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Magia Lost in Nightmare  作者: 宇治村茶々
第1章 悪夢の始まり
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第5話(1-4-2)

私たちがレストランを出た時、街の時計は8時半ちょうどを指していた。

外はすっかり闇が落ち、少し肌寒い。コートが無ければ完全に凍えていただろう。

当然、私の足取りは重い。すぐ傍で歩いている筈のサラたちの声がなんとなくと遠くに聞こえる。私は彼らに話しかけられず俯きながら歩く。

私が俯いていても誰も話しかけてくれない。そんな時間が長く続いた。

歩き続け街明りに照らされている場所を抜けてきた頃、後方から声が聞こえた。


「ねぇ、やっぱり止めない? 」

振り向くと、ウルリヒが脚を止め私たちを見ていた。

「なんだ、お前ビビってんのかぁ?」ニコラスは小馬鹿にした様子でウルリヒに近付き、彼の襟を思い切り持ち上げた。

「こんなのつまんないよ!」ウルリヒが叫んだ。

その声を聞いた瞬間エグモントの顔が一気に歪んだ。彼はニコラスを強引にどかしウルリヒの前に立った。そして、あろうことかウルリヒを思い切り突き飛ばした。


「あぁ、そうかい。嫌なら勝手に一人で帰りな、臆病者」

エグモントは道路に倒れたウルリヒを見下ろし静かにそう告げた。


しかし、ウルリヒはその場所から動こうとせずただエグモントを見据えていた。

「なんだよ、その目は!」

エグモントはウルリヒの視線がよっぽど気に入らなかったのか彼の顔面を蹴りつけた。私は思わず目を両手で目を覆ってしまった。


覆った目を解くと、そこには鼻から血を流し痛そうに呻いているウルリヒがいた。

それはあまりにも理不尽な光景だった。ウルリヒは肝試しを中止にしようと提案しただけなのに。どうして、それだけであんな目に・・・・・


私はすぐに彼の元へ駆け寄り『大丈夫?』と言うべきだった。

しかし、彼を庇う事で自分まで酷い扱いを受けるのが怖くてそれをしなかった。

私は弱い人間だ。ウルリヒの目にはただ静観することしか出来なかった私はどう映っただろうか。きっと、サラやミレーマやニコラスと同じに映っただろう。


「こんな奴、放っておいて早くいこうぜ」

エグモントはウルリヒに背を向け私たちに言った。

サラ、ミレーマ、ニコラスの3人はその声に導かれるよう早々に進行方向に向き直った。私はウルリヒの方を見ていた。ウルリヒは私と目が合うと口をパクパクと動かし何かを伝えようとしていた。しかし、私には彼が何を伝えようとしているのか全く分からなかった。もしかしたら、助けを求めているのかもしれない。

でも、・・・・・・・・・・


私は心の中で何度もウルリヒに謝罪の言葉を述べ、彼に背を向けてしまった。


「待て!」


彼に背を向けた瞬間、後ろから声が響いた。背筋に電流が走った。

その声は明らかに今までのウルリヒとは全く違う冷たく鋭い声だった。

その違和感に私以外の人間も気付いたらしく全員がウルリヒの方に向き直った。

そこには鼻を抑えたウルリヒが私たちを睨み立ち尽くしていた。


「僕も行く」


彼は再び冷たい声で私たちそう告げた。声色も私たちを睨む顔も今までのウルリヒとは全く別人のようだった。

「そっ、そうかよ。勝手にしろ」エグモントは彼の気迫に押され、そう答えるとすぐに彼から目を逸らした。ニコラスもサラもミレーマも彼の豹変振りに困惑している様子だった。しかし、一番困惑し恐怖しているのは間違いなく私だろう。

あの時、声を掛けていれば私まで彼の恨みを買うことはなかっただろう。

このまま彼に殺されてしまうかもしれない。本気でそう思った。


それから、私たち6人は順調に暗闇の森に入り光の下から離れていった。

既に懐中電灯なしでは進めないほどだった。ペンライトも懐中電灯も持っていない私は必然的に一番近くにいたペンライトを持つウルリヒに寄り添って歩く羽目になる。

ウルリヒの顔は怖くて見れなかった。


しばらく歩いると、ウルリヒが私の手のひらの中に何も言わず半ば無理やり紙切れを押し込んできた。『お前も同罪だ』とでも書かれていたらどうしよう。私は紙を開くのが恐ろしかった。


