7 エドモンはサリーと駆け落ちを計画する
ランド、チビット、ゴーラは相談の結果、今夜は、サイジュベル姉妹を同時に見張る必要があると意見が一致した。
城館での夕食のあと、ランドたち3人は一足先に2階に上がった。デズリーとジュリー夫妻の寝室には、チビットを忍びこませた。ゴーラには、サリーの寝室の窓辺で置物のふりをさせた。
ランドが廊下に出ると、ジュリアス男爵がサリーの手を引いて来た。
「伯爵、サリーの部屋でなにをしている」ジュリアスにとがめられた。
「これは男爵。どんな魔物も撃退する魔除けの石像を設置したところです」
ランドは、室内の置物を手で示した。
窓辺に膝をかかえた等身大の岩の像に、ジュリアス男爵はぎょっとしたようだ。像の頭には白いスミレがゆれ、緑のつる草がロン毛のようにしだれている。愛嬌のある半月型の目で、にっと笑いかける。
ドゴーラ男爵ことゴーラと、ジュリアス男爵は初対面だ。ジュリアスがサイジュベル城をおとずれたのは舞踏会の日で、前日の晩餐会には出席していなかった。
「こいつはすごい面相だな。魔除けの効果はてきめんそうだ」
ジュリアス男爵は納得したらしい。
ランドはサリーに向きなおり、エドモンを決して部屋に入れてはいけないと念をおした。わかりました、と応えたサリーの視線はむやみにゆれていた。
ランドは廊下でジュリアス男爵に就寝の挨拶をして別れた。
「そういえば」とジュリアスがふりかえった。「あの魔除けの像をどこかで見かけたと思っていたら、噴水の女神像と並んでいなかったかな」
「ええ、そこから運んできたんです」
「そうなんだ」ジュリアスは、ランド1人であの重い岩の像をどうやって寝室に搬入したのかと疑問に思わなかったようだ。
ジュリアス男爵が去ると、ランドは自分の部屋を抜けてバルコニーに出た。壁面に隣りあってふたつ並んでいるのが、それぞれサリーとジュリー夫妻の寝室の窓だ。両方とも板戸が閉まっている。
ランドは手すりから中庭全体を見渡した。城壁の各所にたかれた篝火が、壁ぎわの兵舎と厩舎を灰色にうかびあがらせる。中庭の中央には闇がわだかまっている。暗い雲間に満月は隠れていた。
治癒師のカランは、きょうは帰ってこないようだ。『癒しの水』をどこまで採水しに出かけているかは知らないが、いないにこしたことはない。
ランドはバルコニーのすみにうずくまり、寝ずの番にはいった。
2時間ほど見張りを続けているうちに、雲がながれ月光が戻ってきた。ランドは眠気がさしていた。そのとき、夜の静寂をやぶって叫び声が聞こえた。
ハッとランドは目を開いた。あれはサイジュベル侯爵の声だ。それは城館ではなく、城門のほうから聞こえてきた。
侯爵の身になにかあったらしい。ランドは、サリーの寝室の板戸に視線を走らせる。ここは魔除けの像の効果に期待しよう。
ランドは2階のバルコニーから飛びおりた。月明かりの中庭を横ぎり、城門に急ぐ。城門の大扉に抜ける通路の出入り口に、サイジュベル侯爵が立ちつくしていた。恐ろしいものを目撃したような表情だ。
「閣下、どうされましたか」ランドは大声で呼びかけた。
「目がさえて眠れなかったので、門番所の様子を見にきたんだが――」
サイジュベル侯爵が、震える指で通路の前方を示した。
そこには、兜と鎖かたびらが転がり、そのあいだから茶色く干からびた土くれがのぞいている。そんな人間のなれのはての3体が転がっていた。魔物の毒をいっきに吹きこまれた門番兵に違いない。
ランドは城門を確認した。大扉のかんぬきが外れたままになっていた。ランドはそれをしっかりかけなおし、サイジュベル侯爵のもとに戻った。
「魔物の侵入を許してしまいましたね」
誰も通すなとあれほど警告しておいたのにとランドは歯がみした。
「バカなやつらだ。3人いればエドモンを捕まえられると過信しおったのだろう」
「城壁の出入り口は、この城門と、庭園に出る扉だけでしたよね」
サイジュベル侯爵がうなずいた。城門の警備にはすぐ別の兵士をあてる。庭園の扉の見張りも、さらに追加すると侯爵が応じた。
銀色の光のすじが弧をえがいて飛んできた。チビットだ。
「なにかあったの? すごい叫び声がして、兵士の動きが慌ただしいじゃない」
「チビット……ビビット伯爵夫人」
ランドは、サイジュベル侯爵に警備の指揮を頼み、チビットに城館に戻るようにうながして供に走りだした。
「エドモンが城に侵入した。ジュリーから目を離したらだめじゃないか」
「ジュリーもデズリーも夫婦仲良く寝入っているだけで、なにも起きてないわよ」
「いまのところはだろ」ランドは足を速めた。
エドモンが城内のどこかにいまもひそんでいる。いつその魔の手がサイジュベル姉妹にのびてくるかわからないのだ。
