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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

アヤメは壊せない

作者: 加科タオ

 「浮気現場を目撃した」


 アヤメちゃんはまっすぐ前を見て、でもすこし声を震わせてそう言った。


 私は、え、と一言、しかしその短い言葉にめいいっぱいの驚きと憐情を飾り付けて彼女に答えた。


「瑞樹くんとさ、今日は一緒に帰ろうって、瑞樹くんの家で遊ぼうって、約束してたの。だけど放課後にラインきてさあ、”家の掃除したいから先に帰ってるね”って。ああそうなんだ〜って思ってさ。もうすぐレポート提出あったから、ちょっとやってから瑞樹くん家行こうと思ったの。それでしばらく教室にいたんだけど、詰まっちゃったから、ふらっと図書館にいってみた訳よ、」


 アヤメちゃんはドリンクバーのグラスに刺さったストローをくるくる回している。まだ大きな氷にたびたび動きを妨げられながら、それでもくるくる回している。


 瑞樹くん、とはアヤメちゃんの彼氏の名前である。


 私と同じ英語科コースで、それなりに勉強もできるし、運動神経もバツグン。それになんといっても顔がきれい。かっこいい、とか、かわいい、じゃなくて、きれい。それなのに教室ではもの静かで、チャラチャラした雰囲気が一切感じられない。一人称に”僕”を使う。そんな男の子。


 まさに完璧。非の打ち所がない。


 私はアヤメちゃんのくるくる回るストローの動きを目で追いながら、ただひたすらにうん、うん、と相づちをうっていた。


「そしたらさ、居たんだよね。瑞樹くん。のぐっちゃんと一緒に。」


 そう言うとアヤメちゃんはグラスからストローを引き抜いた。中に残ったオレンジジュースがひとりでくるくる回っている。アヤメちゃんはその大きな目を半分くらい瞼で隠してその流れをじっと見ていた。


 のぐっちゃん。アヤメちゃんと同じコースの子。中学の頃から一緒だったらしいけど、話に聴くとアヤメちゃんは彼女から嫌われているようである。教室でアヤメちゃんがお菓子の袋を開けると、のぐっちゃんは臭い、気持ち悪いと友達にもらし、友達と騒いでいるとツイッターに”うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい…”とエンドレスに書き込む。


 こんなのぐっちゃんだが、なぜか男の子には人気があって、彼氏もいる。

 

 そして、瑞樹くんとのぐっちゃんはとてつもなく仲が良い。アヤメちゃんが瑞樹くんと付き合う以前から、ずっと。


「ラインきてから2時間だよ?そのあいだずっと返事なかったし。ずっとしゃべってたんだよ、のぐっちゃんと。」


 アヤメちゃんは静かになったオレンジジュースに再びストローを突き刺す。氷ががつり、と削れて水滴が飛ぶのを机をへだてたこちらからも見ることが出来た。


「なんでよりにもよってのぐっちゃんなんだろ、他の子ならまだ許せたのに……」


 私は顔についた水滴をぬぐうアヤメちゃんを黙ってみていた。


 アヤメちゃんは傷ついている。瑞樹くんに裏切られたと感じて、傷ついている。


 でも、きっとすぐに元に戻る。二人が離れることはない。


 私は自分のグラスのオレンジジュースを一気に吸い込んだ。






 これは、数年前の記憶。


 用を足して、ハンカチを片手に個室から出た私は、げっ、と思わず顔を歪めた。


 私はトイレで他人に出会うのがとても苦手だった。なんとなく、気恥ずかしくて、いたたまれないきもちになる。特に、鏡の前で身支度をしている人が苦手だ。手を洗おうとその人の隣に並ぶと、見てはいけないものが横に置かれている気持ちがする。見まいとして目線は制限されるし、なんといっても気まずい。


 そしてまさにそこにいたのは鏡に前で髪の毛を整えている、私の苦手な人だった。


 最悪だ、そう思いながらその人の隣に並び、手を洗うことだけに集中する。私はいつもより緊張していた。鏡はあまり見ないようにしていたが、それでも、隣の人がキラキラとしている種類の人間だということが分かったからだ。


 地味な自分は、早くこの場を去らなければならない。そう思った。


「ねえ、あやめちゃん(、、、、、、)だよね」


 だから、こう声をかけられたときは本当に驚いたのだ。


 さっきまで鏡と向き合っていた人が、今はわたしをまっすぐ見ていたのだから。


「わたしもね、アヤメっていうんだよ」


 そうやって、薄い、ピンク色の唇を柔らかに動かして、彼女は目を丸くした私に微笑む。


 少し開けられた窓から射す光が、彼女の頬に乗り、長いまつげに絡んできらきらと光っていた。


「ねえ、私と友達になってよ。」




 

