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1 お尋ね者のランドはランドール伯爵をかたる

             サリー・サイジュベル


 月光の差しこむ寝室のベッドで、わたしはリュートをつま弾いている。その音色のなかに、バルコニーに出る戸板の鳴る音がまじった。


 彼が来たんだ。わたしは胸の高鳴りがおさえられなかった。


 彼の足が静かに床に下ろされる。家族に気づかれないよう細心の注意をはらっている。わたしの寝室で、そんなに慎重にならなくてもいいのに。わたしを驚かせるつもりなんだ。彼がその試みに成功したことはない。わたしはとても耳ざとい。彼がバルコニーを登っているときから気づいていた。


 わたしは音楽に集中し、なにも知らないふりをする。それでも、わたしには彼の動作の全てがわかっていた。


 毛足の長い絨毯をゆっくり歩いてくる。小卓のそばで立ち止まった。テーブルクロスの上の刺繍に目を止めているのだろうか。その布に彼の指がふれたらしい。衣擦れの音に、ハッと彼が息をのんだ。わたしは演奏にふけっているふりを続ける。彼の安堵の吐息が聞こえた。


 彼の匂いがしだいに近づいてきた。あと3歩だ。心のなかで数える。1歩、2歩、3歩――彼の手がベッドの支柱に触れた。わたしの肩にそっと指がおかれる。


 わたしはさっと顔をむけ、待ちかねていたように微笑みかけた。彼の愛しい匂いがわたしを包みこんでいく。わたしの不意をつくいたずらが今夜も失敗したと気づき、彼の失望している気配が伝わってきた。


 わたしはリュートを落とし、彼の顔に夢中で指を這わせる。そのほっそりした輪郭、細い鼻すじ、とがったあごをなぞる。まぎれもないエドモンの顔だ。


 彼の唇の両端が上がり、目尻が下がった。わたしにいたずらを見破られ、照れ笑いをしているのだろう。エドモンとは2週間も会えなかった。彼の腕がわたしの背中にまわされた。


 目の見えないわたしを誰もが同情する。あわれみは欲しくない。わたしは〝見えている〟のだから。わたしの家庭教師は、それは視覚で見ているのではなく、指で感じているのだという。


 けれど、実際にものを〝見ている〟のは脳だ。目は情報をえる手段にすぎない。その情報をもとに、頭に映像を再現する。わたしはそれを、触覚、聴覚、臭覚でおこなっている。はるかに多くの情報にもとづいて〝見ている〟のだ。普通は見えないものだって〝見る〟ことができる。


 エドモンの美しい顔立ちが、わたしの脳裏にいまもはっきり映し出されている。優しい眼差しが、わたしにそそがれている。


「――サリー、愛している」


 エドモンの声がささやき、彼の息吹がわたしの顔にかかる。甘い匂いが濃くなり、激しさを増し、わたしの唇を包みこんでいった。


                  *


 白馬にまたがった30半ばの男が、変わりはてたマディラ山をながめていた。彼は金色に輝く長い髪を背中でひとつに束ね、黒いコートに、金糸の縁取りの白いマントをはおっている。大地の大精霊使いカラン・セシル・ヴァールだ。カランの薄青い瞳の目が細められた。


 噴火で山頂をふきとばされた山容は、ずいぶんいびつになっていた。山麓をのみこんだ溶岩が冷えて固まり、あたりの景観をすっかり変えてしまった。


 山の周囲には、いまにも流れだしそうな渦を刻んだ火成岩の層が広がり、溶岩流の激しさを当時のまま閉じこめている。赤黒い岩床のいたるところに、灰褐色の堆積物がおもいおもいの格好で立ちならぶ。荒涼とした山地のありさまをいやがうえにも際立たせていた。


 マディラ山の400年ぶりの噴火から3か月後のことである。


 カランは、大地の精霊の力を引きだし、魔法を行使する精霊使いだ。世界最高の治癒師と自認している。その実力はまぎれもない。


 カランは、ここ数か月で広まった奇病の調査にあたり、その原因がマディラ山の噴火にあるとにらんでいた。病気に苦しむ人を目の当たりにし、その原因究明にのりだしたわけではない。大地の治癒力を引き出す自分の力で病人を治せれば、大もうけできるとふんだのだ。


