第31話(2-6-4)
こうやって冷たい大理石にうつ伏せになって倒れるのは何度目だろう。いつの間にか、空気は冷たく、漏れる吐息は白い。何度も氷の様な冷たい手に掴まれ回数を重ねるごとに手首の感覚が遠のいて行っている。冷たい空気は肺に少しずつ刺さり、パイプオルガンから流れるボレロが虚しく残酷にあたりに響き渡る。私は結局何も出来ないのだろうか。お世話になっている人たちの悪口を好き勝手言われ、それを無様に地面に突っ伏したまま聞いている事しか出来ないのだろうか。それでいいのだろうか。それは皆に誇れる自分なのだろうか。きっと、そうじゃない_____。
目の前に折られたナイフの刃が落ちていた。フィンブルさんが私が立てなくなった後に『退屈です』と言って、拾い上げなんとなく折ったものだ。3回前のデスの時の話だ。何か、何か、フィンブルさんに一泡吹かせてやりたい。6階の人たちの事を悪く言った事を後悔させてやりたい。どうにか、どうにか・・・・・・・・。ここは仮想世界何度死んでも同じ場所に蘇る。今のところは自殺以外の禁止事項は用意されていない。つまり、この体は多分いくら傷付いても問題ない。つまり、・・・・・私の頭の中にあるひとつの考えがよぎった。この考えはもしかしたら本当にフィンブルさんに傷を一つ作れるかもしれない。でも、この世界だから出来るズルみたいなものだ。でも、禁止されている行為ではない。でも、どんなに気を付けても、たとえ成功しても、ひたすら痛い思いをするだろう。それでも、お世話になっている人たちを悪く言われて黙って帰されるよりずっとマシなはず。・・・・・・やるんだ、怖くても、痛くても。
私はなんとか立ち上がり、魔法のナイフホルダーからナイフを抜き取り、唇を噛み思い切り口を縛る。多分、身体も精神もこれで限界だ。これが最後。私は口を縛ったまま両手でナイフを握り持てる全ての力を込めて、退屈そうに突っ立っているフィンブルさんに向けて突撃した。
「そんな獣のような攻撃をなんど繰り返しても無意味です」
彼女は呆れた様子でそう言い放ち、あっさり私の渾身の突進を避け、ついでに足を引っ掛け私を床に倒した。最早、お決まりのパターンだ。痛い。
私は狂いそうになるような痛みに耐えながら、すぐにうつ伏せから仰向けの姿勢にひっくり返り、魔法のナイフホルダーからナイフを素早く投げつけた。当然、これもあっさり素手でキャッチされてしまう。この時に傷が付けばいいのにと思うが、何度やっても彼女はそんなヘマは起こさない。私がホルダーに手を伸ばした瞬間、ナイフが飛んできて床と私の右手を上手に縫い付けた。痛い、痛い、痛い、痛い。でも、我慢しないと、もう少し、もう少し。
「学習しない愚かな獣にはまだお仕置きが必要なようですね」
彼女は私の左手を自分の膝で押し潰し、身動きが取れないようにしてからゆったりと私の腰に着いたナイフホルダーに手を伸ばす______。ここだ、今しかない!
