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Magia Lost in Nightmare  作者: 宇治村茶々
第2章 秘密の教会
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第28話(2-6-1)

私は・・・・・私は、色んな人に迷惑を掛けながら、色んな人に支えて貰いながら、励まして貰いながら、ここまで来た。そして、私は・・・・・私は、それを全て裏切った。期待に応える事が出来なかった。私は・・・・・最低だ・・。ママ、パパ・・出来の悪い駄目な娘でごめんなさい・・・・ママとパパの子どもなのに何も出来なくて。もう皆に顔向けできない。このまま消えてしまいたい・・・・。私は職員室の前の絨毯の敷き詰められた廊下で1枚の紙をぎゅっと握りしめ蹲って嗚咽を漏らした。




ただひたすら涙を流し、その場で蹲っていると誰かに顔を掴まれ無理矢理立たせられた。嗚咽しながらも涙を拭って顔を上げると、目の前に初日に見た目の細い修道服を着た背丈の高い女性が立っていた。彼女は無言で私が握りしめていた紙を奪い取った。


「敏しょう性、不可。筋力、不可。持久力、不可。巧緻性、不可・・・・」


彼女は紙をサラっと読み上げ、すぐに握り潰し、何も言わず私に平手打ちをした。

痛すぎた。間違いなく今までされた平手打ちの中で一番痛かった。衝撃で首が横に向いてしまう程だ。痛い・・・痛いけど、私が悪いんだ。私が悪いんだ。


「この恩知らずが!」

彼女はそう叫び再び私の顔を握りつぶすほどの勢いで鷲掴みし、そのままボールのように後ろに投げつけた。私の身体は床に叩き付けられ、数回転がった。全身の骨が壊れてしまうような痛みに襲われる。もし床が絨毯でなければ死んでいたかもしれない。でも、私が悪いんだ。私が、・・・・私が皆の想いを無駄にしたから。これは罰なんだ。


「よくも、よくも・・・・・よくもキュウ様の顔に泥を・・・・よくもっ!」

彼女は痛みで倒れたまま蹲る私の首を両手で掴み、何度も壁に叩き付ける。叩き付けられる度に廊下全体が揺らぐようだった。苦しい、痛い、苦しい、苦しい・・・でも、全部、自分のせいなんだ。このまま死ぬことになっても自分のせいなんだ・・・。私が悪いんだ・・・・・・。



「やめなさい、ノクターン」

遠くなる意識の中、誰かの声がした。その声が聞こえると、彼女は私の首からスっと手を離した。突然、手を離された事で私の身体は無気力にその場に崩れ落ちた。

「あなたは審問官なのだから、もう少し感情の制御を覚えるべきです」

止めにきてくれた女性が言った。確かこの人も初日に会った気がする・・・。

「おや、おや、マダムサーキス。御機嫌よう」

「サーキス先生とお呼びなさい。あなたが私の生徒であった事は変わらぬ事実なのですから」

「それではサーキス先生。審問官は教師より、上の立場である事をお忘れですか?」

「そういう問題ではありません。あなたの幼稚な行いを一人の大人として正そうとしているだけです。そんな事をしても何も解決しませんよ。そんな事をする前にもう少し頭を使って動くべきでは?」

それを聞くと、修道服の女の人は黙ってしまった。


「ご助言感謝します、サーキス先生」

修道服の女の人は数分の沈黙の後、止めに来た先生にそう言って軽く頭を下げ、ごく自然な流れで私の髪を片手で掴み、ほぼ立てないほどボロボロになった私を引き摺りながらエレベーターの方に向かった。訳が分からない、痛い。でも、これからどうなってもこのまま髪が千切れてなくなっても全部自業自得なんだ。


