もう一度
ギルドの中へ入っていくと、重たいドアとそれとは反対に軽いドアベルの音が聞こえてくる。
時刻は既に午後一時を回っている。
朝に貼られためぼしい依頼は既に冒険者達の争奪戦によって消えている。
そのせいか人影も少なく、冒険者達は既に各々の冒険へと出かけているようだった。
「えっと……」
ギルドに来るのも久しぶりだったので、なんだかキョドってしまう。
そんな俺をいぶかしいと思ったからか、まばらに散っている冒険者達もちょっと俺から距離を取っていた。
以前来た時には並びが十人を超えている受付にも、今は誰も並んでいない。
歩いていけば、そこには物憂げな顔をした受付嬢のメリッサさんの姿があった。
「はぁ……」
職務中の彼女はキビキビとしているイメージがあったけれど、今の彼女はどこか気もそぞろな感じがして、明らかに受け付け業務に気合いが入っていない。
俺が近付いてもそれに気付いてすらいないわけだし。
「お久しぶりです、メリッサさん」
「え? なんだマサル君か…………マサル君ッ!?」
一度顔を上げてから再び顔を下げ、そしてものすごい勢いでこちらを見つめてくる。
ぎょっと目を見開いた顔に、こちらもびっくりしてしまう。
「はい、たしかに俺はマサルですけど……」
「無事だったの!? ――うっ、すごい匂い……なんにせよ、無事でよかったわ……」
流石のプロ意識で対応してくれるメリッサさん。
ただどうやら匂いをシャットダウンするために鼻呼吸を止めているらしく、その声は少しくぐもっていた。
……そうだ、忘れてた。
今の俺、『騎士の聖骸』でついた汚れを落としてないからとんでもない匂いがするんだった。
「やっぱり匂いますかね……?(くんくん)」
自分で嗅いでみてもまったくわからない。
完全に鼻がオシャカになってしまっているようだ。
おかしくなった嗅覚って、回復魔法で治るのかな……?
「すごい匂いよ……でもものすごい匂いではないわ。どうやらしっかり、匂い対策はしてきたみたいね」
「はい、一応は」
どうやらメリッサさんは、俺がめちゃくちゃこまめに身体を拭いたりしていたと勘違いしてくれたらしい。
つまりダンジョンの中できっちり身体を拭いてからやってきても、受付嬢のメリッサさんが鼻で息をするのをやめるほどの匂いが残るわけだ。
皆が『騎士の聖骸』に潜らないのも道理だな。
ずっと潜ってたら、異性にモテないとかそういう次元の話ではなく、他人とのコミュニケーションに支障を来してしまいそうな感じがひしひしとしてくる。
でも俺は、そんなことは言ってられない。
この後はアンデッドだらけのダンジョンを攻略することになるんだからな。
って、まずはその前に依頼の達成からだな。
スケルトンソルジャーの核の破片の詰まった巾着袋を取り出そうとした手を止める。
――目の前で座っているメリッサさんが、目を潤ませていた。
「本当に……良かった、帰ってきてくれて……ずっと心配してたのよ。私が勧めた依頼を受けてから十日以上音沙汰なしなんだもの、もしものことがあったらと思うと気が気じゃなかったわ」
「それは……ご迷惑をおかけしました」
このアリステラにも、自分のことを心配してくれている人がいるのだ。
そのありがたさに、なんだか俺もちょっとだけ泣きそうになった。
ずっと一人でいたから、人の優しさに弱くなってしまったのかもしれない。
ゆっくりと深呼吸を一度、二度……よし、もう大丈夫だ。
気を取り直してからアイテムボックスを発動させる。
「メリッサさん、これなんですが……」
そう言って俺が取り出すのは、浅葱色の生地の上に万華鏡のような柄が縫い込まれている、絶妙に和風な感じの巾着袋だ。
手渡されたメリッサさんは「ちょっとおしゃれ……」と呟いてから、結ばれていた紐をほどく。
……異世界人目線だとオシャレになるのか、これ。
「――って、ええっ!? もしかしてマサル君……ずっと『騎士の聖骸』に潜ってたの!?」
「え、そうですけど……何かマズかったですか?」
「別にマズくはないけど……冒険初心者のマサル君が、いきなり長期間ダンジョンに潜るのは蛮勇通り越して野蛮よ」
「蛮勇通り越して野蛮……」
「しかもこれ……スケルトンじゃなくてスケルトンソルジャーの核の欠片じゃない! たしかにこっちならある程度の値段で売れるとは言ったけど……」
メリッサさんから渡された依頼書に書かれていたのはスケルトン、もしくはスケルトンソルジャーの核の納品依頼だった。
ソロでダンジョン攻略をするだけでも無謀なのに、更に長期間第五階層にまで潜っていたということもあり、メリッサさんは完全にお冠だった。
俺のことを心配してくれるのはありがたい。
だからこれから先にすることを、彼女には言うわけにはいかないな。
俺はスケルトンソルジャーの核の欠片を売ってとりあえずの金銭を手に入れてから、二階にある資料室へ出向き、魔物図鑑を全てスマホで撮影することにした。
そしてそのままの足で、再び『騎士の聖骸』へと向かおうとする。
去り際、ギルドを出ようとする俺の背中に声がかかった。
「マサル君……次もちゃんと、帰ってくるのよ!」
「――はいっ!」
それがいつになるかはわからないけど。
どんな結果に終わるにせよ、もう一度ギルドには顔を出すことにしよう。
グリスニアを風になって走り抜けながら、俺はそう心に誓うのだった――。