しかし、意を決して紙を開いてみると全く予想外の言葉が紙に記されていた。

『何があっても僕が助ける』紙には確かにそう書かれていた。

私はすぐにウルリヒの方を見た。ウルリヒは私と目があった瞬間少しはにかんだ。

なんてことだ。サラたちが来てからの彼の行動は全て私を心配してのことだったのだ。彼は私のために中止を提案し、今鼻から血を流してるのだ。

私は感極まり彼にお礼と謝罪の言葉を述べようとした。

ウルリヒは私が声を出そうとした瞬間、私の口もとに一指し指を当てそれを静止した。それから、一指し指をサラたちの方に向けた。私は彼の指示通り押し黙った。指を噛まなければ彼が初恋の相手になっていたかもしれない。


更に歩みを進めると道路の横に立ち入り禁止のテープで封鎖された脇道が見えた。その道は左右が完全に木で覆われており、一切の暗闇になっていた。

それは今にも何かよくないものが飛び出してきそうな雰囲気だった。

「ねっ、ねぇ、ねぇ、まさか・・・・・こっ、この中に?」

私は声を振り絞り言った。

「おう、肝試しスポットはこの先だぜ!」ニコラスは嬉しそうに親指を立てた。

「とはいえ、このままじゃ進めないからな。実は俺全員の分の懐中電灯持ってきたんだぜ」彼はそう云うと自分のリュックから懐中電灯を人数分出し、其々に手渡した。

「あんた用意周到だねぇ。最初から行く気だったんだ」

懐中電灯を受け取ったミレーマが少し呆れた口調で言った。全くその通りだ。

「まっ、まぁ、そういう事はいいから行こうぜ」

私たちは暗闇の道を懐中電灯の明かりだけを頼りに進んで行く。

どこかで誰かに見られてるような気がして、何度も後を振り向いてしまう。

気が付いた時、私はウルリヒの服の裾をガッチリと掴んでいた。

「大丈夫だよ、お化けなんているわけないよ!」

ウルリヒはそんな私に気付き振り向いて言った。気持ちは有り難いが一度本物の幽霊にあった経験があるので、実際のところ何の慰めにもならない。


進むにつれ心なしか温度も低くなり、先行しているニコラスたちの口数も減っていた。道路のコンクリートはどこもかしこもヒビが入っており、この道が長い間放置されている事を物語っていた。帰りたい。


