第34話(3-2-1)
『どうぞ傍にいらして下さい』
周りが白い大きなタイルに覆われた広いドーム状の空間の真ん中に操作盤のようなものがひとつポツンとある。この部屋に入った直後その前に立っていた女性が私に背を向けたまま静かに口にした。
『ラヴィンロール、いえ、エーデル・ヴァインデンヘラー。ようこそ、マザー・セレステへ。あなたを歓迎しましょう』
正面に向いた女性は同性の私が見ても一瞬息を呑んでしまう程、神秘的で、美しく見えた。彼女は純白のドレスと純白のマントを身に纏っており、髪は白と茶色がちょうど真ん中あたりで半分半分になっていて、胸元辺りまでスラっと伸びている。目は髪が茶色の方は蒼く、白の方は真紅でどちらも長い睫毛がピンと跳ねていて、とっても美人に見える。そしてなにより、髪質も目の色も全く違うがどこか雰囲気がうちのママに似ていた。ただ真紅の目と綺麗に跳ねた白い睫毛が、白い髪が、私のトラウマを、あの雨の日に見た、肌が異様に白い真紅の目の少女を思い起こさせる。
『ふふっ、素敵な外見でしょう。これは未来に現れるであろう。救世の女神を真似た姿なのですよ。私は自由に姿を変えられますが、この外見が一番気に入っています。差し支えなければ、この姿のまま話を進めてよろしいでしょうか』
彼女は少し微笑んでから、優しい口調で言った。私は首を縦に振って応えた。
『外見』が変えられると云う点に関して、私はさほど驚かなかった。というのも事前に彼女が人工知能で、今、目の前に映る彼女が立体映像だと、6階の人たちが聞いていたからだ。でも、やっぱり、初めて見る立体映像は驚かずにはいられない。私の知らない間に映画の世界でしか見た事がないこんな技術まで実現していたなんて。
『それではご厚意に甘えてこの姿で話を進めさせていただきます。まず、既にお聞きになっていると存じますが、少しだけ私自身の紹介をさせていただきます。私の名前はエラ・ノヴァ。教会の全ての『天装』を司るハイコンピューターを内蔵した人工知能でございます。今、テンプル騎士団となろうとするあなたに、今まで我々が隠していた全てをお教えします』
彼女は落ち着いた口調で言った。
『少し長く退屈な話になるかもしれませんが、どうかご容赦ください。これはあなたにとって必要な話なのです』
そして、一度、深呼吸をしてから言った。
『『魔女』や『カガリト』と云う言葉をうっかり誰かが漏らしたのをあなたは聞いていたでしょう。それらが何者なのか、そもそもテンプル騎士団とはなんなのか。今、ここで全てを話しましょう。ただここでした話を外の人間に一切話をしてはいけません。騎士団の再結成からおよそ四世紀、我々が守り続けた大切な秘密なのです。もし口外が発覚した場合、あなたはもちろんのこと、話を聞いた人間も処罰しなくてはなりません』
彼女はそれからそう続けた。私は息を呑んだ。全てはラーレさんの言葉から始まった。彼女がもらした『魔女』と云う言葉、ジェシカたちが硬く口を閉ざした『魔女』と『カガリト』、それらがなんなのか、やっと分かる日が来たのだ。確かに知りたいと思っていたが、ジェシカの忠告もあり、知るのが恐い。秘密を洩らせば、殺されてしまうなんて・・・・。しかし、それ以上にこの話を聞いたらもう後戻り出来なくなってしまう、どこに戻れなくなってしまうのかは正直私にも分からない。でも、もう戻れなくなってしまう気がするのだ。それが私には恐ろしく感じた。
『心中お察しします。未知を知る事は必ずしも良い事とは限りません。知らない方が、見えない方が、返って気楽に過ごせたと思う事もあるでしょう。他の方にはあまりこのような提案はしないのですが、あなたは特別です。今なら、ここが、引き返す最後のチャンスです。ここから去り、ここでの全てを忘れて生きるのです。私にはそのための準備があります。ここで引き返しても誰もあなたを責めさせはしません。選択してください。今、ここで。時間は充分にあります』
彼女は私の心を見透かしたように言った。無意識に手が震える。知りたい、でも、知りたくない。6階の人たちにあれだけ良くしてもらい、終いには同年代の子たちに合格パーティーまで開いて貰った。それなのにここから逃げる・・・・。そんな事が許されるだろうか。だいたい、ここで出会った皆を今更忘れて生きるなんて・・・・。でも、怖い。怖いけど、まだ皆と一緒にいたい。また皆で笑い合いたい。しかし、その選択肢を取れば、きっと更なる困難が私を襲うだろう。それでも、それでも、______。
「はっ、話を、続けてください!」
