第14話(1-9-2)
目が覚めると私は暗闇の中にいた。
ここはどこだろう。
下はベッドみたいにフカフカだ。天国は地面が全てフカフカなのだろうか。
いや、こんな漆黒の世界が天国な訳はないだろう。このままこの恐ろしい暗闇を彷徨い続けなければならないと云うのだろうか。
他に誰かいないのだろうか。フランは、フランはどうなったのだろう。
私は出来るだけ小さい声でフランの名前をその場で何度も呼んだ。返事はなく、私の小さな声はすぐに漆黒に呑まれていった。
もう既に泣きそうだ。きっと、親より先に死んでしまったから、こんな闇の世界に来てしまったんだろう。でも、仕方がない。あそこでフランを見殺しにすると云う選択肢はなかったのだから。
とりあえず、今できる事は本当にこの世界に闇しかないのか探す事くらいだろう。
私は恐る恐る腰を上げ、手を前に出しながらおっかなびっくり進むことにした。
「あれ?」
たった二歩進んだところで、ぬいぐるみの様なものに触れた感触があった。しかも、知っている匂いがする。この造形と匂い・・・・これはラーレさんがゲームセンターで取ってくれたシロクマのぬいぐるみだ。なぜ、こんなところに・・・・。
何かがおかしい。
もしかして、ここは天国でも地獄の深淵でもなく私の部屋なのでは。
そんな疑惑が頭に生まれた。
もしそうならば、私が今立っているのは感触通りベッドだ。ここがベッドなら上の方に適当に手を振っていれば・・・・・あった。電気を点けるヒモだ。私はそれをいつもそうする様に引っ張った。
当たり前の様に明かりがともった。間違いがいようもなく私の部屋だ。反射的に時計を見ると、時間はフランと一緒に山に行き、そして深淵へともに落ちたあの日の20時になっていた。頭が混乱してきた。 全てが夢だったのだろうか。
夢にしてはあまりにもリアルだった。謎の男に追われた恐怖を、フランが木の下で眠りつき中々起きてくれず死んでしまったかと思った事を、鮮明に思い出せる。
しかし、私がベッドの上で目覚めたという事はやっぱり全てが私の夢だったのだろう。もしそうでなければ谷底に落ちたはずの私がここにいる理由がない。なんだかとても納得がいかないが、私が生きているという事はそういう事なのだろう。
ママが作り置きしといてくれたお昼ご飯を食べて、水筒を準備して、家を出て水筒に公園の水道水を入れてフランに会いに行った事を覚えている。フランとのやり取りもはっきり思い出せる。でも、家に帰って眠った記憶が全くない。最近、現実と夢の区別がどんどん曖昧になっている気がする。本当はフランに直接聞いて確かめたいが、明日はお店のお手伝いがある。いや、例え時間があったとしても私からフランに会いに行くには学校に行かなければいけない。
だから、夢の真相を確かめるためにはフランから会いに来てくれるのを待つしかない。フランの話を聞くまではこのモヤモヤした気持ちは消えないだろう。
そういえば、お腹が減った。夕飯は食べてないのかもしれない。
私は部屋を出てリビングに向かった。冷蔵を開けると、夕飯が丸いお皿の上に一つ盛りにされていた。そして、お昼ご飯用の四角い大きなお皿はない。つまり、お昼ご飯を食べたところまでは本当らしい。余計、混乱してきた。
とりあえず、フランに会うまではこの事を出来るだけ考えない事にしよう。きっと、慣れない登山で疲れ果てて家に帰って横になって悪い夢を見たのだろう。そんな記憶は全くないが今の所はそういう事にしておこう。
それにしてもママの作り置きはいつも美味しい。私がどんなに成長してもママの料理より美味しいものを作れるイメージが出来ない。料理も上手で、優しくて、人当たりが良くて、でも、自分の意見はしっかりと主張出来て・・・・ママと自分を比べると、あまりにも違い過ぎて悲しくなってくる。実は拾ってきた子供だと言われても、納得してしまいそうだ。いやでも、私は・・・・ママとパパの実の子供だと思う・・・多分。
