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5 月夜の浜辺でエドモンと逢引きする

『――ジュリー奥さまは『枯れ死病』にかかっておられます』


 カランの診断に、サリーが悲鳴をあげ、手で顔をおおって嗚咽しだした。彼女の婚約者のジュリアス男爵はうろたえるばかりだ。


「しかし」とランドは反論する。「それは大地の精霊に特有の病気だと聞きます」


「しかり」とカランが切れ長の目を細めた。


 ランドは胸の鼓動が高まるのを感じた。その知識は、以前にカランと冒険したさい、大地母神から教わったものだ。カランがそこからランドの正体に思いいたらなければいいが――。


「大地の精霊はその寿命が尽きると、自分の出生土である鉱物に戻ります」


 その変化の過程が、この病気の症状に似ていることから、人間が『枯れ死病』と名付けたのだとカランが説明する。ですが――。


「ジュリー奥さんの病気の原因は、何者かに吹きこまれた病毒です」


 その何者かとは誰なのか。ランドには心当たりがあった。ベッドのかたわらで、うちひしがれているデズリーに声をかける。


「この症状が奥さんにあらわれたのはいつからでしたか」


「それは……」デズリーがうつろな目を上げた。「1週間ほど前でしたか。ジュリーがせきこみ、微熱で寝込みだしたんです」


「それは『枯れ死病』とは関係ありません」カランがきっぱりと首をふった。「おそらく、ただの風邪だったんでしょう」


「それで」とデズリーが続ける。「きのうなんですが、サリーさんに頼まれたからと、義理の兄のエドモンが見舞いにおとずれました」


「えっ」サリーが声をあげた。彼女の見開かれた目が不安定にゆれている。


「それってどういうこと? エドモンは追放されたんじゃないの?」


 ジュリアス男爵の質問をランドはさえぎり、


「サリーさん」とランドは呼びかけた。「あなたが見舞いを頼んだんですか」


「いえ……はい、そうです」サリーの返答は歯切れが悪い。


「あなたは、お姉さんが寝込んでいるのを知らなかったんじゃないですか」


 ランドの指摘に、「それは……」とサリーが黙りこんでしまった。


「どうこうこと?」と、くり返すジュリアス男爵は状況をのみこめないらしい。


「今朝になって、妻はこの状態になっていたんです」とデズリーが話を続けた。


 かかりつけ医を呼んだところ、その医師は『枯れ死病』を疑った。それですぐサイジュベル家に知らせの早馬を出したという。


 つまり、ジュリーの病状はたった一晩で激変したのだ。


「お父さまの雇った、とても優秀なお医者さまがいらっしゃるんですよね」


 サリーがなにかを求めるように両手を差しのばしている。


 カランがその手を取った。「はい。そのとても優秀な、世界最高の治癒師カラン・セシル・ヴァールはいまここにおります」


「カランさま。この病気が進行すると、姉はどうなってしまうんですか」


「それはですね――」


 しおれ朽ちはて土くれに変貌する最期が、ランドの脳裏によみがえった。


「やめろ」ランドはカランの言葉をさえぎった。「世界最高の治癒師の力をもってすれば、病気の進行をくいとめられるんじゃないですか」


 細められたカランの切れ長の目を、ランドは挑戦的に見返した。


「もちろんです。わたしに治せなければ、世界中の誰にも治せません」


 施術が終わるまで決して邪魔しないようにとカランが念をおした。寝室から全員を追い出すと、ドアをぴしゃりと閉ざしてしまった。


 夕暮れが迫るころ、ふらつく足どりのカランが廊下に出てきた。片手を壁について、消耗しきった体を支え、端整な顔には疲労の色をありありうかべている。治療の困難さがうかがえた。


「ジュリーはどうなりました? 妻の病気は治るんですか」


 デズリーがカランの黒いローブをつかんで聞いた。


「奥さんは死線を越えました。体内にはまだ病毒が残っていますが、わたしの治療を受けつづければ間違いなく快復します。心配なのは、むしろあなたのほうです」


「わたし、ですか。この病気は感染するんでしょうか」


 デズリーの顔がみるみる青ざめていった。


 カランはデズリーの質問には答えず、「あなたは4隻の交易船のオーナーだそうですね。商売は順調にいっていますか」


「おかげさまで儲けさせていただいています。それがなにか」


「それで安心しました。わたしは大地の精霊力を使いすぎたようです。どこかくつろげる場所で休ませてください」


 使用人に案内されて、カランがふらつきながら2階に上がっていった。


 あとで法外な治療費を請求するつもりだろうとランドは勘ぐった。カランの憔悴した様子は、請求額をつりあげるための演技じゃないかと疑ったくらいだ。


 ランドはデズリーのあとについて、ジュリーの様子を見に寝室に入った。


 ランドは、あっと驚いた。ジュリーの茶色くかわいていた肌がうるおいを取りもどし、薄く日焼けした程度にまで回復している。虚空を見あげていた目を閉じ、いまでは安らかな寝息をたてていた。


 デズリーが喜びの声をあげた。サリーが状況をのみこめずにたたずんでいる。ランドは、お姉さんは快方にむかっていると教えて彼女を安心させた。カランの治癒能力には舌をまく思いだ。


 その晩、ランドの一行は、デズリーの邸宅でご馳走になり、その2階に泊めてもらった。最も広い客室はカランが占領している。残りの寝室に、ランド、ジュリアス男爵、サリーがわかれて宿泊した。


 ランドは自室のベッドに腰かけた。上着のふところがもぞもぞ動いている。


 ぷはあ、とチビットが前襟から顔をのぞかせた。


「ジュリアス男爵になら顔を見られたってかまわないんじゃない。カランに見つからなければいいんでしょう」


「用心にこしたことはないよ。カランの金に対する嗅覚は鋭いからね」


 そのカランの診断では、『枯れ死病』の原因は、なにものかに吹きこまれた病毒だという。そのなにものかとは――?


