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Magia Lost in Nightmare  作者: 宇治村茶々
第1章 悪夢の始まり
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第4話(1-4-1)



「相手の目を見て、出来るだけ大きな声ではっきりと。

「こっ、こっ、こんにちは・・・・・」あぁ、駄目だ。もう1回。

「こっ、こんにてゃ・・・・」もっと駄目。

どうして、話し相手が家族以外だと上手く話せないのだろう。

私は両手で持っていたクマのぬいぐるみを脇に置き、ボッーと天井を眺めた。フランは気持ち悪くないと言ってくれたが、やはり直せるなら直しておきたい。

でも、正直直せるか不安で堪らない。このまま一生吃りが消えずに大人になってしまうかもしれない。そして、社会に出てまたサラやミレーマの様な人間に遭い・・・思うだけで胸が苦しくなる。それでは駄目だ。私は自分を奮い立たせもう1度クマのぬいぐるみを手に取り、会話の練習を再開した。そして、何度も何度も吃りを繰り返し、何度も何度も言葉を噛んだ。


気が付くと私はクマのぬいぐるみを抱きしめた状態でベッドの中にいた。

カーテンの隙間から朝日が差し込んでいる。

どうやら、途中で寝てしまい、それをパパかママがベッドに入れてくれたのだろう。

そうなると、部屋の電気を点けっぱなしで寝てしまったことになる。これから怒られるかもしれない。私はちょっぴり憂鬱な気持ちで、布団を抜け出し、部屋を後にした。


「おはよう、エーデル。今日は久しぶりに快晴だぞ」

洗面所に行くと、パパがいた。顔洗いの途中らしく顔が真っ白だ。

「おはよう、パパ。昨日、ベッドに運んでくれたのはパパ?」

「知らないなー。きっと、ママじゃないかな。そういえば、誰かからかお前宛に手紙が来てたぞ。ママが預かっているから、顔を洗ったら見せて貰うといい。もしかしたら、例の友だちかもしれないぞ」

パパはそう言って顔洗いに戻った。手紙・・・・全く身に覚えがない。

大体、フランツィスカにはまだ家を教えていない。となると、私宛に手紙を送ってくるのは保健室の先生くらいだろうか。他にはラーレさんか店長か・・・・

とにかく、誰が手紙を送ってきたのか気になるので、急いで顔洗いを済ませママの所に向かった。


「おはよう、エーデル。パパから手紙の話は聞いた?」

リビングに入るとすぐにママがそう言って封筒を渡してきた。

封筒は緑色でお花のシールで閉められている。多分、差出人は女性だろう。

私は慎重に封筒を開け、中の手紙を開いた。そして、差出人の名前を見た瞬間に手紙を閉じて、素早く封筒に戻した。

「誰からだったの?」

そんな私の行動を見て不思議そうにママが聞いてきた。

「サラとミレーマ」

私がそれだけ云うと、ママもかなり困った顔をした。

「それで、何て書かれていたの?」

「読んでない」

「分かったわ。ママが先に読んでふざけた内容だったら、会社でシュレッダーにかけましょう」ママはそう言って、手紙を取り出しすぐに読み始めた。

後から透けて見る限りそれなりの文章はあるようだ。

しかし、サラとミレーマから送られてきた手紙なのだから良い内容ではないだろう。

ママは読み終えると、先ほどより困った表情になった。そして、「ちょっと、待ってて。パパにも見せてくるから」そう言って洗面所の方へ走って行ってしまった。


しばらくすると、ママがパパを引き連れて戻ってきた。

「エーデル、よく聞いて。この手紙には2人があなたにこれまで酷い事をしてきて、悪かった。お詫びに今夜一緒に食事をしないか。掻い摘んで言うとこんな内容が書いてあるわ。でも、ママは怖いの。これもあなたへのいじめの一環なんじゃないかって・・・」

