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Magia Lost in Nightmare  作者: 宇治村茶々
第1章 悪夢の始まり
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第8話(1-5-2)

「つまり、そのお姉さんのお蔭でエーデルは事故に巻き込まれずに済んだんだね。本当にその人に感謝しなくては。僕も心から無事である事を祈っているよ」

私は次の日の朝、昨日の銀行襲撃事件の話をママとパパにした。

すると、パパはすぐにそう言った。


「そのお姉さんはエーデルの命の恩人ね。いくら感謝してもしきれないわ。私もそのお姉さんが無事である事を祈っているわ」ママが言った。

私は何も言わず黙って何度も頷いた。



「それにしてもこれだけ大掛かりな事件が起きたにも関わらず、犯人どころか関係者の一人も捕まえられないとは警察は何をしているんだ・・・・・」

パパは顔をしかめてそう苦言した。私も今朝になって初めてニュースを見て知ったのだが本当に誰も捕まえられていないらしい。おまけにじゃみんぐ だかなんだかのせいで犯行中の映像が何1つ残っていないらしい。

ただ現場にいた人たちの話によると銀行の前に停まったトラックから数人の仮面を被った武装集団が突然現れ、何の躊躇いもなく人を撃ちながら銀行に押し入り、お金を奪い破壊の限りを尽くしたそうだ。

分かっているだけで死者は既に8人いるらしい。つまり、私が昨日銀行で見かけた中の8人の人は今日を迎える事が出来なかったのだ。

それは単純に恐怖だった。

あの時、お姉さんが薬を頼んでくれなければ、私も死んでいたかもしれない。

今まで死んだ後にどうなるなど特に考えた事もなかったが、今回の事件で『死』と云うものを身近に感じ、嫌でも死後の事を考えられさせてしまう。死んだらどこに行ってしまうのだろうか。それともどこへも行かずただ消滅してしまうのか。

出来れば本当に天国のような死後の世界があり、死んだ人はそこへ行く事になっていて欲しい。大切な人の顔も、大事な思い出も、今まで積み上げてきた記憶全てが魂と共に消滅してしまうのはあまりにも残酷すぎる。


確かに貧乏で不幸体質だが、消滅したくない、無になりたくない、死ぬのは怖い。

ママやパパの言う通り本当に・・・・・・本当にあのお姉さんが無事でいて欲しい。

無事と云う一報を聞かない限り、私の心のモヤモヤは一生取れないだろう。


「心配ない、きっとお姉さんは大丈夫だよ」パパは如何にも不安そうな私の顔を見てか、そう言って私の頭を優しく撫でてくれた。

「今日はお店の定休日だから、お家でゆっくり電話を待っていればいいわ。ママとしても犯人の集団が捕まらないうちはあまりエーデルにあまり外へ出て欲しくないの」

ママが言った。定休日はチャミやシュバルツに会いに行くのが日課だが、そう言われると確かに少なくとも今日中は家で静かに電話を待っていた方が良い様に思える。

でも、私は家にいれば多分安全だろうが・・・・・


「パパとママは・・・・家にいないの?」

私は思わず、そう聞いてしまった。外は危ないかもしれないから、ママとパパも犯人の集団が見つかるまで家にいた方が良い。そう思ったからだ。しかし、私がそう口にしてしまったのはそれだけではない。単純にママやパパと一緒に居たかったからだ。

ママとパパは私の問いに一瞬言葉を詰まらせた。


「本当にすまないエーデル、パパは絶対に外しちゃいけないお仕事があるんだ。だから、今日も仕事に行かないと・・・・・」


「ごめんなさい、私も行かなきゃいけないの」

パパとママは言った。なんとなくこう言われるのは分かっていた。パパとママは本当にいつも仕事に追われているのだ。途中で帰ってきてくれたり、電話の相手をしてくれる事はあるが、完全に1日仕事を休み家に居てくれる事は一度もない。


「分かった。気を付けてね・・・・」 私は言った。

「大丈夫、犯人たちはすぐに捕まるし、すぐに元通りになるさ」

パパはそう言ってまた私の頭を優しく撫でてくれた。パパに頭を撫でて貰うと心が落ち着く。そう、ママとパパは今日も何事もなく帰ってくるし、犯人はこれからすぐに捕まる。お姉さんは何事もなく無事でいる。全ては元通りになる。確かにそう思えてくる。



