8 イエイツ司祭に悪魔との契約を告解する
イエイツ司祭
サイジュベル侯爵の長女ジュリーが『枯れ死病』にかかったらしい。ランドール伯爵と治癒師の一行が、その様子を確かめに馬車で出かけた。
わしは、教区教会をいつまでも空けていられないので同行しなかった。あんな恐ろしい病気の疑いのある患者のもとになど行けるものか。
いまは告解室の司祭の席についている。隣室のドアの開く音がして、細かい格子で目隠しされた窓の向こうに、告解者がひざまずく気配がした。
わしは仕切り壁に向かい、威儀を正して咳払いした。
「あなたの告白を聞きます。アトレイ神はどんな罪であれ許してくださります」
「ぼくは、恐ろしい悪魔と、とんでもない契約を結んでしまいました」
懺悔者は、その声から20才そこそこの男性らしい。悪魔とは大げさだが、『悪魔のような人間』という意味なのだろう。
「わかりました。くわしくお話しください」
「ぼくは、母の再婚相手のご息女に恋してしまったんです。彼女も、義理の兄であるぼくの愛をうけいれてくれました」
「血はつながっていないのでしょう。それは罪ではありません」
「彼女には、義父の決めた婚約者がいます。義父は、ぼくと妹の結婚をぜったいに許しません。2人の関係を知ると、ぼくと彼女を離ればなれにしました」
聞いたような話だと思ったが、わしは告解者に先を続けさせた。
「それで、ぼくは悪魔と取引をしてしまったんです」
「それはどういう内容なんですか。わかるように話してください」
「居場所をうしない、途方にくれたぼくは、人里はなれた谷間を歩いていました」
すると、足もとの地面が不意に盛りあがり、告解者は驚いてしりぞいた。そこから大きな悪魔の首が生えてきたという。
「それは人間の頭部の二倍はあったでしょうか。ごつごつした岩の肌をして、頭頂部に短い五本の角がありました。落ちくぼんだ眼窩の目が燃えあがり、耳まで裂けた口でせせら笑っているんです」
わしは心臓をわしづかみにされたような恐怖をおぼえた。この告解者は本物の悪魔と契約を交わしたらしい。わしは司祭であってエクソシストではない。そう言いたいところを、ぐっとこらえた。
『おまえに借りたいものがある』
悪魔はそうもちかけてきたという。
「その申し出を聞いたぼくは、ぞっと恐ろしくなりました。借りるのはいっときのあいだだからと、その悪魔がぼくをそそのかすんです」
悪魔がその胸のあたりまで這いだしてきた。差しのばされたごつい岩の手の平には、10㎏はありそうな金塊がのっていたという。
「これは賃貸料だと言うんです。一文無しのぼくの心はゆらぎました。恋人と2人で暮していく場合に必要になると考えたんです。それ以上に、ぼくの切実な願いにかなう提案でもありました」
それで、告解者は悪魔と契約する決意をしたのだという。
「あなたの切実な願いとはなんですか。あなたは悪魔になにを貸したんですか」
「それは言えません。ぼくは間違っていたんです。不測の事態が起きました。恋人は目が不自由なんですが、その目が見えるようになるかもしれないんです。そうなる前に、ぼくは悪魔に貸したものを取り返さなければなりません」
告解者の声が熱をおびてきた。言っている意味はちっともわからなかった。
「あなたは、悪魔と取引した罪を悔いあらためたいのではないんですか」
「いえ、あの悪魔を呼びだしてほしいんです。賃貸料としてもらった金塊を返し、あいつとの契約を破棄したいんです。それができるのは、アトレイ神の使いである司祭さまをおいて他におりません」
そんな大事を頼まれても、わしの手にはあまる。
「知り合いに経験豊富な冒険者がおります。その人物に相談されてはいかがでしょうか。ここは、実際にお目にかかって話しあったほうが良さそうですね」
「だめです。それだけは絶対にいけません」
わしは、向かいあった小部屋にまわり、そのドアに手をかけた。開きかけたドア板はすぐに閉ざされた。告解者が内側からものすごい力で抑えている。