私は固く閉じていた口の封印を解き、口の中をズタボロに引き裂かれながらなんとか隠し持っていた折れたナイフの刃を彼女の顔に向かって吹きつけた。反応する間なんてなく、それは見事に、読み通り、彼女の頬に命中した。彼女の頬からドス黒い血がベットリと落ちる・・・・・・。でも、なんだろう。凄い嫌な予感がする。彼女は今まで見た事もないような真顔になり、震える様にポケットからハンカチを取りゆっくりと頬拭った。そして、自分の頬から流れる血を確認した。その後、信じられない様な素振りで自分の頬なぞった・・・・・・・私の嫌な予感は当たってしまったのだ。彼女の頬には傷一つ付いてなかったのだ。多分、私の血で刃が滑ってしまい、うまく切れなかったのだ。それにしても、私の口はよく切れた。これじゃあ喋ることもできない。それどころか一度開いてしまった口を閉じるのも苦労しそうだ。私は口から血をだばだばと垂れ流しながら、近くにいるのに遠くにいる人を見ている様にフィンブルさんを無気力に眺めていた。もうこれ以上のチャンスは二度と来ないだろう。惜しかった。そういう事にしておこう。痛みの感覚すらだんだん麻痺してきた。
なんとなく眺めていたフィンブルさんは不意に自分の顔を両手で覆い。顔を上げた。そして、両手を開けると、気でも触れてしまったかのように大笑いを始めた。それはもうパイプオルガンから流れるボレロを打ち消すほどの大笑いだ。冷たい空間一杯に狂ったような笑い声が響き渡る。もう全然止まる気配がない。最早、私がこのまま出血多量でデスする方が早そうな勢いだ。痛みも、視界も、耳に入る音も、もう全てがボヤけている。
しかし、不意に狂ったような笑い声が止んだ事は分かった。ボヤける視界の中、彼女がこちらに近づいてくる。きっと、私にトドメを刺しにきたのだろう。彼女は口から血を垂れ流しながら横たわる私を丁寧に起こし、しっかりと抱きしめた。
「よく頑張りました、傷こそ付きませんでしたが大したものです」
彼女は私の耳元で確かにそう囁き、そのまま私を強く抱きしめ、殺した。
生き返ってもなんとなく口の中が切れた感覚が抜けない。それに初めてここに来た時よりだいぶ空気も冷たく、手が悴んできた。パイプオルガンが流れるボレロもより鋭く聞こえる。とっておきの捨て身の作戦も結局駄目だった。当然、もう同じ手は使えないだろう。考えないと、考えないと。次の手を考えないと・・・・・。
そう思っている内に、フィンブルさんがカツカツと大理石を鳴らしながら近付いてきた。
「やはり、ノクターン様の仰った通りでした。あなたには既にこの教会の一員としての最低限の能力は備わっているのです。僅か一ヶ月で素人がここまで動ける様になるとは驚きを隠せません。それはキュウ様やリヴァイア、そして、手厚いサポートをしてくれた6階の皆様に感謝なさい。ならば、なぜあなたが前回のテストで落ちてしまったか。それは、端的に言えば『やる気』がなかったのです。ノクターン様との特訓の時ほどあなたは『危機感』を感じながらテストに望んでいましたか? 今日の私との演習の時ほどの『決意』を抱いていましたか? あなたは今日仲間を侮辱した私に一泡吹かせたいと『決意』を胸にして私に向かってきたはずです。『危機感』と『決意』を宿すのです、それが、きっと、それだけが、ふにゃふにゃなあなたの『やる気』を起こしてくれるのです」
フィンブルさんは襲い掛かってくるかと思ったが、一定の距離で立ち止まり。そう口にした。そう言われると確かにその通りかもしれないと思えた。テストの時はノクターンさんやフィンブルさんと相対している時ほどに必死にはなれていなかった。えっと、・・・つまり、・・・・フィンブルさんは私に『やる気』を出すためにわざとあんな事を言っていたという事だろうか・・・・・なんだか、混乱してきた。
「あっ・・・・あのっ、そっ、それじゃあ、・・・・その、始まった時に、その言っていたことは・・・・そのっ・・」
思わず、聞いてしまった。
「マッド先生は通名通りマッドサイエンティストだと思っているのは事実ですし、ビゴさんはお節介がすぎると確かに思っています。加えてアイが政府に破棄された人工知能である事も事実ですし、スマイルは子供のサイクロプスに見えますし、ヨルゲは薬で発作を抑えられているにも関わらず居づらさ感じると発作が出たフリをして逃げてしまう悪い癖が本当にありますし、エレクタはラジコンそのものでしょう。それにジェシカちゃんに可愛げがないと思っているのも事実です。これらは全て本心です、ご安心を」
何がご安心をなんだろう・・・・と云うか、結局、本当に思っていたんだ。
「しかし」
6階の皆の悪口を一通り言い直した後、彼女はそう続けた。
「あなたを『改造人間』にして、仲間に引き込もうなどそんな事は一切ありえないでしょうね。100%と言っても過言ではないでしょう。彼らは自分たちがどれだけの『痛み』を伴い、『改造人間』に変えられたか一番理解していますし、彼らは自分を受けた『痛み』を他の人間にも味あわせたいと思うような程度の低い人間ではありませんから。もし、教会がそれを強行しようとするなら本当にクーデターすら起こしかねません」
彼女はいつもと変わらないお人形の様な表情で言った。それは嘘には聞こえなかった。単純な悪口より、私はそれが一番頭にきていた。6階の皆がそんな人たちだと言われた事が許せなかった。でも、それは彼女が私を焚き付けるためにわざとやってくれた事だったのだ。なんだか、そう思ったら、全身の力が抜けてしまった。
私は全身の力が抜け、一瞬、フラついてからその場でストンっと腰が落ち、尻もちをついてしまった。寒いと、お尻の骨にすごい響く。でも、一番の悪口がデタラメだと分かって、気持ちは沈まなかった。
「ふふっ、大丈夫ですか」
フィンブルさんが優しい笑顔で手を差し伸べてくれた。
冷たっ! 忘れてた!