しかし、一人で今までの道を帰るのはもっと怖い。だから、私は進むしかないのだ。

この道は余りにも暗く恐ろしかった。ウルリヒの裾を掴む私の手は小刻みに震えていた。ウルリヒは何も言わず、そんな震える私の手を握ってくれた。嬉しかった。

しかし、涎が固まってカピカピになったものが私の手に触れる。

これさえなければ。


それから、しばらく経たないうちに目の前に大きな建物が現れた。

それを見て、私は思わず息を呑んだ。廃病院だ。

暗い森の中に聳え立つ廃病院は明らかに異様な空気を放っていた。

ここには行ってはいけない。本能がそう言っている。


「さぁ、着いたぜ。肝試しにはもってこいだろ!」ニコラスが皆に向かって言った。

「へぇー、中々雰囲気あるじゃん」サラが言った。

ミレーマは腰に手を当て、何とも言えない表情をしている。

エグモントはここにきて退屈そうに欠伸をした。

ウルリヒは指を思い切り噛みしめながら、病院の方を凝視している。

怖い。恐ろしい。悲しい。そんな感情が私を包み込む。


しかし、この肝試しさえ越えることが出来れば学校に戻れるかもしれない。

『普通』の道を行くことが出来るかもしれない。これはそのための試練なのだ。私は自分にそう言い聞かせた。




その後、全員で固まって病院の方に向かった。


「もうすぐ」


突然誰かが言った。私は声の主を見つけるべく周りの全員の顔を見た。

しかし、全員が素っ頓狂な顔を私に返した。嫌な予感がした。

「なんだよ、何かあったのか?」エグモントが不機嫌そうに聞いてきた。


「あっ・・・・・・ああああーあああああ、あっっ・・・・・」


恐怖で喉が強張り声を発することが出来なかった。

「なんだよ、こえーよ」ニコラスが言った。


「いっ、いっ、今、もっ、『もうすぐ』って言ったの、だっ、誰?」

私は全身全霊を振り絞り声を発した。


「いや、誰もそんな事言ってないんだけど。あんた、大丈夫?」

サラが言った、表情は少し強張っていた。きっとサラも怖いのだろう。


「うっ、ウルリヒは?」

私はウルリヒを名指ししてそう聞いた。『何があっても僕が助ける』と紙にくれたウルリヒなら私に嘘をいう事はないだろう。


「えっ、別に何にも聞こえなかったよ。きっと風の音だよ。怖い怖いって思ってるから風の音も人の声に聞こえたりするんだよ」ウルリヒは言った。

風の音ではない、明らかに人の声だった。しかも、その声は私にしか聞こえていない。私の背筋は一気に凍りついた。


「何、その顔。流石にビビりすぎでしょ」サラが小馬鹿にした様子で言ってきた。

しかし、そんな言葉など頭に全く入ってこないほど私の頭は恐怖で埋め尽くされていた。病院の中に入ってしまえば、間違いなくよくない事が起こる。そんな気がした。

それでも足は皆から離れないよう着実に病院へと近づいている。


ついに私たちは病院の入り口前まで来てしまった。

立ち入り禁止のテープは既に誰かに引き裂かれ消えてしまったようだった。

ガラス越しからライトを当てて中を見る限りロビーらしき場所には椅子が無茶苦茶に散乱し、お菓子のゴミやビールの空き瓶などが無造作に転がっていた。


「さて、探検と行きますか!」

ニコラスはそう言って、両開きのドアを一気に開け放った。

ドアの金具が錆びていたようで、不快な金属の音があたりに響き渡った。

ニコラスが扉を開けた瞬間、一気に冷気が私たちの方に流れ込んできた。

「なにこれ、寒っ」ミレーマは小さく呟き両手で肩を抑えた。

室内だけこんなに寒くなっていることはありえるのだろうか。私は尚更不安になった。そんな中、エグモントやニコラスは何の躊躇いもなく病院の中にずかずかと入って行く。それにサラが無言で続く。ミレーマは一瞬溜息をついてからサラに続いた。


もしかしたら、ミレーマも本当は嫌なのかもしれない。


「僕たちも行こ」ウルリヒは私の腕を取り、そう言った。


『だから、左手はやめて!』私は心の中で叫んだ。

院内はとても冷たく、この建物の中だけ冬のようだった。

不意にガラスが割れるような大きな音がロビー内に響いた。余りの驚きで心臓がきゅっと締め付けられた。


「あっ、ごめん今の私だ。なんかビール瓶蹴ったっぽい」サラが呑気に言った。

「なんだ、お前か。今のは少しビビったぜ」エグモントがなぜか嬉しそうに答えた。

私はそっと胸を撫で下ろした。正直、何か恐ろしいものが攻めてきたのかと思った。

「ロビーは特に面白いもんないな。他のとこ行こうぜ」ニコラスは一通りロビーを見て回った後、言った。


私たち一行は懐中電灯で当たりを照らしながら、慎重に院内の廊下を進む。

壁はボロボロに剥げ、ところどころに不快な言葉の落書きがされている。

私は転ばないように壁に手を付けながら歩いているのだが、不意にある落書きと私の右手が重なった。

「ひっ!」私は情けない声を上げ、壁から手を離した。

『あなたを見ている。』重なった落書きにはそう書かれていた。

「なにビックリするじゃん、いきなり大声あげないで」

ミレーマが面倒くさそうに言ってきたので、私は無言でその落書きを指さした。

「うわっ、これは気持ち悪いね」ミレーマは落書きを見てすぐに言った。


残ったエグモントたちも落書きの周りに集まってきた。

「すげぇよな。こういう落書きってマジでセンスあるわ。俺もマジックでも持ってくれば良かったぜ」他の面子もミレーマと同じように苦い表情を見せる中、エグモントだけは全く意に介してないようだった。彼は鋼の精神を持っているようだ。

