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まだ意識がはっきりしていないサリーを連れて、正好は家に帰った。
サリーをベッドに横たわらせた後、正好は寝室を出て、台所へと向かった。蛇口を捻り、コップに水を注ぐと、部屋の前まで戻る。そこで立ち止まった。
彼女が初めてこの家に来た時も同じようなことをしたなと正好は思った。
ノックしてから、扉を開けて中に入った。既に目覚めたていたのか、サリーは壁に身体を預けている。正好の姿を見ると力なく笑った。
「ごめんね、心配かけちゃって」
「気にすることはない。これでも飲んでおけ」
正好はサリーの傍に寄り、コップを差し出す。彼女はそれを受け取ると一気に呷った。
相変わらずの威勢の良い飲みっぷりに、正好は安堵した。
「ありがとうね。少しだけだけど、気分がマシになったよ」
「全快になるまで寝ていろ」
「それじゃあ、お言葉に甘えて……」
サリーは正好にコップを渡してから布団の中に入り、顔だけを出す。
「黒道くんの匂いがする。嗅いでると気分が安らぐよ……」
えへへと嬉しそうにしているが、その笑みは完璧ではなかった。
「話はできそうか?」
「何とか」
「それならば聞いてくれ。大事な話があるから」
「な、何……? も、もしかして弱ってる今がチャンスだと思って、告白しようって魂胆!? で、あわよくばわたしのナイスボディに埋まりたいのね!」
鼻息を荒くして、興奮気味にサリーは言う。
彼女の行き過ぎた思考に、正好は時々ついていけなくなる。
これから大事な話をしようと言うのに。と、そこで正好は思い当たった。
能力は消えるはずだったのに、消えなかった。それはつまり、元の生活に戻ってしまうということだ。
政府の部隊に追われる日々。怖くて怖くてたまらないはずだ。でも、彼女はそれを悟られないように、明るく振る舞っているのではないか。聡明な彼女なことだ、ありえなくはない。
鈍感と言われることの意味を、正好はこの時初めて実感した。
「違う。どうして最上さんにアンアビリティキャンディが通じなかったのか、分かったんだ」
サリーは途端に顔を曇らせた。ちくりと胸の奥が痛んだが、正好は構わず続ける。
「最上さんが舐めたキャンディは恐らく、シークレットキャンディと呼ばれているものだ」
「何それ……?」
「世界に一つだけしか存在していない貴重なものだ。またの名を禁忌の飴」
「禁忌の……飴?」正好の言葉を、サリーは反芻する。
「そうだ。アビリティキャンディの成分の中に、異能の力があると前にも言ったと思うが、覚えているか?」
「うん、覚えてる。わたしはそれを食べたことで、能力を宿したんだよね」
「問題はアビリティキャンディの中でも、特別製のキャンディがある」
その続きを言おうとしたのだが、サリーが先に答えを言ってしまう。
「それが、シークレットキャンディってこと?」
「その通りだ。禁忌と呼ばれる所以は、アンアビリティキャンディで打ち消せないからだ。つまり、一度能力を身につけてしまったら、一生涯その能力と共にすることになる」
「やっぱり……そういうことだったんだ。何となくだけれど、予想は付いていたよ……」
弱々しい声を発するサリー。そんな彼女を見ていたらいたたまれなくなった。
「ごめん」
「何で黒道くんが謝るの?」
「協力関係にあるのに、何もして上げられなかったからだ」
「いいよ。わたしのためにここまでしてくれたんだもん。感謝してもしたりないよ」
ありがとう、と笑みを見せた。しかし直ぐに、寂しそうに目を俯かせる。
「あー、でもこれで協力関係は終わりかー。心残りがあるよ……」
「何を言っている」
「えっ?」
「能力を完全に消すことが目的だろう? まだ消してない」
サリーは目をぱちくりさせる。まるで珍獣でも見てしまったかのような反応だ。
「いいの……? だって、アンアビリティキャンディじゃないと消せないんでしょ?」
「そうかもしれない。だが、そうじゃないかもしれない。決めつけるのはまだ早いだろ。それに、最上さんを野放しにしておくのは危険だ。君を狙って、どこの誰とも分からない輩が襲うかもしれない。そんなの見過ごせるわけがない」
そう言うと、サリーは布団を被って、「ありがとう……!」と涙声で言ったのだった。