14 マグマに灼かれた大地で魔物と激突する
しずみだした夕日が庭園をオレンジ色にそめあげている。マディラ山の魔物の身長3メートルを超えるシルエットが悠然たる足どりで迫る。
ランドは弓を手に待ちかまえた。大地の精霊使いのカランが隣に並び、前方には、戦槌をふりかぶったゴーラが足をふんばっている。上空からはチビットの声援がとぶ。弓矢と戦槌には『増強魔法』がかけてあった。
ランドは用心のため、『炎熱耐性』の魔法をチビットにかけてもらっていた。それが魔物の溶岩にどれほど有効かはわからない。
サイジュベル侯爵にはいったん城壁まで下がってもらった。生きのこった十数人の城兵が、侯爵のまわりにかたまっている。魔物に怖気づいた彼らはとても戦力にならない。ジュリアス男爵の姿はいつのまにか消えていた。
サイジュベル城の庭園には、幅5メートル、長さ30メートルの亀裂がはしっている。カランが地割れをくい止めなければ、あの魔物によって大地はまっぷたつに切り裂かれていただろう。
ランドは、大きな裂け目をまわりこみながら、魔物の側面から矢を射かける。たて続けに放たれた矢は全て、相手の太い腕にふりはらわれた。
チビットの『魔法の矢』が3本の光りのすじをえがいて、魔物の胸に命中した。一歩しりぞいた相手をひるませるだけの効果はあったようだ。
そのすきに、ゴーラがおどりかかった。戦槌の強烈な一撃が、魔物の腰に叩きつけられる。相手はびくともしなかった。二倍以上の身長差のある敵が体をかがめ、ゴーラにつかみかかった。
ランドはすぐさま矢を射る。腕に3本の矢を突き立てられ、魔物がうるさそうにうなり声をあげた。太い腕のひとふりで、ゴーラを5メートル先まで突きとばした。ふりむいた魔物の頬がふくらんだ。
とっさにランドは飛びのいた。そのいた場所に、灼熱のマグマが浴びせかかる。激しく蒸気をふきあげ、地割れのあいだに流れていく。
ゴーラが起きあがり、地響きをたてて突進した。魔物が向きなおった。
「ゴーラ、突っ込むんじゃない。よけるんだ」
「うへえ!」間一髪、ゴーラはマグマの直撃をまぬがれた。赤くたぎる溶岩流が大地に広がった。「うへっ、うへっ、熱いんだな」
ゴーラが、ダンスのステップをふむ足どりで、溶岩だまりから逃れる。魔物が大またの2歩でゴーラに近づき、岩の拳を高くふりあげた。
ゴーラの頭上に、巨大な影がのびあがる。「うへえ~」
魔物のがら空きになった胸に、太いエネルギーの束がさく裂した。チビットが、同時に放てる3本の『魔法の矢』を1本にまとめて発動したのだ。魔物が怒りの声をあげ、さすがに後方によろめいた。
ふりあおいだ魔物が、茜色の空を旋回するチビットにマグマを吹きかけた。
「どひゃあ」チビットがかいくぐったマグマが降りそそいでくる。ランドは慌てて逃げだした。溶岩の雨にあぶられた大地から、音をたてて湯気があがった。
薄暮の庭園に散らばったマグマだまりが赤黒く輝いている。もうもうと上がる蒸気が大気を熱する。『炎熱耐性』に守られていても、蒸し釜のなかにいるような暑さだ。ランドはうかつに動きまわれなくなった。
カランが、溶岩だまりにかがみこんでいる。
「危ない! 近寄るな」ランドはすぐさま警告を発した。
ジューッと赤黒いマグマが白黒まだらの火成岩に変わっていった。
カランが涼しげな表情で立ちあがった。「熱いので、冷やしておきました」
なるほど。世界最高の精霊使いと、うそぶくだけはあるとランドは舌をまいた。そこで思いつき、カランのもとに走って耳打ちした。さらにチビットを呼び、自分の計画を打ちあけた。
白い蒸気にかすんだ戦場では、岩の魔物とゴーラが向かいあっていた。おおいかぶさるほど体格さのある魔物が、ごつごつした腕を構えている。ゴーラが戦槌をふりかぶり、敵のふところに飛びこんだ。
組んだ岩の拳がふりおろされ――ズドン! ゴーラを叩きふせた。頭を地面にめりこませたゴーラはぴくりとも動かない。
「ゴーラ!」ランドは心配になった。うへえ、とも言わなかった。
すぐさまランドは魔物に矢を射かけて走る。遠巻きに相手の背後にまわりながら、たて続けに弓を射た。
魔物がそれをうるさそうにふりはらっている。『増強魔法』されているとはいえ、ランドの矢は相手にさほどダメージを与えていないようだ。
ふりかえった魔物の赤い目に苛立ちがあらわれだした。
ランドは狙いあやまたず、相手の右目に矢羽根を突きたてた。夕日に赤く焼かれた空に、怪物の咆哮がとどろきわたった。
矢を引き抜いた魔物がランドに大またで近づいてきた。ランドの存在がさすがにわずらわしくなったのだろう。こっちの思いどおりだ。
ランドは弓を構える。見上げる魔物が頬をふくらませた。タイミングは見きわめていた。マグマが吹きだされるや、ランドはそれをよけて逃げた。魔物が怒りの声をあげ、地響きをたてて追いかけてくる。
ランドは相手を誘導しながら、大きく開いた地割れにそって走った。肩ごしに、魔物のふくらんだ頬を確認する。吐きだされた溶岩流がランドをかすめ、裂け目の縁を灼いてしたたった。
つぎの瞬間、魔物の岩の足が、自分の吐いた溶岩だまりにふみこんだ。
「岩の怪物、こっちよ!」
チビットが呼びかけ、ふりむいた魔物の背中が裂け目に向いた。
