Chapter2 「First Kill 代々木」
Chapter2 「First Kill 代々木」
米子が5階でエレベーターを降りると狭いエレベーターホールだった。正面に金属製の茶色いドアがあった。右に伸びる通路は給湯室とトイレに繋がる通路だった。米子は給湯室に続く通路に2mほど入った所でターゲットが出勤してくるのを待つ事にした。床に体育座りをしてショルダーバックの中を確認した。時折エレベーターホールにエレベーターの稼働音が小さく響いた。米子がひたすら待ち続けた。90分後に4Fにエベーターが止まる音が響いた。米子は素早く立ち上がった。ドアが開いて1人の男が降りる。男は事務所のドアの前に立つと同時に通路に立つ米子に気が付いて驚いた顔をした。米子は男の顔を見てターゲットの水野だと確信した。水野はグレーのスーツを着ていたがノーネクタイだった。
「こんにちは! 今日はいい天気ですね」
米子がぎこちない笑顔で男に話しかけた。初めての暗殺に若干緊張したが、訓練所で徹底的に叩き込まれた暗殺のシミュレーションを思い出していた。訓練所の暗殺シミュレーションで様々なパターンを何度も反復する事によって、訓練生はゲームのような感覚で暗殺の技術を体に叩き込んだ。米子は今まさにゲーム感覚になっていた。
「なんだ? ここで何をやってる? なんか用事か?」
水野が米子を睨みつけるようにして言った。
「鍵を開けて下さい」
米子が言った。
「何言ってるんだ!? お前高校生だろ! ここは会社の事務所だ、高校生が来る所じゃない。用事がないなら帰れ」
男は怒ると共に半ば呆れながら言った。何かのセールスや勧誘とは思えず、明らかに頭がおかしい若い女だと思った。
「水野さん、これでどうですか?」
米子が素早くショルダーバックからサプレッサーを付けたベレッタ92Fを抜いて腕を伸ばしながらハンマーを親指で起こした。チェンバーには9mmパラベラム弾丸が装填されているので引き金を引けば弾が出る状態だ。
「ふざけるな! 何だそれは? 何で俺の名前を知ってるんだ!? お前どこの学校だ!?」
『バスン!』 『ガキーン!』 『バスン!』 『キーン!』
米子の発砲した弾丸が2発、鉄製のドアに当たって火花が散った。薬莢が床に跳ねる音が響いた。
「水野さん鍵を開けて下さい」
米子が冷静に言った。IQ160の米子の頭脳は訓練所のシミュレーションの映像と目の前の現実を上手く合成して処理する事ができていた。
「ほ、本物か!? わかった、撃たないでくれ、今開ける」
水野は目を見開いて言った。水野は慌ててスラックスのポケットから鍵を取り出すとドアを開けた。
「初めてにしては冷静ですね。まったくビビッてない。銃もブレてないですよ」
藤川が感心するように言った。ボンネットのカーナビの画面には米子のブレザーの襟に着けたバッチ型の小型カメラの映像が映っていた。映像はほぼ米子の視点だった。
「沢村の訓練所の成績は殆どの項目がSランクか特Sランクです。期待の新人と言っていいですね」
木崎が嬉しそうに言った。
「それに彼女はかなりの美少女ですよね。工作員としてルックスがいいのは何かと便利なんじゃないですか?」
「目立つという意味では欠点になるかもしれませんよ。まだ女を武器にする年齢ではありません。でも潜入工作では有利に働く事もあるでしょう。なんせ男は美人に弱い」
木崎が面白そうに言った。
「どっちにしろ将来が楽しみな逸材ですね。でも、可哀想な気もしますね。若くて頭が良くて、運動神経も抜群で美少女なのに工作員だなんて。普通に生活したらかなり充実した高校生活を送れるはずですよ。今でいうリア充ってやつですよ」
藤川が言った。
