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男装の歌姫は悲劇の天使に溺愛される~彼は私を守るため天使になった。私は彼と生きるために男装する~  作者: 綾森れん
第二幕、ナポリの音楽院

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23、船旅(ローマからナポリへ)

 ナポリは遠かった。


 村を出てから数時間後に到着した町で昼食を取り、馬を変え、馬車はさらに走った。


 日が傾く頃、私たちはようやく港町チヴィタヴェッキアに到着した。だがまだここは教皇領だ。


 海平線に沈みゆく大きな夕陽が、波立つ海面を金と橙に染め上げている。桟橋に沿っていくつも並ぶ船は一日の仕事を終え、帆影を水面(みなも)に投げかけていた。


 そこかしこに積み上げられた木箱や麻袋が、昼間の喧騒を物語る。


 だが岸辺の露店に目を転じれば、商人たちが吊り下げたランプに火を灯し始めた頃合いだ。魚介を焼く香ばしい匂いやオリーブオイルの香りが潮風に乗って漂い、鼻孔(びこう)をくすぐる。


「今夜はこの町で宿を取ります。明日以降、良い風が吹けば船が出るでしょう」


 私は数日間の足止めを覚悟した。


 翌朝、宿の寝室で目を覚まして鎧戸を開けると、ティレニア海の輝く波間から冬の遅い朝日が頭をのぞかせているのが、朝霧のカーテンの向こうに透けて見えた。太陽は見る間に姿を現し、曙光は黄金の翼となってチヴィタヴェッキア港を包み込んだ。


 朝食を食べに食堂へ降りると、ジャンとリオはすでにテーブルについていた。


「オリヴィエーロ、ナポリ行きの船が今日、出るそうです」


 出発までにはまだ時間があると思っていた私の胸は、突然告げられた出発に高鳴った。


 リオは固いパンをちぎりながら、


「どれくらいでナポリに着くの?」


 とジャンに尋ねた。


「ずっと順風が吹いていれば明日の朝には着きますが、そんなラッキーなことはめったに起こりません。丸二日くらい船の中で過ごす覚悟でいてください」


「てことは船の中に泊まるんだ!」


 リオは目を輝かせた。


 朝食をすまし、支度を終えて宿を出ると、岸辺から威勢の良い男たちの声が聞こえてきた。張りつめた朝の冷気を物ともせず、たくましい薄着の男たちが船に荷を積んでいく。


「私たちが乗るのはあの船です」


 ジャンが指さしたのは、白い帆をいくつも備えた勇壮な木造船だった。教会の尖塔のように空高く伸びたマストの上では、カモメたちが翼を広げて優雅に旋回している。


「すごくかっこいい船!」


 リオは歓声を上げると、私の手を引いて駆け出した。


「こらこら待ちなさい。上船前に簡単な手続きがありますから」


 ジャンの言った手続きは確かに簡単なもので、私たち二人の身元を証明する紙切れを船員に見せただけだった。だが問題は、私が名前も性別も偽っているという点だ。


「そんなのいつ誰が用意してくれたの?」


「君たちの村の教会にいる老神父殿ですよ」


 疑り深い私の問いにジャンはさらりと答えた。


「君たちは生まれた村を出てしまったけれど、教会には出生後間もない洗礼の記録があるものですからな、庶民の身元を明らかにするには充分なんですよ」


 老神父の暗躍っぷりに、私はあきれを通り越して感心してしまった。


 リオは船室につながる急な階段を下りながら、ジャンを振り返った。


「おじさんの身分は証明しないの? 船員さんと知り合いって感じだったけど」


「ハハハ、この船は私の雇い主の持ち物みたいなものですからね」


「船、持ってるの!?」


 リオの声が高くなった。


「僕も歌手として成功したらこんなおっきな船、買える!?」


「うーん、豪邸を建てる者や楽器をコレクションする者は知っていますが」


 首をひねるジャンのうしろから私は口をはさんだ。


「リオ、この人の(あるじ)って多分、貴族よ」


「貴族しか船は買えないのかぁ」


 子供らしくがっかりするリオに、ジャンは真面目な顔で説明した。


「正確には船を所有しているのは会社なのですが、その会社の株のほとんどを私の雇い主が持っているのですよ」


「かぶって野菜の話?」


 好奇心旺盛なリオがジャンに色々な質問をしているうちに、出港を告げる船鐘が鳴り響いた。係留ロープのいましめを解かれた船は堂々と帆をかかげ、いよいよ海上に進み出る。


 停泊中とは異なる揺れが伝わってくると、さっきまで元気だったリオは急に青ざめた。


「おうちより大きいのに水に浮かぶなんて変じゃない?」


 言われてみればその通りだ。船室のベッドに腰かけているのに、床が抜けたような恐怖に襲われる。


「船って沈むことあるよね?」


 私も震える声でジャンに尋ねた。


「天候不良の際は近くの港で待つから大丈夫ですよ」


 ジャンは小さな木のテーブルに向かって書き物をしながら、顔も上げずに答えた。


「大西洋を横断する大冒険に出かけるわけでもないのに、沈むだなんて大げさな」


「大冒険……!」


 ジャンの独り言にリオが反応した。 


「オリヴィエーロ、甲板に行ってみよ!」


 リオは躊躇なく私を偽名で呼ぶと、また手を握った。ころころと表情を変えるリオがかわいくて、私は迷いなくベッドから立ち上がった。


「働いている船員たちの邪魔にならないようにしなさい」


 一応ジャンの許可を得られたので、私たちは埃っぽい船室を出て、ほとんど梯子のような階段を登った。


「まぶしい」


 薄暗い船室から顔を出した私の視界に、あふれんばかりの陽光が降り注ぐ。古い木の匂いが充満した船室から解放されて、私は胸いっぱい潮風を吸い込んだ。見上げれば船の帆も風を受けて大きくふくらんでいる。


「オリヴィエーロ、ちっちゃな舟がいくつも浮かんでるよ。見える?」


 リオが海岸線の近くを指さした。輝く波間に、小舟が落ち葉のように散らばっている。


 船は沖に出ることなく、つねに陸地近くの穏やかな海を航行していた。岩場や砂浜の間に時折、小さな漁村が現れる。波に抱かれた船の揺れに身をゆだねて、私たちは飽きもせず海岸の景色を眺めていた。


 その夜は船室の二段ベッドで寝た。横になって目をつむると、立っているときより揺れを感じた。ゆりかごの中にいるようで心地よく、私は深い眠りに落ちて行った。


 翌朝もまだ船は洋上にいた。天候もよく、順調に進んでいるように思えたが、丸一日ではナポリまでたどり着かなかった。


「風が弱いのでしょうねぇ。逆風よりはずっとよいのですが」


 干し葡萄と胡桃をつまみに赤ワインを飲みながら、ジャンが解説した。私たちには特別よい食事が供されているらしい。ジャンは固いビスケットに眉をしかめていたが、私とリオには全てがごちそうだった。私は塩辛い干し(だら)の欠片を口の中でなめて柔らかくしながら、あと三日くらい洋上の暮らしが続いても構わないと思っていた。


 だが船はその日の夕方、ナポリ港に到着した。沖合に沈んでいく夕陽が帆を透かし、桟橋に大きな影を投げかける。太いロープが何本も投げられ、桟橋の杭に係留された。


「これがナポリ王国――」

ようやくナポリにつきました。

次回は音楽院へ向かいます!

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