エレベーターに入ると、彼女は迷わず6階を押した。6階、・・・・エレクタやジェシカ、アイさんにビゴさん、スマイル、ヨルゲがいる階だ。皆、良くしてくれた人だ。それだけにもう顔向けできない。もう会いたくない・・・・でも、最早抵抗する気力も残っていない。私はエレベータの壁に寄りかかりながらボっーと階数が上がって行くのを見ていた。そして、6階についた。エレベーターの扉が開く。


髪を掴まれ、引き摺られながらエレベーターを出ると、開き切ったゲートの前で皆が待っていた。きっと、試験に合格した私が戻ってくるのを待っていてくれたんだ。皆で、胸がはち切れそうだ。私は、私は、この人たちを裏切った・・・・・・私は最低だ。再び、目から涙が溢れ出す。泣いても仕方がないのに、嗚咽が止まらない。



「ふっー・・・・、結果は見ての通りです。誠に遺憾な結果と言えるでしょう。このままではキュウ様の顔に泥が付いてしまいます。そして、それはあなたたちも同じなのでは?なので、ひとつ私から提案を持ってきました」

彼女は挨拶もなく、目の前に並んでいる人たちに語りかけた。

「朝、健康状態に問題があったから再試験にして欲しいと教師どもに口添えしろって話か。それなら、もう準備も嘘の証拠も用意してある。備えあれば憂いなしだ、全く」

ジェシカが呆れたように口にした。私は耳を疑った。

「なるほど。話が早くて助かります。それではビゴ、そのようにお願い致します。そしてここからの特訓は私が引き継ぎします」

それを聞いたビゴさんは眉を顰めた。

「もちろん、今から先生のところに行くわ・・・でも、・・・・・」

こんな険しい顔のビゴさんを初めて見た。いや、ビゴさんだけではない。皆、険しい顔をしている。


「わっ、私は、断固反対です!こんな怖い人にラヴィちゃんは預けられません!」

ビゴさんが二の句を接げず困っていると、アイさんが声を上げた。

「だいたい、何ですか。その傷は・・・ラヴィちゃんさんが何をしたって言うんですか!?」


「うるさい、ロボットですね。黙らせて下さい、ビゴ。それに特訓の件はあなた方に了解を求めた訳ではありません。ただの報告です。ここからは私が指導します」

彼女は冷たく言い放った。


「ノクターン・・・・ちゃんと手加減してあげてね」

ビゴさんはとても真剣な表情で彼女に言った。


「お断りします。それでは失礼」

ノクターンと呼ばれた女性は冷たく言い捨て、再び私の髪を掴んだ。


「ストップ、ストップ。ストップ、ノクターン先輩! せめて、ご飯はこっちで食べさせますから!」

エレベーターに乗ろうとするノクターンさんをエレクタが引き止めた。


「そうですね。餌は任せます」

それを聞いたノクターンさんはクルっと踵を返し、皆がいる方向に向かった。


「あっ、あのっ、先輩・・・・・ごっ、ご飯はうちでちゃんとあげますから・・・その、先輩は、部屋に戻っていただいて・・・・その、大丈夫ですよ。ちゃっ、ちゃんと送り届けますから・・・・はい。先輩は、戻っていただいて・・・・」

こんな弱気なヨルゲは初めて見た。まるで喋り方が私みたいだ。それだけこのノクターンと呼ばれる女性が恐ろしい人と云う事だろうか。

「食事中、彼女が環境に甘えない様に見張ります。キュウ様とリヴァイアの特訓で体の基礎は出来ているはずなのです。ですから、後はどれだけ自分を追い込めるかが重要だと考えています。なので、食事中も気が緩まない様に私が傍に」

「あー、いや、いや・・・・そんな食事中まで・・・・だいたい、そんなこと毎日やっていたら、先輩も疲れちゃいますし・・・・ラヴィちゃんの食事中くらいゆっくり自室で休んで頂いて・・・・」エレクタが必至だ。

