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井の中の蛙大海をしらず  作者: さすらい
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図書室のチェス盤

 入学式の次の日、僕は学校を休んだ。

 これは別に入試の点数を聞いたショックであるとか、あのあと意外としっかり五十嵐先生に怒られたことで精神的に立ち直れなかったとかではなく、シンプルに風邪を引いたからである。

 300点満点中299点。この点数が僕に与えた衝撃は一点落としたことによる悔恨というよりも、『飯田春奈は満点だった』という衝撃のほうが大きい。

 僕は人生で受けてきたすべてで満点を取ってきたわけではなく、時には何点かの失点してしまう時もあった。しかし、僕が失点するような問題をほかの人間が解けていたという経験はいまだかつてなかった。一体どのような問題で1点落としたのか、薄れていた入学試験の記憶を引っ張り出して、ベッドで横になりながら考える。発熱によってうまく働かない頭では結論を出すことはできず。僕はそのまま眠りについた。



 夢を見た。熱が出たときに見るような気味の悪い悪夢ではなく、はっきりとしたイメージを伴う夢だった。場所は見慣れていないはずの新しい教室で、僕は席についている。周りにはいくつかの机が置かれていて、隣の席には飯田春奈がいた。

 机の上には何らかの問題用紙が開かれていた。何の科目なのかは判断がつかない。僕のペンが動くことはない。しかし、隣の席に座る飯田春奈のペンは僕とは対照的に動き続けていた。僕はもう一度問題に目を通すが、解法のとっかかりすらつかめない。紛れもない悪夢だった。僕の存在価値を揺るがすほどの悪夢だ。



 眼を覚ますとベッドの付近に置かれたデジタル時計が午前四時過ぎであることを教えてくれた。もう一度眠る気には到底なれず、体を起こす。ベットの傍に親が置いてくれたと思われるスポーツドリンクで喉を潤し、電気をつけて学習机に座る。本棚にはまだ使用感のない高校の教科書が並んでいた。そこから現代文の教科書を取り出して開いてみる。目次には『山月記』や『羅生門』をはじめとする名著や様々な評論文の題名が記されている。

 適当なページを開いて読み進めていると、本来起きるはずだった時刻から寸分遅れることなく僕の携帯はけたたましくアラームを鳴らした。そんなにやかましく鳴らなくても起きているよと思いながらアラームを止め、二階の自室からリビングへと向かう。リビングには既に朝食の準備を始めていた母親とソファに座り新聞に目を通す父親の姿があった。


「おはよう。」


「おはよう圭介、具合はもういいの?」


「まあ、大丈夫だよ。」


「そっか、じゃあ今日は学校行けるわね。入学早々風邪なんて引いてスタートダッシュに遅れたら大変よ。友達百人作れるといいわね。」


 そんなたいそうな目標を掲げた覚えはないが反論するのも疲れるので僕は頷き、いつものように席について朝食を待つ。


「あ、そう言えば昨日高校のお友達が手紙を届けてくれたわよ。パパ、そっちのテーブルの封筒を取って。」


 父は新聞ををとじて封筒を手に取り僕の向かい側に着席した。そして僕に封筒を手渡す。

 封筒の中には学校からの配布物と便箋代わりに使用されたルーズリーフに今日の持ち物が書かれていた。誰が書いたのだろうか、かなりきれいな文字だ。


「届けてくれた子の名前とかは聞いた?」


「うーん、ドアノブに掛けられてただけだから。そんなことより朝ごはんにしましょ。」


 きっと五十嵐先生が届けてくれたのだろう。昨日の会話からはそんな殊勝な真似をしてくれるとは思えなかったが、僕の住所を知っているような人間は先生くらいしかいないだろう。今日会ったら一言お礼を言っておくべきかと思いながら。母親がテーブルに並べた朝食を食べ始めた。