それから、朝食を終えるとママはすぐに皆の食器を洗い始め、パパはスーツに着替えに行った。私はと云うとママの隣でママが洗った食器を拭いて棚に戻す簡単な手伝いをしている。ちょうど、洗い物が済んだ頃、パパが自分の部屋からスーツ姿で出てきた。


「それじゃあ、エーデル、ママ、僕は先に行ってくるからね」

パパはそう言って、私とママに行ってきますのハグをした。


「いってらっしゃい。気を付けてね」

私はパパの背中を見ながら言った。パパやママの帰りが心配になる事は殆どいつもの様な事だが、今朝は特にその思いが強かった。




でも、きっと大丈夫。大丈夫。パパが言った通り何事もなく全て元通りになる。

私は遠くなるパパの背中を玄関の扉が閉まるまで見続けた。

それからしばらくして化粧を終え、綺麗に身支度をしたママが洗面所から出てきた。

いつもながら本当に血が繋がっているのか心配になるくらい綺麗だ。


「それじゃあ、エーデル。私も行ってくる。昼食と夕飯は冷蔵庫に置いてあるから、好きな時に食べるのよ。それと今日は特別に好きなだけテレビを使っていいわ」

ママはそう言って、私にハグした。

「ありがとう。それじゃあ、ママも気を付けてね」

私は言った。ママは私の言葉に優しく返事をしてから、家から足早に去って行った。

私はそれから何をする訳でもなく、その場に立ち尽くし玄関の扉を見続けた。




2人がすぐに戻ってこない事など分かっているし、別に追って引き留めようとも思っていない。それでも私はその場に立ち尽くしていた。


さて、何をしようか。私の休日の日課と云えば外でチャミたちと戯れる事だ。しかし外出が実質的に禁止されているのでそれは出来ない。家の本も殆ど読みつくしているし、やはりテレビだろうか。



とりあえず、私はテレビの前のソファに座りテレビを点けた。


私の目に真っ先に飛び込んできたのは、あの銀行〝だった〟場所の惨状だった。

右上のテロップに死者10人と書かれていた。つい、1時間ほど前より亡くなった人が二人も増えている。私は言葉を失った。

亡くなった10人の人には当たり前の様に家族がいて、親戚がいて、友達がいて・・。多分、亡くなった人の何十倍もの人が悲しみに陥れられただろう。こんな簡単に命が奪われていいのだろうか。誰の仕業だろうと絶対に許されることではない。何の罪もない人がどうしてこんな目に遭わなければいけないんだ。私はニュースを見ながらそんな怒りに近い感情を覚えた。この世界は理不尽だ。私はせめて亡くなった人が私を救ってくれたお姉さんではない事を祈った。

それからニュースでは遺族の方たちが悲しむ姿と未だに何の手がかりも得られない警察への不満を漏らす人たちの映像を映した。多分、特集が組まれ延々とこのニュースが流れる事だろう。はっきり言って私にとってこの事件のニュースは苦痛だった。お姉さんのお蔭で運よく事件から免れてしまった私が攻められているようで仕方ないのだ。私は耐えきれずチャンネルを回した。


しかし、チャンネルを変えた先でも同様の事件に関する特集が流れており、再びチャンネルを変える。こんな事を何度か繰り返し、最終的に如何にも幼児向けと云った感じのアニメがやっているチャンネルに落ち着いた。


どうやら今流れているアニメの主人公は黄色い肌の人外の子供らしく、強いて言うなら昔どこかの映画で観たトロールと呼ばれる怪物に似ている。コイツがビルの上から街ゆく人にバズーカからペイントボールをお見舞いして、大笑いしている。何とも酷い内容だ。こんなもの小さい子が観て大丈夫なのかと心配になるレベルだ。


それでも、事故の特集よりはマシに思えた。なので、しばらくはこの胸糞悪いアニメを観る事にした。

本当にしょーもない話だが、このトロールに似た主人公のペットらしきネッシーと呼ばれる謎の生物が中々可愛い。今の所、こいつは主人公の後ろで何も言わず長い首をニコニコしながらユラユラと揺らしているだけだ。なんとなく私はこのキャラクターを気に入った。

場面は変わり主人公のいたずらを聞きつけた警察の恰好をしたヒヨコたちが主人公を追い回すシーンになる。その時、主人公はネッシーの長い首を鷲掴みにし、一緒にタッタカ逃げるのだが、そんな時までネッシーはニコニコしたまま首をくねくねさせている。かなりシュールの画だ。私は少し吹き出してしまった。

