セックスから始まる恋愛はアリですか? 3
朝日を浴びながら駅に向かう。
暑くも寒くもない早春という季節が、俺は嫌いじゃない。
あと一ヶ月もすれば新入社員が街に溢れるようになり、気温もぐいぐいと上がっていく。
息苦しい季節の始まりだ。
電車の混み具合も増すしね。
いやまあ、いまだって充分に混んでるんだけどさ。
両手を上にあげて吊り革に掴まる。
もちろん痴漢冤罪を防ぐためだ。
手を下げてるだけで疑われるのである。
なんてひどい世の中だって思ってしまうけどさ、実際問題として痴漢はいるわけだから、自己防衛をしなくてはいけない。
ほんと、男も女も生きにくいよね。
人が多くなれば比例して犯罪者も増える。それは当然のことだろうけど。
「よーう。おはよん。ケイチ」
駅を出たところで、後ろから声を掛けられた。
振り向くと、見知った顔がへらへら笑っている。
朝からテンションの高いこいつは田中優汰。同期入社で俺の親友を自称している優男だ。
わりと明るめの茶髪と同じ色の瞳を持った気さくなヤローで、けっこう女にもモテる。
つまり敵だ。
親友なんてとんでもない。
「朝からそんなテンションで疲れねーのかよ。田中」
いやみを飛ばしてやるが、今日の俺は一味違うぜ。
なにしろもう彼女持ちだから!
ふふーん。
自慢しちゃおっかな。
どーしようかな。
「むしろ、朝からにやにや笑ってるケイチの方が、一万倍と二千倍くらい気持ち悪いけどね」
「え? 俺笑ってた?」
あと古い。
俺らが十五か十六くらいのときじゃねーか。そのネタ。
わりーけど、お前とは合体しないからな。
あ、『創聖のアクエリオン』っていうSFロボットアニメね。
「笑ってた笑ってた。タイトルを付けるなら、『俺は勝者だ!』って感じだったよ」
「なんだそりゃ」
いやまあ、俺は勝者なんだけどね。
齢三十にして、ついに初勝利ですよ。
やったね!
「なんか良いことでもあったん?」
てくてくと会社へと向かいながら田中が訊ねる。
うちの会社ってそんなにブラック企業でもないから、出勤時の社員の顔ってそんなに暗くないんだよね。
もちろん元気ハツラツってわけでもないけどさ。
こればっかりはしゃーない。
毎日、学校や会社に行くのが楽しくて仕方ないなんてやつは、たぶん全人類の二パーセントくらいしかいないだろうから。
「ふふふふふーん。知りたいか? 田中」
「全然知りたくないけど、その喋りたくてしょうがないって顔を一日中されるのもうざいから聴いてやるよ」
「無理しなさんな。知りたくて知りたくて震えてるくせに」
「きもい。わりと本気できもい」
おええ、というジェスチャーをする。
信じられるか?
こいつこれで、俺の親友を自称してるんだぜ?
だが、今日の俺は特別だ。そのくらいで怒ったりしないのである。
なぜなら、
「彼女ができたから」
どどーん、と、胸を張ってやる。
背景になんか爆発するエフェクトとか欲しい。
「…………」
「彼女ができたから」
大事なことなので、二回言っておくよ。
「……ケイチ。あなた疲れているのよ」
ぽん、と、肩を叩かれた。
やめろ。
可哀想な生き物を見るような目で俺を見るな。
「疑ってんじゃねーよ」
その手を払いのける。
なんて失礼なヤツなんだ。
脳内彼女とかそういうヤツじゃないから。
いまもちゃんと家にいるから。
「ふむ……」
や、だからなんで思慮深げに腕を組んでるんだよ。お前は。
「あ、そうだ。名刺もらっていたな。ここに相談しろ。ケイチ」
思い出したように言ってスーツの内ポケットに手を突っ込み、名刺入れを引っ張り出す。
そこから一枚取り出して俺に差し出した。
弁護士の名前が印刷されてるやつだ。
謎すぎ。
「怪しいセミナーに連れて行かれたり、壺とか絵とかを買わされるから」
「すげー深刻そうな顔でなんの心配をしてんだ! おめーは!!」
どかっと尻を蹴飛ばしてやった。
脳内彼女でないとしたら、それは詐欺である、なんて。
どんだけモテないと思われてんだよ。
あ、うん。
そんだけモテないんだけどね。
じっさい。
やたらと心配する田中を撃滅のセカンドブリッドで沈め、俺は自分の部署へと向かった。
あ、これは二〇〇一年にやってた『スクライド』ってアニメで、主人公が使ってた技ね。
当時は小学生か中学生くらいだった。
まあ、そろそろ判ってる人もいるかもだけど、アニメとか好きだったんですわ。
アニオタだったからモテなかったってのは、さすがに言い訳だけどね。
当時のオタク仲間だって、結婚してるやつは結婚してるし。
それどころか離婚してるやつまでいるし。
人間を三十年もやってたら、いろいろあるんですわ。
ゆーて、人生行路って話になったらまだ半分も歩いてないんだけどね。
昔は、自分が三十になるなんて想像もできなかった。
でもこうして三十になったんだから、四十にも五十にもなーんとなくなっちゃうんだろう。
そしていつか人生が下り坂になって、残り時間を意識するようになったら、あの頃は青かったなと思い出して苦い笑いを浮かべるのさ。
今こうして上司に、なんか良いことあったのか、とか訊かれていることもね!
