は理想を追いかけて生き抜いた人間が作るものなのだ。
碧海作戦は確かに中国のプロパガンダかも知れない。しかし、この歴史は中国政府が意図した以上のものなのだ。あなたは碧海作戦を、別のプロパガンダに利用しているだけだ。
李博士もマイクを取った。
「ひとつの価値観だけで切って捨てるあなたの発言は、知的とはいえませんわ。」
会場から拍手がおこった。
赤坂竜彦は私を睨みつけて言った。
「この売国奴が!」
「あんたはナマズのへそなり!」
戸部典子だ。会場は大爆笑だ!
赤坂先生、障らぬ戸部典子にタタリ無し、という言葉を知らんのか?
その日から赤坂竜彦は「ナマズのへそ」のあだ名で呼ばれることになる。
今なら戸部典子被害者の会、会員番号三番を進呈するぞ。
現代に帰ってから戸部典子は、時々寂しそうな顔をするようになった。
真田信繁からもらった扇を眺めてはため息をついている。
いつもにまにま顔というのもうっとおしいが、こいつが寂しそうだと調子が狂う。
だから、あの時「泣いておけ」と言ったのだ。
十七世紀を去る日が来た。
台湾沖に人民解放軍の船が迎えに来たのだ。十七世紀のガレオン船なのだが、近代の機器を積んでいるため、この時代の人間に見られることは憚られる。
夜、私たちは台南城を抜け出した。艀が迎えに来るのだ。
カンテラの光をたよりに、私たちは丘を下り、艀に乗った。
「挨拶くらいしておけばよかったなり。」
おまえがぐずぐずして、挨拶しそびれたのではないか。
「言い出しにくかったのだ。」
もう遅い、行くぞ!
艀が海岸を離れていく。これで十七世紀ともお別れだ!
「おーい! 戸部殿、水臭いではないか!」
真田信繁の声だった。伊達政宗もいるではないか。真田大介も鄭芝龍もいる。
「急に帰らなくてはならなくなったなり! また来るなり!」
「戸部殿、また世界で会おうぞ!」
真田信繁が大きく手を振っている。
戸部典子、おまえも手を振って応えてやれ。
「今、手を振ると、泣いてしまうなり。」
泣いてもいいではないか。
「信繁君に、涙は見せられないなり!」
今泣いておかないと、後悔するかもしれないぞ。
「今泣くと、大泣きになってしまうなり。あたしの大泣きは凄いなりよ。」
信繁君、君はどうしてそんなに手を振るのだ。
戸部典子は懐に手をいれたままだというのに。
信繁は戸部典ノ介が遠ざかっていくのをいつまでも見送った。
夜に紛れていく私たちに手を振り続けた。カンテラの光が遠ざかり、やがて見えなくなった。
その日の真田信繁の日記には、こうある。
「軽舟、白灯を点じて、世界へ去る」
戸部典子は世界へ去った。