 私とアヤメちゃんは、出会ってから急速に仲良くなった。教室も違うし、性格も、容姿も似ても似つかないのに、なぜだかお互いに惹かれ合った。私は彼女をアヤメちゃんと呼び、彼女は私をアヤちゃんと呼んで、暇なときを見つけては、いつも2人で過ごした。


 アヤちゃんといるのが一番たのしい、アヤちゃんが一番すき。


 アヤメちゃんはよくこう言っていた。私の何がアヤメちゃんに気に入られているのかは全くの謎だったが、素直にその言葉はうれしかった。


 わたしも。わたしもだよ。


 そう、私はいつも答えていた。心から、そう思ったから。





 アヤメちゃんが瑞樹くんと付き合い始めたのは、3ヶ月前だった。


 彼氏なんかよりも、アヤちゃんの方が大事だよ。


 アヤメちゃんは付き合いはじめの頃、私によくそう言った。私は笑って、ありがとう、って言った。


 そんなわけ、ないじゃない。


 本当はそう、思っていたけど。

 




 

「もう、別れようかな」


 アヤメちゃんはストローをグラスの中でくるくる回しながらぽつり、そう言った。


 私はどきり、として。


「なんでそんなこと言うの、だめだよ、そんなこと言ったら」


「だって、付き合うって、こういうことじゃないよ」


 小さくなった氷が、オレンジ色に流されてくるくる回る。アヤメちゃんはそれをじっと真剣に見つめて、唇を動かす。


「たのしいことを増やすために付き合ってるんだよ、こうやって苦しくなるなら、友達のままがよかったよ」


 私はしばらく何も言えなくて。でも、なにかもやもやとしたものが胸にたまっていくのが分かった。


「そう、なのかな」


「そうだよ。絶対そう。」


 アヤメちゃんの言葉に苦笑する。彼女は、自分の世界しか知らない。


「……ああ、もう、いやだなあ。どこにも行きたくない。ずっとここでアヤちゃんとしゃべってたいなあ」


「だめだよ、そろそろ帰らないと。もう暗くなってきてるし、危ないって。」


「うーん……」


 アヤメちゃんは膨れっ面でストローをがじがじとかじっている。その様子に思わず少し笑ってから、私はアヤメちゃんのほっぺたを両手でつまんだ。何、と恨めしそうな表情にまた笑って、私はアヤメちゃんに言う。


「いつでもラインしていいから、電話でもいいし。今日は帰ろ?」


「……アヤちゃん!!!!!」


 アヤメちゃんは身を乗り出し、机を挟んで私を抱きしめた。


「アヤちゃん大好き。私、アヤちゃんと付き合いたい。」


 心臓が、いたい。


 嬉しいのに、なんで、こんなに。なんで、この、胸は、


 私が言葉を発しようと口を開けたその瞬間、アヤメちゃんの携帯が鳴った。


 アヤメちゃんはすぐに私から離れて、すかさずそれを手にとり、中をみる。


 いつもは通知切ってるのに。


「……瑞樹くんから、ライン。今から家に来いってさ。ほんと、勝手だよ」


「こんな遅くに、家に?」


「ああ……うん、元々泊まる予定だったから。いいの」


 ああ、へえ、そっか。


「いくの?」


「……うん、ごめんね、付き合わせちゃって!この埋め合わせは、必ず!」


 いいよ、そんなの。そういって私は笑った。つもり。




 外に出ると、空はほとんど紫色になっていて、これからすぐに夜が来るのだと分かった。一人で大丈夫か、と聞こうとすると、私なんか見もせず、アヤメちゃんは一直線に走っていく。その先には、制服を着ていない瑞樹くんが立っていた。


 一言二言、言葉を交わして、二人はこちらを振り向いて手を振った。何をしゃべっていたのかは分からない。けれど、どちらもやはり、笑顔である。


 二人が並ぶと、しっくりくる。対で生まれた人形みたいだ。どちらもお互いに劣らず、きれいで。


 私も小さく手をふりかえす。きれいな笑顔を作れていないのが、自分でもわかった。


 なにやってるんだ、私。わかってたはずじゃないか。


 二人に背を向けて、早足で逃げるように歩いた。はやく、はやく、離れなきゃ。


「ありがとう、アヤちゃん!!!!大好きだよ!!!!」


 アヤメちゃんのよく通る声がする。私は一瞬足を止めて、またすぐに歩き出した。


 胸の奥がじりじりする。目の奥が熱い。



 アヤメちゃん。その言葉はとても扱いにくいものなんだよ。そんなに軽く使ってはいけない。


 あなたの言葉は、わたしのものとは違う意味を持つから。


 言ってはいけない。お互いに。口に出せば、凶器になる。


 だからわたしは凶器を心に突き立てる。心の中のあなたにだけ。

 


 だってね、アヤメちゃん。


 わたしはあなたを壊せない。

 

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