「司祭さま、お願いです。ぼくを見ようとはしないでください。そんなことをされたら、ぼくは身の破滅です。それだけはお許しください。どうか、どうか――」
ドア板ごしに、がたがたと告解者の体の震えが伝わってきた。
「わかりました。向かいの司祭の部屋で待機していますから、告白を続ける気があるなら聞きましょう。それでよろしいですね」
司祭席についてほどなく、隣室のドアが開けられた。身廊を慌ただしく駆ける足音が聞こえ、礼拝堂の扉が大きな音をたてて閉じられた。
わしはその間ずっと座ったままでいた。やれやれとようやく肩の力がぬけた。あんな恐ろしい告解にはかかわりあいたくない。
*
まぶたの裏に感じる光りでランドは目覚めた。サリーを寝室に送りとどけたあと、バルコニーで寝ずの番を再開した。いつしか眠りにおちていたらしい。あれから、特になにも起らなかったようだ。
クスノキの葉むらの間で光りがおどっている。その枝葉がランドの頭上までのびている。エドモンはこの枝を伝わってバルコニーに侵入したに違いない。この木は伐採してもらったほうが良さそうだ。
上着のふところが動いている。チビットも起きたようだ。
寝室の戸板からのぞきこむと、サリーがベッドに上半身を起こしていた。ごうごうと、いびきが聞こえている。窓辺の魔除けの像に目をやったランドは、思わずふきだしそうになった。
ゴーラの頭の蔓草がロウでかためられ、てかてかのオールバックになでつけられていた。そこに、『大地母神』のスミレが一本立ちあがっている。ゴーラは熟睡していて、自分の髪型の変化に気づいていない。
昨夜、ランドがサリーの行方を追っているあいだ、チビットはこの寝室にこもっていた。そのとき、ゴーラにいたずらしたに違いない。
空洞を風が吹きぬけるような、いびきが続いている。
よく眠るゴーレムだとランドはあきれた。ゴーラは図体こそでかいが、まだ5歳なのを思い出した。
「この不気味な音はなんですか。昨夜はずっと聞こえていました」
サリーの視線の定まらない目が、魔除けの像に向けられている。
「その音響効果によって魔物を遠ざけてくれていたんです」
「本当に効果があるんですか。その騒音で何度も目を覚まされました」
「それでも、あのあとお手洗いには起きなかったようですね」
「レディにそんなことを言うものではありませんわ」サリーが顔をそむけた。
「これは失礼しました」とランドは貴族らしい慇懃さで頭を下げた。
侍女が入ってきて、サリーの身支度が始まった。ランドはいったん自室に引きさがった。侍女とともにサリーが食堂に下りていくと、ランドは彼女の寝室に戻り、ゴーラをゆさぶり起こした。
天井でチビットがくすくす笑っている。
ゴーラが自分の頭の異変に気づいたらしい。あたりを見まわしているが、目の不自由なサリーの部屋に鏡はない。自室に飛んでいった。
「うへええ!」壁ごしに、ゴーラの絶叫が響きわたった。
ランド、チビット、ゴーラはそろって1階に下りた。ゴーラがしきりに髪型を気にかけている。それは変装になるからとランドはなだめた。
食堂では、サイジュベル侯爵とアディラ侯爵夫人、サリー、ジュリアス男爵が長テーブルの席についていた。デズリー夫妻の姿はまだない。治癒師のカランはどこかに出かけたまま戻っていなかった。
サイジュベル侯爵の表情が厳しい。エドモン捜索の首尾をランドはたずねた。
「だめだった」無念そうに侯爵が首をふった。兵士の全員に城内を徹底的に探させたが、ついにエドモンを見つけることはできなかったらしい。
サイジュベル侯爵が、ビビット伯爵夫人とドゴーラ男爵をジュリアス男爵に紹介した。チビットとゴーラは、ジュリアスと初顔合わせということになっている。
ジュリアス男爵が、ゴーラの顔に見入っている。そのヘアスタイルこそ変わっているが、さすがにジュリアスにばれたかとランドはあせった。
「この個性的な面相は、あの魔除けの像にそっくりですね」
「あの像はドゴーラ男爵をモデルに彫られたものなんです」
ランドはすました顔をよそおい、そうとぼけた。
ジュリアス男爵がまだなにか言おうとしたとき、デズリーとジュリーが食堂に入ってきた。その夫妻の顔色にランドはアッと驚いた。
