最終回 エドモンは切実な願いをかなえるために
礼拝堂の、屋根材やベンチの折り重なった山に、猟犬のスクイーズが吠えかけている。スクイーズがここに居残っているのは、サリーがこの近くにいるからではないのか。ランドはチビットに声をかけた。
「『音声移動』 ね」
ランドはその場の全員を黙らせた。犬の声だけが堂内に響くなか、魔法の音声探知機が、屋根の崩落した床を走査していく。ランドは固唾をのんで待った。
『――こつん、こつん』
なにかを叩く音が、魔法で増幅され聞こえてきた。積み重なった建材のまんなか、底のほうからだ。サリーか、他の生存者がそこに埋もれているのだ。
その音が弱くなり、ついに途切れた。
サイジュベル侯爵が指示をとばし、13名の兵士による材木の撤去作業がすぐに始まった。ランドもそれを手伝った。
ゴーラはまだ本調子でないらしく、扉口の近くにぼんやり立っている。ゴーラの怪力を頼みたいところだが、材木をやたらに引っぱりだし、なだれを起こされたら大変だ。迅速さと同時に慎重さも必要な作業にはむかない。
抜けた天井から、チビットが『明かり』の魔法で作業場を照らしている。
カランは、「わたしは治癒師であって、撤去作業員ではありません」と参加を辞退していた。ランドはとくに期待していなかった。
屋根材やベンチの重なりぐあいを見きわめ、取りのぞく順番を慎重に定める。13人の兵士と手分けして、ランドは作業を続ける。崩落した屋根で埋もれていた部分がしだいに明らかになってきた。抜け落ちた建材は、祭壇のあるあたりを中心に積み重なっているようだ。
交差した材木のすきまから、白い衣服がのぞいている。つぶれた祭壇のかたわらに誰かが横たわっているらしい。
「あの白いブリオーはお嬢さまのだ」兵士の士気がいっきにあがった。
ランドは彼らの興奮をなだめ、最後であせらないように注意した。
内陣を埋めた材木が取りのぞかれていくうちに、うつ伏せに倒れたサリーの姿があらわれる。彼女の背中の上に、不思議な隙間があった。そのなにもない空間が青白く明滅している。ランドは驚きの目をみはった。屋根材の下敷きになったサリーを、光の鎧が包みこんでいるかのようだ。
「おお、神の奇跡だ」サイジュベル侯爵がつぶやいた。
祭壇の前で光りを発している様子からそう感じたのだろう。あの高い壇がなければ、サリーは間違いなく屋根に押しつぶされていた。
祭壇の周囲があらかた片付いた。ランドはかがんでサリーに手をのばす。彼女の背中で別のなにかに触れ、びくりと腕を引っこめた。ランドはもう一度、こんどはじっくりと手でさぐってみる。
サリーの上にかさなった何者かを、衣服ごしに触っているようだ。毛におおわれた丸いものに触れ、ランドは思わず立ち上がった。背後には、固唾をのんで見守る兵士の気配が感じられた。
明滅する光りがうすれていくにつれ、なにかの形があらわれだした。それは透明な表面を波打たせ、人間の姿を形作っていく。しだいに目や鼻や口など細かいところまで刻まれる。そのうち色がにじみだし、栗色の毛髪、白い肌、灰色のチュニック、茶色のブーツがはっきりしてきた。
ランドは驚きのあまり声も出なかった。そこに出現したのは、サリーの身を守るようにおおいかぶさったエドモンの姿だった。
感嘆とも、ため息とも思える声が礼拝堂に広がった。
カランが進みでて、サリーとエドモンの診察をはじめた。エドモンは打ち身がひどいものの、2人とも命に別状はなく、『枯れ死病』にも感染していないという。
ランドは、エドモンがあの悪魔と交わした契約の内容をさとった。エドモンはその姿形を悪魔に貸しあたえ、自分の姿をうしなったのだ。体が透明になったのではなく、誰からも見えなくなった。『不可視』の魔法のようなものだろう。恋人のサリーは目が不自由なので、それで問題なかったのだ。
「なにを突っ立っている」サイジュベル侯爵が兵士を一喝した。「エドモンをサリーから引き離せ。そいつは領内から追放したはずだ」
「待ってください」ランドは侯爵の前に立ちはだかった。