こんなくだらない事だが、私の気持ちは少し軽くなった気がした。

たまにはアニメも悪くないかもしれない。

結局、主人公のグゾルブはひよこ警察に捕まり、白鳥の王様の前に突き出された。

白鳥の王様の命により、グゾルブは磔にされ、そこでひよこ警察たちからペイントボールの一斉射撃を受けカラフルに染まる。そして、最後にグゾルブのカラフルに染まった不満そうな顔のアップが画面に映りアニメは終了した。


要するに勧善懲悪もののアニメだったらしい。とりあえず、最初に思っていたような幼児のいたずらを誘発するような内容ではなかったので安心した。

ちなみに、グゾルブが磔にされている間、ネッシーは拳銃を構えたひよこ警察の隣で相変わらずニコニコした顔で首を振っていた。可愛いがここまでくると少し不気味だ。次のアニメになっても、ネッシーが張り付いた様な笑顔で首を振り続けるイメージが頭から消えなかった。そのイメージは不快に感じるほど頭に焼き付いて消えなかった。


そもそも、なぜ不快に感じるのか記憶を辿ると、あの張り付いた様な笑顔に見覚えがあるからだと分かった。それはあの事件の時に私が見た幻覚の女が私に向けた笑顔だった。張り付いた様な笑顔がネッシーと酷似しているのだ。


折角、軽くなった気持ちが一気に憂鬱に包まれた。


頭からネッシーのイメージを消そうとしても、全く無くならない。それどころか幻覚の女のイメージとシンクロし一緒にユラユラと揺れる。

何の感情も込められていない張り付いた様な笑顔が2つ、私の頭の中でユラユラと揺れる。私は出来るだけ目の前の新しいアニメに集中し、それらを意識しないように努めた。


それから、お昼になるまでだらだらとテレビを見続けた。

こんな長い時間テレビを見続けた事は殆どなかったので、ちょっぴり頭が痛くなってきた。もうテレビは止めよう。


私はリモコンを使って、テレビの電源を切った。黒い画面に間抜けな顔の私が映る。



「はぁ・・・・」

私が溜息をつくと、画面の中の私も溜息をつく。

ママに似ていればきっと異性にモテモテの美少女になっていただろう。パパに似ていれば同性から憧れの目線を注がれるかっこいい女の人になっていたかもしれない。

しかし、実際の私は目元にそばかすがあり同性からも異性からも苛められる惨めな存在だ。何かに自分の顔が映る度に嫌になる。


私はすぐにテレビから視線を外し、冷蔵庫からお昼ご飯を取り出し、暖めて食べた。

ママの料理は作り置きでも充分においしい。ママの料理には食べるだけで私の心を癒してくれる不思議な魔法がかかっているようだ。一時的だが、心配、恐怖、劣等感と云った負の感情が和らいでいくのを感じた。