「やっぱり、エドモンって男が怪しいわね」


 チビットの意見にランドも賛成だ。人間離れしたエドモンの怪力と、その瞳にやどる凶悪な光りに、まがまがしいものを感じていた。


「昨夜、エドモンはサリーの寝室に侵入していた。ジュリーに毒を吹きこみ、つぎにその妹のサリーを狙っているのかもしれない」


「ありえるわね。今夜はサリーを見張る必要がありそうね」


 ランドはうなずいた。各人にわりあてられた寝室は、ランドの隣がジュリアス男爵、廊下の反対側がサリー、その隣室にカランとなっている。


 不意にドアが叩かれた。ランドの返事を待たずにジュリアス男爵が顔をのぞかせる。ぶーん、と飛んだチビットが天井にはりついた。


「ランドール伯爵、どうかな? 閉店前の酒場で飲みなおしませんか」


 ジュリアス男爵が誘ってきた。


「いや、わたしはもう充分にいただいたよ。酒はたしなむていどいいんだ」


「そんなんじゃあ、人生の半分を損しちまいますよ」


 おれは一杯ひっかけてくるよ、とジュリアス男爵が廊下を立ちさった。


 ランドは、ジュリアスの足音が出ていくのを聞きすまし、階下におりて玄関のかんぬきをかけた。これで、ここからエドモンは入れない。ジュリアスの帰宅のさいには、使用人を呼んでドアを開けてもらおう。


 そのあとサリーの寝室に向かった。ノックしてしばらく待っていると、ドアのすきまから、サリーの心許なさそうな顔がのぞいた。


「エドモンがまた侵入しようとするかもしれません。なにかあればすぐに声をあげてください。隣から真っ先に駆けつけますから」


「はい」と応えたサリーには、どこかあいまいな表情がうかがえた。エドモンを脅威と感じていないらしくランドには思えた。


 ぶーん、とチビットが室内に忍びこんだ。


「いま。なにか、羽虫のような音が聞こえました」


「大きな蛾が入りこんだみたいですね。窓の板戸をほんの少し開けておけば、月明かりに誘われて出ていくでしょう」


 これでチビットを張り込み場所に配置できた。


 ランドは自室に戻ると窓のそばにかがみこんだ。エドモンがその怪力で玄関を破壊しない限り、2階の窓から侵入しようとするはずだ。ランドは寝ずの番をし、魔性の男を捕まえるつもりだ。


 月光に照らされた海岸通りの向こうに、銀色の砂浜が下り、黒い海面に白く波がくだけている。寄せては返す波音が、夜の静寂に遠く聞こえている。


 夜景に変化があらわれたのは、見張り開始から1時間ほどしてからだった。


 デズリー邸から、ふらふらと女性が出てきた。そのうしろ姿はどうやらジュリーらしい。病気の完治していない彼女がこんな時間にどうして? とランドはいぶかった。ジュリーは草むらを横ぎり、海岸通りに向かっている。


 ランドは2階の窓枠を乗りこえ、草地にそっと飛びおりた。


 ジュリーの歩みはふらついているが、その足どりには、なにかに導かれているような目的が感じられた。彼女がランドの尾行に気づいた様子はない。


 ジュリーが海岸通りを横ぎり、砂浜におりてその姿が見えなくなった。ランドは足を速めた。低い岩場にきざまれた階段の下に、ふたつの人影がよりそっている。ランドはとっさに沿道に身をふせた。


 ジュリーの肩を抱いているのは、腰まである白いブリオーの細身の男性だ。月夜の逢引きのようにランドの目には映った。


 男がジュリーを抱きよせる。唇を合わせるその横顔はまぎれもなくエドモンだった。『枯れ死病』の原因はなにものかに吹きこまれた病毒――。


 ランドはすぐさま浜辺に飛びおり、エドモンに体当たりをくらわす。相手はびくともせず、ランドは逆にはねかえされた。


 砂にうもれた体を起こすと、エドモンが岩場の階段を上がっている。砂浜には、身じろぎひとつしないジュリーが横たわっている。ランドは砂に足をとられながら、エドモンのあとを追った。


「なんだ、おまえは? やっ、エドモン!」ジュリアス男爵の声だ。


 ランドは海岸通りに出た。とたんに、なにかがものすごい勢いでぶつかってきて、ランドはもんどりうって宙をまった……。


 さえざえとした満月が夜空にかかっている。ランドは自分の身になにが起きたのか、とっさにはわからなかった。


 上半身を起こすと、砂浜にジュリアス男爵の大きな尻があった。ジュリアスの太った体にはねとばされたんだと気づいた。エドモンと鉢合わせたジュリアスが、エドモンに突きとばされたのだ。


 それにしても、海岸通りからここまで20メートル以上ある。エドモンの怪物じみた腕力に、ランドはあらためて驚いた。


 気をうしなっているジュリーに近づいて様子をうかがうと、病状が悪化した様子は見られない。エドモンにさらなる病毒を吹きこまれていなければいいが――。


 これで、はっきりした。『枯れ死病』をまんえんさせているのはエドモンだ。ランドはそう確信した。


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