夕飯を食べ終わった私は食器を片づけ、シャワーを浴びてパジャマに着替えてから自室に戻った。それから、特に何も考えず、ラーレさんから貰ったシロクマのぬいぐるみを抱き電気をつけたままベッドに仰向けになり天井を眺めた。なぜか、左目から涙が零れてきた。私はフランを引き上げる事が出来なかった。私に力がないからフランを救えなかった。全部夢なはずなのに涙が次々と溢れてくる。
ただの夢なはずなのに、どうしてこんなに悲しいのだろう、どうしてこんなに苦しいのだろう。谷底に2人で落ちたのは全部夢で、私もきっとフランも無事なのに、どうしても涙が止まらない。私はそれから長い時間泣き続け、いつの間にか意識が遠くなっていた。
電気を消さないと・・・・薄れゆく意識の中で私は部屋の電気を消し、布団を掛けて目を瞑った。
「エーデル?」
「エーデル、どこ?」
「暗くて何も見えない。聞こえているなら返事をして」
「エーデル、どこにいるの?」
「2人でなんとかここから抜け出しましょう。きっと道はあるはずよ」
「エーデル?」
「聞こえているなら返事をして、エーデル」
「どこにいるの?」
「ねぇ、エーデル・・・」
「体が痛むけど私は無事よ。だから、2人でここを抜け出しましょう」
「エーデル?」
「嘘・・・・・エーデル・・・嘘よ・・・」
「エーデル!」
フランが私を呼ぶ声で、私は目覚めた。
・・・・朝だ。また随分と目覚めの悪い夢を見た気がする。フランが必死に私を呼んでいるのに、なぜか私は体の感覚がなく、声も出せない。何も見えない。なんでいつも私はこんな心持の悪い夢ばかり見てしまうのだろう。自分が嫌になる。
それからフランに会える事もなく普通に土曜日になった。
今はお店にいる。おじさんは椅子に座って新聞を読んでいて、ラーレさんは後輩のエミリーさんと勉強をしているみたいだ。平和だ。お客が来ない。
いや、エミリーさんはれっきとしたお客様なのだが、いつも勉強が終わってからじゃないとデザートを頼まないので、それを知っているおじさんは完全に油断している。お昼時過ぎ、ティータイム前、この時間帯ならそれほど珍しい光景ではない。この店では。かく云う私も椅子に座ってただぼんやりと周りを眺めているだけだ。こんな事でお金を貰っていいのだろうか・・・・・。
そんな事を考えていると、不意にお店のドアを開ける音がした。
私は慌てて椅子から離れた。
「いっ・・・いらっ・・・・しゃいませ!」
私の視線の先にはフランがいた。
フランは無事だったのだ。当たり前だが!
私が何から話すべきかと迷っていると、フランが私に抱きついてきた。
フランは何も言わない。でも、私の事をきつく抱きしめる。
「フ・・・・フラン?」
肩に冷たい水滴が一粒落ちた。
「ごめんなさい・・・・・なんだか、あなたに会えるのが嬉しくて。2日前に一緒に遊んだばかりなのにおかしいわよね・・・・・」
フランは私から離れて、言った。フランの目元が赤くなっていた。なんの確証もないが、フランも私と同じ夢を見ていたのかもしれない。
「フラン・・・・・・」
何を話せばいいのだろう。何を言えばいいだろう。
とにかく目の前にフランがいる事が嬉しかった。やっぱり、谷底に2人で落ちたのは夢だったのだ。私たちはここにいる。
それから私はおじさんに勧められるがままフランと向かい合って座り、彼女に夢の話をした。すると、フランも同じような夢を見たと話しを始めた。その夢では自分が谷底に落ちるのを私が助けようとして、結果的に二人で谷底に落ちてしまったと云う内容だった。完全に私が見た夢と同じだ。そんな夢を見たせいでさっき何事もない私を見て思わず抱きついてしまったらしい。
ちなみに、あの日は結局お目当ての鳥が見つからず十六時頃に解散したらしい。その記憶がないが、もうフランが無事なら何でもいいだろう。
きっと慣れない登山で疲れてすぐ寝てしまったのだ。心の中のモヤモヤが晴れてスッキリしたとても気分になった。それからフランと他愛のない会話を楽しんだ。
「ねぇ、エーデル。ラーレさんの前に座ってる人は誰なの?」
不意にフランが言った。ラーレさんとフランは最近顔見知りになったが、そういえば、エミリーさんとフランは会うのが初めてだ。