「中に入って下さい。変な動きをしたら撃ちます」
米子は銃口を水野の頭に向けて言った。水野が振り向いて米子の目をじっと見た。
米子も水野の顔を見つめた。この男が自分の人生で最初に殺す人間になると思うとなんともいえない複雑な気分になった。米子は木崎から貰ったターゲットに関する資料を読み込んでいた。水野の行って来た犯罪行為については特に何も感じなかった。ただ水野の38歳という年齢について引っ掛かる部分があった。犯罪者とはいえ、38年生きて来た人間なのだ。自分の倍以上生きている人間の命を奪う権利がなぜ自分にあるのかを考えたが明確な答えは出せなかった。自分の暗殺者としてのターゲットがたまたま水野だったと考える事が適切な解だと考える事にした。雷が落ちるような偶然なのだと。
事務所に入ると部屋の中央に事務机が4つ置かれていた。部屋の奥には応接室だった。
「あそこのドアを開けて中に入ってください」
水野はドアを開けて応接室に入った。
「おい、ここは応接室だ。どうするつもりだ?」
水野が不安そうに言った。
「もっと奥に行ってください」
米子が言うと水野は応接室の奥に移動した。
『バスッ!』
9mmパラベラム弾が水野の後頭部に命中して脳漿と血が弾けるように飛散した。水野はつんのめるようにして前に倒れた。
『バスッ! バスッ!』
米子は俯せになった水野の背中のやや左側に向けてトドメを2発発砲した。米子は素早くしゃがむと床に転がったまだ熱い薬莢を3つ、指で摘み上げるとむとブレザーのポケットに入れた。
米子は応接室のソファーに座ってもう1人のターゲットの高木俊一を待つことにした。ソファーの後ろに転がる水野の頭から発する血の臭いが応接室に漂っていた。米子は強い臭いに辟易としながらも前を向き、膝の上にサプレッサーの付いたベレッタ92Fを置いてじっとしていた。米子に動揺は無かった。むしろ人の命を奪う事があまりにも簡単である事に驚きを感じていた。訓練所で暗殺の技を磨いてきたが、人の命を奪う事は肉体的にも精神的にも負担が大きいと想像していた。しかし実際は僅かに指を動かすだけ水野という男の38年の歴史を永遠に止めてしまったのだ。
高木が事務所に入ると事務所は薄暗かった。普段は水野が先に来て電気を点けている。高木は事務所を見渡すと水野が来ていない事に違和感を覚えた。応接室のドアが外側にゆっくりと開いた。高木が驚いて目を向けると応接室の入り口に制服を着た女が立っていた。垂らした右手にはサプレーッサーを装着したベレッタ92Fを持っていた。
「お前は誰だ?」
高木が焦った声で言った。米子は右手をゆっくり前に伸ばすとプレッサーの付いたベレッタ92Fを高木の頭に向けた。
「何のつもりだ!? どこの組織だ!? 後悔する事になるぞ!」
高木が大きな声で言った。
『バスッ! バスッ! バスッ!』
米子は2等辺三角形を描くように高木の眉間、右胸、左胸に9mmパラベラム弾を撃ち込んだ。高木は一瞬踊るよう動くとその場に崩れ落ちた。米子は事務所に転がった薬莢を3つ回収するとブレザーのポケットに入れた。1つはデスクの下の奥に転がっていたので四つん這いになって回収した。米子は事務所のドアを開けてエレベーターホールに転がる薬莢を2つ回収してブレザーのポケットに入れるとエレベーターに乗って1階に降りた。
「沢村の資料です」
木崎が米子の生い立ちに関する資料を藤川に渡した。藤川が手に取って資料を読んだ。
「こ、これは・・・・・・」
藤川は資料に目を通して思わず息をのんだ。
「悲惨な過去ですよね。両親と弟を惨殺されている。こんな過去を抱えていたら普通の女子高生達に混ざって生活をする事は難しいでしょう。案外ここは彼女にとって居心地のいい場所になるかもしれませんよ」
