2 大地の精霊使いがサイジュベル城に到着する
サイジュベル侯爵の居城は、木立を切りひらいた低い丘の上にあった。ランド、チビット、ゴーラ、イエイツ司祭の乗る馬車が、サイジュベル城に着いたころには、日はだいぶかたむいていた。
侯爵の義理の息子のエドモンに馬車をひっくり返されたり、宿屋の主人の恐ろしい臨終を目のあたりにしたりして、予定外の時間をとられていた。
城門が開き、門衛のいる通路を通って、城壁にかこまれた中庭に出た。馬車は、中庭の片側にある厩舎の前に止まった。
城門の向かい側には、四階建ての主塔がそびえ、二階建ての城館と別棟が建っている。中庭には、ちらほらと城兵の姿があった。
城館でランドを出迎えた執事が、晩餐の用意された食堂に一行を案内した。
広い食堂には樫材の羽目板がめぐらされ、奥に大理石の暖炉がきられている。燭台に照らされた長テーブルの両側には、ランドール伯爵の世襲を祝う20人ほどの招待客が並んでいた。上座に7人分の席があいている。執事が、ランドたち4人をそれぞれの席につかせた。
ほどなく、サイジュベル侯爵とその奥方、それに16才くらいの少女が食堂に入ってきた。少女は侯爵に手をとられている。彼女の足どりはしっかりしているが、その視線はどこかおぼつかなくランドには感じられた。
侯爵家の3人が暖炉に近いテーブルの端に着席した。礼装用のかつらをした侯爵は40才前半だろうか。奥方は40前くらいで、その装いには貴婦人にそぐわないあでやかさがあった。
ランドは、到着の遅れをわびた。エドモンとの悶着は言わなかったが、サイジュベル侯爵の顔がしかめられ、御者の報告を受けているらしいとわかった。
サイジュベル侯爵が、奥方のアディラ夫人と、娘のサリーを紹介した。アディラ夫人は侯爵の二度目の妻で、エドモンは夫人の連れ子だと聞いている。最初の妻との娘であるサリーと、エドモンに血のつながりはない。そのエドモンがサリーに手を出し、領地から追放されたのだ。
道中でのエドモンとの騒動をアディラ夫人は知っているのだろうかとランドはいぶかった。夫人の表情から、その心はよめなかった。
「ランドール伯爵は、亡くなられた先代のご子息だ」
サイジュベル侯爵が招待客にランドをそう紹介した。先代の弟のイエイツ司祭は神職に忙しく、領土の統治がままならない。そこで、あらたに見つかった先代の息子に爵位をゆずることにした。
それが、ランドが伯爵を詐称する筋書きだった。チビットはビビット伯爵夫人、ゴーラは、その友人のドゴーラ男爵をかたっている。
「しかし」と侯爵が続ける。「あの堅物の旧伯爵に、20才になる、こんな立派なご子息がいるとは知らなかった。先代もすみにはおけませんな」
「いや、まことにお恥ずかしい。若気のいたりというやつです」
イエイツが、自分のことではないのに薄い白髪をかいている。
「若い時分には、ご婦人とのあいだにいろいろとある。わしだって10代のころには、盲目の愛に心をおどらせたものだ」
サイジュベル侯爵が隣席の奥方に視線をはしらせた。アディラ夫人はすました顔つきで、侯爵の一瞥には気づいていないふりをしているようだ。
ランドは、近隣の新しい領主として、招待客の注目をあつめていた。サリーの顔がこちらに向けられている。彼女の薄青い瞳はすみきっていたが、その目の焦点はランドに合っていなかった。
ランドのいぶかしげな表情に、サイジュベル侯爵が気づいたらしい。
「実はな」と侯爵が重々しくきりだした。「娘は13才のときに眼病にかかり、16才のいまでは目が不自由になってしまったのだ」
「いいえ、お父さま。わたしは不自由なんてしていないわ」