 朝食を終えて自室に戻り、制服を着る。ネクタイをぎこちなく結び、鞄の中に手紙に書かれていた持ち物を入れる。進学校だからなのかわからないが昨日の時点で入学に際してのオリエンテーションみたいなものは終わり、入学三日目の今日からは通常の授業が始まるらしい。六限分の教科書のつまった鞄の重さはそれに見合ったものではあったが、弱音を吐いてもいられないのでおとなしくそれを持って家を出る。時間は始業時刻を考えればかなり余裕のある時間だったが、まだ一日しか行っていない学校に早めに到着して特別教室の場所なんかを確認しておくのもありだろう。




 __________________

 始業時間の一時間前に教室に着くと、僕は自席に鞄を置いて教室を出た。

 まずは図書室の場所から確認しようと思い、三学年分の教室がある普通棟から国語科研究室のあった特別棟へと向かった。連絡路は二階と三階に設置されており、国語科研究室に向かうときは二階のほうを使ったので今回は三階のほうを使うことにする。三階の連絡橋には屋根がなく、雨天時の通行は禁止らしい。特別棟を歩きながら見ると、四階に図書室らしき教室が見えた。これで迷うことなく図書室に向かうことができる。

 図書室に着いた僕はずらりと並んだ本棚を見て感動した。明治初期の文学作品から今年の直木賞受賞作や洋書まで、かなりの蔵書が確認できたからである。貸出手続きを行うカウンターに書かれた『一人一冊一週間』というケチな文字以外はかなり高評価である。できれば本を借りていきたいと思い、『図書委員のおすすめ』という特設コーナーにあった本を適当に一冊手に取って貸出手続きを行うであろうカウンターに持っていく。

 しかし、貸出手続きを行うであろう委員の姿は図書室内にはなかった。考えてみれば朝早くからわざわざ仕事を行う生徒などいるはずもない。僕はもう一度昼休みに訪れることを決意して、本をもとの位置に戻そうとした。そこで僕はカウンターの上におよそ図書室にはふさわしくないものが置かれているのをみた。


「チェスか。」


 8×8の白黒模様の盤の上に並べられた駒。32個の白と黒のそれらはこれからお互いと戦うために向かい合い、にらみ合う。ポーン、ナイト、ルーク、ビショップ、クイーン、キング。名前だけは知っていた駒たちを一つ一つ指で持ってみた。

 僕は将棋には明るいが、チェスのルールを知らなかった。将棋と違い、取った駒を使うことができないのは知っている、くらいの知識量だ。しかしなぜだか、この駒を動かしてみる気が湧いた。

 幸い僕がいたのは図書室であり、調べ物にはうってつけだ。チェスの教本を見つけ出し、駒の動かし方だけ確認する。そしてカウンターに置かれたチェス盤の白色のポーンを2マス動かす。誰かが次の手を指すだろうか、もし指してくれたなら次は僕がもう一度指そう。そう思いながら図書室を後にした。


 物理実験室や化学実験室、その他の特別教室の場所を確認し終えて教室に戻ると僕の席の隣には既に3番がいた。


「おはよう吉野。昨日は風邪をひいてたらしいな、体調はもういいのか?」


「おはよう。ご心配痛み入るよ、もう大丈夫だ。というか大丈夫じゃなければ学校に来てない。」


「確かに。でも、新しいクラスになじむために無理を押して登校する可能性もゼロじゃないだろう?」


「僕がそんな風に見えるか?」


「見えないな。でも、俺はまだお前のことをあまり知らないから何とも言えないということにしておく。」


「今回に関しては3番の所見が正解だけどな。」


 3番は真顔で僕のことを見る。


「お前、俺のことを本当に3番で通すつもりなんだな。」


「そのつもりだし、そもそも3番の名前を知らないからな僕は。」


「昨日の自己紹介の時間に吉野がいてくれれば名前で呼んでもらえたか?」


「いや、それでも僕はお前のことを3番と呼んだだろうな。」


「今日はいつになく勘が鋭いらしい、予想通りの答えだ。」


 そんな感じで僕の高校生活3日目は始まった。閑話休題である。


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