木崎が言った。
「たしかにそうかもしれませんね。普通の世界で幸せに生きて行くには辛すぎる過去です。しかし彼女の父親は警視庁の公安刑事だったんですね」
藤川が言った。
米子が路肩に駐車した黒いハイエースに向かって歩いた。ハイエースの運転席の横に制服を着た警察官が2人立っていた。1人は女性の警察官だった。男性の警官が無線機を顔の右側に当てて何かを話していた。
「確認が取れました。失礼しました」
男性警官が言いながら軽く敬礼した。2人の警察官はその場を去って行った。ハイエースのスライドドアが開いて米子が後部座席に乗り込んだ。
「ご苦労だった」
木崎が言った。
「米子ちゃん、お疲れさん。大丈夫か?」
藤川が言った。
「大丈夫です。確実に排除しました。薬莢を8個回収しました」
米子が落ち着いた声で言った。
「薬莢はそのままでも構わなかったぞ。どうせ掃除屋が回収する。もし警察の鑑識が入っても調査される事は無い。そもそもこれは警察庁からの依頼だ」
木崎が言った。
「死体を見て気分が悪くならなかったか?」
藤川が心配そうに訊いた。
「訓練所の授業でグチャグチャになった死体の画像を嫌というほど見ました。札幌の病院の遺体安置所で、損壊した本物の死体も何度か見せられました。だからだ丈夫です。ただ、今回は血の臭いがきつかったです」
米子が言った。
「訓練所ではそんな事もやってるのか。恐れ入ったな」
藤川が驚いたように言った。
「さっきこの車の横に警官がいましたが大丈夫なんですか?」
米子が訊いた。
「職務質問だ。2時間も停めてたからな。IDカードを見せたら無線で照会を取った。俺達が工作員だとわかったから引き上げたんだ」
木崎が言いながらスマートフォンを操作した。
「ゴミの回収と処理をお願いします。取引先コードはG1089です。ゴミは2つ、状態は良好です。処置は必要ありません。焼却でお願いします。場所は渋谷区代々木1-23―34のケツアーナカクテービルの5階です」
木崎が掃除屋への連絡を終わらせるとハイエースのエンジンを掛けた。
「米子ちゃん、疲れただろ? 喉渇いてないか? どっかでお茶でも飲もう」
藤川が言った。
「美味しいコーヒーが飲みたいです」
米子が言った。
「オペラシティの近くに美味しい喫茶店がある。木崎さん、案内しますのでお願いします」
藤川が言った。
純喫茶『魔巣柿男爵』は落ち着いた雰囲気の老舗の喫茶店だった。
「この店はマスターがハンドドリップで丁寧にコーヒーを淹れてくれるんだよ。チーズケーキとパフェも美味いぞ」
藤川が米子にメニューを見せながら言った。
「あの、ブルーマウンテンを頼んでもいいですか?」
米子が訊いた。
「いいよ、銘柄を指定するなんて通なんだな」
藤川が言った。
「ブルーマウンテンは高くて買えないから飲んでみたかったんです。普段は家でモカかコロンビアを飲んでます」
「粉を買ってるの?」
「近所のコーヒーショップで豆を買って電動ミルで挽いてます」
「へえ、自分で豆を挽いてるのか。女子高生なのに渋いな。俺はパフェを頼もうかな。こう見えても甘い物に目が無いんだ。木崎さんはどうします?」
藤川がメニューを見ながら言った。
「私はブレンドコーヒーでいいですよ」
木崎が言った。
「ここのコーヒー凄く美味しいです。ブルーマウンテンは苦みと酸味のバランスがいいですね。コクもあります。豆がいいのかもしれませんけど、きっと淹れ方がいいんですね」
米子が微かに笑顔を浮かべて言った。
「そうか、そりゃよかった。この店で焙煎した豆も売ってるから買って帰るといいよ」
藤川が言った。
