正好との出会い
「んん……、ここは……?」と目覚めた少女が呟く。椅子に腰掛けていた少年は、「僕の家だ」と端的に答える。
少年の名は黒道正好。今年で十七歳になる。耳まで掛かった黒い髪を伸ばしており、鋭い眼光を宿しているが、頬についた肉が幼さを物語っていた。着ているジャケット、シャツ、パンツ全てを黒色で統一している。
「家……? つつつつ、つまり、ついにアジトに連れられて来ちゃったってことっ!? そんで、そんで……知らぬ間に純潔を奪われちゃったの!?」
ベッドから勢いよく起き上がった彼女は周囲を窺い、それから自分の身体を見て、どこか異常が無いかを確認する。安心したのか、ほっと溜息を吐いた後、正好の顔を見る。
「あなた、誰?」
「それはこっちの台詞だ。どうして政府に捕まえられていたんだ?」
「政府……? あっ、思い出した。私を追っていた男二人組はどこへ? あなたあの二人組の仲間じゃないの? ボスじゃないの? 私の初めての人じゃないの?」
布団を引っ張って、少女は自分の身体を大事そうに包む。目を細め、疑いの眼差しを向けている。
「違う。まだ混乱しているようだな。まあ、無理もないか。ちょっと待ってろ」
正好は立ち上がり、部屋から出て台所へ向かうと棚からコップを取り出した。水道の蛇口を捻ってコップに水を注ぐ。
正好はコップを持ったまま部屋に戻る。少女はベランダの窓の外をぼーっと眺めていた。逃げるかと思っていたが、彼女は思いの外大人しくしていた。
とはいえ、逃げられる場所は玄関以外にないのだが。ここは地上から十二階のマンションの一室。外へ飛び降りたら、確実に死ぬ。……特別な力がない限りは。
扉が開く音に気づいてだろう、ゆっくりと正好の方へと振り返る。
「水を持ってきた」と、正好は少女へコップを渡す。彼女は一瞬驚いた顔をしたが、笑顔を見せる。コップを恐る恐る受け取ると、くんくんと匂いを嗅ぐ仕草をし、「媚薬とか入ってなさそうだから、大丈夫そう」と言って、ごくごくと爽快な飲みっぷりを披露する。
「ぷはぁ! 生き返る~! 丸一日何にも喉を通してなかったから、助かったよ! もしかして、あなたっていい人……?」
「いい人かどうかは勝手に判断してくれ。ただ彼らに襲われていた君を放っておけなかっただけだ。もう一度言う。君の身に何があった?」
「助けてくれたんだ。やっぱりいい人だね。それでも、知らない人には乙女心よりも複雑な事情は教えられないなぁ……!」
いたずらっ子のような表情を浮かべる少女。そのぐらいの冗談が言えるぐらいだ、どこも悪いところはないだろう。一応怪我をしていないか、一通り見みてみたが特に大きな怪我を負っている様子はなかった。
「無理に聞こうとは思わない。そっちにも深い事情がありそうだしな」
「ちっちっち。私は、教えないとは言ってないよ」
「どういうことだ……?」
「知らない人には教えないと言ったんだよ。知り合いになれば教えるよ」
「知り合い……?」訳が分からず、正好は首を傾げた。
「つまりだよ、名前を互いに教え合えばそれでもう知り合い。簡単なことでしょ?」
「ああ、そういうことか」
納得して、正好は頷いた。少女はたとえ正好に助けられたとはいえ、見ず知らずの人に事情を明かすほどアホではないということだ。彼女の言動の数々を見たり聞いたりしていると、そう思ってしまうかもしれないが、彼女には彼女なりの考えを持っているようだ。
名前を教える。それはつまり自分の素性を明かすことと。お互いに武器も防具も身につけている服すらも全てを捨てて、裸で話そうと言っているのだ。
正好は久方ぶりにふっと笑った。「僕は、黒道正好だ」
「じゃあ、今度から黒道くんって呼ぶね。最初から呼び捨てにする勇気はないから、これで勘弁して」
少女は何故か、頬を赤らめていた。その反応を不思議に思いながら、正好は分かったと言う。
「私は、最上サリーっていうの。気軽にサリーとでも呼んでくれていいよ」
「僕も最上さんと呼ばせてもらう」
「むー、何それ意地わる」
頬を赤くしたまま、サリーは唇を突きだした。と、その時、ぎゅるるるるとまるで飢えた獣の声のような音がした。サリーは頬だけでなく顔全体を真っ赤にしてて、腹を押さえている。
腹の虫がなったのだと理解した正好は、
「それじゃあ詳しい話は、食事でもしてからにしよう」
と言った。