9 サイジュベル侯爵とアディラ夫人はいさかう
デズリーとジュリーの夫妻はいまや魔物の手先になり、サイジュベル城で『魔物化』を進めようとしている。その最初の傀儡であるエドモンは、城内のどこかにいまだに潜伏しているはずだ。
ランド、チビット、ゴーラは自室で作戦会議を続けている。
「こうなったら」とチビットが意見する。「デズリー夫妻に魔物の息がかかっているのをサイジュベル侯爵に知らせ、あの2人を閉じこめてしまえばいいのよ」
いや、とランドは首をふった。
「侯爵が納得するとはかぎらないよ。ぼくの推測が正しいと決まったわけじゃないんだ。まずはその証拠をにぎらないとだめじゃないかな」
「夫妻のどちらかが、誰かに病毒を吹きこんでいる現場をおさえるとか」
「そうだね。いまのところは、2人を監視しながらおよがしておこう。問題は、どこに潜んでいるかわからないエドモンのほうだ」
全ての城門は封鎖されている。それにもかかわらず、しらみつぶしに探した城内のどこにも、エドモンの姿は見つけられなかった。
「エドモンは魔性の存在なんだから、城壁をすり抜けられるんじゃないかしら」
「それはどうだろう?」
エドモンが、サイジュベル城を去ってくれていればありがたい。しかし、『壁抜け』の魔力をもっているなら、4人の門衛を土くれのように殺し、正門を突破する必要はなかったはずだ。
エドモンは行方がわからない以上、手のうちようがない。『魔物化』の感染源になる、デズリーとジュリーを見張る手はずを話しあうことにした。
「ゴーラを『魔除けの像』として、こんどはデズリー夫妻の寝室に置いたら?」
チビットの意見に、ゴーラがいやいやと首をふる。
「おいらは嫌なんだな。『枯れ死病』の患者と同じ部屋は遠慮するんだな」
いまだにゴーラは『魔物化』と『枯れ死病』を混同している。
ランドも賛成しかねる。「デズリーは承知しないんじゃないかな。朝食の席で、ゴーラはドゴーラ男爵として、デズリー夫妻に紹介されている。『魔除けの像』の正体にさすがに気づくよ」
「そうなんだな。絶対、ばれるに決まってるんだな」
チビットの案には無理があると断念した。ランドたちは3人で手分けして、デズリーとジュリーの見張りにあたることにした。
「監視するのはその2人だけでいいのかしら」
チビットの疑問はもっともだ。『魔物化』した人物が他にもいるかもしれない。
「それは確かめたほうが良さそうだ。相手の肌が黄色っぽく変色していたら、魔物の息を吹きこまれていると判断して間違いない」
ランド、チビット、ゴーラは、サイジュベル城の住人、兵士、使用人の顔色を確認するために自室を出た。
回廊の先の大階段の下り口に、ジュリーとサリーの手をつないだうしろ姿があった。姉妹を2人きりにしてはいけない。ランドはすぐさま声をかける。
「サリーさん、どこにいらっしゃるんですか」
姉妹が同時にふりむいた。ランドの強い口調に、サリーがいぶかしげな視線を向けている。ジュリーの目はじっとして動かない。
「お姉さまに、体調が良くなったので中庭を散歩しようと誘われたんです」
「では、わたしもお供しましょう。エドモンが城内に潜んでいる疑いがあるんです。ジュリーさん。だんなさんは部屋にいらっしゃるんですか」
「ええ」ジュリーが視線をゆるがさずにうなずいた。
「ゴーラ」とランドはささやいた。「デズリーが自室にいるのを確認して、部屋をはりこむんだ。デズリーから目を離すんじゃない」
チビットは、なにかあったさいの連絡係としてゴーラの頭上に残した。
大階段とは反対側のドアが開いて、カランがあらわれた。足早にこちらに向かってくる。ゴーラが不動の姿勢をとり、その背後にチビットがさっと隠れた。
カランは、ジュリーの治療を断わられ、まだいらだっている様子だ。ゴーラの前で足を止めると、その端整な顔を不快そうにしかめた。
「この城内には、不細工な彫像が何体もあるみたいですね」