少し眠い。

まだ若干頭が痛いので、またテレビを観ようと云う気分ではない。

部屋で少し横になろう。

そう決めた私は出来るだけ丁寧に食器を洗い、元の場所に戻してから、自分の部屋に戻った。私は何も考えず、ベッドに仰向けになった。

カーテンの隙間から差し込む日の光が眩しい。

私は急いで起き上がり、カーテンを閉じて再び仰向けになった。


それから、ふわふわとした眠気に誘われ、体を横にする。

その際、ママとパパがプレゼントしてくれたクマのぬいぐるみが目に入った。

私は一度クマのぬいぐるみに微笑みかけ目を閉じた。




私の目の前にネッシーがいる。相変わらず張り付いた様な笑顔で首を左右に振り続けながら。とても不愉快だ。

「もう止めて」

私が言った。しかし、ネッシーは何も言わず首を振り続ける。

「お願いだから止めて」

私が更に言うと、今度は小馬鹿にする様に首のふり幅を大きくさせた。

視線を外そうと思っても、目が離れない。

『うっ、うっ、うっ、きうっ、きうっ、うっ、うっ、きうっ、』

彼の方から今まで聞いたことの無い不気味な音が鳴り始めた。

やがて彼の首は動作不良になったゲームのキャラの様にズレたり、ありえない方向に曲がったりを高速で繰り返し始めた。

不気味な音もそれに合わせてどんどん早くなっていく。

気が変になりそうだ。

『きゅっきゅっきゅっきゅっ』

『きゅっきゅっ』

『きゅっきゅっきゅっきゅっ』

高速に振れたり、ズレたりを繰り返していた彼の首は突然捥ぎれて、頭が横に飛んで行った。残された体は力なく地面に崩れた。


捥げた首の根元から赤い臓器の様なものが溢れ出し、中から白い虫が次々と這い上がってくる。私は思わず身を引いた。

身を引いたせいで、目にしてしまった。千切れて横に飛んで行った頭を。

彼の顔は地面の上で笑顔のまま、胴体もなく、首だけで芋虫の様にウネウネと頭を振っている。血を当たりに撒き散らしながら。


それでも視線を外すことが出来なかった。

胴体から湧き上がった数多蛆は私の足元まで来ている。

もう駄目だ。もう嫌だ。


私は目を瞑った。


微かにドアホンの音を聞いた様な気がした。





「あっ」

目を開けると、私は私の部屋に居た。

ドアホンが何度も何度も鳴らされている。

誰かが来るなんて予定は聞いていないし、まだ悪夢から覚めたばかりで、正直、出るのは怖い。大体、まだ悪夢の中かもしれない。

でも、パパやママの知り合いで大事な用事を伝えに来た人かもしれない。もし私が今玄関に出なかったことでパパやママの仕事に悪い影響が出てしまっては困る。


私は意を決して、玄関に向かった。

念のため先にドアスコープを覗くと、そこにはラーレさんが立っていた。隣には知らない女の人もいる。何の用事だろう?


