第3話 雨も滴るいい男
授業が終わり校舎を出た瞬間、俺の鼻腔を雨特有のじめじめとした不快な匂いが擽った。
「うわ、雨かよ。お天気お姉さん見ておくべきだったな……」
「いや、あっさりきめぇ事言うな。天気予報でも言ってなかったし通り雨じゃないか? 今日は傘持ってきて無いのか? 折りたたみとかさ」
「…………」
朔に言われ、大きめの通学用鞄を覗くも案の定折りたたみ傘の存在は見受けられない。そりゃあそうだ。俺はいつも傘を持ち歩いているような意識高い系の男子(個人的な意見であり、某ひ〇ゆき氏に「それって貴方の考えですよね?」とでも言われれば何も言い返せない)では無いし、そもそもあのガリガリの傘に通学の快適さを預けようとは思わない。
そんな俺に朔が「仕方ねぇな」とニヤリと笑った。
「相合傘で駅まで送ってやるy――」
「――結構だ」
「なんだよぅ。せめて全文くらい言わせてくれよ」
「男同士でさす傘程苦痛なものなんてねぇよ。そもそも相合傘ってのは男女でするものだ。広辞苑でも載ってるぞ」
「マジか!?」
朔が広辞苑を引く――まではいかないものの、ググっているのを横目に俺は考える。
幸い、今日はヘルプで一時間だけバイトが入っている。そしてその後には両親の墓参り。どうせなら雨が降っていない方が助かる。バイト先の喫茶店は最寄りの駅よりもっと近いし、丁度いい雨宿りにはなるだろう。
「パフェ、食うか?」
俺がそう言うと、朔はシュババっと顔を上げ、さそうとしていた傘を下ろす。
「いや、貸してくれるとかじゃねぇのかよ」
「いいや、秀様が濡れるなら俺も濡れます!」
「傘の意味皆無じゃん」
これが俺たちの下校ルーティーンなのである。
バイト先の喫茶店に入ると、コーヒー豆の香りが、麻痺していた俺の鼻を癒やしてくれる。
開店前の為、まだ一人もお客さんは居ない。俺は朔をバーから一番近い席に座らせると厨房の奥へと向かった。
「おはようございまーす――って、今日は更科か」
スタッフルームに入ると、THE・黒髪清楚系の女子がスマホをいじり、ベンチに座っていた。だが、その清楚な見た目とは裏腹に――
「あ、おはよ。てか『って』って何? 『って』って。ちゃんとシフト見た?」
滅茶苦茶『ツンデレ』……否、『ツンツンツンツンデレ』なのである。
「いや、俺今日ヘルプだから」
「あ、そっか。平井さん今日は遅刻なのね。ごめん」
「――えっ!?」
「は?」
俺の唐突な「えっ!?」に更科が怪訝そうな表情でこちらを見てくる。
「いや、今日はやけに素直だなって」
なぜ俺が『ツンデレ』から『ツンツンツンツンデレ』へわざわざ改変したのか。今、とっさに声を漏らしてしまった理由はそこにある。察しの良い人なら薄々気付いていると思うが、更科は稀にしかデレを出さない系のツンデレつまりは『ツンデレ』なのだ。もしこれを言葉に起こせと言われたら「ツンに小さい“デ”に小さい“レ”」と言うほど、それくらいの極度のツンデレなのである。
そんな更科が何故素直に謝ったのか。いつもであれば「は? アンタが勝手にヘルプしたんだから訂正しようとするな!」とか理不尽すぎる発言をカマされるところなのだが……。
「んなっ! 別に素直じゃないし! アンタが先輩の為に来てるっていうから気を遣ってあげただけ! 悪い!?」
「は、はぁ……」
悪くは無いが、なんかこう――いつもならもう少し『ツン』の主張激しめなのだが……。まぁいいか。
これ以上考えても納得のいく答えが見つからないと思った俺は、喫茶店の制服に着替えるべくロッカーを開ける。
「ちょっと待って!」
「え?」
その瞬間、どこか焦った様に更科が俺を静止させる。
「ど、どうしたんだ? 雨に濡れてるから早く着替えたいのだが……」
「っ!! 黙ってて」
「はあ、分かりましたよ」
学校のカッターシャツがどうも肌にへばりつくのを我慢しながら、俺は更科に言われた通り静止する。その間、更科はスマホをこちらに向け高速でスマホを操作していた。