 もちろん、カランの請求する法外な治療費を払えない患者を助けるつもりはない。大精霊使いは金にしか興味がないのだ。


                  *


「ランドール伯爵」


 3回呼ばれて、ランドはようやく気づいた。


 山岳地方で生まれ、森林監視員(レンジャー)として森で過ごしてきたランドが、まさか伯爵と呼ばれる日がくるとは思わなかった。


「他に誰もいない教会ではランドでいいよ」


 自分を『伯爵』と呼んだイエイツ司祭にそう断った。


 イエイツは50年配で、薄い白髪をなでつけ、目尻が下がり、面長で鼻も長い、アトレイ教の司祭だ。たけが足首まである黒いローブの僧服をまとっている。


「いやいや、どこに耳があるかわかったものではない。こんな片田舎だと高をくくっていると、懸賞金ハンターに見つかる危険があるぞ」


 イエイツ司祭の声は低く野太い。それが讃美歌となると、耳をふさぎたくなるほど調子のはずれたカウンターソプラノになる。


 ランドは前回、宿神の秘密をさぐる冒険をした。そのさい、マーシャル公爵殺害のかどで、ハイランド王国に10000ゴールドの懸賞金をかけられていた。


 イエイツ司祭は、ランドと同行していたことで共犯を疑われた。王宮の裁判では証拠不十分で釈放されたものの、ハイランドから乗馬で3日かかる、イエイツの故郷の小教区にとばされたのだ。


 イエイツ司祭の出自は伯爵家だ。僻地に左遷の判決ですんだのは、イエイツの家柄によるものかもしれない。


 イエイツの兄であり、先代のランドール伯爵は2年前に亡くなっていた。唯一の跡継ぎのイエイツは、そのころハイランド王国で主任司祭を務めていた。世襲した領地には戻らず、その管理を代官にまかせっぱなしにしていた。そんなおり、先代の血を分けたご子息が見つかった。


 その隠し子がランドという設定だった。


 ランドの隠れみのとして、ランドール伯爵の地位を差しだしてくれたイエイツ司祭には感謝してもしきれない。しかし、こんな狭い領地にずっと隠れつづけているつもりはない。ランドは根っからの冒険者だ。ほとぼりがさめれば、爵位を返上し冒険の旅に出るつもりでいた。


 ランドのいま身につけている服装も、どこかそぐわず着心地が悪い。


 髪粉をふった白いかつらに、クラバットを首に巻き、膝たけの暗赤色のコートにブリーチーズ(半ズボン)、長靴下に先のとがった靴をはいている。1年前から生やしはじめた口ひげの異物感にはいまだ慣れない。


 これらの貴族風の衣装は、イエイツ司祭が用意してくれたものだ。


 どすんどすんと地響きがして、教会の両開き扉がいきおいよく開けられた。


「サイジュベル侯爵からの迎えの馬車が来たんだなあ」


「これであたしも社交界デビューなんだわあ」


 ゴーレムのゴーラと、妖精のチビットが飛びこんできた。身のたけ160センチの岩のかたまりの頭上に、身長20センチの女性が飛びまわっている。


 チビットは、青いワンピースの大きく開いた背中で、金色に輝く翼を羽ばたかせる。このドレスは人形職人に作らせたものだ。チビットは現在、ビビット伯爵夫人の名をかたっている。


 ゴーラは岩の体と粘土の関節で動きまわる。半月型の愛嬌のある目、平べったい獅子鼻に、大きな口をしている。現在はドゴーラ男爵を名のっていた。


 ゴーラは変そうと称し、自分の頭部に雑草を植えはじめた。いまでは緑に生いしげり、岩の頭をロン毛のようにおおっている。その草むらのなかに、大地母神だいちぼしんに授かった一輪の白いスミレがゆれている。


 ゴーラの体格にあった衣装は、ランドール伯爵の館には見つからなかった。おたずね者のゴーラが仕立屋で服をあつらえるわけにもいかず、元伯爵の形見の、裾の長いコートをまとっている。