「私の方針に意見するのですね?」

「・・・・むにゅっ・・・いえ。そんな事は」

「では、黙っていなさい」

「はい」

エレクタは言い負けてしまった。恐ろしい・・・・。

ジェシカはポトシンくんのぬいぐるみで顔を隠してしまっている。



「とっ、とにかく、私は先生たちのところに行ってくるわ」

ビゴさんはそう言って、エレベーターの前に立った。

「あっ、ビゴさん。私も手伝うよ」

「ぼっ、僕も一緒に・・・・」

ビゴさんにヨルゲとスマイルが続こうとした。


「あなたたちは必要ないでしょう」

ノクターンさんは呆れたような口調で2人の頭を鷲掴みし、彼らを引き戻した。



「あのっ・・・・・・」


エレベーターに乗ろうとするビゴさんを私が呼び止めた。


「ふふっ、大丈夫。教会も人手不足だから必ず再試験になるわ」


ビゴさんは微笑んでエレベーターに乗り込んだ。そして、扉が閉まる。



「それではケアロボット、早く彼女の餌を用意しなさい」

「あっ・・・あのっ、ノクターンさんも何か食べます?」

「必要ありません、早く行きなさい!」

「ヒェ・・・・・はい!」



それから、ノクターンさんの蛇のような目で見られながらとてもきまずい夕食をとっていると、ビゴさんがひょっこり戻ってきた。ちなみに、エレクタやジェシカ、アイさんはいるだけで私の気が緩むという事で追い出されてしまっている。

「どうでしたか?」

すぐにノクターンさんが聞いた。

「大丈夫だったわ。おまけに1週間下さるって」

ビゴさんが笑顔で答えた。私も思わず口が緩んだ。

「喜ぶのは合格してからにしなさい」

すぐにノクターンさんに頬を思い切り引っ張られた、痛い。

でも、その通りだ。もう何が何でもやるしかない。皆が、私のために用意してくれた最後のチャンス。本当の最後・・・・。今度こそ、今度こそ、絶対に、絶対に、期待に応えないと。もう皆に掛けた苦労を、これからも掛けていく苦労を無駄にはできない。もう一度、何度でもまたあの日の様に皆で遊びたい。もう失敗は許されない。




その日の夜、私はノクターンさんの部屋に連れて行かれた。ノクターンさんの部屋は7階にあり、今迄見たどの部屋よりも豪華な部屋だった。まず同じ部屋になぜか2階がある。床はなんだか分からないが高そうな白い大理石で、敷かれた絨毯は職員室付近の様にフカフカ、大きなテレビに如何にも高そうな純白のソファー、目の前には大きくて荘厳なオフィステーブル、その後ろには大きな木の棚がズラっと並んでいる。凄いお金持ちの社長が住んでいそうな部屋だ。


「おかえりなさいませ、ノクターン様」

部屋に入るとすぐに、整った服を着た人形のように綺麗な顔の女性が寄ってきてノクターンさんの上着を丁寧に脱がし、お洒落な衣紋掛けにそれを掛けた。メイドさんかもしれない。


「ノクターン様・・・・・その子は?」

こちらに戻ってきた人形の様に綺麗な顔のメイドさんらしき人は少し困った顔で言った。


「キュウ様の指導を無駄にしようとした、とんでもないドブネズミです。明日から私が代わりに根性を叩き直してやる事にしました。あなたにも協力して貰う事になるでしょうが、よろしいですね」

「もちろんです」

「それではこのドブネズミに部屋を案内してやってください。私は残った書類をもう少し片付けてから休みます。ドブネズミを寝かしつけたらあなたも休みなさい」

「かしこまりました。あまりご無理をなされぬよう」

人形のような女性は最後にそう言って、ノクターンさんに綺麗な会釈をした。ノクターンさんは落ち着いた表情で私から離れ、大きなオフィステーブルの方に向かった。私はそんな2人と荘厳な部屋にずっと圧倒されていた。