ママがとても心配そうな顔で言った。確かに私もそんな気がして堪らない。

「ママは心配のしすぎだよ。大体、この機会を逃したら付き合いの悪い奴だと思われて、尚更学校に戻りにくくなってしまうかもしれないぞ。エーデルが彼女たちと仲直りして学校に行けるようになれば万々歳じゃないか」

パパが言った。確かにサラたちと仲直り出来れば私は何の気兼ねなく年頃の少女として普通に学校に通えるようになるだろう。


しかし、おおよそママの危惧した通りだろう。ただ、もし本当に彼女が反省しているのだとしたら、この誘いに応じなければパパの言った通り状況は一層悪くなるのは確かだ。私は落ち着いて考えた。そもそも、二日前に私の顔面をロッカーに叩きつけて怪我させたサラやミレーマがこんなに早く心変わりする事があるだろうか?

多分、それはないだろう。ただサラやミレーマと友達として対等に話せたらどんなに幸せな事だろう。私は1%でもその可能性があるなら、それに縋りたいと思う。例え99%心の傷が深まる事になろうとも。


答えは決まった。


「ママ、私行ってみる」

私は言った。予想通りママは唖然とした。

「エーデル、本当にいいの? もしかしたら、これもいじめの一環かもしれないのよ?!」ママが少し興奮気味に言った。


「分かってる。でも、私は二人を信じてみたい・・・」

私がその言葉を発した瞬間、ママの目から涙が滲むのが見えた。

「偉いわ、エーデル。あなたは本当に偉いわ。他人を信じてあげることは何より大切な事よ。でも、本当に気をつけて」ママは私を抱きしめて言った。


「流石、僕の娘だ」そして、パパの声が聞こえた。

この時、私はこんなに私を思ってくれる両親がいて本当に幸せだとひしひしと感じた。ママから伝わる温もりが最高に心地よかった。




待ち合わせは午後7時半に駅の近くにある『レーゼン・ヴァルト』と云うレストランの前になっている。今は午後7時16分。私は既に待ち合わせ場所に居る。

というのも日曜は私が手伝いをしているお店が7時に閉まってしまうからだ。

まだ、サラやミレーマの姿は見えない。

このまま、二人とも現れない可能性は十分にある。8時まで待って、誰も来なければ帰ろう。私はぼんやりとそんな事を考えた。相変わらず外は冷え込んでいるが、ママが貸してくれた茶色のコートのお蔭で昨日ほど寒さは感じない。

私は時間を潰すためなんとなく向かいの花屋に並んだ花々を眺めている事にした。


「あっ、エーデルちゃん、早いね」

突然、隣から聞き覚えのある声がした。私が振りむと隣には同じクラスの男が立っていた。名前は思い出せない。

「あっ、・・・・あのっ・・・」私は訳が分からず、声を詰まらせてしまった。

「もしかして、サラちゃんとミレーマちゃんは僕が来ること言ってなかった?」

彼は緊張感の無い声で言った。名前は分からないが、彼の事は記憶にある。いつも自分の指を噛んでいる変わった子だ。今も左手の中指をかじっている。

「きっ、・・・・・・聞いてないよ・・・・」私は正直に言った。

「やっぱり。じゃあ、改めて云うよ。今日は僕も一緒だからね」

「ところで、僕の名前分かる?」彼は突然頭を傾け、私の方を凝視しながら言った。

正直、なんだか怖い。彼は私をいじめていた男の方のグループの一人だ。彼自身にされた事といえば罰ゲームの告白くらいなので、特に恨みがあるわけではないが、彼の行動が、放っている雰囲気が、口調が、なんとなく苦手だった。