穏やかだったサリーがふいに声を荒らげたので、ランドは意外に感じた。
サリーは、城館の隅々まで見えているというのだ。
「この食堂の様子も、燭台の並んだテーブルも、用意された食器まで、その全部が手にとるようにわかっているんですから」
それはサリーのかつての記憶を脳裏に再現しているのだろう。ランドはそう理解したが、あえてなにも言わなかった。
「お父さまのおぐしも」とサリーが侯爵に向きなおった。「とても黒く、つややかになでつけられていらっしゃいますよね」
礼装用の白いかつらをかぶったサイジュベル侯爵がむっつりしている。
晩餐のテーブルの誰もが黙りこみ、気まずい空気が食堂にながれた。失言したのでは、とサリーが不安そうに視線をさまよわせている。
サイジュベル侯爵が気をとりなおしたように祝賀会の開始を告げた。
2人の給仕がワインをついでまわりだした。内臓のパテや燻製肉などのオードブルがすみ、ニシンやイワシなどの魚料理が運ばれてくるころには、晩餐の席はなごやかな雰囲気につつまれていた。
ランドはワインのカップを置き、はす向かいのサリーをうかがった。深皿のスープをスプーンで食べる彼女の様子に不便は感じられない。サリーの背後では、なにかあったときのために執事がついている。
料理のコースがあらかた終わり、大きなミートパイが食卓に運ばれてきた。給仕がパイを皿に切りわけ、全員に配りだした。
「さて、今宵の王様は誰だ」とサイジュベル侯爵が相好をくずした。
「お父さま、それでは誰かのパイに、陶器の人形が入っているんですね」
サリーの表情がようやく明るくなった。
サイジュベル侯爵によれば、パイに仕込んだ人形を引き当てた人が、『今宵の王様』になる。王様はひとつだけ命令ができ、誰もがそれに従わなければならないという。そんな祝宴の余興だ。
「だったら、あたしが王に決まってるじゃない」
妖精族の王女の従妹をかたるチビットがそう断言した。自分の背丈ほどもあるフォークで、平皿のミートパイをしきりに突っつきだした。
ランドはたわいない遊びだと思いながらも、自分のパイを割ってみた。そのなかに、陶器の人形は入っていなかった。
「どひゃあ、あたしのミートパイは肉だけだったんだわあ」
チビットが落胆し、パイの残がいの散らばる皿でふてくされている。
全員が食べ終わっても、『今宵の王様』を名のりでる人はいなかった。サイジュベル侯爵が料理人を呼び、パイ生地をかまどで焼く前に、『当たり』の人形を入れたかどうかを問いただしている。
「ドゴーラ男爵よ」チビットが声をあげた。「あんたが人形を飲みこんだのよ」
確かに、陶製の人形を食べて気づかないでいられるのは、ゴーレムのゴーラだけだろう。ランドもチビットと同意見だった。
「そういえば」とゴーラが口を開いた。「殻ごとのクルミみたいなものを、ガリっと噛んだ覚えがあるんだなあ」
「やっぱり」とチビットが、ゴーラの口のなかに飛びこんだ。
目を白黒させてえずいたゴーラが、いきおいよくチビットを吐きだした。「どひゃあ」同時に、小さな固い物体がテーブルに転がり出てきた。
ランドがそれを拾いあげると、はたして頭の欠けた陶製の人形だった。
「これで『今宵の王様』はドゴーラ男爵に決まった」とサイジュベル侯爵が宣言した。「そなたの望みの命令をひとつだけできる」
「だったら舞踏会を開くんだなあ。サリーお嬢さんには、おいらのダンスパートナーになってもらいたいんだなあ」
ゴーラはこのところダンスにこりだしている。酔っぱらうと新作ダンスを披露したがるので、ランドは困りはてていた。
「だが」とサイジュベル侯爵が渋面をつくる。「娘は目が見えないのだ。ドゴーラ男爵と踊るなんてできるわけがない」