「とにかく、ここに来て中々雰囲気出てきた感じだな!」ニコラスが言った。


彼らのこの恐怖を楽しもうと云うスタンスは本当に理解に苦しむ。

それから、最初に覗いた部屋は診療所のような部屋だった。

そこには朽ち果てた机と椅子、シーツもマットレスもないただの錆びた鉄と化したベッドだったものが虚しくあるだけだった。

ニコラスが机の引き出しを漁っていたが何も入っていなかったらしくすぐにこちらの方に戻ってきた。次の部屋も診療所のようで特に変わったものはなく、すぐに撤退した。


3番目に入った部屋は処置室だった場所の様で、部屋の真ん中に机があり、周りには医療器具が乗っていたであろう可動式の鉄製テーブルが2つほど残っていた。

真ん中のテーブルにライトを照らすと、「ようこそ地獄へ」と落書きされていた。

流石の私もこれはあんまり怖くない。

エグモントは「これはセンスの無い奴の書き込みだな」と苦笑いを浮かべながら言った。

それを聞いた私も少しだけ笑った。流石にベタすぎる。

少しずつだが暗闇にも慣れ、少し余裕が出来てきた気がした。

しかし、その時点で私はある事に気付き、そんな余裕は一気に消え失せた。

「ねっ、ねぇ、ウルリヒは?」私はエグモントたちに聞いた。

「あっ、そういえばいねぇな」ニコラスが呑気に言った。

「トイレでもしたくなったんじゃない?」ミレーマが言う。

「それなら一言くらい言うでしょ、普通さ」サラが言う。

「あれだな、俺にはなんとなく分かるぜ。最初から嫌々だったし途中で悟られないように一人で逃げ出したんだろ。全くしかたねぇ腰抜け野郎だぜ」エグモントは言った。エグモントのその発言に3人はある程度得心がいったような顔をしたが、もちろん私は納得出来ない。なぜなら、彼は私に『何があっても僕が助ける』と紙に書いて渡してくれたからだ。そんな彼が一人で尻尾を巻いて逃げ出すはずがない。


「でっ、でっ、でも、もしもの事があったら、たっ、大変だし・・・皆で探そう」


私は皆にそう提案した。


「どうせ逃げ帰っただけだろうから、探しても・・・・・痛ッ!」

ニコラスが言葉を最後まで言い切る前にエグモントが彼の足を思い切り踏みつけた。

「いや、面倒くさいが一応皆で探した方がいいな。本当にもしもの事があった時のために一応探したって云う体はあった方がいいからな」

ひねくれているが、エグモントにしてはまともな意見だった。

「あぁ、じゃあ今まで通り固まっていこ。また誰かいなくなるとメンドイし」

ミレーマがそう提案した。もちろん、反対するものはいない。

それから、私たちはウルリヒの名前を呼びながら各部屋を回った。


「おーい、アホのウルリヒ!」最早、ただの悪口だ。


そんなこんなで1階の部屋をトイレの中も含めて全て探し終えたが、返事も手がかりもなかった。

「あいつマジで帰りやがったな、明日皆で絞めようぜ。流石にありえないわ」

ニコラスが舌打ちの後に言った。


「もしかしたら、日頃の恨みで私たちを脅かそうとしてるんじゃない?」

サラは自分の顔に懐中電灯を当て、そう言った。

「有り得ない話じゃないかもね。それとあんたそれ普通に怖いから止めて」

ミレーマはそう言うとサラが自分の顔に当てていた懐中電灯を無理やり下に向けた。

正直、私も下から照らされたサラの顔はかなり怖かった。

それはともかくウルリヒがそんな事をするとは思えない。もしかしたら何か恐ろしいものに襲われてしまったのかもしれない。


私は勝手な想像をして、勝手に恐ろしくなった。

「それならそれで引き摺り出して絞める必要があるな。そのためにも一応残りの階も探すぞ」エグモントが言った。『引き摺り出して絞める』と云う行為は置いておいて引き続き探索を続けるのは賛成だ。

