11、幻の艦隊
上海の街を走り抜ける若侍をギンヤンマが追っている。
ギンヤンマは自動追尾モードのようだ。
若侍は、木場あかね三尉だ。
十七世紀では戸部典子の真似をして若侍に身をやつしているのだ、なんでも戸部典子の真似がしたいらしい。
だが、きりりとして戸部典ノ介よりも侍らしいではないか。
「あかねちゃんの若侍姿は、あたしの次に似合うのだ。」
戸部典子がほほえましく見守っている。
木場三尉が向かっているのは石田三成の屋敷である。今日、ここで剣術の大会が開かれるのだ。
人民解放軍の諸君の得意技は変装と潜入である。宮廷には各所に隠しカメラと盗聴マイクが取り付けられていたし、官僚や武将たちの屋敷にも監視の目は行き届いていた。
ただ、石田三成の屋敷だけはこれまで試みた潜入が失敗に終わっていたのだ。身元の明らかなもの者しか出入りできなかったし、宰相にしては実に小さな屋敷に住んでいて、見知らぬ者が入り込めばすぐにわかってしまう。一度はハニー・トラップを仕掛けたのだが、三成には効かなかった。
武芸に秀でた者や学問に長じた者、石田三成は若い人材の発掘に熱心だった。
時折、学者を招いての学問の講義に若い人材を招いたり、武芸大会を開いて腕におぼえのある者を集めたりしているのだ。石田屋敷に入り込むには絶好の機会である。
受付で木場三尉が名前を書いている。「木場」と書いたところで手が止まった。少し考えて「茜ノ介」と書いた。これも戸部典ノ介の真似である。
石田屋敷の庭では武芸達者の若い連中が木刀を交えている。
木場三尉の番が回ってきた、相手は中国人の剣術家、孫要泰である。孫要泰は片手に構えた木剣をしなやかに振り回しながら木場茜ノ介に突きを入れてきた。これを木刀で跳ねのけた木場三尉は、下段の構えをとった。専守防衛の型である。自衛隊は負けなければ勝ちなのだ。決して負けない剣、それが木場三尉の剣である。
最小の動きで剣をかわすうちに相手が疲れてくる。そこを打ち据える。見事なものだ。
専守防衛の型で木場三尉は勝ちを重ねていく。
三成の隣に控えていた老剣士が木場三尉に近づいて来る。
「島左近君なり! あかねちゃん、うらやましいのだ。」
島左近が木場三尉に問うた。
「そなた、名は?」
「きばあかねー、のすけ、でござる。」
緊張しているのか、いつものドスが効いた声がでないようだ。
「面白い剣を使う。今宵は屋敷に逗留されよ。」
「はい!」
蚊が鳴くような声で木場三尉は返事をした。
「あかねちゃん、なんか貰うのだ。貰ってあたしのところに持ってくるのだ。」
勝手な事ばかりほざいてやがる。
その夜、忍者姿に身を包んだ木場三尉は屋敷に隠しカメラと盗聴マイクを仕掛けた。
最後の隠しカメラを取り付けた後。木場三尉はカメラに向かって子供っぽい笑みをなげかけた。怖モテを装ってはいるが、こういう子なのかと私は安心した。
翌朝、島左近に仕官する気はないかと打診された木場三尉は
「いやいやいや、拙者、まだ修業中の身ですから・・・。」
と、断りをいれて、ペコペコと謝りながら屋敷を後にした。
どうやら島左近は木場三尉の苦手なタイプらしい。
後でわかったのだが、島左近は「おとうさん」に似ているのだそうだ。
木場三尉がわざわざ、時空間通信で戸部典子に報告してきた。
「典子さん、作戦成功です。それと島左近殿から扇をいただきました。今度、持っていきます!」
「あかねちゃん、よくやったなり。褒めて遣わすなり!」
戸部典子は満足げだ。
木場三尉の活躍のおかげで、石田三成の計画の一部が見えてきた。
三成は鄭和の艦隊について調べていたのだ。