私は彼の問いに対して、首を横に振って答えた。

「じゃあ、自己紹介させて貰うよ。僕の名前はウルリヒ・ルーディ・フォルバッハ。好きな食べ物はチョコレートパフェ。嫌いなものは・・・特にないよ!」

彼は聞いてもいないのに勝手に自己紹介を始めた。

「今日は皆でお食事。楽しみだなぁ」彼は両手を擦りながらそう口にした。

「みっ・・・・・皆って?」私はその言葉が気になって、そう聞き返した。『皆』という言葉と彼ウルリヒが居るという事は・・・・・

「ニコラス、エグモント、サラちゃんにミレーマちゃん、エーデルちゃん。そして、僕だよ。もしかして、ニコラスとエグモントの事も聞いてない?」

私は絶句した。ニコラスは私とすれ違う度に足を引っ掛け、転んだ私を見て高笑いしていた男だ。エグモントは私がママとパパから誕生日プレンゼントに貰ったキラキラのペンを無理やり奪い取ってボキボキに破壊したり、お守りとしてファイルに入れていた両親と映っていた写真をファイルごと燃やしたり、階段から突き落とそうとしたり、一番辛かったのはママに作って貰ったお弁当の中身をゴミ箱に捨てられた事だ。

まさか、ニコラスとエグモントもくるなんて。エグモント、ニコラス、サラ、ミレーマ。彼らが揃うなんて私にとって悪夢そのものだ。今すぐ帰りたい。


「顔が蒼くなってるけど、大丈夫? もしかして、僕のせい?」

ウルリヒが呑気な声でそう言った。人の気も知らずに気楽で本当に羨ましい。

「分かった、お詫びに僕が超面白い話してあげる。この前人気のない道を歩いてたらね、通りのゴミ箱からバナナの皮だけはみ出してて、僕がそこをすれ違うのとほぼ同時にはみだしてバナナが・・・ブフッ。なんと、バナナがポロって落ちたんだよ! 僕が通ったタイミングでちょうどバナナが! アハハハハハハハ」


「・・・・・・・・・」

「あれ、そんなに面白くなかった?」

とりあえず、ウルリヒが独特の感性を持っているらしいと云う事は分かった。

もう本当に帰りたい。


「他の話にする?」彼が言った。

「・・・・・もういいよ」私はそう答え、彼がもう話しかけてこないように俯いた。

積極的に話しかけてくれるのは嬉しいがやっぱり、苦手だ。


それから、しばらく時間が経った。待ち合わせの時間まで後5分程だが、まだ残りのメンバーは来ない。隣ではウルリヒが暇そうに自分の左手を噛み続けている。

彼の左指はどれも歯型がついており、先ほどから噛んでいる中指に限っては既に見ていて痛いほど赤くなっていた。実際、痛いだろう。

「あれ、 僕の顔に何かついてる?」彼は私の視線に気付き、上半身を傾け私にそう問いかけた。いちいち行動が怖い。私は素早く首を横に振った。すると、彼は「そう」とだけ言い姿勢を戻して、再び指を噛み始めた。


彼と二人で並んで立っていると何か精神に来るものがある。

私は出来るだけウルリヒを見ない様に心がけて時間を過ごすことにした。

「あっ」突然、彼が素っ頓狂な声を上げた。何かと思い彼の方を見ると、先ほどまで噛んでいた中指の先端あたりから血が流れ、彼の手を赤く染めていた。

「だっ、だっ、だだだ、だっ、大・・・大丈夫?」

私はあまりの光景に何度も言葉を詰まらせながら、そう口にした。

「うん、大丈夫。大丈夫だけどティッシュ1枚貰える?」

彼は至って普通の口調でそう言った。

私は震えながら彼に持っていたティッシュを差し出した。

「ありがとー」彼は呑気にそう言って貰ったティッシュを傷口に当てた。傷口に当てられたティッシュはみるみるうちに赤く染まっていく。

「たまにやっちゃうんだよねぇ」彼は指の処置をしながら独り言のように口にした。

「ゆっ、指噛むの・・やっ、止められないの?」

本当はこんな直接的なことは言いたくないが、自分の指を出血するまで噛み続ける彼の姿を見ては言葉を呑み込むことができなかった。

「僕も止めたいと思ってるんだけど、気付いたら噛んでるんだよね!」

彼はなぜか自信満々の表情で元気一杯に言った。何が楽しいんだ。

「てっ、手袋を付けるとかはどうかな?」

「手袋は美味しくないから嫌だよ」


「・・・・・・・・」

少なくとも私の力では彼の悪癖を止めるのは無理だ。私はなんとなく悟った。


更に時間は進み、待ち合わせの時間が過ぎ、しばらくの時間が経った。


ちなみに、ウルリヒは懲りずに噛む指を変え、今度は人差し指を噛んでいる。

まだ彼らは来ない。もしかしたら、このままウルリヒと共に放置される新手のいじめかもしれない。ママにはサラとミレーマを信じてみたいと言ったが、今となってはそんな思いは殆ど残っていない。