私は完全に安心しきって玄関を開けた。

「はい、エーデル。気が滅入ってると思ってお姉さんが良い物買ってきてあげたわよ」


ラーレさんはニコニコしながら、そう言った。後ろに何かを隠し持っている。

なんだろう。とても嫌な予感がする。



「じゃじゃーん、ネッシーくんの特大ぬいぐるみ!」


一気に背筋が凍りついた。多分、不快な表情が完全に表に出てしまったと思う。


「今の顔見ました先輩? ネッシーくんは気持ち悪いから止めた方が良いって言ったじゃないですか。もうどうするんですかそれ・・・・・」

隣の女の人がやや呆れた様子でラーレさんに言った。どうやら彼女はラーレさんの後輩らしい。

「今更、そんな事言ったってしょうがないでしょ。大体、エーデルは嬉しいでしょ!」

ラーレさんがそう言ってきた。

「あっ、あのっ、はい、・・・・・そのっ、えっと、はい、・・お気持ちは・・・嬉しいです・・・・」

「ほら嬉しいて言ってる」

「先輩、耳ちゃんと付いてます? 気持ちは言ったんですよ。き・も・ち は」

「・・・・嫌?」小さい声でラーレさんが聞いてきた。

「正直に言った方が良いわよ」ラーレさんの後輩が小声で言った。


「えっと、そのっ、ごっ、ごめんなさい・・・ちょっと、苦手です。ごめんなさい」


私は言った。本当はちょっとどころか先ほどの悪夢のせいで死ぬほど嫌いだったが。

もしかして、これは悪夢の続きかもしれない。


「そう・・・・・」

ラーレさんは露骨にしょんぼりした顔になった。

逆に申し訳なくなるから止めて欲しい。



「それじゃあ新しいのを探しに行きましょうか。今度はあなたも一緒に」

ラーレさんの後輩はそう言って私の前に綺麗な手を差し伸べた。

勝手な第一印象だが、少なくとも日常面ではラーレさんよりしっかりしてそうな人だ。

「あっ、・・・でもっ、わっ、私、今日は外出するなって・・・そもそも折角そのぬいぐるみを買って頂いたのに・・・・その、またっ、新しいものを買って貰うなんて・・・」

私は正直に言った。

「それは大丈夫。今日はお姉さんたちが必ず守ってあげるから。それと、このネッシーくんはメリーって別の子にでもあげる事にするから心配しないで」

「あぁ、それは名案ですね。彼女なら基本的に何貰っても大喜びしそうですからね。友達少なそうですし」

「おい、今の流石に失礼だろ」

「でも、実際あの子が友達と会話してるところ殆ど見た事ないですよ。話している所もお情けでルミナスやミーミルが話しかけてあげてるって感じじゃないですか」

「だからって口に出して言っていい事と悪い事があるぞ。少しは心のうちに秘めておけ」

「ああ、はいはい、分かりました。次からは気を付けます」

「おい、先輩に向かって何だその口の訊き方は」


・・・・・ああぁ、人の家の前で喧嘩しないで欲しいな。


「まぁ、そんな事はさておき早く行きましょう。この子が呆れてますよ」

ラーレさんの後輩が言った。確かに若干呆れていた。


「この子じゃなくてエーデルな」ラーレさんは少し意地になった様子で言った。

私は『この子』でも構わない気もするが。

「あっ、その前にちょっとトイレ借りていい?」ラーレさんが言った。

私は無言で頷いた。ラーレさんの後輩は両手を少し上げ『やれやれ』と云った感じのポーズを取った。


先輩がトイレに入ったのを確認すると、ラーレさんの後輩は中腰になり私の視線に合わせて小声で話し始めた。

「先輩、学校で講義受けている時もずっとあなたの事心配してた。自分の事で精一杯なはずなのに。よっぽどあなたの事気にかけてるみたい。先輩はよく空回りしちゃうけど本当に良い人よ。私もそうだけどあの人に心配してもらえるなんてとっても幸せな事なのよ。だから、多少の事は大目に見てあげて」

そう。私もラーレさんがとっても優しく良い人だと分かっている。


そして、さっきまでラーレさんに対して少し生意気な態度を取っていたこの人もそれをよく分かっていたのだ。

こんな事を言える彼女自身も立派な人間だと私は思う。


恥ずかしながらラーレさんについての小言を聞かされるのだと身構えていた。


「何だよ、何話してたんだよ?」

トイレから戻ってきたラーレさんが開口一番にそう言った。

「さぁ、何の話でしょう。ねぇ」

ラーレさんの後輩は私に微笑みをよこしながら言った。私は微笑みを返した。


それから、私はラーレさんとその後輩に連れられて自分の家のアパートを離れた。

空は既にオレンジ色に染まっており、少し肌寒い。

どこに向かっているのか分からないが、道中3人で会話しながら歩いた。


「寒いか。これ羽織っときな」

突然、ラーレさんが脚を止めてそう言った。

特に寒そうな素振りを見せてつもりはなかったが、ラーレさんは自分のコートを脱ぎ、それを私に差し出してきた。

「あっ・・・・あのっ、えっと・・・・・でっ・・・で、でも・・・・」

「いいから」

ラーレさんは遠慮する私に半ば強引に自分のコートを着せた。

正直、とても温かく、心地が良かった。


「あのっ、あ、ありがとうございます・・・!」

ぎこちないながらも私はお礼を言った。冬が間近に迫るこの時期、夕暮れ時でもコートがないと結構寒いのだ。ちなみに、自分のコートは部屋に戻る間もなく出発してしまったので家だ。


