7、赤備え
越南、現在のベトナムである。北から南に長く伸びる海岸線の中部にホイアンの町がある。日本人や中国人も多く住む川沿いの港町である。
ホイアンは私も訪れたことがある。ここには十七世紀の日本人町があり、一方には中国人街がある。日本風や中華風の建物が立ち並ぶ異国情緒にあふれる美しい町だった。今ではユネスコの世界文化遺産にも登録されている。十七世紀初頭には様々な国の船がやってくるにぎやかな町だっただろう。
この町で荷を積んだ真田丸は、上海に向けて出航した。
真田信繁は改変後の歴史では武将ではない。
真田家の次男坊として生まれ、人質としてたらいまわしにされ、いつの間にか織田信長に従って大陸に従軍した。
武将になる道もあったのだが、信繁は船を選んだ。
信長に下賜された「真田丸」こそ、彼が生きるべき道を示したのだ。
真田信繁は貿易商人である。が、商才には恵まれていない。
「商売では時として相手を叩きのめすような残酷さが必要なり、でも信繁君は優しいのだ。」
貧しい村では、ガラクタ同然の商品を相手の言い値で仕入れては大損をしている。好奇心と冒険心が旺盛で、ついつい回り道をしてしまう。真田丸も十年以上にわたって乗り回した老朽船である。
信繁はそれでよいと考えている。家族と従者を食べさせて行ける稼ぎがあれば、恥ずべきことは何もない。
従者といっても、北方への調査の帰りに実家に立ち寄った際、父、昌幸がつけてくれた佐助ひとりである。真田丸は信繁と佐助、それに十歳になったばかりの長男の大介だけで操っているのだ。おっと忘れていた、もうひとり鄭芝龍がいる。八歳の子供である。
福州で明の残存勢力が反乱を起こしたとき、戦場に赴いた伊達政宗が家を焼かれ両親を失ったこの少年を上海に連れ帰った。この少年の利発さを大いに気に入ったからだ。ときどき伊達家に遊びに来ていた真田大介と意気投合した鄭芝龍少年は、伊達屋敷を出て真田家の居候のようになってしまったのだ。
鄭芝龍、改変前の歴史では台湾のオランダ商人と交易して巨万の富を築く貿易商人である。そして、鄭芝龍の子が国姓爺、鄭成功なのである。
海と自由を愛する鄭芝龍にとって、堅苦しい伊達屋敷で過ごすより、自由気ままな信繁の下が性に合っていたに違いない。
真田丸が南シナ海を北東へ進路をとっている。潮の流れにのり航海は順調である。
マストのてっぺんでは鄭芝龍が空を見ている。雲の動きで風を読み、海鳥の様子で天候がわかるのだ。
鄭芝龍が何やら叫んでいる。船影を見つけたのだ。それは、同じく南シナ海を北上するオランダ東インド会社の船団、四隻だった。
信繁たちは、台湾での出来事をまだ知らない。
南蛮船がみるみる近づいて来る。南蛮船の上で男が手を振っている。真田信繁は異国の人々との交流を無条件に楽しむ性質があり、思わず手を振り返したのだ。
その時だった、南蛮船の甲板に潜んでいた傭兵たちが銃を手に立ち上がり真田丸に向かって銃弾の雨を降らせた。
彼らにしてみれば、中華帝国の船は敵である。敵の船は略奪の対象になる。西欧の海軍というのはもとをただせば海賊なのである。
慌てた信繁が船の向きを変えた。マストの上の鄭芝龍がロープを掴んで飛び降りると真田丸の帆が「ばん!」と音を立てて膨らんだ。真田丸、最大船速である。老朽船にしては船足が速い。それにちょっとした武器を持っている。
船尾には小型の投石器が取り付けられていた。真田大介が爆弾に点火し、カタパルトにほうりこむ。船尾が南蛮船に向いたのをところで、腰の脇差を抜いてカタパルトのロープを斬った。
「ぶん!」、梃の原理でカタパルトが勢いよく跳ねて、爆弾が飛んでいく。オランダ人たちが何事かと宙を見ている。
「どん!」、爆弾は南蛮船のマストを直撃した。折れたマストが甲板に落ちてきて、オランダ人たちが慌てふためいている。
飛び降りた際、真田丸のマストに引っかかって逆さ吊りになった鄭芝龍が南蛮船を指さして笑っている。