「遅いねぇ。テレビゲームで忙しいのかな?」

ウルリヒが不意にそう口にした。もしそんな理由だったら許さない。

「もう先にお店入っちゃおうか。僕、もう立ってるの疲れたし」

ウルリヒはそう言って半ば強引に私の手を引っ張り、店に入ろうとした。


「ひっ!」私はその時、思わず声を上げてしまった。

というのも彼が私の腕を掴んだ手は左手。つまり、さんざ噛んで唾液が大量についていて、おまけに血まで滴っている手だ。一瞬、背筋に電気が走った。

「あっ、ごめん。ちょっと、力強かったかな?」

『そういう問題じゃない!』私は心の中で叫んだ。

「それじゃあ、改めて」

彼が再び左手で私の腕を掴もうとしたので、私はほぼ反射的に手を引っ込めた。

「さっ・・・・先に入って」私は言った。


お店に入ると、すぐに紅茶の優しい香りが鼻についた。

内装は如何にも高級レストランと云った感じで、天井からはオレンジに光るシャンデリア、壁には綺麗な油絵が額に収まっており、柱にはピカピカの鏡が備え付けられ、床に敷かれた絨毯は靴が少し沈み込むほどフカフカだ。窓は一つもなく外観から完全に隔絶された落ち着いた空間になっていた。

お客さんの方も絵に描いたような紳士や淑女ばかりだ。子供の客は見渡す限りどこにもいない。どう考えても子供だけで食事をする場所じゃない。


「ねっ、ねぇ。今日の夕食を食べる所って本当にここなの・・?」

私は心配になって、ウルリヒの服の裾を引っ張りそう聞いた。

「そうだよ、お金はサラちゃんとミレーマちゃんが出してくれるんだって!」

ウルリヒが嬉しそうに言った。駄目だ、死ぬほど心配だ。

私はポケットから自分の財布を取り出し、中身を確認した。ママに渡して貰った5ユーロ、私にとってはかなりの大金だ。しかし、店の雰囲気から察するに一品でも料理を頼めばお金が足りなくなるだろう。もし、二人がお金を払ってくれなかったら・・・そう考えるだけで背中の方が寒くなる。


「エーデルちゃん、行こ」

そんな事を考えてるうちにウルリヒはウェイターの人に席を案内されていた。彼の左手が再び私の腕をガッチリと掴み、勧められた席へと引っ張る。左手が・・・・・

不意に掴まれると避けられないから、本当に止めて欲しい。彼から流れる血と涎が混ざったぬちょぬちょの液体が私の腕にベットリと付着する。正直、泣きそうだ。


とりあえず、先導されるがままに案内されたテーブルの前に着に着くと、突然ウェイトレスの男の人が脚を止めた。

何かと思うと、そのウェイターの人は丁寧にテーブルの下に収まっていた椅子を手前に引いた。ウルリヒはその行為がさも当たり前の様に特に気にすることなく引かれた椅子に座った。続いてウルリヒとは向かいの椅子を引いた。


「どうぞ、お座りください」

ウェイトレスの男の人は私に向かって笑顔を向け言った。顔はかなり整っており、店の雰囲気と完全にマッチしている。

「あっ、・・・・あのっ、ありがとうございます・・」

私は椅子に座りウェイターの人に頭を下げた。うちのレストランではお客様の席を引いてあげるサービスなど全くない。これが高級レストランの本物のサービスかと感心してしまう。それと同時にもう一度財布の中身を確認した。