当然、エレベーターは使えないので全員で大きな階段を上る。

階段にもロビーと同じようにお菓子の空き袋とお酒の空き瓶が散乱していた。

特に踊り場は酷い有様で腐った食べ物の匂いと空き瓶に残った微かなお酒の匂いと森特有の木々や土が湿ったあの匂いが混ざりあい最悪の匂いを漂わせていた。

「うげぇ、ゴミくらいちゃんと持ち帰れよな」

ニコラスが顔をしかめながら言った。この意見には完全に同意出来る。


「ひぃ!」

突然、サラが声を上げて私の袖を思い切り掴んだ。

私もそれに釣られて思い切り情けない声を上げた。

サラが腕を振るわせながら、踊り場の隅に居る『何か』を指さした。

それはただのゴキブリだった。

「なっ、なんだ。おっ、驚かせないでよ・・・・・・・」

私はサラの手を払いのけ言った。全く人騒がせな。

「おっ、お前ゴキブリ大丈夫なのか!?」サラが声を裏返し気味に言った。

私は黙って頷いた。うちのアパートにはしょっちゅう出るので特に驚きも怖がりもしないのだ。見つけ次第素手で捕まえて外に放り投げている。

「とっ、とにかくここキモいわ。早く2階に上がろ」


サラはそう言って踊り場から2階の廊下を照らした。しかし、彼女の放った光は闇に吸い込まれ廊下の壁まで届かず途中で途絶えていた。私は身震いをした。

恐ろしい何かが待ち構えている気がしてならなかった。

恐る恐る階段を上り終え2階に足を踏み入れた瞬間、私たちにとんでもない冷気が襲ってきた。1階も中々に寒かったが2階はその比ではない。

まるでここだけ冬のようだ。

「くっそなんだこれ。超寒みぃ」ニコラスはそう言って、自分の腕を擦った。

「やっぱり、なんかここおかしいね」ミレーマが小声で言った。

そして、追い打ちをかける様に私はまた気味の悪いものを見つけてしまった。

『私を一人にしないで』壁には刃物か何かでそう掘られていた。

「その落書きこっちにもあるぜ」

ニコラスが照らした方を見ると、反対側の壁にも同じように『私を一人にしないで』の文字が刻まれていた。


しかし、それはそこだけではなかった。その文字は散発できだがところどころにあり極めつけは床にもあった。私は恐怖ですくみ上ってしまった。

「おい、嘘だろ・・・」

エグモントが天井を照らしていた。まさかと思った。

そのまさかだった。天井にすら『私を一人にしないで』の文字があちこちに刻まれていた。私の恐怖はついに疑念だけではなく確信に至った。

ここは危ない。ここは嫌だ。早く出たい。早く出たい。

しかし、ウルリヒを置いていくわけにはいかない。ウルリヒが一人で逃げるはずがない。私はその思いだけを頼りに恐怖と戦い少しずつだが足を進めていく。


それから全員で1階の時と同様に一部屋一部屋をしらみつぶしに探していった。

トイレを除き全ての場所を探したが相変わらずいくら呼んでも返事はなく、彼がいた形跡もない。他の皆は分からないが、個人的に寒さがかなり限界まで来ている。

耳は冷たく千切れそうなほどズキズキと痛み、手は悴み拳を作る事すらままならない。吐く息はいつの間にか白く染まっている。

いくらエグモントたちを脅かすためだとしても、こんな寒い所に身を潜めるのは流石に無理があるように思える。なら、考えられるのは本当に本当に1人で逃げ帰ってしまったのか、何か恐ろしいものに襲われてしまったか・・・・・・・

『何か恐ろしいものに襲われてしまった』など、普通の発想ではないのは承知だが、一度『普通』でないものを見てしまうと、どうしてもその可能性が頭を過ってしまう。なにより、私はウルリヒが自分を置いて逃げ帰ってしまったなど考えたくない。


それから、2階も殆ど探し終えたので最後にトイレを見て3階に上がろうという話になった。先ほどと同じように男女で分かれず全員で片方のトイレから探索していく。少数になった所で何かあっては堪らないのでこの件について全く異存はない。

そもそも、トイレは多分1階と同じように使える状態ではないだろう。

トイレに入る時、なぜか私が先頭に立っていた。

トイレにはとてつもなく恐ろしい瘴気が漂っているように感じた。


しかし、当然だが全ての個室の扉はだらしなく開け放たれている。

「エーデル、どう何かある?」サラが後ろから言った。

私は半開きになった1番目の個室のドアを掴み恐る恐る中を覗こうとした。


その瞬間、サラが私の体を思い切り個室の中に突き飛ばした。


「はい、さようなら!」


サラは今まで見せたことないような最高の笑顔を見せ、ドアを閉めた。全く状況が分からない。私はトイレの個室に倒れ込みドアが閉ざされてしまった。

「おい、ニコラス!俺らで抑えてるから早く例の椅子2つ持って来い!」

「了解!」

外からそんな声が聞こえた。意味が分からない。意味が分からない。

私は急いで立ち上がり、扉を開けようとする。


しかし、エグモントたちが外側から抑え込んでいるようで全くドアが動かない。


「開けて、開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて!」


私は滅茶苦茶にドアを叩いた。しかしビクともしない。


「よし、持ってきたな。これをこうはめて・・・・・」外からそんな声が聞こえた。

「何で! 何で何で! 開けて開けて開けて開けて!」私はがむしゃらにドアを叩きまくる。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!