ランドにそう言いすてると、大階段の降り口を通りすぎ、回廊の先に進んでいく。サイジュベル侯爵の居室に向かっているのかもしれない。
その間に、ジュリーとサリーが階段を下りている。ランドはそのあとを追った。談笑する姉妹に踊り場で追いついた。
「わたしもお供すると言いましたよ。置いていかないでください」
サイジュベル姉妹がふりかえった。
「お姉さまがデズリーさんと結婚してから、わたしたちが会うのは1年ぶりなんです。つもる話がたくさんあります」
「サリーにも、ジュリアス男爵との縁談が決まっているんですよ」
よかったわね、と話しかけられたサリーはあまりうれしそうじゃなかった。
中庭に出ると、ランドは城の警備状況をうかがった。鎖帷子と長剣で武装した兵士が、城壁の門に配置され、その上の狭間回廊を巡回している。主塔の4階の窓からは見張り兵の顔がのぞいている。
ジュリーがサリーの手を引いて、どんどん先に進んでいく。城館と主塔のあいだを抜け、城壁の裏門に向かっているようだ。
「ジュリーさん、待ってください。どこに行くんですか」
ランドの足は主塔をまわりこんだところで止まった。そこに直径1メートルほどの盛土があったのだ。モグラ穴を埋めなおしたようにも見える。こんな大きなモグラがいるはずがない。
何者かが潜伏していた穴ではないか。ランドは、そこから這い出したエドモンが、らんらんと目を光らせる様を想像し、馬鹿らしいとそれをうち消した。
裏門の前では、4人の守備兵と、サイジュベル姉妹がもめているようだ。
ランドはその場に駆けよった。「どうしましたか」
「これはランドール伯爵殿」守備兵のうち年配の兵士が苦りきっている。「お嬢さまがたが、先の侯爵夫人の墓参りをしたいとおっしゃるんです」
先の侯爵夫人とは、サイジュベル姉妹の10年前に亡くなった実母だろう。裏門の外には、森を切りひらいた庭園が広がっている。その奥に建つ礼拝堂の地下が納骨堂になっていた。
ジュリーがランドに向きなおった。
「1年ぶりに実家に戻ったので、墓前にお花を供えたいんです。お父さまは、わたしたちの本当のお母さまをないがしろにしています。明日は、そのお母さまの命日なんですよ。きっと忘れているに違いないわ」
墓参だと言われれば、ランドは引き止めにくい。エドモンがサイジュベル城に潜伏しているなら、むしろ城外のほうが安全だろう。エドモンがあらわれたら、そのときは返り討ちにしてやる。
ランドは複合弓を、イエイツの司祭館に置いてきたのを後悔した。サイジュベル城でのお祝いの席にはそぐわないと考えたのだ。
ランドは自分が護衛にあたるからと守備兵に裏門を開けさせた。
庭園から、4人の兵士を振りかえる。兜の下の日焼けした顔が、『魔物化』による変色かどうかは判断できなかった。
庭の中央に石畳の小道がのびている。その片側に、手入れのされていないケヤキが並び、反対側には、雑草の生いしげる花壇が広がっている。伸びほうだいの芝草のあいだに、枯れた噴水がのぞく。新しい庭師はずっと雇っていないようだ。
ジュリーが花壇の花を摘んでいる。色とりどりの季節の草花を前にしゃがんでいる姉妹の姿は、ランドには好ましいものに思えた。その姉のジュリーは、魔物の手先かもしれないのだ。
サイジュベル姉妹が先に立ち、ランドはそのうしろに従った。小道の先の並木ごしに、石造りの礼拝堂の灰色の側面がかいま見える。3日前の晩、逃げたエドモンの行方を追い、ランドはその堂内の捜索をしていた。
両開き扉をくぐった堂内はひんやりしていた。切妻屋根の天井は低く、左右の壁から日光のさしこむ身廊の先に祭壇がしつらえてある。その奥に、納骨堂に下りる階段の口が開いていた。
ランドは、堂内の備えつけのロウソクに火を灯し、サイジュベル姉妹とともに納骨堂に下りていった。壁に作られた棚には、サイジュベル家の先祖代々の棺が並んでいる。奥の棚ほど古いもののようだ。一番手前の棺に花をそなえ祈りをささげる姉妹をランドは見守っていた。