夫のデズリーの顔も、ジュリーと同じ土気色に変化していたのだ。
「昨晩、デズリーは頑張りすぎたみたいね」チビットがランドに耳うちした。
いや、違う。これは『枯れ死病』の兆候だ。この症状は、魔物が吹きこんだ病毒によって引き起こされるもので、感染しないとカランは言っていた。
「デズリーさん、顔色がひどく悪いですよ。どうかしたんですか」
「心労が顔に出たんでしょう。治癒師の先生には、商売はうまくいっていると言いましたが、実は一隻の商船を嵐で失いましてね。資金繰りについて、サイジュベル侯爵に相談しようと思っていたところです」
デズリーの言葉に、侯爵が、そうかとうなずいている。
海難事故にあったうえ、ジュリーの多額の治療費をカランに請求されれば、財政がつらくなるのは間違いない。しかし、あの顔色は心労のせいじゃない。
ランドは、ひとつのやっかいな可能性に思いあたっていた。
朝食があらかた済んだころ、執事がカランの到着を告げに来た。ランド、チビット、ゴーラは慌てて席を立った。
自室に戻ったところで、ランドは自分の見解を2人の仲間に話す。
「一昨日の晩、ジュリーがエドモンに会いに浜辺に出かける姿を目撃している。そのときのジュリーの足どりはふらふらと、なにかにあやつられているようだった。翌朝、彼女はその外出を覚えていないと答えていた」
毒気を吹きこまれた相手は、魔物の意のままに動かされてしまうのではないか。ジュリーはその手先として利用されているのではないか。魔物の傀儡となる『魔物化』の現象が進んでいるのではと話した。
「じゃあ」とチビットが口をはさんだ。「デズリーの顔が土気色だったのは?」
「ジュリーから毒気をうつされたんだ。昨夜、エドモンがデズリー夫妻に接触した気配はなかった。ジュリーが感染源としか考えられない。デズリーも、魔物の支配下にはいってしまったんだ」
「だって。いままでは、『魔物化』の伝染は起こらなかったじゃない」
「『枯れ死病』と見られた患者は、毒の副作用で急死していたからね」
宿屋の主人も、サイジュベル城の門衛も、魔物にいっきに吹きこまれた毒によって、たちまち干からび、土くれのように死んでいった。
「ジュリーは、カランの治療によって体内の毒素がやわらいだ。それで――」
魔物の傀儡と化すための毒のバランスがとれてしまったのだ。
「エドモンは」とランドは続ける。「最初の犠牲者だったんじゃないかな。彼は魔物にあやつられ『魔物化』を進めようとしている」
エドモンがその病毒でどうしてショック死しなかったのかは、やはりわからない。その毒に耐性のある特異体質だったのかもしれない。いずれにしろ、
「エドモンは、吹きこむ毒の適切な量がわからず、何人もの患者を殺してしまった。それがジュリーの例で、適量のさじ加減を会得したんじゃないだろうか」
「うへえ。だったら『枯れ死病』はいっそう広がっていくんだなあ」
『枯れ死病』と『魔物化』を混同しているゴーラが岩の体をふるわせている。
大もとの魔物の狙いは、サイジュベル城を支配下におさめ、この城を拠点に、侯爵領内に『魔物化』を広めていくことだろう。さらには、ハイランド王国全体へとその支配を拡大させようとしているのだ。
「いまのところ、城内で魔物の息がかかっているのはデズリー夫妻だけのようだ。その2人をこの城から出さず、カランに毒気を完全に抜いてもらうしかない」
「エドモンはまだ城内のどこかに潜伏しているのよね」
「そのはずだ。城壁の全ての出入り口には見張りを立ててあるからね」
そのとき、荒い足音が廊下から聞こえてきた。
ドアを開けたランドは、突進するカランと鉢合わせそうになった。カランは切れ長の目を細め、唇を引きむすび、めずらしく苛立っている。
「デズリーに、ジュリーの治療を断わられましたよ。そのデズリーも同じ病毒を体内にもっています。死にかけていたジュリーを助け、いまの状態にまで回復させてやったのに、恩知らずな夫婦だ」
カランが自室に入り、そのドアが大きな音をたてて閉められた。
続