最上サリーの記憶
久しぶりの新作です
どうかみていってください
一人の少女が一心不乱に走っていた。少女の名は、最上サリー。歳は十五歳。ボロボロになったグレーのパーカーを着て、フードで顔を覆っている。
サリーは走っていたが、目指す場所などはたから考えてなどいない。
ただ彼らから逃げられるのであれば、どこだってよかった。
ふと、ここはどこだろう、とサリーは周囲を確認しながら思った。分かることはいくつかの県境を越えて、故郷から遠く離れてきてしまったということだけ。それ以外は、何も分からない。分からないからといって、立ち止まって考えている猶予は残されていなかった。
サリーは日の光すら届かない路地裏に入る。途端に、異様な雰囲気に包み込まれる。
市場なのだろうか、狭い路地裏には黒い幕が垂れた店がひしめいている。まるで、闇夜にぼんやりと浮かぶ、屋台のようだ。
店の前には老若男女問わず人がいて、店主と軽い雑談を交わしていた。
土曜日の昼下がりだというのにここは大盛況だ。良い隠れ場所だとサリーは思った。
「この〝アビリティキャンディ〟はいくらだ?」
と、たまたま人々の話声が聞こえてきた。走るのを止めて、早歩きになる。
彼らに目をやれば、垂れ幕の隙間からビー玉ぐらいの大きさの、色の付いた文字通りキャンディが台の上に並べられていたのが見えた。
アビリティキャンディという単語が気になったが、サリーは人と人の合間を縫いながら通り過ぎた。
それが何なのか聞いている暇などない。いくら人々に紛れ込んだとはいえ、彼らは今この瞬間にもサリーのことを捜しているはずだ。
市場の奥へ奥へと進んでいくにつれて、人気が少なくなっていく。
そして、ついに突き当たりにぶつかった。
「……はあはあ。どうしよう。これじゃあ、袋のネズミ! 逃げ道がない!」
引き返そうと、振り返ったそこには。黒い服を着た屈強な男とひょろ長の男がいた。
「やっと追いついた。ったく、手間を掛けさせやがって」と、屈強な男。彼はサリーとは違って、服装も息も乱れていなかった。それに「全くですね……」と同意するひょろ長の男は、少し息を乱していたが、汗は一つもかいていなかった。
「どうしてここだと分かったの……!」
動揺して声を上げる。「ずっと付けていたからだ」と冷静に答える屈強な男。
「しかし、こんな若い娘を我々のボスはどうして追っているんですかね……?」
不思議そうに頭を傾げるひょろ長の男。それに対して、屈強な男は眉間に皺を寄せた。
「仕事に関係のないことを考えるな。任務を遂行することだけを考えろ。ボスもそう言っていただろう?」
「そうでしたね……。でも、先輩は気にならないんですか? ボスが若い娘を必要としている理由を」
「そりゃあ、気になる。だが、それを聞いたところで何になる?」
「そうですけど……。でも、気になるじゃないですか。もしかしたらボスって若い子が好きなのかもしれないですよ!」
彼らは、サリーを無視して何やら話していた。
その隙に乗じてサリーは走りだした。だが、轟! と音を立てて目の前が赤く燃え上がる。
「おおっと、いけませんよ、お嬢ちゃん。逃げられると思っているんですか?」
ひょろながの男の手の平から炎が上がる。「まさか、能力者……!」サリーはパーカーのフードで隠されている目を見開いた。
「そうですよ。見ての通り、炎使いですよ。何もないところでも、こうやって、炎を出せるんですよっ!」
サリーの周りを火柱が囲む。熱気とじりじりと焦げるパーカーが、本物の炎だと告げていた。
「大人しくしていれば、何もしない。大人しくしていれば……な」
屈強な男がそう言った。けれども、サリーは信じられなかった。
「じゃあ大人しく捕まったとして。その後私をどうつもり?」
「さあな。それは我々のボスの気分次第だ。俺らがどうこう決められない」
「つまりあなた達に大人しく捕まったとしても、抵抗しても結局変わらないってことね! なら……!」
サリーは走り出した。腕を交差して、火柱に自ら突っ込んでいく。捨て身覚悟の上の行動。
「大人しくしていろ、と言ったはずだろ……?」
だが、全てを見越していたのだろう、行く先には屈強な男が立ちはだかった。彼は、サリーの肩を掴むと、強引に地面へと押し倒す。顔面がコンクリートへ直撃し、サリーは苦悶の声を上げる。額が切れたのだろう、つーっと赤い血が垂れた。
「あまり我々の手を患わせるな。追いかけっこするのも、結構大変だったんだ」
両腕を片手で握られているだけだというのに、サリーは拘束を解けなかった。必死にもがくが、男が背中に乗っているため、ぴくりとも動かない。
「いい加減、その顔を晒せ」
屈強な男の、無骨な手がフードを剥ぐ。
露わになる銀髪。太陽の光を反射する、年相応の瑞々しい柔肌。空よりも澄み渡った二対のブルーの瞳。人形に整った輪郭。だが、その顔は苦痛で歪められていた。
「美しい」そう呟いたのは、ひょろながの男だった。その時、サリーの手が男の手に偶然触れてしまう。脳内に、膨大なそれが電撃のように流れ込んでくる。
「あっ、あっ!」とサリーが声を上げると、びくりと身体が反応し、一際大きく跳ね上がった。
「一体どうしたんですか、彼女!」と、驚くひょろ長の男の顔が、視界の端に見える。だが、サリーはそんな単純な問いに答えられない状況だった。
「分からん。息はしているから死んではいないようだが、一応ボスに報告しておこう。大人しくなったのは好都合だ」
「ところであの……、少し折いった相談があるのですが。ボスのところへ連れて行く前に、彼女と遊んでもいいですかね?」
「ったく、しょうがないなお前は。早く済ませろ。ボスにとやかく言われる前にな」
「あっ、ありがとうございます!」
ぐわんぐわんとまるで船酔いした意識の中で、彼らの話声が聞こえてくる。危険だと分かっているけれど、サリーは手を動かすことすらままならない。それを見てしまったからには。
「ひっひっひ。生きていた方がやりやすいが、気絶しているのも乙かもしれないですなあ。まるで死んでいる人間をやっているようで、違う性癖に目覚めてしまいそうですよ」
起き上がらせようとしたのだろう、ひょろ長の男がサリーの手を掴んだ。その瞬間、またそれが荒波のように押し寄せてくる。
「いやああああああああああッッ!!」とサリーは絶叫した。
何だ何だと狼狽するひょろ長の男に、屈強な男は口を塞げと命令していた。ひょろ長の男は指示通り口を塞ぐが、サリーは暴れ回る。
チッと舌打ちして、屈強な男はサリーの首筋に手刀を食らわせた。「うっ!」と呻き声を上げて、サリーの身体から力が抜け落ちる。
薄れ行く視界の中で、サリーは彼らとは違う誰かの声を聞いた。その直後に轟音が鳴り響き、少女は吹き飛んで壁にぶつかる。
それが決定打となり、現実との境目を失ったのだった。