「先輩って意外と気が付くところありますよねぇ。い・が・い・と」

ラーレさんの後輩は茶化すように言った。

「お前、喧嘩売ってんのか!」

ラーレさんはそう言って、後輩の人の背後に回り軽くヘッドロックをかけた。

「アハハ、ちょっと止めてくださいよ」

後輩の人は楽しそうに言った。ラーレさんも全く本気で怒っている様子はなく、あくまでも猫がじゃれ合っている様な感じだ。


「お前はな、もう少し先輩に敬意ってものをだな」

「じゃあ、もっと普段から敬意を払って貰えるような振る舞いを心掛けて下さいよ」

「なんだと!」

「なんですか!」

いつの間にかまた二人の口論が始まってしまった。でも、二人とも楽しそうだ。

私はそんな二人を横から見ている。私にはその時の2人がとても遠くに見えた。

私にはあんなに遠慮なく物を言える相手はいない。私にはあんなに楽しそうに口論できる相手はいない。私にはあんなに楽しそうにスキンシップを取れる相手はいない。

涙が出そうなほど、二人の関係が羨ましく思えた。私にもこんな関係を築ける相手は出来るのだろうか。


そんな思いで二人をしばらくの間、ぼんやりと眺めていた。

「先輩、いい加減にしてください。エーデルちゃんが呆れて死んだ目してますよ!」

死んだ目はしてないと思う。


「・・・・・分かったよ。今日はこれくらいにしといてやる」

ラーレさんはそう言うと、後輩の人を腕から解放した。

「ところで、どこ買いに行く感じですか? おもちゃ屋さんは逆方向ですよね」


後輩の人が言った。そういえば、この町でぬいぐるみが売っているようなお店は逆方向にある『グルックシュピール』と云う人形専門のお店だけな気がする。


「ん、ゲーセンだよ」ラーレさんが当たり前の様に言った。

「えっ、 確かにあそこにもぬいぐるみはありますけど・・・・・流石にこの子を連れて行くのはマズいんじゃないですか?」

「大丈夫だって、見た目が悪そうな奴は多いけど襲ってきたりはしないから」

「まあ、先輩がそういうなら。でも、何かあった時は私も含めて絶対守ってくださいよ」


後輩の人が最後にそう言った。

なんだろう、とても不安になってきた。

そもそも、ゲームセンターなど生まれてこの方一度も言った事がないし、あまり良い場所でないイメージがある。おまけに今は例の事件の後だ。正直あまり気乗りしない。もちろん、そんな事を私が言える訳もなく、二人に連れられ流されるようにゲームセンターに近付いて行く。




「あぁあ、着いちゃいましたね」

後輩の人が言った。目の前にゲームセンターがある。既に扉からガチャガチャした音楽が漏れており、とても中に入るのが躊躇われる。

「よしっ、エーデル。お姉さんが一杯ぬいぐるみ取ってあげる!」

ラーレさんは自信満々に言うと、私の手を引いて、そのままゲームセンターの中へ私を連れ込んだ。後から後輩の人が呆れ顔で付いてくる。



ゲームセンターの中は想像以上に煩くて、想像以上に混沌としていた。ゲーム画面の前で踊っている人、画面に向けて銃を撃っている人、やたらに光を放つボードの上でホッケーゲームをする人、年齢層は私と同じくらいからお年寄りまで様々だ。

少し目を向けると、半裸で背中に刺青が掘ってある男性がおり、更に他を見ると信じられない事に半裸の女性が友人らしき人たちとお喋りしながら闊歩している。

ここはこの世の魔境かもしれない。


とても帰りたい気分になった。


「ぁあこれは酷い。私、あの人苦手なんですよ」

後輩の人が独り言のように呟いた。もちろん私には誰の事か全くわからない。


「あの人、あんな感じだけど結構良い人だからな」ラーレさんが言った。

はてどの人だろうと適当に当たりを見渡していると、最悪な事に半裸の女性とばっちり目が合ってしまった。

あろう事かその人は取り巻きの一人を引き連れこっちに向かってきた。


「ひっ」私は思わず声を上げラーレさんの後ろに隠れた。嫌な予感がする。

女の人は迷わずこっちに向かってくる。私が何をしたって言うんだ・・・・・・


「おぉ、シャングじゃねぇか。小さい連れがいるのは珍しいな」

半裸の女性が言った。


「親戚の子供かなんかな感じッスか?」続いて横にいた黒髪の人が言った。

恐ろしい事にこの二人はラーレさんの知り合いらしかった。お店でも聞いたが、どうやらラーレさんは『シャング』と呼ばれているらしい。


「今日はこの子にぬいぐるみを取ってあげようと思ってきたんですよ」

ラーレさんが言った。

「シャングはクレーンゲームのプロッスからねぇ。いやぁ、良かったッスね」

黒髪の人はそう言って、私の頭を優しく撫でた。こっちの女の人は見た目ほど怖くない人なのかもしれない。


「そうか。じゃあ、済んだらガンシュやろうぜ。今いる奴は雑魚ばっかで退屈してたんだよ」半裸の女性がラーレさんに向かって言った。


「すいません先輩、今日は終わった後この子を送り届けなきゃいけないんで止めておきます」それに対してラーレさんはきちんとそう言って断ってくれた。ちょっぴり嬉しかった。


「そうか。じゃあまた今度な」半裸の女の人は意外にもあっさりと諦めてくれた様で、黒髪の女の人を連れて再び奥に去って行った。でも、何であの人は上半身に何も着てないで平気でいるのだろうか。謎だ。


「良かった、先輩ったら私にエーデルちゃんを任せて遊びに行っちゃうかと思いましたよ」半裸の女の人が視界から消えた当たりで後輩の人がいたずらにそうこぼした。


「私がそんな事する訳ないでしょ」ラーレさんはそう言って、後輩の人の頭を軽くグリグリした。結局何でさっきの人が服を着ていないのか聞きそびれてしまった。




そんなこんなあって、私たちはやっと目的のぬいぐるみがあるクレーンゲームが大量にあるエリアの前に立っている。やったことはないがショッピングモールの中で見たことがある。パパ曰く中のぬいぐるみは殆ど取れることがなく、お店側の貯金箱の様なものらしい。本当に大丈夫だろうか。始め私はそんな不安を抱いていた。


