02、リオネッロが連れてこられた理由
リオネッロはルイジおじさんの遠縁で、やはり私と同じく流行り病のせいで天涯孤独の身になったのだという。
「僕の村でも子供が何人か生き残ったんだ。でも気がふれたみたいになって川に飛び込んじゃった子もいたし、急に人が変わって盗みを働くようになった子もいて怖かった」
川から水を汲んで戻る帰り道、リオは青ざめて身震いした。
私たちはなぜか村の共同井戸を使えないので、毎日少し離れた小川から水を運び、煮沸して飲み水にしていた。
リオは小川を目にして、恐ろしい記憶を思い出してしまったのだろう。
「私の村にもいたわ。死にたがる女とか、村の子供たちを売っていた男とか」
私の声には図らずも軽蔑の色が混ざっていた。たっぷり水を汲んだ木製バケツの持ち手が指に食い込んで、私は顔をしかめた。
「そういう人は心に悪魔が入り込んでしまったんだって、教会の先生が言ってたよ」
リオの言葉に私は首をかしげた。
「教会の先生? 神父様じゃなくて?」
「そのうち神父様になるのかも」
リオは曖昧なことを言った。彼自身、よく分かっていないのだろう。だがすぐに付け加えた。
「でも先生はすごいんだよ。僕たちに歌を教えてくれたし、オルガンも弾けるし指揮もできるし、聖歌も作曲できたんだ。ナポリの音楽院で勉強したんだって!」
リオは目を輝かせた。
「ナポリかぁ」
私は遠く南の空を仰いだ。海辺の街ナポリは、私たちの暮らす教皇領から遥か南にあるらしい。教会の厳格な教えに縛られていないナポリでは、劇場音楽や美術など芸術が盛んだという。敬虔な人ほど、堕落した商売の街だとののしるけれど、きっと活気にあふれているんだろうな。
「僕の先生は優秀だから、ナポリにある音楽院に入れたんだよ、きっと。とっても綺麗なソプラノだったもん」
リオは自分のことのように胸を張った。
このころの私はまだ知らなかった。音楽院を卒業しながら地元に戻って聖職者になる男性ソプラノ歌手は、劇場で歌う夢に破れ、厳しい競争からこぼれ落ちた音楽家だなんて――
「リオの先生はソプラノだったの?」
私の村で少年たちに歌を教えていた神父様は、やわらかいテノールで歌っていた。
「そうだよ。僕たちのマエストロは特別な声を持っていたんだ。でも声の秘密、彼は絶対教えてくれなかったんだよ」
リオはぷくっと頬をふくらませた。
「ああ、私の村の教会でも、降誕祭に男性ソプラノ歌手が招かれたこと、あったわ」
降誕祭や復活祭など特別なイベントのときだけ、外部の歌手が雇われて歌いに来たのだ。
毎年、親戚みんなで暖炉を囲んで過ごした降誕祭の夜を思い出して、私の胸は締め付けられた。
リオと二人、傾いた家に戻ると、建付けの悪い扉の前でアンナおばさんが目を吊り上げて待っていた。
「水を汲みに行くだけで一体何時間かかるんだい? 日が暮れちまうよ、まったく!」
五月の日は長いのに、おばさんは時間にまでケチだった。
「リオネッロ、お前は男だっていうのにペチャクチャおしゃべりして、ちんたら歩いてるんじゃないよ、え?」
アンナに怒声を浴びせられて、リオの頬は青ざめた。リオはいつも精一杯明るく振舞おうと努力している。笑わなければ私たちは笑顔すら忘れてしまうから。
それなのに小さなリオの奮闘を無碍にして、このクソババア、許せない!
「リオは私より小柄なんだから、男の子だからって歩くのが早いわけじゃない」
私はリオを背中に隠すように前へ出ると、猛然と反論した。
「口答えするのかい? 生意気な小娘だね」
「リオは私の弟よ。私が彼を守るのは当然だわ」
木製のバケツを勢いよく地面に置くと、水が跳ねて私とアンナの脚を濡らした。
「弟だって? 血もつながっていないくせに」
アンナは唇の端を醜く歪めた。
「リオは私を家族だと言ってくれた」
「つまんないこと言ってないで、早く水を甕に移すんだよ!」
アンナおばさんは勢いよく腕を振り上げ、家の中を指さした。
私とリオが薄暗い室内に入ろうとすると、
「二人でやることないよ! リオネッロは畑を耕してきな!」
苛立った声で命令した。
リオは素直に従い、鍬を取りに行った。私が二人分の水を室内に運んでいると、
「オリヴィア、あんたも水を入れ終わったらリオネッロを手伝うんだよ。あのチビ一人じゃいつまで経っても畑仕事なんざ終わらないんだから」
舌打ちしながら去っていった。
うるさいのが消えたのでホッとしながら、私はせっせと甕に水を移した。早くリオのもとに行きたかった。
厨房を出て浮かれた足取りで廊下を歩いているとき、斜めになった扉の隙間からアンナおばさんの部屋の中が見えた。冷たい石の床に這いつくばって、アンナは必死になって何かを数えていた。
鬼気迫る背中にぞっとして、私は家の外へ逃げ出した。
裏口から畑へ出ると、あたたかい日差しにほっとする。
一体アンナは何を数えていたんだろう? あの茶色くて丸い小さなものは何?
太陽のまぶしさに目を細めて、農具をしまった小屋へ向かうと、どこからか美しい歌声が聞こえてきた。春風がそよぐかのような優しい声に包まれて、私は足を止めた。
「Laudamus te, benedicimus te――」
ラテン語の聖歌だ。でもあの旋律は――
なぜだろう、母さんが歌っていたなつかしいあのメロディーと一緒なんだ。
気付くと私の頬は濡れていた。
「Adoramus te, glorificamus te――」
甘いソプラノで聖歌を口ずさみながら小屋から出てきたリオは、私に気付くと息をのんだ。
「どうしたの、オリヴィア!?」
鍬を放り出して駆け寄ってくる。
「なんで泣いてるの? アンナにいじめられた?」
「違うよ」
私の小さな声が聞こえたのか聞こえなかったのか、彼は私を強く抱きしめた。
「泣きたいなら僕の胸で泣いて」
胸で――って、私の方が身長高いじゃないか。
私はリオの柔らかいブロンドに頬を寄せたまま、くすっと笑った。
「あれっ? オリヴィア、笑ってる!?」
リオは私から体を離すと、両手で私の二の腕をつかんだまま安堵の笑みを浮かべた。
「悲しいこともつらいことも全部、僕に話してね。オリヴィアの話ならなんでも聞きたいから」
優しいまなざしで私を見つめる榛色の瞳は、どこまでも澄んでいた。
私の心はふわりとあたたかくなる。いや、あたたかいなんてもんじゃない。暖炉の前に立っているみたいに熱くなってきた!
次回、リオが村の教会所属の聖歌隊に加わります。
でもオリヴィアは?