 ゴーラはしょっちゅうコートの裾を踏んで転ぶ。そのたびに多くの被害を引き起こした。今朝も、前のめりに倒れた岩頭を祈祷台にぶつけて粉砕した。イエイツ司祭が顔をまっ赤にして怒っていた。


 馬車をよこしたサイジュベル侯爵は隣の領土を治めている。ランドール伯爵の世襲を祝いたいと何通も招待状を送ってきた。ランドは身分の詐称がばれるのを恐れ、その招待をずっと断ってきた。イエイツに、1年も領主館に閉じこもっていては逆にあやしまれると言われ、晩餐会の出席が決まったのだ。


 ランドはやはり気が進まなかった。乗り気なのは、貴族の仲間入りをよろこぶチビットとゴーラの2人だ。ビビット伯爵夫人は妖精族の女王の従妹、ドゴーラ男爵はその友人というふれこみだ。


 イエイツ司祭が先にたち、ランド、チビット、ゴーラは教会を出た。広場に止まった、石材運搬用の2頭立て馬車の周囲に人だかりができていた。新しい領主の顔を見ようと集まっているのだろう。


 ランドは、領民の好奇の視線のなか、威厳をたもって馬車の荷台に乗りこんだ。ゴーラの荷重がかかると、車体が嫌な音をたててきしんだ。


 黒いお仕着せの御者が不機嫌そうな表情をしている。侯爵おかかえの自分がまさか石材運搬車を御するとは夢にも思っていなかったのだろう。ゴーラの重さに耐えられる馬車はこれしか用意できなかったのだ。


 御者がやけくそ気味に鞭をふるい、サイジュベル侯爵の居城に出発した。


 侯爵の領地は山を挟んだ向かい側だという。馬車は山裾ぞいの街道を進む。連なる山並みの木々が、黄色や赤、オレンジ色にそまっている。反対側の緑の斜面を下った先には、小さな集落がうかがえる。その向こうに広がる海からは、潮をふくんださわやかな風が吹いてくる。


 山の裾野をまわり、侯爵領にさしかかったころには黄昏がせまっていた。馬車は、一転、鬱蒼とした森のなかを走っていた。左右からおおいかぶさる枝はしなだれ、葉は干からびている。ランドはどこか陰湿な雰囲気を感じていた。それは、かげりだした日のせいばかりではなさそうだ。


 山で育ち、森林監視員(レンジャー)をしていたランドには、この森の異様さがはっきり感じられた。まるで死人の森だ。生き物は棲息しているのだろうか。森に入ってから鳥の鳴き声を聞いていない。もう巣に戻ったのかもしれないが、ふくろうの声くらい聞こえてもよさそうだ。


 森を抜けて丘を下ると、雑木林の片側が開けた。丘のふもとに寄せあつまった集落の家いえが、月光に白く照らされている。


 そのとき、馬車の角灯(ランタン)の明かりのなかに、人影が飛びだしてきた。


 御者が声をあげ、馬のいななきが宵闇に響いた。馬車の側面にまわったその人影がかがみこんだのをランドの目はとらえた。


 つぎの瞬間、荷台が横にかたむき、「うへえ」「どひゃあ」、そのままひっくり返った。ランドは地面に放りだされるや、受け身をとって起きあがった。


 痩身のシルエットが木立の影に消えようとしている。月明かりのなかに、細い鼻すじ、とがったあごをした、細面の青年の顔がうかびあがった。そのらんらんと輝く瞳には、凶悪な色がやどっていた。


 馬車は横倒しにされ、2頭の馬が重なりあって倒れている。荷台のかたわらに、ゴーラの岩の体が大の字になっている。その上に、イエイツ司祭の長身がおおいかぶさっていた。ゴーラの下敷きにならずにすんだようだ。


「もう、なんなのよ。あの馬鹿力は」


 金色の光りを発して羽ばたくチビットが不平をこぼした。


 御者席の近くでうめき声があがった。ランドは、席の下から御者を引きずり出した。安否をたずねると、大丈夫だと御者がうなずいた。


「エドモンのやつ、村には一歩もふみいるなと言われているはずなのに」


「エドモンとは何者なんですか」とランドは御者に聞いた。


「やつは侯爵の後妻の連れ子なんです。サイジュベル城で庭師をしていましたが、サリーお嬢さまに手をつけ、この領地を追い出されました。しかし、えらい怪力だ。ぶつかった馬を押しのけ、馬車ごとひっくり返しやがった」