そうこうしているうちにさっきのウェイターの人が二人分のメニューを見やすいように広げた状態で私たちの手前に置いた。それが終わるとすぐに同じく顔の整ったウェイトレスの人が私たちの横にグラスに入った水とおしぼりを置いた。

そのウェイトレスの人は左目に眼帯をつけていたが、かなりの美人で同性の私でも息を飲むほどだ。なんとなく当たりを見渡すと、予想通りこのレストランにいるウェイターとウェイトレスの人は全員美女やイケメンと呼ばれる部類の人たちだった。

私は柱に付いている鏡を見て、ガクっと肩を落とした。私には多分高級レストランで働くのは一生無理だろう。


とりあえず、ウルリヒの涎を拭くのが先決だ。私は貰ったおしぼりでゴシゴシと腕を擦った。当然おしぼりに血も付く、貰ったおしぼりが紙おしぼりで本当に良かった。

私はウルリヒの涎を拭いたおしぼりをテーブルクロスに触れない様、入っていた袋に戻した。全くどうして私がこんな目に・・・・・・


「どうしたの? 早く何か頼もうよ」

手前の席から呑気な声が聞こえた。『誰のせいだ』と言いたいところだが、我慢してメニューに視線を落とすと、憎らしいほどどの料理も私の所持金の倍以上の値段になっていた。私は眉をしかめドリンクのページを見た。オレンジジュース4.8ユーロ・・・・私の手は震えた、背中に悪寒が走る。

それからどのページを見てもソフトドリンクより安いメニューは存在しなかった。

おかしい、何かおかしい。私は何度も何度もページをめくった。しかし、いくら探しても4.8ユーロより安いメニューがない。うなじ当たりから冷たい汗が伝っていくのを感じた。自腹ではオレンジジュース飲んで終わりだ。酷い。


「何頼むか決まった?」ウルリヒがそう聞いてきた。ここまで来て、何も頼まないのは悪いと云うか、お店に対して無礼な気がするのでオレンジジュースを頼もう。

私は小さく頷いた。すると、先ほどのウェイターの人が私の行動に合わせたかのようにテーブルに向かってきた。まだ呼んでもいないのに。

「お客様、それでは御注文を伺います」ウェイターの人は丁寧な口調でそれでいてはっきりと言った。

「えーとね、カボチャのスープと地中海シーフドサラダ、ラムラックグリル。ドリンクはメロンソーダで、デザートはグレープフルーツのババロアとフルーツタルト、抹茶パフェにキャラメルプリンね。エーデルちゃんは?」