「えっ・・・・えっと、エっ、エミリーさん・・・・そのっ、ラーレさんが行ってる学校の後輩の人で・・・・・」
「そう・・・・ねぇ、ちょっと耳を貸して」
フランが言ったので、私はフランの方に身を乗り出して耳を出した。
「あの人には気を付けた方がいい」
フランは静かに、しかし、確かにそう言った。
私が理由を聞こうとすると、フランは私の唇に人差し指を軽く当ててそれを制止した。気を付けた方がいいとはどういう事だろう。
エミリーさんが悪い人だとはとても思えないが、フランが言うのだから頭の片隅に一応留めておこう。私が椅子に腰を戻すとお店のドアについたベルの鳴る音がした。
「ごっ・・・・ごめん・・・なさい・・・そのっ」私は視線をフランに戻した。
「いいのよ、そろそろ私も帰らないといけない時間だから」
フランは笑顔でそう言って私と一緒に席を立った。
「それじゃあ、また会いましょうエーデル。今日はあなたと話せて良かったわ」
フランは最後にそう言って私に軽くハグしてから、入ってきたお客様とすれ違いお店を出た。フランに触れた温もりがフランが生きていることを、私が生きていることを、二人で谷に落ちた事がただの怖い夢だったことを教えてくれた気がした。
なんだか、嬉しくてちょっぴり泣きそうだ。涙がすぐそこまで来ているけど、ちゃんとお客様の注文を聞かないと。私は一度上を見て、涙を引っ込めてから新しく入ってきたお客様のところに向かった。
時間が経ち夕方頃になるといつもの様にラーレさんの周りに男子学生が集まって、プチ勉強会が始まった。残念ながら、この瞬間がお店が一番繁盛しているだろう。エミリーさんは後から来た男子学生の一人に席を譲り、ラーレさんに軽くお別れの挨拶をしてからお店の出口の方に向かった。実は私と同じで沢山の人がいる所は苦手なのかもしれない。
「エーデルちゃん、さっきの眼鏡の子。ちょっと、気を付けた方がいいわよ」
エミリーさんはお店から出る直前にソっと私に耳打ちした。
理由を聞こうとしたが、それより先にお店の扉が閉まってしまった。
フランに対して気を付けた方がいいとはどういう事だ。逆にフランからはエミリーさんを気を付けた方がいいと言われた。もしかして、二人は知り合いで過去になにかあったのだろうか。色々な思いが頭をめぐる。とりあえず、今からエミリーさんを追いかけるべきか・・・いや、でも、用事があったら迷惑になってしまう・・・でも、気になる。
私は自分の欲望にまかせてお店の扉を開け放った。
しかし、そこにエミリーさんの姿はなかった。思い立ったのが、遅かったらしい。それにしても夕暮れの赤色がやけに目に焼き付く。なんとなく目柱が熱くなる。視界が少しずつ赤く染まって行く・・・・
「エーデルちゃん、大丈夫?」
後から、男子学生の人の声が聞こえた。ハっとして私は振り向いた。
「えっ・・・ラーレさん、エーデルちゃんの目から血がっ!」
男子学生の人が叫んだ。反射的に私は左目に触れた。
「触っちゃ駄目だ!」
男子学生の人が慌てて私の左手を引っ張った。私の左手には真っ赤な血がベットリとついていた。それを見た刹那、左目が一気に熱くなってきた。またアレが来る。
そう思った瞬間、誰かが私の手を握った。
その手から優しい温度が伝ってくる。
まるでその行動を待っていたかの様に、左目の熱がじんわりと引き始めた。
視界が元に戻って行く。目から燃えるような熱が抜けていく。
目の熱が収まり、手を握ってくれた相手を見た。
やはり、私の手を握ってくれたのはラーレさんだった。
「エーデルちゃん、大丈夫!?」
私は頷いた。今は大丈夫だ。
「良かった・・・・いきなり外に出て、そのまま動かなくなっちゃったから、ビックリして・・・・もう目は痛くない?」ラーレさんは私の頬に流れた血を自分の真っ白なレースのハンカチで拭きながら言った。私はとても申し訳ない気持ちになりながら頷いた。
「おじさんに眼帯あるか聞いてこよっか?」
「いや、布の眼帯はかえって目を悪くするから止めた方がいい」
「誰か透明眼帯持ってない?」