 ただの怪力ではない。3人の乗客と、岩のかたまりのゴーラが乗った石材運搬車を横倒しにしたのだ。月光に照らしだされた青年の目に、人間のものではない、魔物の恐ろしさをランドは感じとっていた。


 ランドはゴーラと協力して、ひっくり返った馬車を立てなおしにかかる。2頭の馬車馬は、幸い骨折もせずに無事だった。


「司祭さま」と女性の呼び声がかかった。


 道ぞいの宿屋から、宿の女将らしき中年女性が小走りに来た。イエイツはこの教区の司祭ではないが、女将には差しせまった事情があるようだ。


 道ばたに座りこんでいたイエイツが立ちあがった。女将がその足もとにくずおれ、顔をおおって嗚咽しだした。


「どうされました? なにか大変な事態にあわれたようですな」


 泣きくずれている女将にイエイツ司祭がかがみこんだ。


「主人が『枯れ死病』にかかったらしく、いまにも死にそうな様子なんです。司祭さま、どうか主人をお助けください」


「あい、わかった」イエイツ司祭が自信たっぷりに安請けあいした。女将を助けおこし、2人して宿屋に向かっていく。


 馬をなだめている御者は迷惑そうな顔つきだ。サイジュベル城への到着がますます遅れてしまう。しかし、悲嘆にくれている女将を見捨てて行くわけにもいかない。ランドは、チビットとゴーラをうながした。


「おいらは嫌なんだな。病気がうつったら大変なんだなあ」


 ゴーラが激しく首をふっている。


「『枯れ死病』は伝染しないから大丈夫よ」


 チビットが、ゴーラの頭上にとまって説得にあたっている。


「その原因はわかっていないんだなあ。うつらないとは言いきれないんだなあ」


 ランドは『枯れ死病』にかかわる冒険をかつて経験していた。その病気の正体については、大地母神(だいちぼしん)から聞いたおぼえがある。


 それは病気ではないという。『大地の精霊』に死が近づいたとき特有の症状だそうだ。『大地の精霊』は大地母神にその事実を知らされたのち、みずからの出生土(しゅっしょうど)に還っていく。枯れるように土気色になり、しだいにしなびて鉱物に変わる姿から、人間が『枯れ死病』と呼ぶようになった。


 つまり、人間のかかる病気ではないのだ。


 ランドは、いやいやをしているゴーラと、チビットをおいて宿屋に向かった。大地母神にうみおとされたゴーラもまた『大地の精霊』の一種なので、病気の感染を恐れているのだろう。


 宿屋一階の食堂の奥から、女将の泣き声が聞こえている。そこに主人の病床があるようだ。ランドは寝室に入っていった。


 ベッドの寝わらに横たわる患者の姿に、ランドは言葉をうしなった。


 宿屋の主人の皮膚は土気色に変色し、体は干からびて痩せ細っている。まるで枯れ木のようなありさまだった。


 途方にくれた様子のイエイツ司祭のかたわらに、女将が泣き伏している。イエイツの信仰の力では、どうにもなりそうになかった。


 ランドは、主人の上にかがみこんだ。あばらのうきでた茶色の皮膚が、肌着からむきだしになっている。ランドは、患者の左胸に手のひらをあてた。つぎに、腐った葉の臭いのする口もとに耳を寄せる。


 宿の主人はすでにこと切れていた。


 女将が主人の異変を感じとったらしい。悲痛な声をあげて、主人の首にすがりつき、「あんた」と揺さぶりだす。そのとたん、患者の体が土くれのようにくずれ、みるみる黒い搾りかすへ変貌していった。


 女将がその場で気絶した。イエイツ司祭が口をあんぐり開けている。


 ランドの体じゅうに戦慄がはしった。これは病気じゃない。悪魔の呪いか、魔物の仕業に違いない。そう確信した。


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