ウルリヒはこんなに頼んでサラとミレーマが来なかったら、どうするつもりだろう。

「ねっ、ねぇ、もう少し注文減らした方が・・・・・」

私はウルリヒにソッと耳打ちした。

「大丈夫、大丈夫。全部食べれるから!」彼は自信満々に言った。

違う、そういう事じゃない。

「お客様は如何なさいますか?」私がウルリヒに二の句を告ごうとする前にウェイターの人が私に向かってそう口にした。

「あっ・・・・あの。おりゅ・・・・オレンジジュースで・・・・・」

「お料理の方は?」

「・・・・・・まっ、まだいいです」

「かしこまりました。それでは繰り返させて頂きます¦¦¦¦¦¦」

私は注文を終え、溜息をついた。緊張するとオレンジジュースもまともに発音出来なくなってしまうのか。我ながら嫌気がさしてしまう。

ウルリヒの方を見ると、既に自分の指を噛む作業を再開させていた。

場所が場所だけに途中でつまみ出されないかとても心配だ。

そんな事を考えているうちにオレンジジュースとメロンソーダが運ばれてきた。


「こちらお飲物になります」ウェイターの人が笑顔でそう言った。

さて、4.8ユーロのオレンジジュースとはどれだけ美味しいものなのだろう。

私は息を呑んで、ストローにゆっくりと口をつけた。・・・・・・・・・ちょっと、すっぱい。別においしくない訳ではないが、すっぱい。

それに加えてなんとなく重く、口通りがよくない。

多分、果汁がかなり多いのだろう。


これなら、うちのレストランのオレンジジュースの方がおいしい様な気がする。

ちなみにうちのオレンジジュースは一杯1ユーロぽっきりだ。

どうも貧乏舌に高級な飲み物は合わないらしい。

私はいつの間にか少し眉をしかめていた。

「おいしくなかった?」そんな私を見てか、向かいのウルリヒがそう言った。

「じゃあ、僕のと交換してあげるよ!」彼は自分のメロンソーダと私のオレンジジュースの位置を無理やり入れ替えた。

ウルリヒはストローを使わずグラスに直接口をつけた飲むタイプの人間で、メロンソーダのグラスのへりにくっきりと彼の口の形に涎がついている。最早、軽い嫌がらせだ。そもそも、私は炭酸が飲めない。

「あっ、・・・あのっ、私・・・・炭酸苦手だから・・・・・・」

私はそれだけ言って2つのドリンクを元の位置に戻した。

「そうなんだ、じゃあ僕と同じだね!」

ウルリヒは嬉しそうに親指を立て、そう叫んだ。

「え?」考える前にその言葉が出た。

「ふふーん、何で炭酸が嫌いなくせにメロンソーダ頼んでんだコイツって思ってるでしょ!」あぁ、全くその通り。

「僕はね、敢えて苦手なものを飲むことで、いつか克服し更なる高みに行こうとしてるんだよ、すごいでしょ!」

苦手を克服しようとする姿勢は私も見習わなければいけないが、あえて高級レストランでそれをやろうと思うことがちょっと理解できない。

大体、更なる高みって何だ・・・・・・。

全くと言っていいほど同年代の人と話す機会がなかった私だが、多分世間からみてもウルリヒはどこかズレてる気がする。

こんなに理解に苦しむ相手はそうはいないだろう。もう本当に帰りたい。

「にしても、皆遅いね。どうしちゃったのかな?」ウルリヒが先ほどとはうって変わって寂しそうな顔で言った。

「もっ、もしかしたら、来ないかも・・・・・・・・」私は言った。

「それは困るなぁ。ちょっと、ニコラスに電話してみよっか」

ウルリヒはおもむらに鞄から携帯を取り出した。・・・・あるなら最初から使って欲しかった。

「あっ、待って。ニコラスからメールが来てる。何々、『三〇分遅れるから、先に店に入ってろ』だって。このメールが来たのが7時55分だから・・・・あと5分くらいで来るみたい!」彼は嬉しそうに言った。

「めっ、メール来てるの・・・わっ、分からなかったの?」

「僕はいつもサイレントモードだからね!」

何でちょっと得意げなんだ。私は右手で頭を押さえ俯いた。

それにしても、本当にニコラス、エグモント、サラ、ミレーマが来るかもしれない。

それを想像したら、急に恐怖に襲われた。今まで彼らにやられた事が一気に頭を過る。同時に一昨日サラに付けられた額の傷がずきずきと痛みだす。

まだ僅かにサラやミレーマを信じたい気持ちがあるが、それを遥かに上回るほどの恐怖が私の体を包み込んでいく。今までウルリヒの奇行のお蔭で恐怖が隠れてしまっていたのだ。ママにはああ言ったが私はこれ以上傷付きたくない。