「眼医者じゃねぇんだから流石に持ってる奴なんていねぇよ」
「じゃあ、どうするよ」
なんだか、男子学生の人たちも私の事を心配してくれている。本当に申し訳ない。
「んー。とりあえず、絶対目に触っちゃ駄目よ。どんなに痒くても耐えるのよ」
ラーレさんが言った。私はとりあえず頷いた。痒くなったらあまり耐えられる自信はないが。でも、なぜまた眼が・・・お医者さんには何の問題もないと言われたのに。
お蔭でラーレさんやおじさんは元より、男子学生の方たちにまで迷惑を掛けてしまった。この前の様な状況にならなかったから良かったものの、お店であの痛みに襲われたら、もっと大変な事になっていただろう。あまり考えない様にしているが、最近の私の体の異常は全てあの日見た肌の白い少女のせいのような気がするのだ。あの日から、悪夢を見るようになり、体がおかしくなり始めた。私はあの少女に呪われてしまったのかもしれない。本気でそう思い始めている。
私はそんな暗い気持ちのまま仕事を終え、帰路についていた。
ラーレさんが心配して家まで送ってくれると言ってくれたが、申し訳なくて断ってしまった。しかし、もう既にそれを後悔している。
いつもより、暗闇が恐ろしく感じる。今日は遠回りだが出来るだけ明るい繁華街の方を通ろう。そう決めた私は明るい道の方へ歩みを変えた。
お店から漏れる眩い光と楽しそうな声は私を憂鬱にさせる。でも、今日に限っては暗がりを一人で歩くよりはマシに思えた。
ある程度歩いていると向かい側から見覚えのある女の人が歩いてくるのが見えた。チャシャさんだ。
私は繁華街で知り合いを見つけて嬉しい気持ちになった。一瞬だけ。確かに前から歩いて来ているのはチャシャさんに違いないはず。でも、様子が明らかにおかしいのだ。目が泳いでいて、ゆっくり歩いていると思ったら突然スキップしたり、意味もなく立ち止まったり、こっちに近づくと思ったら、華麗にターンして元来た道に戻ってまた同じ事を繰り返す。そんな明らかに常軌を逸した行動を取っている。
その証拠に周りの人も彼女を不思議そうに眺め少し距離を置いて歩いている。そんな彼女の目はとても楽しそうにも見えるし、とても悲しそうにも見えた。それはチャシャさんの体を借りた別の何かの様だった。なんだか、この道は避けた方が・・・・・そう思いながら私は少し後退りした。
その瞬間、チャシャさんと目が合ってしまった。背筋が凍った。
チェシャさんは私と目が合うと真顔になり、こう着した。
「あっ・・・あの・・・・この・・・こん・・・こん・・・こんばん、は・・・・」
私は多分蛇に睨まれてカエルの様に固まって、いつもよりぎこちない挨拶をした。
私のぎこちない挨拶が終わった途端、チャシャさんは獲物を見つけた肉食動物の様に
私の方に一気に走り込んできて、とんでもない力で私を抱き上げた。
「かああいい、かあいい女の子ぉ。今日は一緒にお家で寝ましょうねぇ。いひひひ」
そして、そう言って私の口を無理やり抑え付けた。怖い、苦しい、誰だこの人は。誰か助けて。怖い、怖い怖い怖い怖い 怖い怖い 怖い怖い 怖い怖い。
「一緒にお風呂に入ってぇー。あぁ、もちろんお着換えはちゃんと手伝ってあげましゅよぉー。うふぇひひひ」
本当にこの人は誰なんだ。姿かたちはチャシャさんに見えてもちょっぴ抜けていて優しい彼女とは大違いだ。口を抑えられ、恐怖の余りいつの間にか私は涙を流していた。周りの人は困惑した表情で私たちを見るが、誰も私を助けようとしてくれない。
女の子同士だから姉妹でふざけているとでも思われているのだろうか。このままじゃこの得体の知れない何かに連れ去られてしまう。誰か、誰か・・・・
「それじゃあ、お家に帰りましょうねぇー」
得体の知れない何かはしそう言って、私を抱えたまま元来た道に向き直った。
「君、事情は分からないが。その子が嫌がってるから離してあげなさい!」
彼女が歩き出そうとした瞬間、スーツを着た小太りのおじさんが彼女の腕を掴んだ。
「っシャーーー!!」