「それでは、『ドブネズミ』さん、浴室はこちらです」

ふと女性の方を見ると、彼女はとても綺麗な笑顔でそう言った。なんだろう、見た目によらず、この人も中々酷いことを言う。なんだか、お腹が痛い。


それから、浴室でシャワーを浴び寝巻に着替えた後、お客様用の寝室に案内された。

「ここが寝室になります。お客様用ですので好きに使われて構いません」

私、1人にはあまりにも大きすぎるベッドが目の前にある。それに高そうなランプ。つい昨日まで病院にあるようなベッドで全身に電極を繋がれながら寝ていたのにいきなりこんな部屋を案内されても困る。私は少し困った顔で女の人の顔を見た。


すると、突然女の人が身をかがませ綺麗な顔をズズいと私の顔の目の前まで持ってきた。


「はい、その通り。あなたはこの部屋にふさわしい人間ではありません。ですが、劣悪な環境で睡眠をとり、訓練の際に満足なパフォーマンスを出せなければ、あなたのようなドブネズミはまた不合格になってしまうでしょう。そうなれば、キュウ様は疎かノクターン様の顔にも泥が付いてしまいます。そのような事態は絶対回避しなければなりません。分かりますね、つまりここで充分な睡眠をとる事もあなたの訓練の一環なのです」


そして、目を大きく見開いて早口でそう話した。おおまかな内容はこの部屋のベッドで寝て良いと云うだけの内容なのになんだか全然喜べない。目が怖い。


「それではお休みなさい、ドブネズミさん」

彼女は話が終わると爽やかな微笑みと共にドアをバシャっと閉め、行ってしまった。



とりあえず、ベッドの隅に座った。お尻が沈む。これが噂の低反発と云うやつだろうか・・・そのまま後ろに倒れ込みベッドに背中を預けた。背中も沈んでいく。こんなに気持ち良いのに全然心が満たされないのはなぜだろう。自分のベッドで寝ていた頃が遠い過去の様に感じる。ママ、パパ・・・・・・ママ、パパ・・・・早く会いたい。絶対に合格してママやパパが恥じる事ない娘にならないと、ママ、パパ・・・・。




「お寝坊な、ドブネズミさん」

優しい口調の悪口と共に誰かが私に掛かった布団をゆっくりと剥した。そして、サっとカーテンを開ける。眩しい朝陽が私の顔を差した。少しだけ姿勢を起こし、目を少しだけ開くと昨日の人形の様な女性が立っていた。

「朝食の時間です。と言ってもあなたはいつもの特製ドリンクですが」

彼女はそう言った。なんだかこの人は本当にロボットみたいだ。初めて会った時のアイさんのような、上手くは表現できないが丁寧だが温もりの無い感じ。


そんな事をぼんやり考えながらボッーとしていると、突然、ピシャンと云う音が鳴った。一瞬、何が起こったか分からなかった。なぜか私の頭が横に向いている。そして、遅れて右頬がじんじんと痛みだした。慌てて前を向き直ると女の人が真顔で私を凝視していた。怖い、怖い・・・・・どうして・・・・・。


「『朝食の時間』と言ったのが聞こえませんでしたか?」

特に悪びれる様子もなく目の前の女性が言う。

「すっ・・・・・すっ、すみ、すみっ・・・・・すみっ・・・・・」

恐怖と困惑で謝罪の言葉が上手く紡げない。

すると、再びバチンっと音が鳴り、今度は左頬を叩かれ、そのまま私は右側に倒れ込んでしまった。痛い、痛い・・・・・何で、何で・・・・何で・・・痛い、痛い・・。

「ドブネズミさん、言いたい事ははっきりと口にしないといけません」

彼女は優しい口調を崩さず言った。嫌だ、痛い、怖過ぎる。なんだ、この人は、なんでこんな優しい顔のまま・・・・怖い。私は大変なところに連れてこられてしまったんだ。

「少しは目が冴えましたか。それでは行きましょう」

痛みを堪え、なんとか顔を上げると彼女にそう言われた。



なんとか、自分を奮い立たせ、泣きそうになりながらもすぐにベッドから降り彼女に付いて行くと既にノクターンさんがリビングダイニングのテーブルにつき豪華な朝ご飯を食べていた。テーブルの一角に不自然に例の水筒が置かれていた。多分、あの前が私の席と云うことだろう。私はノクターンさんに朝の挨拶をし、いつも通り「いただきます」を言って、例の水筒を取った。なんで、私は、こんな怖い2人と食卓を囲まなければいけないのだろう。