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「あっ、丁度いい時に帰ってきてくれましたね。今、休憩室でちょうどエレクタさんたちが休んでいるので、折角なのでそちらで夕食をとるのはいかがです?」
特訓を終えて6階に戻るなり、アイさんが言った。そういえば、私は6階で今いるこの保健室より奥の部屋に行った事がない。是非、行ってみたい。私はすぐに頷いた。
保健室の向こうは病院を彷彿とさせる廊下になっていて、扉が左右にズラっと並んでいる。そのうちのひとつに私は案内された。休憩室は会議室に流しと冷蔵庫とウォーターサーバを無理やり設置したような場所だった。
「丁度良いタイミングで戻ってきたので連れてきちゃいました!」
扉を開けるなりアイさんが元気な声で言った。すると、大きめのタブレットで何かの動画を見ていたであろうエレクタとジェシカとスマイルの3人が一斉にこちらを見た。不意打ちでスマイルの顔にビックリしたのは内緒だ。
「噂の本人が来たな」
ジェシカが言った。噂の本人?
「ちょうど、今、シュミレーターの過去ログにハッキングしてラヴィの特訓がどんなだったか拝見してたんだよ」エレクタが言った。
「いやぁ、やっぱりフィンブルさんの煽りは天下一品だね。あの人は人が嫌がりそうなことをすぐ見つけて、それで焚き付けるのが本当に上手いんだ」スマイルが言った。
「お前、サイクロプスって言われた事、気にしてんのか?」
「しっ、してないよ。ただ本当に人を焚き付けるのが上手いなぁって」
「ラヴィってば親の仇を見る様な目になってたもんね」
・・・・そんな怖い目をしていたのか。
いや、それはともかく今日の訓練の一部始終を見てこの和気あいあいとした反応という事はやっぱり本当にフィンブルさんは私を『やる気』にさせるために悪役を演じてくれていたんだ。個人への悪口はだいたい本物だったけど。そう思うとまた少し安心できた。
「じぇっ・・・・・ジェシカたちは、そのっ、いつも、このくらいの時間に、ごっ、ご飯食べてたんだね・・・だっ、だから、一緒に夕飯を食べることが、そのっ、一度もなかったんだね」
食べかけの食器たちと時計を見て私は言った。今は夕方の6時をちょっと過ぎたくらいの時間だ。そして、特訓が終わった私がここに戻ってくるのはだいたい7時過ぎだった。だから、一緒に食べる機会が一度もなかったのだ。
「まあまちまちだが、だいたい夕飯はいつもこれくらいの時間だな」
「私は機械の身体だから食べられませーん」
「ちょっと、エレクタ、そういうのはやめよう」
「あはははは。冗談、冗談」
「笑えないぞ」
とっ、とにかく、今日は皆と一緒にいられる。それは単純にとても幸せだ。保健室のベットでご飯を食べるのは嫌でもなんなく疎外感を感じてしまっていたから。今日は、いや、今日も死ぬ気で頑張ったから神様がご褒美をくれたのかもしれない。
「さぁさぁ、スマイルさんにジェシカちゃん、お食事の途中で席を立つのはマナーが悪いですよ。ちゃんと、お席に戻って下さいね」
アイさんが二人を優しく叱った。それから、二人は席に戻り、すぐに私のご飯も来て、5人で他愛ないお喋りをしながら楽しい夕食の時間を過ごした。この何気ない楽しい時間が私の中の『決意』を強く確かな物にするのに十分なものだった。皆と一緒にいたい、皆と笑い合っていたい。やっぱり、これが私の『決意』だ。そのためにこれから何度でも死ぬ気になろう。何度でも。