チビットは青白い光りのかたまりになっていた。「これでもくらえ!」
同時に、ランドは、地割れのそばに待機していた精霊使いを呼ぶ。「カラン!」
チビット渾身の『魔法の矢』が太い柱となって飛び、魔物の胸を直撃した。
ふみこたえようとした魔物の両足が、火成岩のなかに固定された。カランがマグマを急速冷却したのだ。足をとられバランスをくずした魔物の巨体が大きくのけぞる。その足もとの溶岩がひび割れた。
岩の怪物が両手を大きく広げ、大地の裂け目にのみこまれる。その姿が、ランドには不思議にゆっくりと見えた。
「うおおおぉぉぉ……」
怪物の絶叫が、大きく口を開けた深淵にこだまし消えていった。
ランドは地割れの縁に駆けよった。白黒まだらの火成岩にかがんで、その下をのぞきこむ。暗くしずんだ底までは見とおせなかった。
足音が近づいてきた。サイジュベル侯爵と、数十人の城兵が恐るおそる様子をうかがっている。あの魔物を退治できたとは、まだ信じられないのだろう。
「ゆれるので縁から離れていてください」
カランが、大地を切りさいた亀裂の先端にひざまずいていた。
たそがれの庭園に、リーンと甲高い音が静かに響いた。カランの金色の長い髪が、風もないのに、ふわりと浮きあがった。
低い地鳴りとともに、溶岩に固められた地割れの縁が振動しだした。ランドはすぐさまその場所からしりぞいた。
焼け跡から始まった亀裂の左右の縁がやおら動きはじめた。ランドはその様子に目をみはる。背後から、兵士のどよめきが聞こえてきた。
幅およそ5メートル、長さ30メートル以上におよぶ地割れが、その発生地点からじょじょに閉まっていく。ついに、カランがついた両手の下で、ぴたりと閉ざされた。そのあとには、巨大なモグラが地中を這ったような、土の盛りあがった長いすじが残っただけだった。
「やったぞ」兵士の1人が声をあげた。城兵のあいだにようやく安堵が広がったらしく、勝利を祝ったり、拳をふりあげたり、手を叩いたりしている。サイジュベル侯爵も一息ついているようだ。
ランドは『炎耐性』がかかっていても、体のあちこちが火傷でひりひりする。それよりゴーラだ。安否を確かめに近づいた。
顔面を地中にめりこませたゴーラは、いまだにピクリとも動かない。その後頭部が半ば地中からのぞいている。岩の頭に生えている緑の蔓草も、白いスミレもぺしゃんこにしおれていた。
歩みよる足音にランドはふりむいた。大地の精霊使いだった。
「カラン殿。世界最高の治療の腕前で、ドゴーラ男爵を救えないでしょうか」
「もちろん、わたしなら救えます。まだ、生きていればですが」
カランがかがみこんで、ゴーラの頭部に手のひらをかざした。カランの目が細められ、眉間にしわが寄り、金色の髪がさざなみだつ。キーンと甲高い音が響いた。ランドは固唾をのんで見守った。
やおら、『大地母神』のスミレが立ちあがった。その周囲の蔓草がざわざわとうごめきだし、ふわりと緑の生気を取りもどした。
ゴーラの肩が動いた。両腕をつっぱり、めりめりと自分の頭を地面から引っぱりだそうとしている。ランドは土をかいて手伝った。
「うへえええ」ゴーラの土にまみれた顔があらわれた。半月型の目を白黒させ、頭部をふらつかせている。命に別状はないようだ。
ランドは、大地の精霊使いの治癒能力にあらためて感嘆した。カランがあとで請求してくる治療費が、こんどは不安になった。
「代金はいりません」カランがランドの心を読んだらしい。「おや、意外そうな顔をしていますね。わたしたちは供に敵と戦った仲間ですよ」
カランが端整な顔をほころばせ、にこりと口角をもちあげた。
「カラン」ランドは彼のあつい気持ちに、感謝の手を差しだした。
ガラガラとなにかの崩壊する音が聞こえてきた。たそがれに礼拝堂が黒い輪郭を見せている。板葺きの切妻屋根が半壊していた。
いったい、なにがあったんだとランドは驚いた。
チビットの『火球』だと思いあたった。爆発の衝撃と、地割れによる振動が重なり、梁材が耐えきれなくなって、屋根が崩れ落ちたんだ。
「礼拝堂のなかには、サリーさんが捕らわれています」
ランドはサイジュベル侯爵に事態を伝えた。サリーを救出するには人手が必要だ。侯爵に兵士への指示をあおいで駆けだした。
ランドの前を飛ぶチビットが『光り』の魔法に包まれ、夕闇を照らしている。そのあとを追いながら、地下の納骨堂にサリーが避難していればいいと願った。屋根の下敷きになっていたら大変だ。
礼拝堂の開かれた扉から吠え声が聞こえている。ランドは堂内に飛びこんだ。身廊の奥の内陣は、折り重なった屋根材や、倒れたベンチにふさがれていた。その山に、ラブラドール犬がしきりに吠えかけている。ぽっかりあいた天井からは、銀色の月がのぞいていた。
ランドは、屋根板や棟木、梁材、ベンチの重なりあった下をのぞきこんだ。地下の階段口も材木に埋もれていた。サリーが礼拝堂にいるにしろ、納骨堂にいるにしろ、まずはこれらを撤去する必要がある。
「サリーはどうした」サイジュベル侯爵と、兵士の群れが駆けこんできた。
ランドは礼拝堂のなかにまだいる可能性を話した。侯爵がサリーの名前を叫び、その場の全員が大声で呼びかけた。
聞こえてくるのはラブラドールの吠え声だけだった。
続