すると、彼女は猫の様な叫びを上げ、私を抑えていない方の手でおじさんの顔を思い切り引っ掻いた。おじさんの顔に真っ赤な5本の線が入る。おじさんが両手で顔を抑えると、流石にただ事ではないと思ったのか、数人の男の人が集まり、私と彼女を引き離そうとしてくれた。しかし、中々彼女の腕は剥がれなかった。大人の男性が数人で引っ張っているのに、どんな怪力なんだ。
「この化け物が!」
誰かがそう言って、彼女の顔を思い切り殴った。その瞬間、私を抱く腕が一瞬だけ緩んだ。その隙に誰かが力一杯彼女の腕から私をもぎ取る。
「返せ、返せ! 私の物だ!返せ!返せ!返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ!」
数人の男に取り押さえながら、チェシャさんの姿を借りた何かは人間とは思えない形相でそんな事を叫びまくっている。
「ボっーとしてないで、君は早く逃げるんだ!」
誰かが私にそう言った。私は無言で何度も頷き、元来た道を駆け抜けた。もう暗闇がどうのなどと言っている場合ではない。今は出来るだけあの化け物から離れないと。
息がつまり、今にも吐き出しそうだが、止まったらアレに捕まってしまう。私は肺がどうにかなりそうなほど泣きながら無我夢中で走った。
「あたっ!」
もう少しで家につくというところで無我夢中で走りすぎて誰かの背中にぶつかってしまった。
「あっ・・・・あのっ・・・・ごっ、ごめん なさい・・・・・でも、その。本当に急いでて・・・・ごめんなさい・・・・でも、その急いでて・・・・・」
私がしどろもどろになりながらそう言って、頭を上げるとそこにはイズさんの顔があった。
「ちょうどいいところに・・・・・ってエーデルちゃんどうしたの?」
イズさんはそう言って、優しく私の顔から涙を拭きとった。もし、この人もイズさんの顔を借りた何かだったら、どうしようと思ったが、どうやらイズさんはイズさんのようだ。良かった。
私は信じて貰えない事を覚悟でチェシャさんの姿をした化け物に連れ去られそうになった話をつまりつまりイズさんに伝えた。それを聞いたイズさんの顔がみるみるうちに青くなっていくのが分かった。しかし、私の視線に気付くと動揺を隠すように私に慰めの言葉を掛け、私の頭を撫でた。
「怖かったね。でも、チェシャはちょっとおバカだけど、そんな事をする子じゃないから、あの子の事を嫌いにならないであげて」
イズさんはそう言って、繁華街の方に足早に駆けて行ってしまった。
これから、チャシャさんの顔を見たら、あの化け物の事を思いだしそうだが、出来るだけ考えないようにしよう。あんな狂った誘拐犯と優しくて穏やかでちょっと抜けてるチェシャさんが同じはずがないのだから。
それにしても、怖かった。
イズさんに会えたお蔭でだいぶマシになったが、見知った人が有り得ない行動を取るとこうも恐ろしいものだと思い知った。まだ見知らぬおじさんに連れ去られそうになった方がマシに思える。それも全然よくないが・・・・冷静に考えればチェシャさんの双子の妹や姉なのだろう。でも、普通の女の人が大の大人数人でやっと抑えられるほどの怪力を持っているとは思い辛い。本当にあれは一体なんだったんだろう。
私を助けてくれた男の人たちは無事だろうか、顔を引っ掻かれたおじさんは大丈夫だろうか・・・・・私が不運で私が不幸になるのは仕方ないが、私の不運で無関係の人たちを危険に晒してしまった気がして、とても胸が痛い。これからは二重の意味で繁華街の方を通るのは止めよう。
私は何気なく後ろを見た。ただ黒い闇が広がっている。誰も追ってきていない。
大丈夫だ。私は小走りで家の方に走り出した。
家に着いた私は洗面台の上の鏡をできるだけ、見ないよう手を洗いうがいをして、足早に自分の部屋に戻った。そして、ラーレさんに貰ったぬいぐるみを取り、それを抱きしめ、そのままベッドに蹲った。ご飯を食べる気がおきない。
折角、フランが無事で幸せな気持ちだったのに、やっぱり、私の一日は幸せでは終われないのだ。私は不幸で、私の不幸が周りの人に迷惑を掛ける。
私は生きていていいのだろうか・・・・・