次の日からテスト前日まで私はノクターンさんとフィンブルさんにとてもとても可愛がってもらった。もちろん、よくない意味で。ノクターンさんの拷問紛いの殺害方法で何度も痛めつけられ、現実では存在しないはずの傷がずきずき痛み始めたり、フィンブルさんの氷の手に何度も手を掴まれ冷えや、悴みが現実世界まで消えない事もしばしあった。何度も心が折れそうになったが、歯を食いしばり、『決意』を思い出し、なんとか乗り切った。そして、当日『もし今回も合格出来ない時はお別れの前に利き手の指を全て折らせていただきます。では、ご健闘を』と駄目押しに『危機感』も頂いた。『危機感』と『決意』は私を熱くした。前回と比べて私は自分でも分かるほどよく動けた。合格基準が分からないので未だどうかは分からないが、残すはシャトルランのみとなった。これが最後なので全てを出し切ろう。全てを。
広い体育館に私と測定の先生しかいない。私は深呼吸をした。息が詰まるような静寂を破り、開始のカウトダウンが始まった。
5,4,3,2,1________。私はママやパパに、フランに、皆に恥ずかしくない人になるんだ。
私は走り出した。と言っても、もちろん、最初はペースを抑えながら、ノクターンさんに無限に追い回された持久力が活きる時だ。それから、46回目まで特に問題なく進んだ。そろそろ少し速度を上げないといけないかもしれない。前回はこのあたりで既に横腹が痛くなってきていたが、今回はまだ大丈夫だ。
前回の61回を越えた当たりから少し息が上がってきた。苦しい、でも、まだ走れる。
70を越えたところからいよいよ息をつく余裕もなくなってきた。でも、きっとまだ足りない。もっと、もっと、走り続けないと・・・・私は歯を食いしばり、鼻で思い切り空気を吸い込みスパートをかける事にした。
75を超えたところで、感覚的にテンポが一気に速くなった気がした。でも、まだぎりぎり対応できる。そう思って76回目に入るターンの時に上履きが滑って、体勢が崩れてしまった。あっ、倒れる_________。体が床に吸い込まれていくのをスローモーションで感じた。嘘だ、嘘だ、嘘だ・・・・・・・。こんなの・・・・・ここまで、・・・・ここまで頑張ったのに、こんなドジで終わり?・・・・・倒れる刹那、走馬灯のように頭に色々な事が巡った。床に倒れる直前に頭を過ったのは森の中から私を殺すために走ってきたノクターンさんの姿だった。殺される、殺される!!
次の瞬間、頭から床に激突した。しかし、その激突をトリガーにするように全身から電撃の様に力が迸り、私はその力のまま思い切り床を押し返し、痛みが来る前に既に殆ど体勢を立て直しかけていた。まだだ!!痛がっていたら、殺される!逃げるんだ!体中の血が煮え滾るような感覚がした。私はその感覚に身を任せ、体勢が完全に直るのと同時に走り抜けた。
そして、『ドレミファソラシド』の最後の『ド』までに白線を越えることができた。でも、これが終わりじゃない。倒れるまで、倒れるまで走り続けないと。左目の上あたりにたんこぶが出来たのか、視界も狭まった。鼻からは血が出ている。打ち付けた膝もズキズキと痛む。ボロボロで不恰好だけど、それでもいい。皆と一緒にいたい。皆に恥じない私になりたい。もうどうなってもいい。なんとか、なんとか、・・・・・このテストだけは。私のために、私を支えてくれた皆のために。
______もう少しで100回なのに・・・・・99回目の最後の白線を越える直前、不意に全身の力が抜け、再びゆっくりと体が床に吸い込まれる。今度は何の力も湧いて来そうにない。私は吸い込まれるまま床に激突した。それとほぼ同時に『ラ』の音が聞こえた。なんとか立ち上がろうとしたが、一気に吐き気が込み上げ床に膝と手をついたままその場で透明な液体を戻してしまった。少し血の混じった様な鉄っぽい味がした。そうしているうちすぐに最後の『ド』が聞こえた。終わった。・・・・終わった、心でそう思うとフワっと意識が丸ごと持って行かれるような感覚に襲われ、堪らず仰向けになった。
体育館の天井はどうしてこんな無駄に高いのだろう。薄れる意識の中そんなどうでもいい事を思った。やがて、視界がゆっくりと霞んでいき。耳障りなドレミの音も遠のいて行った。
