第36話(3-3-1)
「おーい、そっちにイヤホンカバー落ちて_____________ 」
「あああああああああああああああああああ!!!!!!!」
私は悲鳴を上げてタオルを思い切り抱きしめた。二段ベッドの上から逆さまに顔を覗かせたのは見間違いようがなく、あの雨の日に材木置き場で見たあの真紅の目の肌の白い幽霊だった。血の様に紅い眼、真っ白な肌と真っ白な髪、どうして、どうして・・・・。私は震えながら目を背けた。息が苦しい。上にルミナスがいるから、完全に油断していた。蒼い眼のあの子とも違う。彼女は一体何者なんだ。怖い。ただ怖い。
「・・・なっ、なあ、いきなり上から逆さまに顔出したのは悪かったけど、流石にそこまで怖がらなくてもいいだろ。ちょっと、傷付いたんだけど」
____? ルミナスの声がした、タオルを抱きしめたまま恐る恐る声がする方を見た。
「ひゃっ!」
ルミナスの声がする方を見ると、そこにはルミナスではなく紅い眼の少女が今度は正しい向きで私のベッドの柵に手を掛けこっちを見ていた。私は慌てて、目を瞑って壁の方に首を向けた。ルミナスの声真似までするなんて、『悪魔』だ、これがエラ・ノヴァさんの言っていた『悪魔』に違いない。怖い、怖過ぎる。確かにちょっと、いや、だいぶ、ルミナスに似ているが・・・・・目の色が根本的に違う、いや、でも、それ以外は殆ど、ルミナスだ・・・・あれ?
私は恐る恐る、タオルに隠れながらもう一度彼女を見た。何度見ても、ルミナスではなく紅い眼の少女だ。でも、彼女の目が緑なら、きっと、ルミナスと見分けがつかない気がする。なにせ、ルミナスも髪も肌も真っ白だ。でも、ルミナスの髪には黒いストリークが一本入っている。だから、やっぱり、目の前の少女は・・・・。
「そんなに怖いか、この眼?」
紅い眼の少女が言った。あれ・・・・。彼女の口から出る声は間違いなくルミナスの声だった。震えながらもう少し顔を出して見る。
「あっ、・・・あっ、あの、ルっ、るっ、るっ、・・ルミナス?」
私はおそるおそる口にする。
「そりゃそうだろ。他に誰かいたら俺だって怖ぇわ」
紅い眼の少女が言った。
「ほっ、ほんと?」
「当たり前だろ。ちょっと、そこで待ってろ」
紅い眼の少女はそう言って、一旦、二段ベッドの上側に登って、すぐ戻ってきた。戻ってきた少女の目は左が紅く、右が緑になっていた。
「緑がコンタクトで、紅が裸眼。これで納得したか? あと、今、付いてないけど黒のストリークはエクステな」
半分紅い眼の少女と半分ルミナスが言った。でも、こうなるともう殆どルミナスだ。9割方ルミナスだ。でも、紅い眼の方はやっぱり、怖い。
「るっ、るっ、ルミナスは、れっ、レーヴェニヒにきっ、来たことある?」
少しだけ呼吸が元に戻った私は目の前の殆どルミナスに聞いてみた。
「ルルルルミナス……ごめん、何でもない。レーヴェニヒなら一ヶ月前くらいにパトロールで行ったぜ。あの日は空振りだったから、なんとなく1人で歌ってたな、うん」
・・・・・。
「るっ、ルミナスはそっ、その時、こっ、コンタクト、外してなかった?」
「あー外してた、外してた。雨の日、コンタクト外して、外で歌うの好きなんだ。なんか、心が落ち着くって云うか、冷静になれるって云うかさ」
「・・・・・・。そっ、その日、猫と一緒にいた女の子に合わなかった?」
「あー若干、覚えてる。ちょうど、今のお前みたいに俺の顔見た途端ビビって逃げ出した子がいて、あの時もかなり傷ついたわ。おまけにその子が連れてた猫に追撃されるし、散々だったぜ。にしても、何でお前そんな事、知ってるんだ?」
「・・・・・。そっ、その子の顔、おっ、思い出せない・・・?」
「いや、それは無理。紅い眼のままじゃ人の顔もロクに認識できないもん」
「そっ、そうなんだ・・・・」
私はそう言って、抱きしめていたタオルを一旦ベッドに置き、目の前のもう9割9分ルミナスの右手にゆっくり手を添えた。それはあの日の紅い眼の少女と違い暖かかった。
「あっ、あの日は、つっ、冷たかったのに、今日は暖かい・・・・・」