墓参りを終えて、城壁の裏門からサイジュベル城に戻ってきた。何事もなくすんで、ランドは安堵の胸をなでおろしていた。
城館の2階の回廊には、直立不動のゴーラと、その頭上のチビットが、デズリーの監視にあたっていた。サイジュベル姉妹がそれぞれの部屋に入っていった。
「デズリーのほうは変わりなかったか」
ランドの質問に答えたのはチビットだ。
「さっきまで玄関ホールのテーブルで、サイジュベル侯爵に融資の相談をもちかけていたわ。いまは部屋に戻っている」
うしなった商船の損害を補填する話しあいが侯爵とついたらしい。デズリーに特にあやしい動きはなかったという。
城の建つ丘のふもとの町から、正午を知らせる鐘が遠く聞こえてきた。
ランド、チビット、ゴーラは食堂に下りていった。カランは自室に閉じこもり、給仕に昼食を運ばせていた。ジュリーの治療を断わられたのが、よほど腹にすえかねているのだろう。
ジュリーとデズリーは食事のあとずっと寝室から出てこなかった。監視対象の2人に不審な動きのないまま、夕闇がせまってきた。
ランドは回廊の手すりに身をもたせていた。奥の部屋からようやくカランが姿を見せた。ディナーはサイジュベル侯爵の家族といっしょにとるという。ランドは室内にとってかえした。
「ゴーラ、今日の夕食はあきらめるんだ。カランが食堂に下りていった」
『この城内には、不細工な彫像が何体もあるみたいですね』
カランはそう毒づいていた。ゴーラを置物と勘違いしているのだ。
「それを夕食の席で、ドゴーラ男爵だと紹介されれば、かつていっしょに冒険したゴーレムだと、記憶力の悪いカランもさすがに気づく」
「うへえ。おいらは受難者なんだな。この城に来てから、さんざんなんだな」
ゴーラは、王様ゲームの特権で決まった舞踏会に参加できなかった。鎧武者の仮装をしたら、侯爵に戦槌を叩きつけられた。チビットにはヘアスタイルをいたずらされた。今日のディナーはおあずけになった。
「あとでちゃんと食事を運ばせるから」とランドは拝みたおし、ゴーラには体調不良をおこしてもらうことにした。
夕食の席で顔を合わせたサイジュベル侯爵、アディラ夫人、サリー、ジュリアス男爵の顔色に変化はなかった。デズリー夫妻の枯れ葉色の肌は相変わらずだ。
ディナーには贅沢なメニューが並んだが、会食は黙りがちになった。魔物と化したエドモンの行方がいまだにわからないのが、みんなの口を閉ざさせているのだろう。食器のたてる音だけが食堂に響いている。
「あのエドモンが」とジュリアス男爵が口をひらいた。「魔物の手先だったとはねえ。どうりで、おれをえらい力で突きとばしたはずだ」
サイジュベル侯爵が相づちをうつ。「そうだ。あいつが『枯れ死病』を領内に蔓延させ、領民を殺していたのだ。なんともいまわしい」
「違います」声を荒らげたのはアディラ侯爵夫人だった。
アディラは唇を引きむすび、細い肩を小刻みに震わせている。彼女はエドモンの実の母親だ。口数の少ない夫人だとランドは思っていたが、息子に対する中傷にじっと耐え忍んでいたのだろう。
「なにが違う。あいつが馬車を突きとばし、サリーの寝室に侵入し、ジュリーを連れだし、4人の門衛を殺したのを何人も目撃しているのだぞ」
「きっと偽者に違いありません。魔物がエドモンに化けているんです」
「バカらしい。エドモンが最初に魔に魅入られたのは、その本性に理由があるに違いない。義理とはいえ、自分の妹に懸想するやつだからな。その不埒な血は、芸人だったおまえから受け継いだものだ」
「あんまりですわ」アディラ夫人が音をたてて立ちあがった。両手で顔をおおい、ドレスのすそをゆらして足早に食堂を出ていく。
サイジュベル侯爵は言いすぎだ。ランドは腹がたった。エドモンとサリーが恋仲になったのがよほど我慢ならないのだろう。その憤懣が、アディラ夫人に対する言いがかりとして爆発したに違いない。
眉間にしわを寄せ、唇を引き結んだサイジュベル侯爵の顔には、後悔の色がありありと表われていた。
続