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室内は、外からでは想像も付かないほど中は広い。一部屋分はありそうだ。
しかし、広いというだけで何もない。天井の四隅に設置された電球、剥き出しのコンクリート、長机。それしか調度品はない。
「誰かいないのか?」
正好が尋ねると、「はーい」と長机で仕切られた向こう側から、野太い声がする。
靴音がし、それが段々近づいてきて、熊かと見間違うほど巨体な男が現れる。ムキムキの筋肉を剥き出したタンクトップを着ており、パーマが掛かった髪の毛をピンク色に染めている。
何よりも印象的なのはその顔だ。男だというのに、化粧をしていたのだ。
「いらっしゃいませ~って、あらやだ。お・と・こ・の・こじゃないの! しかも可愛い!」
男は、身を捩って嬉しそうな顔をしている。
「君が、ジョーさん?」
「ん? どうしてあたしの名前を知ってるのかしら……?」
「三島から名前を教えてもらったんです」
「あら、三島ちゃんから? じゃあ貴方達は三島ちゃんの知り合いかしら?」
「僕はそうだが、彼女は違う」と、隣にいるサリーを見やる。
「あらそう。三島ちゃんと中々会えなくて寂しかったのよね。元気にしてるかしら?」
「ええ、それはもう。元気すぎるぐらいにな」
「ビンビンなのね。なら良かったわ。『いつでも待ってるからまた来て。良いことしてあげるから。しかもサービス付き』って伝えておいてくれるかしら?」
分かりましたと言って、正好は頷く。サリーは、「エロイ。エロ過ぎる」と呟いていた。
「あたしのことは気軽にジョーって呼んで。貴方達は?」
「わたしは最上サリー。わたしのことも親しみを込めて、サリーって呼んで!」
フードを外して、サリーは自己紹介をした。三島の知り合いだから顔を出したとしても大丈夫だろうが、サリーの律儀な性格に少々正好はその時不安を覚えた。
「僕は、黒道正好です」
「サリーに僕男ね。サリーは顔が見えないから分からなかったけど、女の子だったのね」
名前を教えたのにどうして僕男と呼ばれるのか。聞きたかったが、話が脱線しそうだったので自制した。
「早速、用件を聞いてもらいたいんだが」
「焦らせないで。早漏は良くないわ。そんなんじゃ彼女も満足しないでしょう?」
何に? と問おうとしたが、その前にサリーが服を強く引っ張り、聞いたら駄目とでも言うように首を激しく振るので、正好は口を閉ざした。
「あら、珍しい。男の方が鈍感なんて」
サリーにも同じことを言われた。気に食わないので、正好は先を促す。
「何が鈍感なのか分からんが、とにかく。こちらの用件を聞いてもらいたい」
「しょうがないわね、早漏僕男。……ちょっとだけ待って」
ジョーはがさがさと背後で何かを探していた。数秒後、「あったわ!」と言って長机の上を跨ぐ。彼脇に抱えていたのは、折り畳み式の椅子二脚だった。
彼はそれらを手で軽く払って埃を取り、「これに座って」と差し出す。正好とサリーはお礼を言ってから座った。座っても、サリーと正好は繋いだ手を離さなかった。
その間に、ジョーは長机の向こう側に引っ込んだ。
「それで悩みっていうのは何かしら? ……あ、分かっちゃった。この可愛い男の子が早漏だから、それを直す薬が欲しいとか?」
机に肘を突きながら、ニコニコしているジョー。サリーは何故か顔を赤くして、慌てる。
「ちっ、ちちっ、違うっ! たとえ早漏だとしても、わたしは全然構わない! って何言ってるの、わたし!」
「あらあら。良くできたカップルじゃない。末永くお幸せに」
「カップルではない。彼女とは、一時的な協力関係を結んだいわゆる仲間だ」
否定すると、サリーは「そ、そうなの!」と言って、掴んでいた服の袖から手を離した。
「それで、相談ごとって何かしら?」ジョーはニヤニヤとした笑みを見せる。
「アンアビリティキャンディを売ってくれ」
正好がそう言うと、ジョーは眉根を寄せて、気むずかしい顔をする。
「貴方建ち運が良いわね、丁度在庫が一つ余っていたのよ。売って上げる。但し、どうしてアビリティキャンディが必要なのか、納得の行く回答をくれないかしら?」
「教えられない」
と、間髪入れずに言う。すると、ジョーは首を振った。
「残念だけど、それなら売ることはできないわ。いくら三島ちゃんの知り合いでもね」
「どうしてだ? 商売をするのがそちらの仕事だろう?」
「ええそうよ。こんな見た目をしているけれど、あたしはこの店のオーナー。物を売ることを生業としているわ」
「なら、どうして売ってくれないんだ?」
「それは、信用に関わるから。とはいっても、こんなところで商売をしているから信用なんて言葉は皆無に等しいことは自覚しているわ。でもね、信用がないとこんなところでさえも仕事がありつけなくなるのよ。ひとたびこの店の悪い噂が立ったら、それに尾ひれ羽ひれが付いて、いつの間にか巨大な悪の塊となっているのよ」
呼吸を整えてジョーは続ける。
「だから、この店の信用を守るために、自分を守るために理由を聞いているのよ。本当に売ってもいい人に値するのか見極めるために。悪い人に、手間暇掛けた商品が傷付けられないように。あたしにとって商売っていうのは、明日を生きる術だから。こう見えていつも必死なのよ」
