表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/15

11 告解者Xが10㎏の金塊と引きかえたもの

 アディラ侯爵夫人も『枯れ死病』にかかったと治癒師のカランが診断した。


 サイジュベル侯爵のかかげるランプに照らされ、土気色の顔したアディラ夫人が気をうしなっている。エドモンに『魔物』の息を吹きこまれたのだ。


「だが」とサイジュベル侯爵が勢いこむ。「あんたなら治せるのだろう。瀕死のジュリーをいまの状態まで回復させたのだからな」


「もちろんです」とカランが言いきった。「ですが、その手当を途中で止めてしまえば、病気がぶりかえすかもしれません」


 カランは『枯れ死病』の治療をデズリー夫妻に断わられたのを根にもっている。侯爵からは治療費をとことんしぼりとるつもりなのだろう。


「わかった。あんたの言うとおりにしよう」サイジュベル侯爵が承知した。


 しかし、ランドには他に気がかりがあった。


「カラン殿、アディラ夫人が全快するのにどのくらいかかりますか」


「不治の病と言われていますからね。相応の費用は……」


「わたしが尋ねているのは、治療にかかる日数です」


「ああ。世界最高の治癒師の能力をもってすれば3日でしょう」


 それでは遅いとランドは歯がみした。3日のあいだにアディラ夫人は『魔物化』の感染を広めていくだろう。その最初の犠牲者はサイジュベル侯爵になりそうだ。ここは自分の考えを侯爵に打ちあけるしかない。


「サイジュベル侯爵。あなたの奥方はいまや魔物の手先となりました」


「なんだと」侯爵の相好が険しく変わった。


 ランドは、アディラ夫人がエドモンに病毒を吹きこまれたと話した。


 毒を吹きこまれた相手は、魔物の意のままに動かされる傀儡(かいらい)になってしまう。そんな『魔物化』の現象は、その傀儡から、つぎの犠牲者へと広がっていく。感染拡大を防ぐためには――。


「アディラ夫人が完治するまで、寝室に閉じこめておくしかありません」


「それはあんたの推測だろう。魔物の息がかかり、その傀儡(かいらい)となる事態が城内で進んでいる証拠はあるのか。デズリーとジュリーも『枯れ死病』らしい土気色の肌をしているが、感染を広げている様子はないぞ」


「それは」あの2人は機会を狙って、行動をひかえているだけだ。


「アディラが魔物の手先になんかなるものか」


 仰向けに横たわる夫人の体に、サイジュベル侯爵がおおいかぶさり、それをよけてカランが立ちあがった。


「監禁なんてさせないぞ。アディラが白い肌を取りもどし、もとどおりの体になるまで、わしがつききりで看病しよう」


 だめだ、とランドは首をふった。


 エドモンが魔物に魅入られたのは、芸人の不埒な血をアディラ夫人から受け継いだからだと侯爵は非難した。それは、サリーに懸想したエドモンをかばおうとする、実の母親へのあてつけだった。いまは、魔物の手先になるものかと夫人を必死に守ろうとしている。


 サイジュベル侯爵は、本当はアディラ夫人を心から愛しているのだ。


 サイジュベル侯爵が2人の兵士を呼び、意識をうしなっているアディラ夫人を寝室に運ぶよう命じた。侯爵もそのあとについて大階段を上がった。夫婦の寝室の閉まる音が、全てを拒絶するように響きわたった。


 翌朝、ランドは、サイジュベル城の60人の兵士を動員し、エドモンの捜索にあたらせた。中庭をいくつかの区画に分割し、兵士を班に分けて地面を調べさせる。穴を掘ったり、埋め戻したりした痕跡はないか。とくに、大きなモグラ穴や不自然な盛土に注意をはらわせた。


 中庭の捜査は、昼までにはおおかた終わった。エドモンが土中にもぐりこんだ形跡のある場所は、ついに見つからなかった。


 エドモンは地面と完全に同化できるのではないか。ランドはそう考えざるをえなかった。魔物が人間の姿として実体化し、地面から這いだすときに、噴火口のような形状の穴を残すのだろう。


