ゲームの論理
私はゲーム好きである。
よって、ゲームについてなら何時間でも語れる自信がある。
ゲームとは何だ、という議論はいつの世もあると思うのですが
私はこう定義したい。
「ルールの中で最善の結果を求めるもの」
ゲームにはルールがある。そのルールを理解しないとゲームにならない。
私が宇宙だとか遺伝子だとか言うのも世界を成り立たせているルールを知りたい
と思うからだ。アインシュタインが「神のパズル」と言ったゲーム。
ルールがわかれば攻略もできる。
あるネットのゲームサイトでババ抜きがありました。
持っているカードのどこにどのカードを置くかを自分で決められ
相手のカードを取る時にもどのカードを選ぶかが決められるものです。
もちろん、顔は見えませんので、ランダムな選択と変わらないようですが
ランキング上位の人は強かった。
もし対面であれば、表情を読み、誰がババを持っているかを探り、
なんて駆け引きがこのゲームの面白さですが、ネットではそれが見えません。
それでも読み取れる人が強い。
ゲームのルール、相手のカードの位置を読み取る、という意図を理解し
読み取れた人がより勝っていたのです。
この要素を最初から捨てているゲームであれば、
カードの位置の指定なんて機能はなかったはずです。
ゲームはそうでないといけない。
ルールを理解しないままに戦略もなしにランダムな結果に一喜一憂
なんてのはゲームじゃない。
最善を祈るのではなく、最善を自発的に求めないとゲームじゃない。
私の考えるゲームは、プレイヤーのスキルアップが必須です。
お金を使えば勝てるというゲームでは、スキルはお金を払った後でないと意味がない。
多くのプレイヤーはお金の差で終わる。
今、ゲームと言われているもののほとんどはこれ。
プレイヤースキルを求めるゲームは作れないのでしょうか。
これは、ゲームを提供する側と、それを消費するプレイヤーという構図の
ゲームの宿命かもしれない。
一時期格闘ゲームが流行りはしたけれども、強い人相手では何もさせてもらえない。
ゲームがリリースされ、ルールを理解し、スキルアップして強くなった人が現れてしまうと
後発のプレイヤーが面白くない。結果としてゲームが長続きしない。
クレーンゲームは相変わらず人気ですが、これも昔はスキルゲームで、
うまい人は景品をたくさん持って帰っていました。
その結果、設定が厳しくなり、スキルのない人は手が出せなくなりました。
今のクレーンゲームは確率機で、いくらスキルがあっても取れない反面
スキルが無くても取れるように変わりました。
プッシャーゲーム(コイン落とし系)もスキルゲーだったのに、
近年はペイアウト率で調整し、スキルを封じています。
そのおかげでスキルがなくても、そこそこ楽しめるようになりました。
スキルのある人とない人の格差が生まれると、ゲーム人口が伸びなくなる。
スキルによって少額で長時間遊ばれる。新しい人が阻害される。
ゲームを提供する側からすると、これは大きな問題です。
結果として、確率要素を増やして誰でも勝てる可能性を見せるしかない。
確率で与えらた勝利をスキルの結果と勘違いさせるゲーム。
私の考えるゲームから見るとゲームもどきのゲームばかりが増えている。
古くからあるゲームはスキルゲーでした。
ルールはシンプルでスキルがゲームの中心でした。
将棋も囲碁もスポーツ全般もスキルアップで強くなる。
もちろん、生まれ持った資質によって個人差はあるし、トップクラスは無理ゲー。
やっぱり人口は多くない。
それでもスポンサーが付くような分野はそれなりに伸びている。
職業にすらなる。
今、eスポーツというゲーム分野が生まれつつありますが、これはスキルを競うもの。
プレイヤーが世界中から募れるので、人口比率が低くても総人数は多くなる。
でもやっぱり、スキルゲーは厳しいかな。
麻雀やポーカーは運要素はあるものの、完全にスキルゲー。
とても魅力的である一方、運の要素以上に勝てるスキルへの敷居は高い。
そういう意味では受験だってスキルゲーなんですが、
やっぱり面白くないんですよね。
トップクラスにはどうやっても届かない。
今回遊んだより次回はもっと遊べる、スコアが出る、ランキングが上がる
そんなゲームで遊びたい。
なんだか、まとまりがないのは、いつもの事です。
理論でも何でもない気もします。
純粋に楽しく長く遊べるゲームに出会いたいと思うものです。