「ねぇ、エーデル今どんな気持ち? 本当に友達になれたと思った? 私たちの事信じちゃった? ねぇねぇエーデル今どんな気持ちなの、アハハ」

「いやぁ、マジでこんな上手く行くとは思わなかったよ。なぁ、エグモント!」

「ふっ、全くだ。全員で金出してまで信用させた甲斐があったってもんだ」

「あんたは少し人を疑うって事を覚えた方がいいよ、流石に愚かすぎ」

「まぁ、そういうことだからじゃーねぇー。明日になったら迎えに来てあげるから!」


何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で・・・・・・・・・

「ああああああああああああああああああああああああああああ!」

私は叫びながら、また傷が癒えないままの右の拳で力一杯にドアを殴った。

ドアは全くビクともせず、とてつもない痛みだけが跳ね返ってきた。

治りかけ瘡蓋になった箇所から新たに血が滲みだし、その痛みは寒さも重なり数倍に感じられた。痛い。寒い。



どうして、どうして・・・・・・・

私はただ皆と友達になりたかっただけなのに。私はただ『普通』に友達とお喋りをしたかっただけなのに。どうして、私ばかりがこんな目に遭う。

私は獣の様に叫び涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら何度も扉を叩いた。

扉はビクとも動かず、誰も戻ってくる気配はない。どうしてこんな。

そうだ、ウルリヒ。きっと彼が助けてくれる。

「ウルリヒ、助けて!」私は持てる全ての力を使って叫んだ。

私の叫びは冷たい廃病院の中に響き渡り、そして吸い込まれ消えて行った。

応える者はない。


それでも私はウルリヒの名前を何度も何度も叫び続けた。その度に声は暗闇に吸い込まれ、喉は痛み、声は霞んでいき息が苦しくなる。

「ウルリ・・・・・・あっ・・・・・あっ・・・が・・・・・」

どれほど時間が経っただろうか。ついに声が出なくなってしまった、それと同時に体から一気に力が抜けていく。


それからすぐに酷い吐き気に襲われ、その場で涎とも胃液とも知れない液体を口から垂れ流した。涙は歯止めが効かずただ流れ続け、外気に触れ冷たくなった滴が繰り返し頬を伝う。拳から流れる血はまったく止まらず痛みだけが強まってきた。

私はドアに手を当てたままその場に崩れ落ちた。

もう痛くて涙が出ているのか悲しくて涙が出ているのか分からない。

そういえば、あれだけ5人で念入りに探したのにウルリヒは出てこなかった。

他の4人の呼びかけに応じなかったならまだ分かるが、私も少数ながら彼を探してる間彼の名前を呼んだ。もし廃病院の中に残っているなら出てきても良いはずだ。

だいたい、それっぽい雰囲気だけで『何か恐ろしいもの』なんて2階まで完全に探したが出てこなかった。きっと、入る前に聞こえた声はウルリヒの言った通り気のせいで、天井の文字も何かのトリックがあるのだろう。


もういい。もういい。

私はまんまと騙され、そしてウルリヒは私を見捨てて一人で逃げた。ただそれだけだ。なんて無様なことだろう。愚かに他人を信じようとした結果がこのザマだ。

あの時、素直にママの言葉を聞いてれば。レストランの手伝いの後寄り道せずいつも通り一人家で蹲っていればこんな事にはならなかった。


私は馬鹿だ、大馬鹿だ。

信じようとした相手から悉く裏切られ生きているのが苦しい。

無駄に生きてまた裏切られ傷付くなら、もう一層ここで終わってしまった方が楽かもしれない。もうこんな思いはしたくない。


私が死ねば少しはあの4人も反省するかもしれない。

このままこの寒さと暗闇に身を委ねてしまおう。


私は地面に落ちた懐中電灯のスイッチをオフにした。最早、恐怖は感じない。


・・・・・・もういい、もういい。もう嫌だ。ごめんなさいママ、パパ。

私は残りの力全てを使って自分の両手で自分の首を掴んだ。

その手は氷の様に冷たかった。

そして少しずつしかし着実に力を込めていった。

途中までは苦しかったが途中から息苦しさも痛みも悲しみも全てが遠のいて行った。

生まれ変わったら何になれるかな?


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