「駄目だ、死んでる」
フワフワした何かで鼻をツンツンされた後に誰かがそう言ったのが聞こえた。この声はジェシカだ。私は目を開けた。
「蘇えった」
ジェシカが緊張感の無い声で言った。ジェシカは両手でポトシンくんのぬいぐるみを抱きかかえていた。ツンツンしたのはポトシンくんらしい。
「もージェシカちゃん!いい加減な事言わないでください!一瞬、ドキっとしちゃったじゃないですか!」アイさん怒って言った。
「それにしても、76回目のターン、よく持ち直せたな。多分、同年代でもあそこから持ち直せる奴は多くないだろう。まあそもそもあんなベタな転び方はしないが」
「あのージェシカちゃん、華麗に私の事をスルーしないでください!」
「少しからかっただけだ。いちいちピーピーうるさいロボットだなあ」
「不謹慎、不謹慎なジョークは容認できません!」
「容体がもっと重かったらそうだが、そうでもなかっただろ。頭の固い奴だな」
「私、確かに頭は固いですけど、思考は柔らかいです!・・・・・・・・・ちょっと、黙らないで下さいよ、ジェシカちゃん!」
「いや、なんかお前のちょっとうまい事言ってやったみたいな顔にイラっと来た」
・・・・この2人は仲が良いんだか、悪いんだか・・・・・でも、なんだか安心する。私の前でこんな緊張感の無い会話がなされているという事は_______多分、多分、本当に多分だが、きっと私は合格できたのだろう。シャトルランの合格ラインは100より前だったのだろう、多分。これで不合格だったらなんと云うか、2人の人間性と云うか、神経を疑わざる得なくなってしまう。
「とにかく、とにかく! ラヴィちゃんさん!なんと、なんと・・・・・」
「合格だったぞ。ハンドボール投げだけだいぶギリだったが」
「あっ、ちょっと折角私が溜めたのに、何でそんなサクっと言っちゃうんですか!?」
「もうこの感じで察しがつくだろ、普通」
こればっかりは残念ながらジェシカの言う通りだ。でも、なんとなく察しがついても、やっぱり、嬉しい・・・・・これで、私は皆と一緒になれるんだ。努力が、痛みがやっと報われたんだ・・・・一杯、迷惑も世話も掛けて、でも私はなんとか最後に期待に応えられたんだ・・・・私は、私は_______。
言葉を紡ぐ前に私はジェシカとアイさんに抱きついていた。体が痛むがどうでも良かった。そして感情が爆発したようにそのまま声を上げて泣いてしまった。
「ん、よく頑張った。偉いぞ」
ジェシカは短くそう言って、私の頭をポトシンくんで撫でた。
「この試練をよく耐えました。本当にすごいです」
それから、アイさんが言った。
「ありがとう、ありがとう____ありがとう___」
私は泣きながら二人を更に強く抱きしめた。今いるアイさんやジェシカだけじゃない。今の私は沢山の人に支えて貰ってここにいるんだ。本当に沢山の人が応援してくれた。だから、きっと私は不幸な少女じゃない。今の私は幸せだ。とっても幸せだ。
「とりあえず、お祝いパーティーは身体がこんな状態ですし、お預けですね」
私の涙と感情が落ち着いた頃を見計らってアイさんがそんな事を口にした。
「えっ・・・・あっ・・・あのっ」
「心配するな。お前が想像するような豪華なパーティーじゃない。休憩室でいつもよりちょっとだけ豪華な飯を皆で食べるだけだ」
「でも、・・・・・なんだか、わっ、悪いよ・・・・・」
「それも心配はありません。何せ、ここの人は皆パーティーが大好きですから!」
アイさんが両手を自分の腰に当てて自信満々に言った。