 中庭じゅうを本当に掘りかえす必要がありそうだ。しかし、地盤に同化している相手を、それで見つけられるだろうか。


 いずれにしろ、エドモンを見つけられるとは限らない探索に、城の兵士はうんざりしている様子だ。目指す相手が地下にもぐりこんでいるとは信じられないのだろう。ランドも確信があるわけではない。ここは城主に捜査の陣頭指揮をとってもらったほうが良さそうだ。


 サイジュベル夫妻の寝室のドアを開けたのは治癒師のカランだった。アディラ侯爵夫人が意識を取り戻したという。ベッドに半身を起こした夫人のそばに、サイジュベル侯爵がつきそっている。侯爵の顔色に変化はなかった。


 ランドはひとまず安堵し、城の敷地を捜索した結果を報告した。


「そこで、エドモンを見つけだすのに中庭を掘り返したいのですが」


「勝手にすればいい。わしらにはかまわないでくれ」


 サイジュベル侯爵が捜査の指揮をとる気はなさそうだ。


 侯爵は、アディラ夫人の体を気づかうあまり、エドモンの追跡なんかそっちのけなのだろう。兵士の士気のあがるはずがない。その侯爵が、夫人からいつ毒気を吹きこまれるかわからないのだ。城主が魔物の傀儡(かいらい)になりはててしまえば、城の統率はなくなってしまう。


 それがエドモンの狙いなのだろう。サイジュベル城を『魔物化』で制圧し、この城を拠点に、魔物の支配をその領地にまで広げていく。


「ランドール伯爵」アディラ夫人に呼びかけられた。「昨夜は、息子に化けた暴漢を撃退してくれたそうですね」


 夫人が感謝の言葉をのべる。けれども――。


「わたしの息子に化けた魔物が、城内の人びとをその手先にしようと企んでいるなんて、根拠のない想像です。わたしは魔性の操り人形ではありません」


 ランドを見あげたアディラ夫人の瞳はすわりきっていた。


「そうだとも。わしはおまえを信じる」サイジュベル侯爵が同意した。


「あなた」アディラ夫人が侯爵に向きなおった。「わたしは魔物にあやつられていませんし、『枯れ死病』にもかかっていません。暴漢に襲われショックをうけているだけです。治癒師の先生には、わたしの治療をお断りしてください」


「それはいけない」カランが侯爵夫人に手をのばそうとする。


「触るな」サイジュベル侯爵が立ちはだかった。「アディラにはかまわないでくれ。サリーの目はどうなっている。最初の診察から3日がたっているぞ。視力の回復はあれから少しも進んでいないじゃないか」


「実は『癒しの水』が不足していまして……」とカランは歯切れが悪い。


「あんたは、サリーの目の治療に専念してくれればいい」


「わかりました」カランがローブのすそをひるがえし、足早に寝室を出ていく。その端整な顔が、みにくくゆがんでいた。


 ランドはカランのあとを追い、回廊の途中でつかまえた。


「カラン殿。『癒しの水』は、サリーさんの目に処方されるとすぐ、光りが感じられるほど劇的な効果がありました。それから進展がないのは、どうしてでしょうか。治療は毎日行なわれているんですか」


「もちろんです。処方薬が足りなくなっていると言ったでしょう」


 カランがめずらしく声を荒らげ、足音も荒く自室に向かった。


 カランは、ジュリーをサイジュベル城に連れてくる途中、馬車宿で別れ『癒しの水』を補充しにどこかに出かけていった。城に戻るまで丸一日かけて、医療に必要な水をくんでいたはずだ。


 カランは薬をけちっているのではないか。長期にわたり治療費を請求しようと、視力の回復をあえて遅らせているのではないか。ランドはそう疑いたくなった。


 昼食のあと、中庭を掘りかえす許可がサイジュベル侯爵から出たとランドは兵士に伝えた。ほとんどの兵士が城主みずからの采配でなければその指示に従えないと答えた。ランドは作業を断念せざるをえなかった。