私は叫んだ。すると、彼女は今までの優しい表情とうって変わった冷たく突き刺さるような視線を私に送った。
『ここにいなくてもあなたはすぐに沢山の仲間に囲まれるでしょう。そして、長い長い人生のたった一ヶ月の記憶など労なく忘れ去ることが出来るでしょう。それでも、『秘密』を知る道を、我々と共に茨の道を進むというのですか?』
彼女は少し怒っていると感じられるほど強い口調で言った。
彼女の強い口調と雰囲気に心が揺らぎそうになる。それでも、私は選ぶんだ。
「続けてください!」私はもう一度叫んだ。
『一度進めた時計の針は二度とも元に戻す事は出来ませんよ』
私を睨み続けながら、尚も彼女が揺さぶる。
「そっ、それでも、知りたいです。知らなくちゃいけない気がするんです!」
私は叫ぶ。
『__________そうですか。分かりました。ここまで言っても引き返す意志はないのですね。ならば、いいでしょう。『魔女』と『カガリト』、そして、我々、『テンプル騎士団』の話をしましょう』
私の決意を確認した彼女は一度、ドームの天井を眺めてから改めて言った。私は息を呑んだ。今から彼女がする話を一言一句忘れずに心に刻み込まなくてはいけないそんな気がするのだ。
『ことの起こりは四世紀前、当時のちょうどあなたほどの年齢の少女たちが集団で幻覚を見たと云う事件から始まりした。何人もの少女が人心を惑わす『魔女』だと認定され、無実の罪で断罪されました。現在、この事件は孤立主義、宗教の過激化、集団ヒステリーの危険性を示す重要な警鐘として現代まで語り継がれています。しかし、この事件には世間に知らされていない真相があったのです。この事件は本物の『魔女』が、いずれ魔女となる『カガリト』がただ1人で仕組んだ事件だったのです。彼女の名前は『アン・パットモア』、始まりの『カガリト』であり、最初の『魔女』と言われています。最初に彼女の悪事に気付いたのは当時教会の末端にいたユングとフィヨードでした。彼らは事件が起きた町で『幻覚を見ていない』少女たちに聞き取りをしていました。その中で2人はその町の有力者の娘であるパットモア家のアンの話を聞き、そこで彼女に対して不信感を覚えたのです。まるで事件を楽しんでいるような発言。その発言を聞いてから二人は未だ処刑とされていない幻覚を見たと云う少女たちにアンの事を聞いて回ったのです。そして、疑いは確信へと変わっていったのです』
『アンから話を聞いた少女が幻覚を見て、その少女がその事を他の少女に伝え、その他の少女がまた幻覚を見る。その繰り返しだったのです。そして、どんなに話を辿ってもいつも最後に辿り着くのはアンでした。二人はこの事件にアンが関わっているのは間違いないとみて、後日、彼女を問い詰めようとしましたが、町の権力者の娘ということもあり教会の末端であった二人はすぐ追い返されてしまいました。そして、まさに、その翌日の早朝、教会の十字架に磔にされ、息絶えたフィヨードが発見されたのです』
彼女がそう語ったところで、私は再び息を呑んだ。
『その事件によりユングの確信はより確固たるものになったのです。当然、彼はこの事を教会の上の人間に話しましたが、誰一人信用しようとせず、それどころか危うく『魔女』の仲間と疑われそうになってしまうほどでした。なので、彼は以後口を噤み、一人で戦う事を決意したのです。必ず友の仇を討つと、アンを、元凶を、必ず断つため。彼はただ一人その機会を待ち続けました。彼は目的のため、唇を噛みながら何人もの被害者の少女たちが処刑されるのを見送りました』
『そして、ついにその時は来たのです。収穫祭の日、その日は町の人間が総出になる日です。その日の夜、アンが数人の護衛を引き連れ席を立った一瞬を彼は見逃しませんでした。アンたちが人混みから消え茂みに入った瞬間、彼は彼女の背中をマスケット銃で撃ち抜きました。そして、反応した護衛を素早く討ち倒し、彼女に迫りました。しかし、彼女は銃弾を背中からまともに喰らったにも関わらず、ときどき少しよろめく程度で、どんどん森の中に逃げて行きます。そんな彼女の背中をユングは何度も打ち抜きましたが、それでも彼女は止まりませんでした。そして、そんな彼女をひたすら追っているうちにいつの間にか彼は見知らぬ空間に迷い込んでしまっていたのです。その場所について後の彼の手記には『地獄を体現したような恐ろしい場所であった』とだけ記されています。その場所のユングが立っている少し先で一度立ち止まったアンは突然苦しむようにのたうち回り始めたのです。