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01、オリヴィアがリオと出会った日

 流行り病で両親を失ったとき、私は十歳だった。一緒に暮らしていた祖父母も、はす向かいの家に住んでいた叔父一家も、教会の向こうに家を建てた従兄(いとこ)たちも、全員帰らぬ人となった。


 村中が死の匂いに包まれる中、数人の子供と若者が生き残った。私もその一人。罹患しなかった者たちの年代は、なぜか偏っていたのだ。だがそれを疑問に思うほど、私は冷静ではなかった。


 ――病から守られたことを神に感謝しましょう、などとささやいてくれるはずの神父様も、もういない。


 ショックが大きすぎたのか、当時の記憶は曖昧だ。弔うことも棺の用意もできず、年長の若い男性の指示で穴を掘って皆の遺体を埋めていた光景が、ただぼんやりとよみがえる。


 ――どうして私だけ生き残ったの!?


 少し年上の少女が、泥だらけの両手で顔を覆って泣き叫んでいた。


 ――いっそ私も一緒に逝きたかった!


 私は、そうは思わない。麻痺していた私の心に、小さな意志が戻ってきた。


 湿った大地を両足で踏みしめながら、私はまだ生きていることを噛みしめていた。


 明日からもまた、私は生きてゆくのだ。どんな悲劇も私から生きる力を奪うことはできない。


 年長の青年に従って村の子供たちは生活し始めた。


 だが一人また一人と姿を消してゆく。死にたがりの少女もいなくなった。


 ――あいつはちょうどいい年齢だったからな。分かるか?


 小生意気な少年が鼻の下をこすりながら、したり顔で話しかけてきた。


 ――ガリガリばっかりの中じゃあ乳もでかかったし。


 何が起きているのか正確なことは分からないのに、私は戦慄した。


 逃げなきゃ、という焦燥感に襲われた。


 だがどこへ?


 何も思いつかないまま事態はある日、思いがけない形で好転した。


 年かさの青年が死んだのだ。


 ――人買いといざこざ起こしたんだってさ。

 ――()を吊り上げようとして、殴られたんだろ?

 ――それで倒れたら、頭を打ったんだって。


 私は子供たちの噂話に加わらなかったが、大体想像がついた。


 彼らと群れても、また悪しきリーダーが出てくるだけだ。私は自分だけを信じて生きていく。


 そう決意したすぐあとに、私は離れた村に住む、会ったこともない遠縁の女性に引き取られた。


 女性の名はアンナといった。亡くなった母さんより少し年上だろうか? 年老いているわけでもないのに爪は黄土色に変わり、瞳はどろりと淀んでいた。


「お前、名前は?」


 ぞんざいな口調で尋ねたおばさんに、


「オリヴィアです」


 私は、はっきりと答えた。


「オリヴィア、いいかい。ただ飯をくらわせる気はないからね、しっかり働くんだよ」


「はい、アンナおばさん」


 まっすぐ彼女を見上げる私を、庭外れの小屋から憐れむように見つめる視線があった。アンナの夫ルイジが、疲れ果てた目を私に向けていた。革職人である彼は、一日の大半を工房である傾きかけた小屋で過ごしていた。


 夫婦に子供はいなかったから、私は働き手としてもらわれたのだと思っていた。革職人であるおじさんの仕事を継ぐにせよ、畑仕事にせよ、女の子をもらうはずはないのだが、幼い私はそこまで考えなかったのだ。


 母屋は空き家を改造したような、半分廃墟のような家だった。食事はほとんど毎日、裏の畑で穫れた芋のスープ。時々ルイジおじさんが革製品を街まで売りに行き、硬いパンとチーズを買ってきた。


「街のパン屋は高いんじゃないかい?」


 アンナおばさんは声を荒らげた。


「チーズなんて贅沢品だよ!」


 食べなきゃ意味ないのに、後生大事にカップボードの一番上の段に隠してしまった。


 ルイジおじさんは老犬みたいに悲しげな目で、すまなそうに私を見下ろした。


 夕食時、おばさんのよそってくれる芋のスープには、底のほうにわずかばかりのレンズ豆がひそんでいるだけ。おじさんはちゃんと働いているのに、アンナおばさんの吝嗇(りんしょく)は度を越している。二人を観察すればするほど、疑問は増えていった。


 まずルイジおじさんは、なぜこんな客もいない田舎の村で革職人をやっているのか?