城館の表門を警備していた兵士にドアを開けてもらい、玄関ホールに入った。大階段を2階に上がっていると、犬の吠え声が聞こえてきた。
ランドは、サリーの寝室の前に立った。ドアの向こうから、犬の声と、戸板をしきりにひっかく音がする。ゴーラはなにをやっているんだ? 鍵はかかっていなかった。ランドは室内に飛びこんだ。
ランドの足もとにラブラドール犬がまとわりついてきた。板戸の閉まった窓のそばでは、緑のつる草を頭から垂らした魔除けの像が、大きないびきをかいている。ベッドはもぬけのからだった。
ホバリングするチビットをラブラドールが吠えたてだした。
「この犬、内開きのドアが開けられず、廊下に出られなくなったみたいね」
チビットが、居眠りしているゴーラの頭上にとまった。
ランドは念のためにバルコニーをあらためた。そこには誰もいなかった。薄月夜の中庭のいたるところでは、兵士の松明の炎がゆれている。エドモンの捜索にあたっているのだろう。
ランドは室内に戻りベッドを確かめた。ぬくもりがまだ残っている。寄ってきた犬に敷布の匂いをかがせ、サリーの追跡にかかった。
ラブラドールはすぐに走りだした。ランドはそのあとを追う。猟犬が廊下を駆けぬけ、大階段を器用に下りる。壁のロウソクでぽつりぽつりと照らされた、薄暗い玄関ホールで犬が迷いだした。しきりにあたりを嗅ぎまわっている。においを失ったかとランドはあせった。
チビットはなにをやっているんだ? ランドは階上の回廊を見あげた。サリーの寝室からチビットが出てくる気配はなかった。
不意にラブラドールが吠えた。ぴんと耳を立て、大階段の下に入っていく。猟犬が向かった先は、舞踏会の行なわれた別棟のドアだった。その表面をひっかき、吠え声をあげている。
ランドはダンスホールにふみいった。そのドアのすきまをすりぬけ、ラブラドールが室内に駆けこむ。中庭に面したいくつもの窓から、細長い月明かりが差しこんでいる。その奥で人影がふりむいた。
「サリーさん、こんな夜更けになにをしているんですか」
ランドはサリーに近づいた。立ちあがったラブラドールが、サリーの腰に前足をかけている。彼女のそばには、中庭に出る扉があった。細く開いた扉のすきまから月光が床をはっている。
ランドは厳重な戸締りを指示していたはずだ。サリーは誰かを招きいれたのではないか。あるいは外に逃がしたのか。その両方かもしれない。その相手はエドモン以外には考えられなかった。
「お手洗いに行こうとして迷ってしまったんです。わたしは目が悪いから」
それが嘘だとランドにはすぐわかった。
『わたしは不自由なんてしていない。城館のすみずみまで見えている』
晩餐会の席で、サリーはそう強気の発言をしていた。しかし、彼女を問いつめたところで真実を話してくれそうにない。
「わかりました。では、わたしがお手洗いまでご案内しましょう」
ランドはサリーの手を取る。その力が少し強すぎたと意識した。
サリーを寝室の前までおくると、ぶーん、となかからチビットが出てきた。ランドはサリーを室内に入れ、廊下からドアを閉じた。
「チビットはいままでなにをしていたんだ?」
「ちょっと、ゴーラのヘアーメイク」
魔物の化身が城内に忍び込んだというのに呑気なものだ。ランドはあきれた。それより、ジュリーの無事を確かめないと。
ランドは、デズリー夫妻の寝室をノックした。ずいぶん待たされたあと、細く開いたドアからデズリーの顔がのぞいた。「なんだ?」と不機嫌そうな口ぶりだ。魔物に接触された気配はない。
ランドは城門がやぶられた経緯を話した。
「それがどうした? 妻にはエドモンなんかに指一本ふれさせないぞ。夜の夫婦の寝室をおとずれるとは不謹慎じゃないか」
デズリーはやけに苛立ち、ランドに早く立ちさってほしい様子だ。余計なお世話はいらない、とドアを閉ざしてしまった。
デズリーが協力的でない以上、ランドにはどうしようもなかった。
「ジュリーの容態が良くなって、夫婦の営みをする気になったんじゃないかしら」
いやらしいわあ、とチビットがぼやいている。
チビットの言うとおりなら、それに干渉するつもりはない。
サリー・サイジュベル
わたしはいろいろな思いにとらわれ、どうしても寝つかれなかった。
エドモンとジュリーお姉さまが浜辺で密会していただなんて、でたらめを聞かされた。お姉さまは身におぼえがないと言っていた。それだけじゃない。エドモンは、お姉さまに病毒をふきこんで『枯れ死病』にしていたという。まるで魔物の化身みたいな言われようだ。
ああ、エドモン。あなたはいつ、わたしに会いに来てくれるの?