「いいえ、お父さま、ダンスならわたしにもできます」
「サリーは、踊る相手の動きがわからないではないか」
「ドゴーラ男爵にリードしていただけばいいんです。ステップは覚えています。目が見えていても、足もとを確認しながら踊る人なんていないでしょう」
サリーはゴーラの正体を知らないのだ。ゴーラの岩の足でふまれたら、指の骨折ぐらいではすまない。ランドは心配になった。
娘に言われて、サイジュベル侯爵がしぶしぶゴーラの望みを承知した。
「だが、今宵はもう日が落ちた。舞踏会は明日の午後からにしよう」
侯爵がそう告げ、ランドール伯爵の爵位継承を祝う晩餐会はお開きになった。
ゴーラが知らず、『舞踏会を開く』『サリーをダンスパートナーにする』ふたつの望みを口にしていたのにランドは気づいていた。ゴーラがうかれているので、その事実はあえて見過ごしておいた。
その日、ランドの一行は城館2階の客室に泊った。舞踏会は明日の午後5時から、村の有力者も招待して開催されるという。ランドは、いまのところ身分の詐称がばれる恐れはなさそうだと安堵のベッドについた。
翌日の昼下がりに、ランド、チビット、ゴーラは、城の中庭にある噴水の前でくつろいでいた。城門の通路から門番兵があらわれ来客を告げる。
「カラン・セシル・ヴァール様がお着きになりました」
ランドはハッとなった。あの大地の精霊使いではないか。カランはかつて、炎の化身ファランクと供に戦った冒険の仲間だ。懸賞金のかかっているランド、チビット、ゴーラを見知っている。
案内の兵士と連れだって、黒いローブに、白いマントの、30才くらいの男性が中庭に姿を見せた。男は兵士としきりに話していて、ランドには見向きもしない。
「わたしは大地の大精霊使いであり、世界最高の治癒師でもあります。大地の治癒力によって、お嬢さんの瞳にかならずや光りを取りもどして見せましょう。わたしに治せなければ、世界中の誰にも治せません」
その整った横顔、切れ長の涼しげな目、背中で束ねた金色の長髪、そして、自信満々にうそぶく尊大な態度。あのカランに間違いない。
「ゴーラ、噴水の女神像と並んで立つんだ。そのまま動くんじゃない」
ランドは小声で指示すると、すばやくコートの背中を向けた。チビットがその意図を察し、ランドのふところに隠れた。
噴水の前にたたずむランドのそばを、カランと案内兵が通りすぎる。
水盤のなかでは、女神像の水瓶からふきだす水流にゴーラがうたれている。頭に生えた草花も、先代の形見のコートもびしょ濡れになっていた。
カランが足を止め、噴水の彫像を凝視しだした。その目つきが険しい。ゴーラに気づいたかと、ランドはひやひやしながら成りゆきを見守った。
「ずいぶんと不細工なオブジェですね」
カランが兵士に話しかけながら、城館に向かいだした。ゴーラの正体はばれなかったようだ。ランドは安堵の胸をなでおろした。中庭に戻ってきた案内兵に、カランを呼んだ事情を聞いた。
サイジュベル侯爵は金に糸目をつけず、法外な治療費を請求する凄腕の治癒師を頼んだのだという。
確かに、カランの精霊使いとしての技量はランドも認めている。かつての冒険では、彼の能力のすごさを何度も目のあたりにしていた。
問題は、カランが金にしか興味がない点だ。金のためなら、かつての冒険の仲間でさえ平気でハイランド王国に売るだろう。ランド、チビット、ゴーラの懸賞金は合わせて30000ゴールドなのだ。
「今宵の舞踏会には、カラン殿も出席されるそうですよ」
兵士の言葉に、ランドは考えこんだ。カランとは顔を合わせたくなかった。
続