「そうします。コロンビアあるかな~」
米子が笑顔で言った。米子は藤川の優しさと気さくな態度に安心感と好意を持った。久しぶりに会う頼りになる大人だと思った。
「しかし米子ちゃんは初陣にしては落ち着いてたね。次のアジト襲撃は戦闘になるかもしれないけど俺と木崎さんがいるから大丈夫だよ」
「暗殺じゃないんですか?」
米子が訊いた。
「場所は青梅の廃工場で奴らのアジトだ。ターゲットは4人だ。工場の奥にある事務所にいる所を襲う。基本は暗殺だが戦闘になる可能性があるから俺と藤川さんが援護する」
木崎が言った。
「ターゲットは武器を持ってるんですか?」
「諜報課の情報だとトカレフかマカロフを持ってるようだ」
「こっちも拳銃ですか?」
「拳銃だ。うちの事務所にはライフルやショットガンは置いて無い。まあ今後にそなえてアサルトライフルやサブマシンガンを常備するつもりだ。近々申請しようと思っているが今回は間に合わないだろう。申請しておいたP229は明後日には届くようだから使ってくれ」
「拳銃を持ってるって言ってもどうせ碌に訓練もしてないだろうから怖がる事はないよ。それに米子ちゃんは訓練所での射撃の成績は『特S』らしいじゃないか」
藤川が言った。
「あの、米子ちゃんって言うの止めてもらえますか? その名前、嫌いなんです」
米子が言った。
「そうなの? たしかに古風だけど親が付けてくれた名前なんだからそんなふうに言うもんじゃないよ」
「曾祖父が無理矢理付けた名前です。家業が米農家だったから米子にしたそうです。祖父や両親は反対だったらしいんですけど、曾祖父は親戚の中で絶対的存在だったから逆らえなかったそうです」
米子が説明した。
「ふーん。確かに15歳の女子高生で米子っていうのは少し可哀想だな。家庭裁判所へ申し立てを行えば変えられる可能性もあるが、正当な理由がないと却下されるぞ」
木崎が言った。
「知ってます。でも小学校や中学校でクラスメイトにバカにされました」
米子が抗議するように言った。
「名前なんて個人を識別するための記号だ。気にするな」
木崎が言った。
「そうは言っても華の女子高生じゃ気にしちゃうよね? 15歳の女子高生で米子じゃあなぁ。キラキラネームっていうやつも困りものだけど、古風すぎるのも考えものだよな。まあ俺は米子ちゃんって呼ばせてもらうけどね」
藤川が言った。
「じゃあパフェも頼んでいいですか?」
米子が言った。
「かまわないよ。米子ちゃんの初陣祝いだ。見事に成功させたもんな」
藤川が木崎を見て言った。
「ああ、見事だったな。だが次は厳しいぞ」
木崎が言った。
「訓練所で習った通りに実行しました。戦闘訓練も受けていますので次もなんとかなると思います。それに怖くはありません」
米子が言った。
「沢村、死を恐れろ。それが生きている証だ。死んだ人間に任務は実行できない」
木崎が諭すように言った。
「米子ちゃん、何度も言うようだけど俺がついてるから大丈夫だよ。おじさんだけど戦闘の経験は豊富だし、これでも元機動隊員なんだよ。木崎さんは元自衛官だし、おじさん達を頼りにしてくれていいんだぞ」
藤川が言った。
「あの、今日はもう帰っていいですか? お腹が空きました」
米子が言った。
「じゃあ飯でも食べに行くか。初陣祝いだから寿司とかステーキがいいかな? 美味しい鰻屋を知ってるからそこでもいいぞ。ちょっと高いけど、あそこの鰻重は絶品なんだよな。経費で落とすか」
藤川が嬉しそうに言った。
「『大将』の餃子が食べたいです。チャーハンと唐揚げも」
「へえ、欲が無いなあ。まあいいか。大将なら領収書切らなくても俺の奢りでいけるな」
藤川が笑顔で言った。