「どのぬいぐるみが欲しい?」

まるで、ぬいぐるみを取れて当たり前の様な口調でラーレさんが聞いてきた。

私は少し考えた後に目の前のシロクマのぬいぐるみが大量に詰めてある筐体を指さした。これは純粋にそのぬいぐるみが一番可愛く見えたからだ。


「任せな」

ラーレさんはそう言うと荷物を後輩の人に預け、颯爽と筐体の方に向かって行った。

残された私は心配になって後輩の人の顔を見た。

「大丈夫。さっきの黒髪の人が言ってた通り先輩クレーンゲーム超得意だから」

すると、心を読んだかのように優しくそう言った。


それから、二人で一緒に筐体に近付きラーレさんの勇姿を見る事にした。

とりあえず、1ユーロを入れた。アームを横に動かす、それからアームが下に降りる。降りたアームはとても上手にぬいぐるみのラベルの糸にひっかかり、ぬいぐるみを持ち上げた。ここまでは完璧だ。

それから、アームは動くたびにユラユラと揺れを繰り返したが、全くぬいぐるみが落ちる気配がなくいとも簡単に取り出し口に続く穴まで到着した。アームが糸を離すと、ぬいぐるみが取り出し口の方に落ちた。

「はい、一匹目」

ラーレさんは若干得意気にそう言って、私にシロクマのぬいぐるみを差し出した。


「あっ、あのっ・・・・・その、ほっ本当にありがとうございま・・・」

「まだ終わらないよ」

私がお礼を言おうとすると再びラーレさんは筐体にお金を入れ、アームを動かし始める。そして、さも当たり前の様に再びラベルの糸を捕らえ、2匹目のシロクマをゲットする。

「はい、2匹目」

そう言って、2匹目のシロクマも私にくれた。

「エーデル、他に欲しい奴はあるか?」

ラーレさんは調子が出てきた様子で私に聞いてきた。ぬいぐるみを貰えるのは嬉しいがもう既に2ユーローも使わせてしまっているし、これ以上は申し訳ない気がして答えを渋っていた。


「ほら先輩がああ言ってるんだから遠慮しちゃ駄目よ。貰えるものは貰わなきゃ」

すると、後輩の人が横から言った。


私はまた少し考えた後、可愛く見えたぬいぐるみの入っている筐体を全て指さした。もちろん、その中のどれでもいいから一つ取って貰いたいと云う気持ちで。


しかし、ラーレさんはそんな私の気持ちなどつゆ知らず私が指さしたぬいぐるみを全て一発で取ってきてしまった。

「あっ・・・・・あのっ・・・・・」

私の手にはぬいぐるみが3体。後輩の人に手に2体。ラーレさん自身が持っているのが1体。合計6体流石に貰いすぎだ。

「ほら、ゲームセンターの方が断然良かっただろ」

ラーレさんが後輩の人に得意気に言った。確かに玩具屋さんで買えば、6ユーロではぬいぐるみを一体買うのが限度だろう。それに比べラーレさんはクレーンゲームなら6ユーロで6体のぬいぐるみを手に入れられる。コストパフォーマンスは断然こっちの方が良さそうだ。


「これで雰囲気も良ければ、全く問題ないんですけどねぇ」

ぬいぐるみを持ったまま後輩の人は当たりを見渡して言った。

「いいエーデルちゃん。今のは先輩がとってもすごいだけで普通はこんな所にあんまり来ちゃ駄目よ」それから、ママの様にそんな事を話した。

「来て」それから、おもむろにラーレさんに持ってるぬいぐるみを預け、再びシロクマのぬいぐるみが入った筐体の前に私を連れだした。


後輩の人が筐体にお金を入れると、私にアームを動かすように促した。

ラーレさんの操作を見てる限り、パパが言うほど理不尽なものではない様な気がし始めていた。我ながらアームの横移動は上手くできた。

しかし、実際アームが降りた場所はラベルの糸からかなり離れた位置だった。

それでも、アームはぬいぐるみの首元をガッチリと掴み余裕で取れそうだった。

アームが上昇する時、アーム全体がガタンと揺れた。

その揺れでガッチリと捕らえていたはずのシロクマのぬいぐるみはあっさりと元の場所に落ちた。


「あっ」

私は思わず声を出した。

「ほら。先輩が特別なだけだから、良い子のエーデルちゃんは真似しちゃ駄目よ」

確かに今のワンプレイでラーレさんが特別上手いという事は分かった気がする。


「それじゃあ、私、大きい袋貰ってきますから、そうしたら帰りましょう」

後輩の人はそう言って、少し遠くにあるお店のカウンターの方に歩いて行った。

「えっと、そのっ・・・・」

落ち着いたとこで改めてラーレさんにお礼を言おうとすると、お店に入った時、画面の前で踊っていた私と同い年くらいの子二人がラーレさんの所に寄ってきて私の言葉を図らずも遮ってしまった。