「止めるな。あの岩の魔物はエドモンになりすまし、サイジュベル城を支配しようとした。あの男もその片棒をかついだんだぞ」
「それは違います。エドモンが魔物の意図を知るはずがありません。エドモンがその姿形をあたえる契約をしたのは、あなたが彼とサリーさんの仲を引きさいたからです。エドモンはサリーさんに会いたくて、誰にも見られず城内に侵入するために、自分の姿をうしなったんです」
「その意図が不埒だったのに変わりはない」
「では、あなたのアディラさんに対する気持ちも不埒なものだったんですか」
ぐっ、とサイジュベル侯爵が言葉につまったようだ。ランドは続ける。
「あなたがアディラさんを見初めたとき、彼女は舞台芸人でした。そんな身分違いの恋はかなわず、2人は別べつの結婚をしました。あなたは19年の時をへて、その恋を実らせたんでしょう。アディラさんの息子で、あなたの義理の息子であるエドモンに、あなたは同じ苦難を強いてるんですよ」
サイジュベル侯爵が、ゼルキン公爵の甥のジュリアス男爵と、サリーの婚約を決めたのは、サイジュベル家の末長い繁栄と存続のためだ。そんな家どうしの都合によって、かつて侯爵もアディラとの結婚をあきらめていた。
「あなたが縁談を進めているジュリアス男爵はどうしましたか」
ランドの問いかけに、サイジュベル侯爵が力なく首をふった。魔物の出現を聞いた侯爵とともに庭園まで来ていたはずだ。
「ジュリアス男爵は、大地を切り裂いた怪物に震えあがり、逃亡したんでしょう。それにひきかえ、エドモンは自分の命をとして、崩れ落ちてきた屋根からサリーさんを守ろうとしたんですよ」
サイジュベル侯爵の視線が、壊れた祭壇の前に重なりあった2人に向いている。
「そこに、19年前のあなたとアディラさんの姿を見ませんか」
サイジュベル侯爵が奥歯を噛みしめている。そのあごがおもむろに動いた。
「おい、兵士。サリーを城館に運ぶんだ。エドモンも手当してやれ。ジュリアス男爵の実家には、婚約破談の手紙を書こう」
「それじゃあ」ランドの胸に希望があふれだした。
「あんな腰抜けより、立派な勇者をサリーの婿にとることにした」
「やったあ」チビットが頭上で旋回をはじめ、そこから発する魔法の光りが堂内を駆けめぐる。光りが交錯するなか、「めでたいんだなあ」とゴーラが手を叩く。カランの治療ですっかり回復したようだ。
サリーとエドモンを搬送しようとする兵士をカランが止めた。
「わたしがいまここで手当てをしましょう。世界最高の治癒師の手にかかれば、たちどころに治ります。エドモンさんの治療費はいただきません。彼もまた、ともにあの魔物と戦った仲間ですからね」
「カラン殿。わたしはあなたのことを勘違いしていたらしい」
ランドは手を差しだし、カランがそれをぎゅっと握りかえしてきた。
「わたしは撤去作業員ではありませんが、人命を救う治癒師です。サリーさんとエドモンさんの結婚式には、ランドール伯爵もぜひ出席してくださいね」
カランが端整な顔をほころばせ、にこりと口角をもちあげた。
エピローグ
サリーとエドモンは翌朝には全快していた。カランは大きなことばかり言うが、治癒師としての技量が口だけでないのはもうわかっていた。
サリーの目の治療にはあと4日かかるという。サリーの視力の回復を待ち、エドモンとの婚礼を行なうと決まった。カランは、視力回復のために呼ばれたのだからと、その治療費しか請求しなかった。ずいぶん気前がいいとランドは思ったが、その代金は法外なものになりそうだ。
ジュリアス男爵は魔物を目撃してすぐ、イエイツ司祭の馬車を無断で借り、サイジュベル城から逃亡していた。翌日、婚約を破棄するむねの信書が届いた。鎧武者の幽霊や、岩の悪魔にとりつかれた嫁はもらえないという。破談の通達を出す手間がはぶけたというものだ。
病毒を吹きこまれていたデズリーとジュリー夫妻、アディラ夫人はしだいにもとどおりになっていった。カランによれば、体内の毒が中和されているという。おおもとの魔物が退治され、エドモンが姿を取りもどしたように、その影響力もなくなったのだろうと話していた。
