第五話
ミランダおばさんに刺さっていた槍は、唐突にその姿を消した。
魔法で実体化されていたのだろう。役目を終えたから、術者が槍を消滅させたと考えるのが妥当だ。
「ミランダおばさん……」
……誰が、誰が俺の母親を殺したんだ。許せない。こんなこと、断じて許すことはできない。
高まる感情を押し殺しながら、俺は辺りを確認した。
どこかにいるはずだ。この、ミランダおばさんの命を奪った漆黒の槍を撃ち出した人物が。
「――レオス君!! 上!!」
「!?」
村の上空。
そこに、一体の竜が舞っていた。
漆黒の竜。禍々しくも美しい、伝説の生き物。
いつからそこにいたのか。それとも、唐突に現れたのか。
黒き竜は、ゆっくりと降下してきた。
「ま、まさかあれは……《黒竜姫》……!!」
ハクが目を見開き叫んだ。
《黒竜姫》ということは、ハクと同じく五竜姫の一角なのだろう。
そういえば、あの地下の部屋にあった壁画には、五色の竜が争いあう絵が描かれていた。白と黒、赤と青、そして黄。確かこの五色だったはずだ。ということは、五竜姫というのはあの壁画に描かれていた五体の竜のことだろうか。
「グオアアァァァァ!」
黒き竜が咆哮する。
まるで、宿敵を威嚇するかのように。
「こいつが……!」
黒き竜は地面に足をつけた。
その背に、2人の人間が跨っている。
1人はレオナだった。どこか虚ろな表情で、こちらを認識していないように見える。心ここにあらず、といった様子だ。
そしてもう1人が――
「ふふ。先程ぶりですね、レオス君」
淫靡な声音。フードで素顔を隠すという独特な恰好。
俺には見覚えがあった。
今日、帝都の商店街で俺に偽の地図を渡してきた人物。目深にフードを被っているので素顔までは確認できていないが、雰囲気と声でわかる。
声からして女性なのだろうが、その年齢まではわからない。
ただ、底知れぬ雰囲気を感じる。あいつはヤバい。下手に近づけば容易に噛み殺される気がしてならない。
地図を売ってきた時はその獰猛な牙を隠していたのか。
今は、あの時の商人を装っていた愛嬌はまったく感じられない。
感じるのは、圧倒的な強者のオーラだ。
「竜操者の末裔。その中でも特殊な竜を統べる力を持った、《竜痕》の継承者」
フードの女は、黒き竜から下り、言葉を続ける。
「あなた方は双子。《竜痕》は二つに分かたれているようですね」
そう言ってから、その人物はフードを脱いだ。
素顔が露わになる。やはり、女性であった。しかも結構若い。
ガボガボのローブを羽織っていたから、女性らしい凹凸は感じられなかったので、声だけで判断していたが間違いなかったようだ。
「お前はいったい何者なんだ! どうして村を襲った!? どうして……どうしておばさんを殺したんだ!!」
俺は獣のごとく咆哮した。
様々な想いが溢れ出てくる。
俺の大事な村を、大切な人を奪った張本人。
できることなら仇を討ってやりたい。
……いや、討たなきゃダメなんだ。今の俺には竜の、ハクの力を使える。あの女にだって、引けを取らないはずだ。
「狙いはあなたでした。《白竜姫》を目覚めさせてくれたことには感謝します。あなたを殺して、そこの白き竜の力も奪う算段でしたが……。まあ、邪魔は付き物ということでしょう。計画が狂いましたが、問題はありません。力ずくでそこの白き竜姫を頂きます」
「く……! ハク!」
目配せして、ハクを下がらせる。
ミランダおばさんの遺体を傷つけないように距離を取り、俺はフードの女と対峙した。
「さあ、私の可愛いレオナ。黒き竜の力を持って、彼を倒すのです」
「……はい。マスター」
レオナは機械のような声で返事をすると、竜から下りた。
レオナの様子は明らかに普通じゃない。まさか、魔法であの女に操られているのか。だとしたら、あいつはやっぱりただ者じゃない。
「ノワール」
レオナがそう囁くと、黒き竜から光が溢れた。
次の瞬間、竜は人型へと姿を変えていた。
……あれが、あの竜の人間の姿……!
儚げな風貌に、漆黒の髪。ハクと同じく華奢な身体。
《白竜姫》と同じ五竜姫である《黒竜姫》。やはり、只者ではない気配を感じる。
ノワールというのは、彼女の名前なのだろう。レオナがそう呼んだ瞬間に《黒竜姫》は人型になったし、間違いない。
「《竜痕》解放。黒竜槍エインドレスタを召喚」
レオナが言うと、その手に槍が出現した。
あれは、ミランダおばさんの心臓を貫いた槍だ。
……まさか、レオナが槍を撃ち出したのか!?
「レオナ! おい、どうしたんだよレオナ!」
呼びかけるが、レオナは表情を変えずに俺を見据えている。
やはり、操られているのか。俺の声も、今のレオナには届かないらしい。
レオナは槍を構え、臨戦態勢に入った。
俺も拳を構え、レオナと対峙する。
まさに一触即発。いつ、戦闘が始まってもおかしくない。
「レオス君! まずいよ! あの子、竜の力を全て取りこんでる! 相手が《竜装具》を扱える時点で、今のレオス君に勝ち目なんかない!」
「だからって退けるかよ! レオナは取り戻す! 絶対に、なんとしても!」
「レオス君! きいて!」
「うおおおおぉぉぉぉぉっ!!」
ハクの忠告を無視し、俺は先程と同じ要領で右手に火炎を纏わせ突撃した。
狙いはレオナの背後にいるローブの女だ。あいつさえ倒せば、きっとレオナだって元に戻る。
「迎撃します」
「!?」
レオナの槍が、俺の拳を受け止めた。
やっぱり、邪魔をするのか……!