今ならまだ間に合う。今から家に戻れば新たな傷が増えることはない。

始めから私たちは友だちじゃない、なら今更嫌われて陰口を言われても構わない。

私は深呼吸してから拳を握りしめ、覚悟を決めて席から立ち上がった。




立ち上がった瞬間、肩が何者かに押さえつけられ席に戻されてしまった。


「待たせて悪かったね、エーデル」

私の真横にいたのはサラだった。

後にはニコラス、エグモント、ミレーマもいる。

頭の先から血の気がサッーと引いていくのが分かった。遅かったのだ。


「遅いから先にお料理頼んじゃったけど、いいよね?」

ウルリヒは今の私の心境など見ず知らずで呑気に言った。

「いやぁ、今日はサラちゃんとミレーマちゃんが奢ってくれるって言うから一杯頼んじゃったよ!」更にウルリヒは嬉しそうにそう続けた。


「待て待て待て、何でお前の分まで二人が奢ることになってるんだ。エーデルの分だけお金出すって話になってただろ。お前は何を聞いてたんだ」

ニコラスは呆れ顔で言った。なんとなくだが嘘を言っている感じではなかった。

「えぇええええええ! もう頼んじゃったよ!」

「いや、知らねーよ。ちゃんと、話聞いておけよ」

「そんなぁあぁああああ」

ウルリヒはだらしない声を上げ、バックから財布を取り出し先ほどの私の様に残金の確認を始めた。

まぁ、ウルリヒの事は置いておいて、私はニコラスの『エーデルの分だけお金出す』という言葉が気になる。ウルリヒの言った通りサラとミレーマが私の分のお金を出してくれるという事だろうか。もしそうだとしたら、彼女たちは本当に謝罪の気持ちがあるのかもしれない。でも、今までの経験からすれば今のくだりすら、私を陥れるための罠かもしれない。


「俺らが信じられねぇって面してんな。なんなら今てめぇが注文した料理の総計言ってみろ。この場で金出してやるからよ」

私の心を見透かしたようにエグモントは私に睨みを利かせ言った。

「よっ・・・・4.8ユーロ・・・・」私は言った。

「何、あんた。ドリンクしか頼んでないの?」

サラは少し怒った口調で言った。私は無言で頷いた。

「はぁー、信用されてないって辛いねぇ~」

サラは頭を押さえ、上を向きかなり大袈裟に悲しんでいるような素振りを見せた。正直、あんまり辛そうには見えない。

「まっ、これで少しは信用して貰えるんじゃない」

ミレーマはそう言うと自分の財布から1.2ユーローを出し、私の前に置いた。

それに続き、サラも財布から1.2ユーローを取り出し、私の前に置いた。

そして、ニコラスやエグモントまで財布からお金を出し、それを私に差し出した。

「あっ・・・・・えっ・・あのっ、こっ・・・・・これは?」私は言った。

「お前の分は俺たちで出すって言っただろ、それだよ」

私は言葉を失った。はっきり言ってまだ彼らを完全に信用した訳ではないが、確かに私の目の前には4.8ユーロがある。

「まぁさ。私たちあんたにさんざ酷い事してきたし、それのお詫びって事」

サラが言った。

「そういう事。だから、今日は遠慮なくどんどん料理頼んでいいぜ」

ニコラスが得意気にひとさし指を振りながら言った。

「これで許して貰おうなんてむしのいいことは思ってないけど、せめてもの気持ち」

ミレーマが言った。

「これ以上続けて、夜道でブスリなんてされたら堪らねぇからな。この前、4人で相談したんだよ」エグモントが言う。

「だからさ、これからは普通の友達になろ」

サラは私の方に手を差し伸べた。その顔はいつもより穏やかに見えた。


私の体は激しく震えた。サラが言った言葉は間違いなく私が一番に待ち望んでいた言葉だろう。だから、それ故に怖かった。今すぐ手を伸ばして彼女の手を握りたいのに過去の記憶が、一昨日の傷がそれを拒むのだ。