「シャングさん、私にもぬいぐるみ取って!」そのうち茶髪の女の子はそう言ってラーレさんにお金を渡そうとした。


「良かったら、私も」同じようにもう一人の黒髪の子もラーレさんにお金を差し出した。ちなみに二人とも私と違ってモデルではないかと思うくらいに美人だ。


「ディライトとカサンドラか。まあまあお金はいいから何が欲しいんだ?」

「本当ですか! えっと、欲しいのは目の前のとアレとアレとアレ、あと・・・」

「ちょっと、カサンドラ! 少しは遠慮して!」

「いいじゃーん。だってこの子も一杯貰ってるし」

カサンドラと呼ばれた子はそう言ってぬいぐるみを大量に持っている私を指さした。

「大丈夫、大丈夫。お姉さんに任せなさい!」

ラーレさんは自分の胸を軽く叩いて誇らしげに言い、2人に指定されたぬいぐるみを全て一発で回収した。


そんな様子を傍から見ていると、クレーンゲームの腕はもちろんだが、ラーレさんは色んな人に慕われていて、本当にすごい人だと思った。ほぼ私と対局にいる人物と言っても過言ではないだろう。今日だけでラーレさんがどれほど優れた人なのかを思い知らされた気がする。


「シャングさん、ありがと!」

「すいません。ありがとうございます」

先ほどの2人はお礼を言って、貰ったぬいぐるみを持って嬉しそうにお店から出て行った。それを満足気に見送ったラーレさんは二人が見えなくなると、真顔になって財布の中身を確認した。そして、露骨に眉を顰めた。


「どうしたんですが先輩。この世の終わりみたいな顔してますよ」

やや遅れて袋を持って戻ってきた後輩の人が開口一番に言った。


「この話は後にしよう」


「見栄張って、ディライトとカサンドラにもぬいぐるみ取ってあげてお財布がピンチな感じですか?」後輩の人はまるでさっきの状況を見ていたかのように言った。

ラーレさんは申し訳なさそうに無言で頷く。


「ああもう!またそういうパターンですか! ちゃんと返してくださいよ!」

後輩の人はそう言うと乱暴に自分の財布から20ユーロを取り出し、ラーレさんに差し出した。

「ありがとうございます。エミリー様」

ラーレさんはそう言ってお金を両手で受け取り、後輩の人に頭を下げた。

正直、この場面で少し笑いそうになってしまった。


折角、尊敬していたのに・・・・いや、こういう不完全な所すらラーレさんの良さなのかもしれない。そういえば、後輩の人はエミリーと云うらしい。思えば自己紹介をされていなかった。

「それじゃあ、早く引き揚げましょう。こういう場所は教育上よくありませんから!」エミリーさんはそう言うと、私の手を引き足早に出口に向かった。

ほんの少しの間、一緒にいただけだが、エミリーさんはとっても真面目な人なのだと思った。


それから何事もなく私は二人にアパートの前まで送り届けて貰った。



「あっ、あっ、あの今日は・・・・本当に有難う・・ございます。こっ、こんなに一杯ぬいぐるみまで頂いて・・・・」

私は言った。本当の気持ちだ。この二人のお蔭で大分気持ちが楽になった気がした。


「いいって、いいって。それよりエーデルが少しでも元気取り戻してくれたみたいで良かったわ」ラーレさんが言った。


「それじゃあ今日は帰りましょうか」エミリーさんが少し間を置いてからそう云うと、ラーレさんは彼女に少し待つように素振りで促し、私に近付いてきた。


「大丈夫。エーデルは何も心配しなくていいからね。大丈夫だからね」

そして、私を抱き寄せ、静かに言った。ラーレさんの腕の中はママやパパと良く似た暖かさがあった。不意打ちで涙が出そうだ。エミリーさんの言う通り私はラーレさんの様な人が身近にいてとても幸せだと思った。


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