 イエイツ司祭が馬車でサイジュベル城に乗りつけたのは午後3時の鐘が鳴ったころだった。2日前の夕暮れどきに奇怪な告解があったという。


「その内容を他人に話してかまわないんですか」


 ランドは自室で、チビット、ゴーラとともにイエイツ司祭の話を聞いている。


「これは冒険者のうけおう案件だ。相手は救いをもとめていたが、わしの手にはおえん。告解者が誰だかわからないのだから、かまわないだろう」


 救う相手が不明ではしかたないが、ランドは司祭の話の続きをまつ。


「その告解者は――仮にXとしよう、義理の妹と道ならぬ恋におちいったと告白した。娘の父親はそれを許さず、恋人は離ればなれにさせられた」


 ランドの脳裏にふと、サリーとエドモンの関係が思いうかんだ。


 Xは、切実な願いをかなえるため、とんでもない契約を悪魔と交わしたという。


「谷あいの道をXが歩いていると、悪魔の大きな首が地面から生えてきたそうだ」


「なんだって」ランドは思わず声をあげていた。


 エドモンに化けた魔物は、土中にもぐりこむ能力があると推測していた。


 その悪魔は、10㎏の金塊と引きかえに、Xにあるものを借りたいともちかけた。Xはそれを受けいれたが、あとでその契約を破棄したくなったという。


「その契約内容はどういうものだったんですか。金塊と交換したものとはなんだったんですか。Xの切実な願いとはなんですか」


「質問はひとつずつにしてくれ。いずれの答えも、わしは知らないがね」


 それじゃあしかたない。ランドは落胆した。


「Xの恋人は目が見えないらしい」とイエイツ司祭が続ける。「彼女の視力が回復する見込みがあり、そうなる前に、悪魔と交換したものを取り返さないといけないとXは必死にうったえた」


 同じ悪魔を呼びだしてほしいとイエイツ司祭に頼んだらしい。その依頼は確かにイエイツの手におえるものではない。


 ランドは、そのXはエドモンだったのだろうと考えていた。彼は魔物に自分の似姿をあたえたのではないか。だとしたら、本物の彼はどうしているのか。無事に生きていればいいけれど。


「わしは、ここはXとじかに会って話しあったほうがいいと判断した。Xはそれを激しく拒んだ。隣りあった小部屋のドアをえらい力で抑え、わしを入れまいとかたくなに頑張りおった」


『司祭さま、お願いです。ぼくを見ようとはしないでください。そんなことをされたら、ぼくは身の破滅です。それだけはお許しください。どうか、どうか――』


「必死に懇願するものだから、わしはついにあきらめたよ」


 イエイツ司祭が司祭席に戻ると、Xが逃げるように礼拝堂を出ていった。よほど自分の姿を見られたくなかったのだろうと司祭が述懐する。


 ランドは考えこんでしまった。チビットとゴーラも黙ったままだ。いまのイエイツ司祭の話をどう解釈したらいいか、2人とも思案しているのだろう。


「じゃあ」と最初に口を開いたのはチビットだった。「その悪魔がエドモンに化け、城内で『魔物化』を進めようとしているのね」


 おそらくそうなのだろう。ランドもチビットと同じ意見だ。


「エドモンと悪魔は体を交換したんだな」ゴーラが口をはさんだ。「それは恐ろしい外見になってしまい、司祭に見られるのを死ぬほど嫌がったんだな」


 そうだろうか、とランドはふにおちない。


 いくら切実な願いをかなえるためとはいえ、悪魔の風貌になりたいとは思わないだろう。エドモンは相手の甘い言葉にだまされ、まさか自分の姿形まで変わるとは思わなかったのではないか。


 そんなおり、サリーの視力が回復する可能性が出てきた。恐ろしく変貌した姿を、彼女に見られるわけにはいかなくなった。


 本物のエドモンはいまも人目を忍んでいるはずだ。そんな彼をランドが救う手立てはない。自分にできるのは、エドモンに化けた魔物を倒すことだ。それで彼がもとの姿に戻れるのを願うばかりだ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