第4話 未来予知
「はぁ……」
両親の墓にお香と昔、母さんの趣味だったブリザード加工された花を手向け、俺は墓地に背を向けて駅へと向かう。
石墓に掘られた『真田』の文字を目にした瞬間こそ、何処か目にうるっときたところがあったが、丁度一カ月前に散々涙したので何とか堪えることが出来た。
ただ唯一、心の中に残るのはこれから自分一人でやって行けるのかという不安だ。今は祖母が二週に一回のペースで来てくれているが、何せ祖母の家から俺の家まで車で一時間は掛かる故、そう長くは続けていられないだろう。食事は昔から父さんの料理する姿を見ていたからある程度できるが、掃除や洗濯等は恥ずかしながら全くできない。
家事だけじゃない。家計の管理、生活必需品の買い出し等、これから自分でしないといけない事で頭が真っ白になる。
電車に乗り込み、空いているシートに着くと、緊張していた体が一気に解れ、どっと疲れが押し寄せてくる。そういえばここ数日は葬儀や散骨、両親の知り合いへの電話であまり休めていなかった。
ふと、俺の脳裏に今朝の聖母様の姿がフラッシュバックする。今更『よろしく』とは何だったのだろうか。昼食の時には何も言ってこなかったから単なる俺の勘違いという事かもしれないのだが。
ふと、俺の口から小声で一つの願望が零れ落ちる。
「どうせなら千晴が義母になってくんねぇかな……」
俺は今の自分自身の発言に驚く。
勿論、これは星城高校の全男子生徒の声を代弁しただけで有り、本気でそうなるとは思ってもいない。そもそもお隣さんというだけで、いつも何か助けてもらっているし、そんな厚かましい事を言えるわけがない。
この事が朔に聞かれていたら間違いなく『お前も随分と聖母様に毒されてきたな』と気持ちの悪い顔でニヤニヤしながら茶化されるに決まっている。
だが、俺は後に気付くことになる。この発言は俺の本能による『未来予知』だったことに。
もう辺りはすっかり暗くなった頃、俺はさっきスーパーで買った夕飯の食材を手に、水溜まりのできた住宅街を歩く。
時刻は午後八時。これから夕食のカレーを三日分作って風呂に入って学校の課題を終わらしてそれから――。
「あー、めんどくせぇ……」
限りなく続く怒涛のスケジュールに俺は肩を落とす。
今更だが両親が俺の前から姿を消してからというもの、何だか母さんの気持ちがものすごくわかる気がする。こんな事なら日頃からもっと親孝行しておくべきだった。
「――ほんっと、今更だよな」
今まで親の苦労に気付けなかった。そんな自分に俺は嘲笑する。
家の前で来た頃、今日は誰も来ないはずの庭から
ふと、優しく包み込まれるような声がした。
「こんばんは。秀くん」
「へ?」
声のした方向を向くも暗くてよく見えない。だが、どこかで聞いたことのある声だった。だんだんとこちらに向かってくる影が玄関のライトに照らされていく。
そこには母性オーラをたっぷりと放出し「おかえり」と笑う――
「千晴先輩!?!?」
――の姿が有った。
「ど、どうしたんですかこんな時間に」
俺は千晴さんの方まで向かうと慌てて聞く。すると千晴さんはにこやかとした笑みのまま言った。
――「私、今日から君のママだから」――
「…………なんですって?」
ん、俺の気のせいだろうか。さっき千晴さんがめっちゃ軽々しく重大な事を口にした気がするのだが。
だが千晴さんはそんな疑問を裏切らない、またもにへらと笑いながら復唱する。
「え? 私、今日から君のママだから」
「えっと……もう一回」
「だから私、今日から君のママだって」
「…………」
ん~。二回聞き直してもやはり俺の頭には理解できない。
「つまりは――どういう事ですか?」
「んふ~。さてはお姉さんを弄んでるな~?」
「いえ、そういうの良いんで」
「あ、うん」
今の俺にユーモアだのジョークだの必要ない。俺が真顔でそう言うと千晴さんは「ちぇ~」と口を尖らせながらも今度は真面目な顔で言った。
「つーまーり、今日から私は秀くんの義母。も既に君は正式な一色家の養子だよ」
「…………」
ええと、いったん整理しよう。義母とはなんだ?
義母……結婚相手の母親――いや、今回に限っては後の言葉で『養子』と言う言葉が出てきているからそれは違うだろう。今度はその『養子』という言葉に着眼しよう。その一文には『正式』という単語が有るから法的な、或いは何かしっかりとした事柄を含んでいると言うことだ。そして極め付けに『一色家』。これは千晴さんの苗字だから、これと『養子』を組み合わせて――――『一色家の養子』…………つまり――
「お、俺が一色家の養子ぃぃぃぃぃ!?!?」
「あ、やっと理解した?」
完全に近所迷惑なのを承知で俺は叫ぶ。
一色家の養子!?!? 俺が? なぜ? どうしてそうなった!?!? 説明してくれませんか??
「いや、心の中で『説明して』なんて言われても普通の人なら分かんないよ?」
「なんでわかるの!?!?」
声に出して聞くはずだった言葉があまりの衝撃で声に出なかったが、そんなもの千晴さんには通用しなかったらしい。
「ワタシ、ウラナイシ。キミノコト、ワカル、スベテ」
「めっちゃ怪しい似非中国人は止めてください」
「まぁまぁ、秀くんが買ってきてくれたカレーでも食べながらゆっくり説明するよ」
「いや、何でカレーって知ってんの!?!?」
「ワタシ、ウラナイシ。キミノコt――」
「――あ、同じネタはもういいんで早く入ってください」
再度擦られるしょうもないネタのお陰で、俺は冷静になり、またも「ちぇー」と口を尖らせる千晴さんを家に上げる。
「じゃ、私カレー作っておくから。風呂入って来なよ」
「え? でもさっきの事めっちゃ気になるんですが」
「そんな事はいーの! 早くお風呂に入って来なさい」
そんな事って……。気を抜いたら溺れそうなのですが……。
心の中でそう言うも、今度は伝わってなかったらしく、俺は千晴さんに押され脱衣所まで移動させられる。
「あ、それならお姉さんと入る??」
「や、良いです」
「ちぇー、つまんない。あ、カレーにチョコレートは入れる派? 入れない派?」
「入れないに決まってるでしょ。チョコinカレーなんて聞いたことが有りませんよ」
「そう? うちではよく入れてるけど」
どうなってんだよ一色家の味覚は。
「またまた~。今日から秀くんも一色家の癖に~」
「だから! 心を読むのは止めてください」
「ワタシ、ウラナイs」
『ガチャリ』
「あ~ん、ちゃんと最後まで聞いてよ~」
「…………」
制服を脱ぎ終えた俺はカッターシャツを洗濯機に、制服をカゴに放り込むと擦り続けられているネタを他所に風呂場に入った。