そんな事を思いながら豪華な朝食を見ながらおかずにして特製ドリンクを飲み進めていく。美味しそうなフレンチトーストにふわふわのスクランブルエッグ、まだ湯気が立っているアツアツなソーセージ、見るからにみずみずしくてシャキシャキとした美しいサラダ、真っ赤なトマトジュース、どれもとても美味しそうだ。でも、私も欲しいと言ったら絶対また叩かれる。


「はぁ。いつの日かキュウ様とこうして食卓を囲みたいものです」

「ノクターン様、またその話ですか」

「今日はおチビがいるので特にそう思うのです。ちょうど、このくらいに育った娘を優しく起こし、少し髪をとかしてあげてから朝食の席に着かせるのです。そして、娘は普通の世界で生き、学校であった他愛のない出来事を私たち夫婦に聞かせるのです。素敵だと思いませんか?」

「そうですね。でも、その時の朝食は自分で用意してくださいね・・・。そんな顔で見ないでください。当たり前じゃないですか。ノクターン様なら少し訓練すればすぐに上達して瞬く間に私を抜いてこれ以上の料理が出せるようになりますよ」

「検討しておきましょう」

「『前向きに』、検討しておいてくださいね。お手伝いさんの作る料理より絶対に妻の作る手料理の方が良いはずですから」

「果たして、そうでしょうか」

「絶対、そうです。特にキュウ様のような真面目な方は。想像してみてください、キュウ様が朝不意に『いつもありがとな』と言ってくれるのを、キュンっと来ませんか?」

「・・・来ます。そう言って指にキスをするところまで想像しました」

「なら、訓練あるのみですよ。夢を叶えましょう」


2人はまるで私などここに存在しないかのように明るくて女の子らしい会話していた。まだ怖い面しか知らなかったのでちょっと意外だった。とりあえず、このノクターンと云う人はキュウさんが大好きで、目の前の美味しそうな朝食を用意したのは人形の様な女性だと云う事、2人の距離が意外と近かったという事が分かった。2人の人間らしい一面が見えて私は少しだけ安心した。まだ叩かれた両頬がじんじんと痛むが。


「それにしても、ドブネズミ。あなたはよく眉ひとつ動かさずそれをグビグビと平気で飲むのですね。驚きを隠せません」

不意にノクターンさんが少し引いた様な表情で言った。私は言葉に詰まると、またぶたれると思い少し困った顔をした。実際、困っている。




朝食を済ませた私は大人一人がすっぽり入れそうな大きなカプセルがいっぱいに並んでいる不思議な部屋に連れてこられていた。


「ドブネズミ、あなたは仮想現実のゲームをプレイした事がありますか?」

大きな黒いカプセルの前でノクターンさんにそう聞かれた。私は首を振った。多分、大きなヘルメットを被ってよりリアルなゲームの世界を楽しめると云うアレだろう。残念ながらうちにそんな最新のゲームを買う余裕はなかった。


「そうですか。プレイした経験があるのなら説明の手間が省けると思ったのですが、それなら仕方がありませんね。多少の説明だけはしましょう。今、あなたの目の前に並んでいるカプセルは軍事用に開発された戦闘シュミレーターです。現在、市販されている仮想空間ゲームとは比べ物にならないほどのリアリティを誇っています。特に優れているのは『痛み』のレベルを加減できる事です。もちろん現実の人体に大きな影響が出ない程度の上限はありますが、『死』の危険と云うのを身近に感じて貰う事くらいは可能です。なので、あなたにはこの中で沢山『死んでもらい』、追い込まれ、キュウ様が養ったあなた自身のポテンシャルを発揮してもらいます。そして、試験当日この経験を思い出し意図的に自分の『心』を死の淵に追い込み、限界以上の力を出して貰うと云うのが目標です。分かりましたか?」