「もっ、もういいわ。ありが……何でもない」
「……?」
やはり今日の更科はどこかおかしい。熱でもあるんじゃないかと心配してしまう。
だが、ここで更科の額を俺が触ったところで局部を蹴られて痛みに悶え崩れることが目に見えていたので、俺はモヤモヤとした感情を胸に残したまま、制服に着替え、開店の準備を始めた。
「ありがとうございました!」
お客さんのレジ打ちを終えると、俺はパフェを必死に食べている朔の前へ移動した。
「お前それ何杯目だ?」
そう聞くと朔は謎のドヤ顔で
「三杯目だ! 因みに――」
「――因みに四杯目は自腹な」
「マジか」
「マジだ」
朔は相変わらずの糖分依存症だ。その主たる例に去年の学園祭でのメイドカフェにメイド目当てでなく、そこで出る有名ケーキ店のケーキを食べる為だけに長蛇の列を八回も並び直したという愚歴の持ち主であること。これ以上ここのパフェをまかないという形で暴食されたら俺の給料からいくらか差し引かれるリスクが出てくる。それだけは避けたい。
俺は事前にレジに三杯のパフェでまかないと打ち込む。
そこで、今日で五人目であるお客さんが――いや、平井先輩が入店する。
「おはようございます」
俺は平井先輩そう挨拶すると、接客をし終えた更科も同じように挨拶する。
そうか、あと三十分でシフト交代の時間だ。ちょっと早い気もするが遅刻で来たのだから早いに越したことは無いだろう。
しかし、平井先輩はそのまま朔の隣に腰を下ろすと、羽織っていたコートを椅子に掛ける。
「あ、あの~。先輩? 何で座って――」
「――オリジナルホットのフレンチトースト」
「え?」
俺の話を遮られたかと思えば、何故か平井さんは店のメニューを呟き顔を赤くしている。
「でも先輩、遅れてきてるんですよ? そこで注文するんですか?」
更科もそれには同感だったようでキョトンとした顔で頷いている。
「せ、先輩?」
すると、先輩は今にも泣きそうな顔で
「来る途中の電車でお腹なっちゃったぁぁぁぁ! フレンチトースト早く作ってぇぇぇぇ」
と肘に顔を埋める。
これには朔も苦笑い。俺はすぐに厨房へ向かうと、ご所望であるフレンチトーストの調理を始めた。
「ん~、美味しいわ~。やっぱ秀くんの淹れたコーヒーとフレンチトーストは最高ね~」
「いや、今更キャラ挽回しようとしても無理が有りますよ?」
幸せそうな顔で頬に手を当てる先輩に俺はそう言うと、今度は腰に手を当てて怒ったように頬を膨らませた。
「むうう……ふ~ん。秀君はそんなこと言うんだ。へー、ね、朔くんはどう思う?」
「いや、平井さん。今のは無理が有りましたよ?」
「そんなぁぁぁ」
朔はよくここに来る常連客だ。平井さんとも面識が有る故、追い打ちをかける様に朔がジト目を喰らわす。
「あ、そろそろ交代の時間だね。秀君今日はありがとう。着替えてきていいよ」
「いえいえ、先輩が先に着替えて来てください」
ここはレディーファースト。さり気無く気を遣うことで好感度アップを狙う!――も、
「私はもう制服着てきているから」
と、ニットをペロリとめくり見せてくる。その瞬間、たわわに実った大きい物が少し見えているのに俺は唾を飲み込むも、言ったらぷんすか怒られそうなのでしっかりと脳に焼き付けてバックへと急ぐ。
「やっぱまだ濡れてるな」
暖房の近くでカッターシャツを干していたが、やはり一時間では無理が有った。だが、かと言って喫茶店の制服を着て帰るわけにも行かないので、俺は渋々学校の制服へ着替えると、すぐに帰る準備を済ませる。
表へ戻ると、何やら先輩と更科がコソコソとスマホを触りながら何かを話していた。そして先輩は俺に気付くとニヒルな笑みを浮かべて言った。
「いや~、本当に雨も滴るいい男だね~」
「へ?」
「ちょ先輩!?」
それだけ言って先輩は荷物を置きに裏へと逃げていった。
俺は何が何だか分からなかったが、この後も予定が有るので朔を連れて店を後にした。