13、中国侵攻
第四号作戦開始。
大陸に兵を進めた信長は抵抗する明の軍団を次々に打ち破っていった。
信長強しと見るや、もはや統治力を失っていた明に見切りをつけた漢民族の武将たちは、我先にと信長に投降していった。
これは歴史的に興味深い現象だ。中国に限らず大陸の歴史では敗者が虐殺されるという事件が幾度となく起こっている。項羽が秦の兵二十万を穴埋めにした事件は有名だし、モンゴルは時として屠城、つまりは城郭都市そのものを殲滅した。
ところが日本の戦国史にはそういった例はほとんど見当たらない。敗者は勝者に服従する。責任者がでてきて、切腹して、それで終わり。
良くいえば平和的解決なのだが、悪く言えばサラリーマン的馴合い文化である。取った敵の兵は我がものとする。要するに将棋の文化の日本人なのだ。
当初、信長を恐れていた明の武将たちは、他の武将たちが投降して涼しい顔をしているのを見て拍子抜けしたようだった。もはや没落し統治能力も怪しい明に従って信長と戦うより、投降して服従した方が得策だと判断したのだ。
信長はまるで無人の野を行くが如くであり、明の武将たちを糾合して日ごとに膨張する軍団は百万を数えるに至った。
碧海作戦の研究室では中国人の研究者たちが、うれし気にモニターを見ている。彼らの作戦が的中しているのだから。しかし、時代が違うとはいえ同じ中国人の武将が次々に投降するのをみて悲しくはならないのかね。中国人というのはドラスティックな民族だ。
最初は「勝った、勝った!」と大騒ぎしていた戸部典子も、あまりに拍子抜けする展開にしらけ始めていた。
「つまらないなり。」
よせばいいのに、しゅんとする戸部典子を李博士が慰めている。
「中国では武将は人気ないなりか?」
「三国志や、項羽と劉邦はご存知かしら。」
「大好物なり!」
やめろ、そのかわいこぶりっこを。
「中国では、武将が活躍するのは乱世だけ。平和な時代では武将は常に官僚の下におかれるのですわ。」
そうなのだ、中国は伝統的にシビリアン・コントロールが徹底している。三国志の劉備軍は諸葛孔明という文官にコントロールされているし、劉邦の幕下にあった天才的武将・韓信は乱世が終わると官僚たちによって殺されてしまった。
日本のように武士が政治をするというのは世界史的みても珍しいのだ。
コレクション的な知識をひけらかす戸部典子には理解できないだろうが。
首都、北京へ兵を進めたのは徳川家康の別働隊だった。紫禁城から次々に繰り出される兵力を、家康はひとつひとつ潰していった。もう兵力はたいして残っていないであろう。
北京を包囲した家康は紫禁城に使者を送り、万暦帝に自殺を迫った。
「皇帝の自殺を請う」と。
家康は当初、皇帝に投降を促そうとしたが、家康に従う漢民族の官僚たちが諫言した。
「明王朝を倒すのであれば、皇帝を生かしておいてはなりません。」
それでも家康は最も穏便と思われる勧告をなした。皇帝さえ自殺してしまえば、あとは助ける、というものだ。日本人的玉虫色の解決というわけだ。
万暦帝は自縊し、明王朝は事実上その幕を閉じた。
中国では貴人は血を流さないことになっている。だから首をくくったのだ。
家康の胸中には野心があった。
信長が北京に入城すれば、家康は首都攻略の大功をもって論考行賞に望めるだろう。
もし信長の北京入城が何らかの原因で不可能になった場合、家康は中原において力を蓄え、自立することも考えていたのだ。