私は首を横に振った。何がなんだか全然分からない。でも、死にたくはない。


「まあ実際に体験すればお馬鹿でも少しは理解できるでしょう」

ノクターンさんはそう言って、目の前のカプセルの真ん中の黒いボタンを押した。カプセルが開くと、中にはコードが沢山ついた大きなヘルメットがぶら下がっており、多分手と足に付けるこれまた沢山のコードが繋がれたリストバンドが壁に設置されていた。

「次回からは自分で装着するのですよ」

ノクターンはそう言って、私に大きなヘルメットを被せ、両手首、両足首にリストバンドを付けた。何も見えない。なんだかガチャガチャして気持ち悪い。


「それでは中で会いましょう」

ノクターンさんがそう言ったのが聞こえ、遅れてカプセルが閉まる音が聞こえた。その瞬間、ヘルメットから何か細い注射針のようなものを頭に打ち込まれ激痛が走った。そして、音も無くなり全てが真っ暗になった。




暗闇の中で鳥の鳴き声が聞こえた。目を開けると、なんと私は森の中にいた。さっきまでカプセルの中にいたのに!

訳が分からなくなり、当たりを見回すが誰がどう見ても現実の森に私はいる。凄い、凄過ぎる。これが噂の仮想現実と云うことなのだろうか。いや、でもリアルすぎる。森の独特の少し湿った草っぽい匂いまでする。不意に落ち葉を拾ってみるが完全に感覚が現実のそれである。まるで夢でも見ているみたいだ。その場でジャンプしたり、クルっと回ってみたりしたが特に異常はない。これがゲームの中の世界とはとても思えない。

私はこの新しく現れた世界に感動しながら、無意味にピョコピョコとジャンプを繰り返した。



そうしていると、突然目の前の空間が歪んだ。そして、その歪んだ空間から揺らめきながらノクターンさんが現れた。


「無事、中に入れたようですね。それでは楽しいゲームの説明をしましょう。今から私がここで5分間待っていますので、あなたは出来る限り遠くへ逃げるなり、隠れるなりして下さい。捜索開始から15分間あなたが『死ななければ』あなたの勝ちです。その時点で訓練は終了としましょう。但し、私に殺された場合は『やり直し』です。またこの地点にあなたと私をリスポーンし、ゲームを再開します。私の時間の都合の限り、『やり直し』を続けます。ちなみにあなたがこの世界から出るスイッチは私が持っているので途中退場は許されません。良いですね?」くっきりとしたノクターンさんは現れてから間髪入れずにそんな事を言い始めた。


私は多分とても不安な顔をした。


「ふふっ、心配いりません。要するにただの鬼ごっこです。時計をあなたに渡しておきます。私の捜索開始と共にカウントが始まるので経過時間はそれで確認してください」

ノクターンさんがそう云うと、私の右腕に黒いモヤモヤが巻き付き、やがてそれが腕時計になった。凄い。



「それでは準備はいいですか」

私に腕時計が装着されたのを確認するとノクターンさんがそう言った。私は頷いた。訳が分からないけど、とにかく逃げればいいのだろう。やるしかない。



「さぁ、あなたの全てを懸けてお逃げなさい!」


ノクターンさんは辺りにこだますほどの大声でそう言い放ち、それから目を閉じ、カウントダウンを始めた。その自信に満ち溢れた声と言葉に底知れぬ恐怖を感じた。本当にあの人は私を『殺しに来る』そんな予感がした。その予感だけでいつもより脚が速く動いている気がする。心臓が高鳴る。嫌だ、死にたくない。逃げないと。


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