信じたいのに、信じられない。目の前に差し伸べられた手に応えられないのだ。

私は自分の手を抑えたまま蹲ってしまった。

「いきなり友達は無理か。まぁ、これから学校で話しながら少しずつ打ち解けていこ」サラは少し残念そうに言って、差し伸べた手を下げた。


「あっ・・・・あっ・・あのっ、ごめんなさい」私は途切れ途切れでそう謝罪した。

本当は信じたいし、友達になりたいのだ・・・・・・・・でも、怖いのだ。


「いいよ、さんざ酷い事してきたんだ。いきなり、普通に友達になろうって言われたってそりゃあ困るだろうし」ミレーマが溜息交じりにそう口にした。


私は嬉しかった。彼女たちの言葉が本当ならこれからは年頃の少女として普通に学校に通い、普通に友達とお喋りをして、普通の道を歩むことが出来るだろう。

普通が普通の人には分からないかもしれないが、普通から外れている人間にとっては普通であることはとても素晴らしい事なのだ。


ただ今までさんざ不幸な目に遭わされてきた私の頭からは最悪の結末が頭から離れないのだ。全ては私を陥れるための嘘かもしれない。


しかし、そんな心配も薄れてしまうほどに今回の夕食会は『普通』に進んだ。

サラとミレーマには趣味や観ているテレビなど色々な事を質問された。それから、サラが家で飼っているという猫の写真を見せて貰った。種類はアメショでその子がぬいぐるみと並んでいる写真だった。あまりに可愛すぎて声を上げてしまった。エグモントとニコラスからは学校の教師の愚痴やちょっとした自慢話なようなものを聞かされた。友達同士がするような『普通』の会話。それは私にとってとても幸せなものだった。私はいつの間にか笑顔になっていた。『このままなら本当に友達になれるかもしれない』そう思えた。


ただ私がサラ、ミレーマ、ニコラス、エグモントと打ち解けていく程に目の前に座っているウルリヒの表情が曇っていくようだった。

ウルリヒは殆ど食べるのに夢中だったが会話にも多少は混じっていた。それでも、なんとなく、というか明らかに私と二人きりでいる時より声のトーンが落ちていた。


私がサラ、ミレーマ、ニコラス、エグモントと仲良しになるのが気に入らなかったのだろうか。とにかく彼の態度がとても気にかかった。

「この後のことだけど、皆で肝試しでもいかね?」

突然、ニコラスが身を乗り出し言った。もちろん怖がりな私は大反対だ。

「俺は構わねぇぜ」エグモントが言った。

「僕はどっちでもいいよ」ウルリヒが言った。

「だるいからパース」サラが言った。

「どうせ暇だし、あたしは別にいいよ。それよりサラ、あんた『だるい』とか言って本当はビビってるんじゃない?」ミレーマがサラの方を見ながらいやらしく笑った。

「は? 全然ビビってる訳じゃないんですけど。肝試しくらい何ともないから。そこまで言うなら私も行くよ」

サラはミレーマにそう言い返した。


すると、5人の視線はまだ行くどうかを宣言していない私に集まった。

その瞬間、心臓の鼓動が一気に加速し、息が苦しくなった。

「あっ、・・・・・あのっ、・・えっ、あああ、・・・わた・・・」

私は行きたくないと言うつもりだった。

「もちろん、お前も来るよな?」エグモントが私に鋭い目つきを向けた。

「あっ・・・・あっ・・・あっ・・・・・」声が出ない。

「まさか、俺たちの事まだ疑ってんのか。お前がそもそも俺らと和解する気がないなら、もう一生俺らとお前は仲良く出来ないだろうな。お前と仲直りするために食事会まで開いてやったのに。そういう事なら別に無理矢理来なくていいんだぜ」

エグモントが言った。その表情は、声色は、私を苛めている時と殆ど同じだった。

断りたい気持ちは山々だが、ここまで言われては断る事は出来ない。

ちょっぴり、暗い所を歩くのを我慢するだけ。暗い所を歩くのを我慢するだけ。

大体、今回は皆がついている。独りじゃない。少し我慢すればいいだけ。

これで皆と友達になれるなら。


「わっ・・・・・私も行く!」私は叫んだ。

「そうこなくっちゃなぁ」エグモントが言った。すると、サラ、ミレーマ、ニコラスの顔が同時に笑顔になった。


しかし、ウルリヒだけは笑っていなかった。それどころか私の位置からでも分かるほど顎に力を入れ自分の親指を力一杯噛み私を思い切り睨んでいた。

その眼は先ほどのエグモントの視線よりも鋭く、深く、恐ろしかった。



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