自嘲気味にジョーは笑った。彼の言い分はごもっともだった。商売をするに当たって、確固たる信念と思惑と意志の元で働いているのが伺える。
だから、正好は顎に手を当てて考えた。どうやったら彼女を納得させることができるか。
納得させるにしても、サリーの事情を言うべきか言わぬべきか。どこまで話していいものなのか。悩みに悩んだ。
そうして何秒。いや、もしかしたらもっと経っていたかもしれない。結論が出た。
「分かった。言う。言える範囲以内で」
「ええ、それでいいわ。ここに来る人は、訳ありな人間ばかりだから想像に難くない」
彼が理解者で助かった。深くは追求しないと言ってくれているのだ。ありがたい。
「最上さん、彼に話してもいいか?」
「うん……、それしかないから」
サリーの同意を取ってから、正好はつらつらとここまでの事情を掻い摘んで話した。ただし、重要なことはあえて嘘で誤魔化してはいるが。
サリーが不安そうな目でこちらを見てくる。正好は大丈夫だと頷く。
「なるほどね~。そういうことだったの。つまり、ストーカー被害に遭ってると?」
「ああ。しかもタチの悪いことに、そのストーカー男はサリーが好きなわけじゃなくて、サリーの能力に目を付けているんだ」
自分でも驚くほど創作話がぺらぺらと出てくるなと正好は思った。
とはいえ、全部が全部嘘というわけじゃない。それだと信じてもらえない可能性があるので、嘘の中に本当のことを違和感なく混ぜている。
その嘘に気づいているのか、気づいていないのか、ジョーは神妙に頷いていた。
「だから、アンアビリティキャンディが欲しかったのね。納得がいったわ。ストーカーを追っ払うためにも、あたしも協力するわ」
「ありがとうございます! ジョー!」
サリーは席を立ち、ジョーの傍に寄って熱い抱擁を交わしていた。
「それじゃあ用意するから待ってて。直ぐに戻ってくる」
奥へと一旦消えると、ジョーは黒いスーツケースを持って帰り、長机の上に置く。
そのケースは、鎖付きの錠前が雁字搦めに巻かれていた。厳重に厳重を重ねているようだ。
ジョーは半ズボンの中に手を入れて、そこから鍵を取り出す。そして、慣れた手付きで解錠し、鎖を外した。
こちらに見えるように彼はケースを動かし、蓋を開ける。
「ほー、これがアンアビリティキャンディ。本当にキャンディみたいな見た目してるね……」
ケースの中は赤い布が敷かれており、中央には透明な丸いキャンディが置かれていた。
それを見たサリーが、目をきらきらと輝かせていた。
「いくらだ?」と正好は聞く。
「そうね、アンアビリティキャンディは入手ルートが限られていて、手に入れるのに途方もないほど苦労する代物だから、高くつくけど……。今回は三島ちゃんの知り合いということに免じて、これぐらいにしてあげる」
長机に置いてあった電卓を片手に持って、ジョーは数字を打ち込んでいく。
「ざっとこんなものかしら」
ジョーは電卓を見せる。そこには5の後に0が五つ並んでいた。
「ご、五十万!? キャンディなのに、こんな値段がつくの!?」サリーは目を白黒させていた。
「悪いけれど、これ以上は値引けないわ。貴方達が大変な目に遭っているのは分かるけれど、あたしにも生活がかかってるから」
「大丈夫だ。そのぐらいなら何とか出せると思う」
アンアビリティキャンディの値段が高いことは、初めから予想できていた。
本来ならば銀行から無料でもらえることができるのだが、それは労働者として契約した能力者のみ。サリーは非合法的な手段で入手するからには、ただでもらうことはありえない。そんな甘い話は世の中にはありはしない。
正好は浪費癖がなかったので、給料のほとんど銀行に預けていた。その額はアンアビリティキャンディを買ったとしても、お釣りがくる。
出せると言ったからだろう、「ええっ! 即決!?」とサリーが大きな声を上げた。
「いいの……? わたしなんかのために?」
「ああ」
「正直どうしてそこまでしてわたしを助けようとするのか分からないの。わたしは、黒道くんに何もしてあげられないかもしれないんだよ? それでもいいの?」
「困っていたら、助けるのは当たり前だ」
それに、と付け加える。
「金を持っていても、使うことがない。宝の持ち腐れになるぐらいならば、誰かのために使った方がよほどいい」
「じゃあ、困っている人じゃなかったら、同じように助けてたってこと?」
そうだ、と言うと何故かサリーは悲しげな顔をする。
また困らせるようなことを言ってしまったのかと、正好は猛反省した。
「あらあら。熱々で羨ましいこと。貴方達を見ていたら、あたしも早く良い彼氏みつけなきゃと思ってきたわ」
「大丈夫! ジョーならきっといい人が見付かるよ! わたしが保証する!」
顔をばっと上げると、サリーは胸の前で握り拳を作る。
「ふふふ。ありがとう」口元に手を当てて、ジョーは笑った。
話が九十度どころか百八十度脱線していたので、正好は強引に話を戻す。
「それで五十万円を払う、といいたいところだが。今、手元に金がない。銀行へ行きたいのだが、キープしてもらってもいいか? それと最上さんのことを頼んでいいか?」
「ええ、いいわ。それじゃあその間、女の子達は女の子達で盛り上がりましょう」
「うん! そうしよう!」
二人は「「ねー」」と声を揃えた。女子、という単語に引っかかりを覚えたが、仲良さそうにしていたので特に指摘せず、正好は後ろを向いた。そして、店から出た。