桜色の光が見えた、そんな気がした
瞬くと、呆れるくらいに晴れ渡った空。
変な姿勢で眠っていたのか、体がひどく強張った。
何かとても大切なことを忘れてしまった気がする。
でもそれは、きっと夢の中での出来事だ。
首を摩りながら、まぶしい日差しに目を細める。
「お目覚めですか」
不機嫌な声の先には、ハンドルを持つ七瀬がいた。
俺は大げさに伸びをして、ああ、とだけ呻る。
「今、どこら辺?」
「もうすぐ着く」
努めて明るく訊いた問いに、冷たい答えが返ってくる。
「怒ってるの?」
七瀬は首を振る。
「じゃあなに」
「呆れてるの」
彼女の言葉尻には、明らかに怒気が含まれていた。
久しぶりに重なった休日だから遠出しようという誘いを無下にしたくなかった。
でも、だからといって出発直後に熟睡してしまったら仕様がない。
徹夜で飲んだ自分が悪いのだが・・・。
「悪かったよ」
「何について?」
被せ気味に七瀬はそう訊いてくる。
そりゃあ、と呟いて後が続かないでいると、
「悪いと思っていないなら謝らないで」
などと釘を刺してくる。
眉間に皺を寄せ、視線は常に前方を向いたままだ。
気の強い女だ。
強情で、自分の思ったことを曲げることがまずない。
たとえ自分が間違っていたとしても、絶対に謝らない。
下手に責めると、逆にキレる。
キレたらキレっぱなし。
瞬間湯沸かし器、兼、魔法瓶だ。
なおかつ地雷原ときている。
でもまあ、今回は自分が悪いから何も言えない・・・。
「着いたら飯でも食うか?」
はぐらかそうと話題をそらしても、
「謝らないの?」
と逃がしてくれない。
どうしてこいつと付き合ったんだっけ。
ふと胸に疑問が過ぎる。
冴えない頭を模索するが、もやもやして五里霧中だ。
はっきりとしたきっかけが本当に思い浮かばない。
なあ、と自然に語りかけたが、問いかけるのは思いとどまった。
俺達、どうして付き合ったんだっけ?
そんなことを訊いたら、本当に根本的な問題になりかねない。
「なに笑ってんのよ、気持ち悪い」
いつの間にか浮かべていた苦笑いをつっこまれる。
恋人に対してその言いようは何事か。
流石に腹が立ってきた。
しかし、どうして俺はこいつと付き合って、今も別れずいるのだろう。
そんなことを割と真剣に考え始めた時だった。
「―――あ、きれい!」
声と共に、彼女の表情が一気に明るくなった。
車が目的地の公園の駐車場に入るなり、遠目からでもわかるくらい満開の桜が視界に飛び込んできた。
「ほら、見て」
そう言って七瀬は目をキラつかせる。
そうだね、と肯いてやると、彼女はもどかしげにシートベルトを外し、
「早く行こ、早く」
と車から這い出た。
子どものように駆け出して、桜を見上げる七瀬。
口があんぐりと開いている。
足取り軽く、本当に嬉しそうに歩く。
先に行ってしまう彼女を微笑みながら追いかける。
「早くはやく、置いてっちゃうよ?」
「そんなに急いでどうするんだよ」
軽口を叩きあい、満開の桜の木々の下を潜る。
花びらに遮られた日差しは、白く柔らかな光となって地面をチラついている。
時折、木立を吹き抜ける風が思いのほか冷たく、清々しかった。
「どうした?」
不意に立ち止まった彼女の元に駆け寄ると、
「これ、ほら」
七瀬は掌に舞い降りた一片の桜の花びらを俺の目の前に差し出した。
彼女はその花びらをまるで宝物のように大切に扱った。
満面の笑みを湛える七瀬が眩しかった。
俺はなんだかさっきまでの疑問が急にバカバカしくなって、考えるのを止めることにした。