結婚式の当日になった。ランド、チビット、ゴーラ、イエイツ司祭、それにカランは、それまでの4日間、サイジュベルの城館に滞在していた。
その日の昼前に、ランドはエドモンの部屋に入った。白い婚礼衣装に着替えたエドモンがそわそわと室内を歩きまわっている。
「花嫁の登場を待ちかねているようですね」ランドは気さくに声をかけた。
「衣装を選ぶのに手間取り、小間使いとあれこれやっています。前には、ぼくさえいれば花嫁衣装なんていらないと言っていたんですよ。挙式の開始は遅れるかもしれません。サリーには困りました」
「そんなものですよ」ランドは、目の不自由だったサリーが、小間使いの用意した地味な衣服を無頓着に着ていたのを思い出した。
マディラ山の悪魔との契約では大変な目にあいましたね、とランドは水をむけた。エドモンがその経緯をぽつりぽつりと語りだした。
その契約内容は、ランドの推測とほとんど同じだった。
魔物はあの恐ろしい見た目をしている。領内に『魔物化』を広めるためには、人間の容姿が必要だった。そこで、領主の義理の息子に目をつけた。エドモンが追放されているのは知らなかったのだろう。エドモンの姿では城に通れず、門衛を殺して強行突破せざるをえなくなった。
魔物は、サイジュベル侯爵の身内から傀儡にしていくつもりだったに違いない。ジュリー、デズリー、アディラ夫人とその魔手をのばしていった。
「ぼくはそんな悪魔の意図を知りませんでした。あいつは、ある目的が達成されるまで、ぼくの姿を貸してほしいともちかけたんです。その提案は、ぼくの切実な願いにもかなうものでした」
エドモンは、サリーと密かに会うために『見えない存在』になった。城には出入りの商人がやって来る。その荷馬車が城門を通るさい、エドモンは『供連れ』で城内に侵入したそうだ。
そんなエドモンの思わくは、カランの登場によってくるった。
「ぼくは、初回の治療をうけるサリーをバルコニーから見ていました。まさかサリーが光りを感じられるまで回復するとは思いませんでした」
目が見えるようになるのは喜ばしいが、『見えない存在』のエドモンには突然の衝撃だった。驚きあわてたエドモンは司祭に助けをもとめた。隣の教区のイエイツを選んだのは、自分を見知っていないと考えたからだという。
イエイツ司祭では話にならなかった。せっぱ詰まったエドモンは、サリーとの駆け落ちをやみくもに実行しようとした。
「そんなおり、あの悪魔がサリーをさらおうとしたんです」
サリーは、エドモンがジュリーに託した偽手紙に誘いだされたとあとで知った。ジュリーは魔物にあやつられていたに違いない。人目につかない礼拝堂で、サリーに毒を吹きこむつもりだったのだろう。
「サイジュベル姉妹が庭園に出る姿を、ぼくは城壁の上から見ていました。城からサリーと逃げる、またとないチャンスです。ぼくは、護衛の兵士を打ちたおし、サリーを連れ去ろうとしました」
それを猟犬のスクイーズに邪魔された。
スクイーズはエドモンになついていたという。エドモンの匂いはしても、その姿形は見えない。不審をいだいて、激しく吠えついたに違いない。
「そのすきに、ぼくの姿をよそおったあの悪魔がサリーをさらったんです。ぼくはサリーを奪いかえそうとしましたが、逆にあいつに投げとばされました。しばらく昏倒していたようです」
ジュリーが墓参を口実にサリーを『魔物化』する計画は、エドモンに阻まれた。やむなく、魔物がみずから乗りだしてきた。
その騒ぎを聞きつけた城兵によって、魔物は礼拝堂に追いつめられた。堂内に捕われたサリーが毒を吹きこまれなかったのは、サイジュベル城の支配を密かに進めるのがもはや無理だと悟ったからだろう。
その後のてんまつはランドの知っているとおりだった。
ドアがノックされた。お嬢さまの支度ができたと小間使いが知らせてきた。入室した花嫁の姿にランドは感嘆した。