彼はやっと自分の弾丸が効きはじめたのだと思いましたが、そうではありませんでした。彼女は呪い言葉を口にしながら、苦しみながら、彼の目の前で到底人間とは思えない異形に姿を変えたのでした。彼はそれを見て、思いました。これが本物の『魔女』だと、これが友の仇、全ての元凶だと。彼は戦いました。そして、死闘の末、その異形を見事討ち果たしのです。異形を討ち果たすと、不思議な空間は霧が晴れた様に静かに消えてなくなり、彼は元の暗い森に戻っていました。その後、彼は達成感と疲労感からしばらく茫然と立ち尽くしていました。そんな彼を迎えたのは銃声を聞いた沢山の衛兵たちでした。彼はアンが残した多数の血痕から彼女の殺害容疑を掛けられ、後日、誰にも真実を認めて貰えないまま間違った判決を受け処刑されてしまったのです』
彼女の、エラ・ノヴァさんの話は客観的に聞いていれば完全にお伽噺のような話だったが、私にはそうは思えなかった。私には彼女の話から思い当たる節がいくつもあった。幻覚に、私を食べようとした異形の夢。ありえない話なのに、この話が真実だと思えて仕方がなかった。
『しかし、彼の意志は消えませんでした。処刑されたユングの身辺整理を頼まれていたロベロは偶然彼の手記を見つけます。彼の手記にはくだんの事件の真相、本物の『魔女』についての事が事細かく記されていました。当初、ロベロ自身も気の触れた男の妄言だと深く考えていませんでしたが、巷で頻発する怪事件も人を惑わし、別の空間に誘い込む『魔女』の仕業だと考えれば説明がつくのではないかと思い始めました。やがて、彼はそんな怪事件を追っているうちにユングの手記にあったような異形と出会うのです。その異形を討ち果たした彼は、その少女のフリをしていた『魔女』の自宅を捜索し、怪事件の犯人である事を仄めかすような手記、犯行に使われたであろう確固たる証拠を見つけました。後日、彼はそれを高らかに掲げ、その街に本物の『魔女』がいたことを民衆に知らしめました。その時、既に高い地位に上り詰めていた彼の発言と確固たる証拠により、民衆たちは戸惑いながらもその存在を認めたのでした』
『しかし、それは思わぬ悲劇を招いたのです。本物の魔女の存在が明るみになった事で、街で『魔女狩り』が始まってしまったのです。そして、そこではユングの町と同様に多くの無実の少女の血が流れたのです。この悲劇こそ、この悲劇を繰り返さないために生まれたものこそ、『秘密』なのです。以後、彼は『魔女』を倒すための同志を密かに集い、やがて、それが新しい『テンプル騎士団』となりました。そして、その新しい『テンプル騎士団』に入るものには必ず『秘密』を『魔女』の存在を明るみにしない事を誓わせました。悲劇を繰り返さないために_____とまあ我々が何者なのかどうして『秘密』が必要なのかについての説明はこんなところです』
私はこれからテンプル騎士団になる。それがどういうとこなのか彼女の話からなんとなく見えて来てしまった。その事実に私は言葉を失い、思わず両手で口を覆って固まってしまった。
少し考えてみれば分かった事だ、『騎士団』とは戦う人たちの事だ。今までしてきた訓練は全部『魔女』と戦うための訓練だったのだ。バラバラに散らばったパズルたちが次々とハマって行き、一つの絵を見せようとしているのが分かる。ジェシカもエレクタも、ルミナスやミーミルも、カスケードたちも、その他の皆も、皆、誰にも知られない場所で人々を見えざる脅威から守るために命を賭ける誇り高き『騎士』だったのだ。だから、こんな豪華なお城が用意されていたのだ。そう思うと全ての辻褄があってしまう。私はその事実に震えが止まらなかった。何度も病院の廃墟で異形に食べられそうになった事を思いだす、何度も幻覚に現れた少女を思い出す。
『受け入れがたいかもしれません、しかし、これは真実なのです。我々は、そして、この話を聞いてしまったあなたもユングやロベロ意志を継ぐ『騎士』なのです。今日、今、この瞬間から、あなたは平和のために自らの命を捧げる『騎士』になったのです』
私は言葉が紡げなかった。異形には心当たりがあった。その異形と戦う事になるなんて夢にも思わなかったからだ。あんな恐ろしい存在に私が立ち迎えるはずがない。私に出来る筈がない。ここの皆は私が思っているよりずっと凄くて、ずっと偉い人たちだったのだ。私は自分の選択の重大さにやっと気付いた。後出しの事実とは云え、彼女は何度も、戻る事を勧めてくれた。それでも、私は選んだのだ。全部、私、自身の責任だ。私の予感は正しかったのだ。後に戻る道はもう消えてしまった。