 私の父はしがない楽器職人だったが、農閑期に村を訪れる旅芸人の一座が大切なお客さんだった。村に一つしかない教会の古いパイプオルガンが鳴り出したまま止まらなくなった時も、父が直した。オルガンの修理なんて畑違いだとぼやきながら、皆に頼りにされたらやってのける父がかっこよかった。


 一方、ルイジおじさんがこの村で仕事をする理由は、全くないように見えた。アンナかルイジのどちらかが、この村出身なのだろうか? だがそれなら村はずれに住み、ほかの村人と交流がないのは妙だ。


 流行り病の影響が少なかったこの村の人々は今も助け合って暮らしているのに、アンナとルイジだけが孤立していた。


 村の子供たちと遊ぶこともできない私は、畑仕事をしながら心の中だけで歌を繰り返していた。若いころは酒場で歌っていたという母さんが、父さんの自作ギターを伴奏に口ずさんでいたメロディーだ。家族みんなで歌った記憶が鮮やかによみがえる。曲も歌詞も覚えているのに、口を開いても私の声は出なかった。


 来る日も来る日も茶色い土ばかり見下ろしていた私の耳に、ある日突然、澄んだ日差しのような声が届いた。


「ここが僕の家?」


 振り返ると、アンナおばさんに連れられて、愛らしい少年がこちらに歩いてくるのが見えた。そよ風に揺れる金髪は五月の太陽を受けて輝き、榛色(はしばみいろ)の瞳には生き生きとした光が踊っている。


「そうだよ。ただ飯をくらわせる気はないからね、しっかり働くんだよ」


 ケチなアンナは私のときと同じせりふを繰り返した。


「うん! あの女の子のお手伝いすればいい?」


 アンナの答えを待つことなく、少年は私のもとへ駆け寄ってきた。


「こんにちは。僕、リオネッロ。君は?」


 少年は私のとなりにしゃがみこむと、長いまつ毛に縁どられた瞳で私を見上げた。


「オリヴィア」


 小声で答えた私を、彼は両腕を広げて抱きしめた。


「オリヴィア、君と家族になれて嬉しいよ」


 彼の体温が伝わってきて、凍り付いていた私の心に火が灯った。


「僕のことはリオって呼んで」


 リオもこの家にもらわれてきたの? と尋ねようとして私は口をつぐんだ。流行り病に襲われたのは私の村だけではない。もしリオが私と同じ理由でここに来たなら、つらい身の上話をさせることになる。


「リオは何歳?」


 代わりに私は当たり障りのない質問を選んだ。


「九歳。オリヴィアは?」


 リオは私の肩にからめていた腕をほどいて、まっすぐ私を見つめた。


「私は十歳」


「うふふ、僕にすっごく美人なお姉ちゃんができちゃった!」


 リオはくしゃっと笑った。


 本気とも冗談ともつかぬ言葉に、私は戸惑って目をそらした。


 ふと視線を上げると、リオのうしろには真っ青な空が広がり、白い雲が浮かんでいた。遠くの木々は青々と萌え、森へと続く小道には色とりどりの小さな花が咲き乱れていた。


 世界はこんなにも色にあふれていたのか。


 モノトーンに覆われていた私の世界に、色と光が舞い降りた。

次回『リオネッロが連れてこられた理由』です。

リオが歌うシーンもちょこっとだけ、あるよ。

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