窓辺のほうから、ごうごうと岩の洞を風が吹きぬけるような音がしている。そこには、ランドール伯爵の置いた魔除けの像があると聞いていた。その像が警告を発しているのだろうか。わたしはブルっと身震いした。
そのとき、小さくノックの音がした。
わたしはベッドを下りて、ドア板に耳を寄せた。「――誰?」
「ぼくだよ。サリーをさらいに来た」
愛しいエドモンの声だ! わたしは急いで掛け金を外した。寝室に飛びこんできたエドモンの顔に夢中で指を這わせる。エドモンがぎゅっと抱きしめてきた。わたしたちは長い口づけをかわしあった。
2人は唇を離した。「わたしをさらいに来た?」
「そうだよ。今夜のうちにサイジュベル城から駆け落ちしよう」
あまりに急な誘いに、わたしはすぐには返事ができなかった。
「ごめん。突然すぎたよね。サリーはこの城で、優秀な治癒師の治療をうけているところだった。目は見えるようになりそうなの?」
「光りを感じられるようになったわ。いいえ、治療中でもかまわない。わたしは目が不自由だなんて思ってない。エドモンがそばにいてくれればそれでいいの」
「ほんとう。だったら、いますぐこの城を出よう」
激しい吠え声がした。ラブラドール犬のスクイーズがドアを押しあけ駆けこんできた。しきりにエドモンに吠えかかっている。
あんなにエドモンになついていたのに。わたしはわけがわからない。
エドモンがわたしを廊下に連れ出し、寝室のドアをぴしゃりと閉めた。その内側で、スクイーズがドア板をひっかいている。
わたしはエドモンに手をとられ玄関ホールに下りた。正面の玄関には向かわず、大階段をまわりこんでいく。別棟を目指しているようだ。
「城館の出入り口には兵士が見張りに立っているんだ」とエドモンが説明した。
城内に入りこんだ魔物を狩りだしにあたっているのだという。エドモンがその化身だと疑われているのを彼は知らないんだ。
わたしはエドモンと、別棟のダンスホールに入った。楽団のステージのわきに、中庭に出る扉がある。エドモンはそこから城館を抜け出すつもりなんだ。
その前に、わたしはエドモンにたずねておきたいことがあった。昨夜、エドモンは本当にジュリーお姉さまと浜辺で待ちあわせていたのか。
「そんなの嘘だよ」エドモンはすぐに否定した。「その日、ぼくはジュリーのいる町に足をふみいれてもいない。教会で告解をしていたんだ。そんなでたらめを言うやつは、ぼくが絞め殺してやる。サリーは信じてくれるよね」
「信じるわ。告解って、なにを打ちあけていたの?」
「それは……」エドモンが口ごもった。「ごめん。それは言えないんだ」
そのとき、犬の吠え声と、ダンスホールのドアをひっかく音がした。スクイーズは寝室に閉じこめたはずだ。犬を解放した誰かがついて来ているのではないか。
「見つかった。今夜はいったんあきらめよう」
エドモンが戸口から中庭に出ていった。わたしは掛け金をかけようとする。
「サリーさん、こんな夜更けになにをしているんですか」
ランドール伯爵だった。スクイーズの吠え声が駆けよってきた。
続