「パーティーが好きと云うより息抜きが必要なんだ。毎日、PCRに電気泳動、ノックアウト遺伝子を作らされたり、色んな方法でトランスフェクションしてねずみを虐めたり、とにかく気が滅入るんだ、ここの仕事は」
ジェシカが呆れたような口調で言った。凄い、最初の息抜きが必要と最後のねずみを虐めていると云う事以外何を言っているのかさっぱり理解できない。
「そういうわけですので細やかに楽しみにしていてください!」
アイさんが言った。アイさんもなんだか楽しそうだった。皆の気晴らしを兼ねているのなら確かに私なんかのために申し訳ないと云う気持ちはあんまり湧かずに済みそうだ。でも、実は生まれてこの方、ママとパパ以外とパーティーなんてしたことがないので何だか緊張する。年が近い同士のパーティーとはどんな感じなのだろうか・・・・。
そんな事を思っていると、不意にカーテンの隙間からリヴァイアがひょっこり顔を出していた。
「リヴァイア!」
私は大きな声で彼女を呼んだ。何を隠そう彼女は私の水泳の先生だ。彼女にもまあとてもとてもお世話になり、迷惑を掛けた。
「その様子なら大丈夫だったみたいね。体はボロボロだけど」
カーテンの隙間から少しだけ出てきて、リヴァイアが言った。
「リっ、リヴァイアも、そのっ、ほっ、本当に有難う!」
私がそう言うと、リヴァイアは一瞬固まってしまった。
「いや、こちらこそ礼を言うわ。私の面子はともかくキュウ先輩の顔に泥を塗らないでくれて。それに、その、あなたのおかげで個人的にキュウ先輩と話す機会も出来たし・・・・」
リヴァイアは最後の方だけ小さい声で言った。どうやら、私の存在が少しだけ彼女の得にもなっていたようだ。それは幸いだ。
「それで身体はどんな感じなの?」
「派手にすっ転んだだけだから見た目ほど大事になってない。この程度なら一晩寝れば平気だろう。一週間ほど少し痛みが残るくらいだな」
「そう。それじゃあ、記念のお食事会くらいは平気よね。プリンセッサが自分の部屋で細やかなお祝いでもって仰ってたから、明日の18時ごろ705号室に来てね」
リヴァイアが言った。リヴァイアだけでなく親衛隊と女王様には勉強面でかなりお世話になった。そんな彼女たちまでお祝いしてくれるなんて!
「ちょっと、ちょっと、勝手に決めないでください!ラヴィちゃんさんは明日のディナーはここでするので行けません!」
アイさんが少し怒った様子でリヴァイアに言った。なんだろう、雲行きが怪しくなってきた。よくない感じがする。
「じゃあ、ステーキはお昼に行こうか」
「そうだな、昼にステーキも悪くない」
突然、カーテンの隙間からミーミルとルミナスがひょっこり顔を出して言った。
「どっから湧いてきたのよ! だいたい、夜にディナーがあるって分かってるのに昼にステーキなんて食べれる訳ないでしょ!あんたら馬鹿ぁ!?!?!」
突然、乱入してきた二人に対してリヴァイアが大声で怒鳴った。
「あっ、馬鹿って言ったか?先に馬鹿って言った方が馬鹿なんだよ!」
ルミナスが言った。あーもう、めちゃくちゃだ。
「ステーキくらいうちで普通に用意があるし、ルミナスたちの案は論外として、ここの階のパーティーは別日にしてくれない。うち、足が速い物もあるし」
リヴァイアが言った。
「うっ、うちだって、早く食べないと腐っちゃう食べ物があります、多分。だいたい連日パーティーなんて疲れちゃって駄目です!」
議論が平行線を辿る中、痺れを切らしたジェシカが口を開いた。
「お前たちだけで議論してもラチが開かない。本人の意見を聞こう」
彼女はそう言って4人に私に注目するよう促した。4人は口論を止め、視線が一気に私に集まった。
突然、視線が集まった事で、気が動転して動悸がしてきた。でも、はっきりと言わないと、私の気持ち、私の気持ちは_______________。