くっそう。
そんなに顔に出ているのか。
無表情だ。無心になれ俺。
仕事に集中するのだ。
頑張って表情を作ってると、数少ない女性社員たちから微妙に距離を取られました。
うちって現場もやってる建設会社だから、女性はものすごく少ないんだけど、ごくわずかには存在するんだ。
そして、すごくちやほやされている。
あれですね。
オタサーにいる姫みたいなもんっすよ。
でも、俺にとっては縁がない存在だったから、わざわざ近づくこともなかったんだけどね。
近づいてもいないのに気持ち悪がられるとは。
解せぬ。
いや、いいんすけどね。
俺にはミュリアニがいるから!
そんなこんなで、無難に仕事をこなして終業時間である。
残業するほど仕事もたまっていなかった俺は、逃げるように会社を出る。
いや、逃げてるわけじゃないよ。
居づらいとか居場所がないとか、そういうのはないから!
そもそも、会社での人間関係なんてビジネスライクなもので充分なわけで、社外でも付き合いたいとか、あるわけないんだって。
お願い。信じて。
それに実際、用事もあるんだよ。
ミュリアニの服を買って帰るっていうミッションが。
しかもその中には、下着も含まれているのだ。
なかなかにミッションインポッシブルでござる。
キョドらぬように、焦らぬように。
アパート近くのドラッグストアに立ち寄る。
コンビニを選択しなかったのは、さすがにスウェトとかは手に入らないだろうと思ったからだ。
いや、もしかしたらあるのかもしれないけど、いままで探すこともなかったしね。
きゅろきょろしていたら怪しいし。
「しかし……ドラッグストアってなんでも売ってるな……」
これはこれで新発見である。
生鮮食料品はさすがに置いてないけど、逆からいえば、それ以外はなんでもあるって感じだ。
美味そうなお菓子なんかもある。
カゴを手にした俺は、ぽいぽいといろんなものをつっこんでいった。
なんだろう。
家で待っている人がいる買い物ってのは楽しい。
これを買っていたら喜ぶかなー とか。こういう楽しみ方ってあるんだね。買い物って。
一人でもこれだけ楽しいんだから、一緒にスーパーマーケットなんかいったら、もう最高じゃね?
スウェットやパンツも、まとめてカゴに入れちゃえばべつに恥ずかしくない。
どこから見ても、奥さんに買い物を頼まれた旦那さんって感じだ。
まったく。
俺はなにを恥ずかしがってたんだろうね。
これが十代だったら怪し……くもないな。
依頼主が奥さんかお母さんかってだけの違いだ。
なるほどね。ミュリアニが言っていたとおり、キョドるから不審に思われるってことなんだ。
普通にしてれば、他人の行動なんて誰も気にしない。
ましてカゴの中なんて、誰も覗き込まない。
そうことらしいぞ。ラブコメの主人公たちよ。
※著者からのお願いです
この作品を「面白かった」「気に入った」「続きが気になる」「もっと読みたい」と思った方は、
下にある☆☆☆☆☆を★★★★★にして評価していただいたり、
ブックマーク登録を、どうかお願いいたします。
あなた様の応援が著者の力になります!
なにとぞ! なにとぞ!!