「レオナ! やめてくれ!」
「あなたを倒すのがマスターの命令ですから」
「レオナ……っ」
歯ぎしりして、俺は一歩後退した。
レオナに手を出すわけにはいかない。
だが、レオナをどうにかしないと、あの女には届かない。
俺はどうすればいいんだ……!
「レオナ。構いません。倒しなさい」
「はい、マスター」
瞬間、空気が変わった。
レオナの槍が、俺を射抜こうと突き出される。
……ミランダおばさん、俺はどうすればいい? 最後、おばさんは俺に何を伝えようとしていたんだ? レオナと一緒ならって、どういう意味だったんだ? 生きて、生きて、俺に何をやれっていうんだ?
俺は頭を振った。
考えても仕方ない。
今は、やれることをただ全力でやるだけだ。
「わからないけど……! 今は、レオナを取り戻す……!」
右手の火炎に魔力を最大限送り込む。
見ててくれ、ミランダおばさん。俺はあの女を倒して、あなたの仇を討つ。
再度接近する俺を、レオナは槍で迎えうってきた。
操られているからか、俺の声も聞き入れてくれない。
なら、一度気絶させるしか方法はないだろう。
「レオナ! ごめん!」
威力を調節し、俺は左手でレオナの腹部を狙った。
だが、いとも容易くいなされる。
竜の力をもってしても、届かないというのか。
「レオス君! 一度退こう! このままじゃどうやっても勝てないよ!」
「んなこと言ったって!!」
おばさんを放って退くわけにはいかない……!
俺の身を案じてくれるハクには悪いが、その提案は飲めない。
「諦めない覚悟。ふふ、素晴しいですね。ですが、《白竜姫》の言う通りです。今のあなたに勝ち目はありません。1%たりともね。――レオナ」
ローブの女が言うと、レオナはゆっくりと目を閉じた。
そして、次の瞬間。レオナの身体を光が包み込んだ。
レオナを包む光が消えたかと思うと、彼女はその姿を一変させていた。
竜の鎧。そう呼ぶにふさわしい防具をレオナは身に纏っている。
「な、なんだ!?」
「あ、あれは……。まずいよ! 武器だけじゃなくて、鎧も装備出来るまであの子と《黒竜姫》は繋がってる! 仮契約のレオス君じゃ、どうにもならない!」
「くそ! じゃあどうすれば……!」
俺が迷っていると、レオナが槍を手に突進してきた。
何とか避けるだけは出来るが、反撃までは手が回らない。
どんどん後退し、背後にある森林地帯が近づいてきた。
「ハク! これ以上竜の力は大きく出来ないのか!?」
「…………」
「ハク!?」
ハクは神妙な表情で何かを唱えていた。
何をするつもりかはわからないが、今のハクを攻撃させるわけにはいかない。
「諦めてください。あなたに勝ち目はありません」
「だからって諦めるわけにはいかねーんだよ! レオナ! 目を覚ませ! お前は操られているだけだ!」
「……理解不能。忠告はしました。攻撃を再開します」
「くっ!」
またもやレオナの槍が俺を襲う。
このまま避け続けていても、状況は変わらない。
呼びかければレオナが正気に戻ってくれるという考えは、どうやら捨てた方がいいらしい。レオナを戻すには、やっぱりあのローブの女を仕留めるしかないようだ。
だが、今の俺にはそれだけの力がない。
竜の力を使えていても、レオナを超えれなければ意味がないのだ。
「は!」
「あがッ!?」
槍の風圧で、俺は一気に吹っ飛ばされた。
木に背中を打ち付け、痛みで力が入らない。
木を背にして、俺は座り込んでしまう。
「レオス君!」
さっきまで何かを呟いていたハクが、俺の元に駆け寄ってきた。
「ハク……! 逃げろ! ここにいたら危ない……!」
「逃げないよ! あなたの竜になるまでは、絶対に!」
「だから、お前にはもっと相応しいやつがいるって言っただろ……っ。俺なんかじゃ、釣り合い取れないんだって……!」
「こんな時にまで……!」
ハクは涙を流しながら、俺に跨ってきた。
「レオス君のわからずや! もういいもん! 無理矢理にでもあなた竜になるから!!」
ハクがそう言った直後。
俺の唇に温かいものが触れた。
同時に、視界に白銀の髪が入ってくる。
「んー!! んー!!」
有無を言わさずに唇を奪われていた。
しかも、どう見ても俺より年下な少女からだ。
いきなりのこと過ぎて思考が追いつかない。
とりあえず条件反射的に抵抗を試みるが、ハクは思いのほか強情だった。自分の全てを押しつけるように俺にキスをしてきた。
永遠にも思える長い時間。俺はハクと繋がっていた。
実際には数秒だったのだろうが、そう感じるくらい俺は驚いていたのかもしれない。
そして、唇が離れる。
ハクの涎が、俺の唇から滴り落ちた。
「――ハァ! ハァ! ハァ!」
「お、おい! 何して……」
「だって……だって……!」
荒い呼吸を繰り返し、真っ赤になりながらハクは、
「私のご主人様はレオス君だけだから!!」
力強い口調で、そう叫ぶのだった。