サリーは、白い立て襟のついたピンクのワンピース姿だった。金糸の飾り帯をしめ、幾重にもドレープをほどこしたスカートを足もとでゆらしている。高級な生地がふんだんに使用されているのがランドにもわかった。
「どうかしら?」エドモンに向けられたサリーの視線はしっかりしている。
開いた口がふさがらないエドモンの様子から、ランドと同じように感動しているのがわかった。サリーがその場でくるりとまわって見せる。彼女の衣装の好みは、以前とすっかり変わってしまったらしい。
結婚式は予定より1時間おくれの午後1時から、サイジュベル城が見下ろす村の広場で始まった。広場の奥にある神殿の戸口に教区司祭が立ち、その前にエドモンとサリーが並んでいる。
新郎新婦を遠巻きに、サイジュベル家の親族の輪ができていた。そのなかにランド、チビット、イエイツ、それにカランもまざっていた。教区の違うイエイツは、自分が祭祀を行ないたかったと悔しがった。
広場のまわりは、挙式を見物する領民でにぎわっていた。式のあと、サイジュベル城では盛大な披露宴が予定されている。
司祭が結婚の誓いを求めたとき、広場の入り口のほうが騒がしくなった。人垣をわってなだれこんできたのは、20人ほどの武装した兵士だった。そのサーコートには、『獅子と盾』の紋章が刻まれていた。
ランドの前に進みでた兵士が、羊皮紙の逮捕状を差しだした。
「ランド・ミルボーン、チビット、ゴーラ。ハイランド国王の命において、マーシャル公爵殺害のかどでおまえたちを逮捕する」
ならびに、と兵士がイエイツ司祭に向きなおった。
「イエイツ・ランドールはその共犯者として捕える」
ひええ、と頓狂な声をあげてイエイツが尻もちをついた。腰が抜けたようだ。
ランドたちお尋ね者は、ハイランド兵に取りかこまれた。いっしょに参列していたカランの姿は、いつのまにか見当たらなくなっていた。
あの守銭奴が30000ゴールドの懸賞金で、ランドたち3人を売ったに違いない。ランドは自分のうかつさに歯がみした。
カランがハイランドに密告したのはいつだろうか。ジュリーの嫁ぎ先からサイジュベル城に戻った日だと思いあたった。『癒しの水』を採取するカランとは、馬車宿で別れていた。あの宿で飛脚を頼んだのだろう。
ランド、ゴーラ、イエイツは、ハイランド兵に捕まり連行されていった。ゴーラが口を引きむすび、目を白黒させている。あの大口のなかに、とっさに飛びこんだチビットが隠れているのだろう。
ランドは、カランが別行動をとった日から6日たっていると指おり数えた。ハイランド王国からここまで乗馬で3日だ。密告の手紙がハイランドに着き、兵士が到着するにもおよそ6日かかる。
カランは、サリーの視力を回復させるのに時間が必要だと、結婚式の日取りを延期させた。ランドには婚礼にぜひ出席するようにとすすめ、ハイランド兵が来るまでの足止めをはかったのだ。
カランの狙いがわかれば、思い当たるふしはまだある。
あの魔物を倒す協力をしたのは、自分の患者のサリーを取り返すためだろう。サリーの目の治療費をふいにしたくなかったのだ。魔物に昏倒させられたゴーラを無料で救ったのには別の思わくがあった。
賞金のかかっている3人全員を生け捕りにしたかったのだ。ゴーラが死んでしまえば、懸賞金のうち10000ゴールドがうしなわれてしまう。
さらに疑えば、ゴーラの治療費はいらない『わたしたちは供に敵と戦った仲間ですよ』という発言だ。
3年前の、炎の化身ファランクとの戦いをほのめかしていたのではないか。カランは、かつて供に冒険したランドの一行を思い出し、とっくにその素性を見破っていた。ずっと知らんぷりを決めこんでいたのだ。たいした役者だと感心した。そのギャラは30000ゴールドなのだ。
ランドは、魔物を倒したあと、握手をかわしたカランの手がやけに力強かったのを思い出した。それは絶対に捕まえて離さないと言わんばかりに――。
バタン! ランドの一行が乗せられた護送馬車の鉄扉が音をたてて閉められた。
エピソード5 了 『バルゲートプリズン』に続く。