「頼もしい悪ガキどもなり!」
船に銃弾を受けた真田丸は台北に立ち寄った。船の修理のためである。
そこには井伊直政がいる。信繁と直政は伊達政宗を介しての旧知の仲である。
信繁の潔い性格は、武将の誰もが好ましく思っていた。
「なにゆえ、武将にならなんだ?」
と、行く先々でそう問われた。
信繁は直政に、南シナ海でVOCの旗を掲げた南蛮船と遭遇したことを伝えた。
どうやらオランダ船の援軍が来るようだ。
そうとなれば、いち早くオランダ人たちを叩いておかなくてはならない。
井伊直政は出陣を決意した。
「赤備え、なりっ!」
戸部典子の目がハート型になっている。
井伊の軍団は赤備えだ。もはや密林での戦闘ではない。
久々の赤備えに腕が鳴るのだろう、誰もが誇り高い笑顔である。
「井伊の赤備えの恐ろしさ、オランダ人どもに見せてやるなり!」
信繁が直政に、共に行きたいと申し出た。
井伊直政が笑っている。
「真田殿の合力、心強い限りじゃ。」
とでも言っているのだろうか。
直政は信繁に赤備えの具足一式を用意した。
「真田と井伊の赤備えの共演なり! もう死んでもいいなり!」
戸部典子は昇天した。にまにま笑いのまま硬直したのだ。魂は頭上にある。
改変前の歴史では真田信繁もまた、赤備えに身を包み大坂の陣において徳川家康と戦ったのだ。
井伊の赤備え、真田の赤備え、奇しくもここに轡を並べることななったのである。
赤備えの軍団が台南を目指す。
台南にはオランダ人たちがゼーランディア城を築城していた。
城攻めである。
井伊の兵六千に対してゼーランディア城には三千の傭兵が守備にあたっていた。
オランダ人たちは台湾の原住民を傭兵として戦力を増強していたのだ。
「攻城三倍の原則なり。井伊の兵は城攻めには少なすぎるなり。」
攻城三倍の原則、城攻めには三倍の兵力を以ってすべし、といのである。籠城するほうが圧倒的に有利なのだ。それに、オランダ人たちには海からの援軍が期待できる。
井伊の軍団がゼーランディア城を取り囲んでいく。ここからじわじわと攻めていくのだ。
援軍が来る前に落としてしまえばそれで終わりである。台湾は中華帝国の版図となる。
ここで、ヤン・ピーテルスゾーン・クーンが動いた。ピーテルゾーンの乗艦、フライング・ダッチマン号を率いる計四隻が港を出た。フライング・ダッチマン、「さまよえるオランダ人」号である。
海から井伊軍の背後に回り込んだピーテルスゾーンは艦砲射撃を開始したのである。
砲弾が井伊の陣地を襲った。次々に炸裂する砲弾に井伊軍は恐慌状態になった。直政は兵を海岸線から遠ざけ布陣を変えた。
「直政君、素早い用兵、見事なり!」
その混乱を見ていた城兵が、城内から鉄砲を撃ちかけてくる。新式銃なのか、弾込めが素早く、井伊の鉄砲隊が苦戦している。
そんな中、銃弾の雨の中を走り抜ける赤備えの武者がいた。
「行くなりぃぃぃぃ! 真田信繁君!」
城壁ぎりぎりまで接近した信繁は、城壁の上に向けて馬上鉄砲の三連発を発射したのだ。その一発が命中し、鉄砲を抱えたままオランダの傭兵が城壁から落下した。その鉄砲を拾い上げた信繁は、反転して井伊の陣に駆け戻る。井伊の鉄砲隊の援護を受けて、信繁は無事、帰陣した。
なんという男だ。鉄砲ひとつのために命を賭けたのだ。いや、鉄砲のためではない、好奇心が信繁に命がけの行動を強いたのだ。
信繁はオランダ人の鉄砲を見て愕然としている。
元込め銃である。鉄砲のお尻から弾を入れる構造になっていて、弾込めが速い。
かつて、馬上鉄砲に取り組んだ真田信繁にとって、この発想ができなかったことに忸怩たる思いがあるのだ。考えてみればフランキー砲は元込めである。元込めの技術は既に存在していたのである。
人民解放軍の報告によれば、真田信繁は何度も同じ言葉を繰り返していたという。
「なにゆえこれを思いつかんなんだ。」