鄭和の艦隊、いつか李博士とも話した中国史の特異点ともいえる出来事である。
明の永楽帝の時代、日本でいえば室町時代初期になるから、この時代からしても二百年近い昔である。宦官の鄭和に率いられた大艦隊が東アフリカまで航海したのだ。最近の研究ではアメリカ大陸やオーストリア大陸にも訪れた形跡さえあるのだ。もし、この説が本当だとすればコロンブスやキャプテン・クックに先駆ける快挙といっていい。
そして、この航海に使われた船は見たこともないような巨大なものだったようだ。中国には巨大船の記録が元王朝の時代にもある。マルコポーロが巨大船を目撃したとの記録があるのだ。
永楽帝の死とともに明王朝の輝かしい海洋政策はピリオドを打った。後を継いだ洪熙帝も宣徳帝も国内政策に力を注ぎ、海洋政策に興味を示さなかったからだ。
もし、この海洋政策が継続していたら中国はヨーロッパよりも百年早い大航海時代を迎えていたかも知れない。
アメリカの学者ジャレド・ダイアモンド氏の名著「銃・病原菌・鉄」の中には、中華帝国が十八世紀まで圧倒的な先進国であったにもかかわらず、なぜ近代に乗り遅れたのかという考察がある。
中国は巨大な統一国家であり、皇帝がダメといえば他に頼るすべがない。
これに対して西欧は中小の国家が乱立している。
クリストファー・コロンブスは航海の資金を集めるため様々な国と交渉している。ポルトガルに断られ、フランスに頼むことを考え、ついにはスペインから航海の費用を調達した。選択肢と価値観が複数あったことがコロンブスに幸いした。
この一事をもって、中華の近代化が遅れたとするのは苦しい言い訳のようにも思えるのだが、面白い指摘ではある。
石田三成の会話の端々に「例の船」という言葉が何度もでてくる。
もしかして、鄭和の艦隊を再現しようとしているのではないか。
この男ならそれくらいのことを考え付いたとしても不思議ではない。
相場剣介三尉の操るドローン、シーガルが上海から南方百キロにある港町、寧波において巨大な船の映像を捉えた。
巨大船はほぼ完成しているではないか。
しかも三隻が同時に建造中だ。
後は艤装、船体に各種装備や武器を取り付ける作業を残すのみだ。
この映像に上海ラボは、湧き上がるような歓声につつまれた。
中国人にとってこれまで幻の中にあった輝かしい歴史である。
これを発見したのが自衛隊のドローンであったというのも皮肉である。
シーガルによる計測では全長百三十四メートル、船幅は六十七メートルと出ている。
推定重量は三千トン。八本のマストを備えている。
この時代の船は大きいものでも全長三十メートル、重量は百トン以内だ。
戦艦大和の半分くらいの規模とはいえ、この時代では、まさに超弩級戦艦である。
巨大船の建設現場に白い長衣の男がいる。あのつるっとした顔は、諸葛超明だ。
どうやら新兵器を積み込んでいるようだ。
この異能の天才が、さっそくこのプロジェクトに加わったのだ。
幻の艦隊が蘇ろうとしている。
「まるぼしの艦隊なりか?」
違う! 幻だ。
私の部屋の冷蔵庫にあった沼津産の鰯の丸干しは、お前がみんな食ってしまったではないか。
「あの鰯の丸干しは、頭からバリボリ齧る食感がたまらなかったなり。」
どうでもいい。
石田三成、おまえが企図していることはいったい何なんだ!
「三成君の世界征服なりよ。」
それは絶対に違う!
※参考文献
ジャレド・ダイアモンド著「銃・病原菌・鉄 一万三〇〇〇年にわたる人類史の謎」(草思社文庫)
ギャヴィン・メンジーズ著「1421 中国が新大陸を発見した年」(ヴィレッジブックス)