私は小さく口にした。
「あっ、お前、もしかして・・・・あの時、逃げ出した女の子か?」
ルミナスが何かを察したように言った。
「たっ、多分・・・・・」
「なるほどな。通りで俺と逃げたあの子しか知らない様な事を知ってる筈だ。それじゃあ、手があの時より暖かいのは当然だろ。だって、あの時の俺は傘も差さずにずっと雨に打たれたんだからさ、そりゃ手も冷たくなってるわ」
彼女はそう言って、緑のコンタクトを外して、突然、歌いだした。
彼女の歌は優しくて、どこまでも澄んでいて、深く、そして悲しげで、吸い込まれる魔法のようだった。あの日、私が聞いた歌は、まさにこの歌だった。私が今までずっと怯えていた存在は彼女だったのだ。今、目の前で歌っている彼女こそ紅い眼の少女そのものだったのだ。彼女は歌を口ずさんだまま、ゆっくりと自分の右手の指を私の左手の指に絡める。その指は、その手は、とても暖かかった。歌っている彼女は普段の彼女とはまるで別人のようだった。普段のルミナスは元気で活発でちょっとお調子者の少女だが、歌っている彼女は静かで、穏やかで、どこか悲しげだ。こんな美少女の、こんな綺麗な歌声を私なんかが独り占めしていいのか本気で思えてしまうほどだ。生で聞いているからこそと云う事もあるだろうが、私はテレビの中も含め、彼女より歌が上手い人間を知らない。知らなかった事とは云え、私はこんな美しい歌姫の事を二度も傷つけてしまっていたのだ。
彼女の雪の様に白くて美しい顔立ちと、透き通った歌を聞いているうちについさっきまで感じていた恐怖とは別の意味で胸が高鳴ってきた。なんだか、身体の奥の方が熱くなって、もぞもぞしてきた。彼女が絡めた指を動かすと、それに合わせてもぞもぞの波がくる。ちょっと、危ない感じだ。私は両腿で毛布をギュッと挟み、なんとかもぞもぞを抑え込もうとするが、なかなか収まらない。それどころかサビに近付くにつれ、絡める指の動きはより大きく、声の強弱はより鮮明になり、むずむずがじわじわと広がってくる。目を逸らせば、収まるのだろうが、ここでそれをしてしまったら3回目の失礼になってしまう。流石にそんな事はできない。こっ、ここはなんとか我慢しないと。
「これで慣れたか?」
多分、歌が終わったあたりで、彼女は声だけいつものルミナスに戻って言った。
「うっ、うっ・・・・・うっ・・・・うん」
慌てながら私は言った。違う意味でまだ胸が高鳴っている。
「それじゃあ、もう、驚かないでくれよな。俺だって、人並みに傷付くんだからな」
彼女はそう言って、絡めた指をスっと離した。
「うっ、うん・・・・」
彼女が手を離すと、身体の奥の熱はスっーと引いて行き、むずむずも抜け、胸の高鳴りも少しずつ落ち着きを取り戻し始めた。安心したような、寂しいような変な気持ちだ。
「でっ、俺、何でお前に声掛けたんだっけ?」
私の今の感情など全く知る由もない彼女は呑気にそう口にした。
「えっ、えっ、えっと、たっ、多分、いっ、イヤホンカバーがどうとかって・・・」
「そうそれだ、ちょっと、探してくれよ。多分、落ちてきてるはずだから」
こうして、白い歌姫はすぐにいつものルミナスに戻った。白い歌姫は魅力的だが、そのせいで変に意識してしまうので、やっぱり、ルミナスはこっちの方が、普段のルミナスの方が落ち着く気がする。白い歌姫はなんだか危険だ。
そんなことがあったが、ルミナスとはうまくやっていけそうで良かった。ここに来たばかりの時の続きでモコと同じ部屋になるものとばかり考えていたので、最初に聞いた時はショックだったが、今は相部屋の相手がルミナスになって本当に良かったと思う。もし、相部屋の相手がルミナスじゃなかったら、きっと、私は雨の日の紅い眼の少女の真相を知る事なく一生怯え続けていたはずだ。今日、私の大きなトラウマがひとつ消えたのだ。あの日から死ぬほど怯え続けていた少女と同じ部屋で寝るなんて、過去の私はきっと夢にも思わないだろう。今日が彼女と過ごす初めての夜なのだが、なんだかぐっすり眠れそうだ。




