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井の中の蛙大海をしらず  作者: さすらい
3/7

敗北

今日はここまで

 それから読書を続けていると、教室内が何やら騒がしくなってきた。掲示板の前にたむろしていた新入生たちがようやく教室に入ってきたらしい。僕は文庫本にスピンを挟んで顔を上げる。教室内の座席には既に大半の人間が着席しており、各々が周りの席の人間と交友関係を築くために当たり障りのない会話をしていた。どこの中学出身であるとか、中学時代に所属していた部活動であるとかそう言う話だ。生徒は黒板に書かれている通り、好きに着席しているため名前の判断がつかないが、僕の知ったことではない。自分の左腕に巻かれた腕時計を確認すると、時刻はもうすぐ九時になろうとしていた。入学式の開始時刻は保護者あてのパンフレットを見た限り九時十五分となっていたからそろそろ担任の先生が来る頃だろう。

 閉じた本を鞄に戻して窓の外を見る、やはり味気のない景色が外には広がっていて、見どころと言えばタイミングよく満開になった桜くらいなものだった。しかしそれもひっそりと見える程度なので、この教室は外れの教室だ、などと一人考えていた。


「よーし、全員いるか?着席しろ。」


 突如現れたその男の言葉を聞いた生徒たちが席に戻る。

 教壇に立ってこちらを見る男性は無精ひげをつけて、寝ぐせが付いた頭をしていた。そのくせきっちりスーツを着こなしているので、その風貌はなんだかおかしなことになっていた。フレッシュさの欠片もないが、決して年を取っているようには見えず、どちらかというと若くも見えた。


「おはよう諸君、俺の名前は五十嵐健いがらしたける、漢字は『五十嵐』の五十嵐に『健』の健。君たちの担任かつ国語教師だ。好きな言葉は『適当』、嫌いな言葉は『仕事』と『残業』。何か質問あるやつは?」


 先ほどまで騒がしかった教室は、五十嵐と名乗る担任の自己紹介によって静まり返った。


「特になし。」


 突っ込みどころというか、一年間僕らを担当する人間としてはいくらか不安になるような自己紹介ではあったのだが隣に座る3番は沈黙を破るようにそう言い放った。


「それは上々。なんだか席順が面白いことになってるな。」


 五十嵐先生は振り返って黒板を確認する。黒板に書かれた僕の文字をみる。


「なるほど。なかなか頭の回る奴が一番最初に教室についたらしいな。俺の鶴の一声で台無しにもできるがやめておいてやる。」


 振り返って再び生徒のほうを見た先生は僕のほうを指さした。


「吉野圭介、入学式の後で国語科研究室に来い。それでは新入生諸君、退屈な式典の時間だ。廊下に並べ。もちろん、出席番号順でな。」


 突然指を指され、名前を呼ばれた僕は内心で少しだけ驚いた。なぜこの担任は入学初日の初対面の状態で僕の名前と顔が一致しているのか。出席番号順で席が決まっているならば僕の顔がわからなくても名前はわかるだろう。だが、いまこの教室の座席順に秩序はない、まったくの無作為だ。まさか、全員の顔と名前がわかるのか?

 僕の驚きとは裏腹に何食わぬ顔で廊下に出て行く先生を僕は目で追った。


「入学早々災難だな吉野、説教かな?」


 廊下に並ぶべく立ち上がる3番が僕にそう言った。


「まだ怒られるようなことはしてないはずだ。」


「よく言うよ。」


 僕らは廊下に整列し、体育館で行われる入学式へと向かった。



 入学式はごく普通のありふれたものだった。普通であるからと言って特に不満はない。式典というのはこういう風な決まった路線で行うから厳かな雰囲気が出るのである。強いて不満らしきものがあるとすれば、冗長であることくらいだ。必要があるのかわからない校長の話に必要があるかわからない来賓の祝辞、必要性を問えばなくなってしまいかねないもののオンパレードではあるが、きっとこういうのを様式美といったりするのだろう。僕は黙って話を聞き流していた。

 しかし、僕が聞き流すことができないような事態は意外と簡単におとずれた。


「新入生挨拶。入学試験主席、1年A組飯田春奈」


「はい。」


 一人の女子生徒が視界の呼びかけに答え、立ち上がる。壇上に設置されたマイクに向かって歩き出すその少女は黒色のセーラー服を身に着けて姿勢よく歩きだした。気品と高校一年生にふさわしいあどけなさを兼ね備えている彼女は美少女と呼ぶにふさわしい女性だった。

 だが、そんなことは僕にとっては些細なことだ。

『入学試験主席』、その肩書が意味するところは考えるまでもなく入学試験の点数が一番高いということだろう。


 僕は負けたのか?

 あの完璧に近い答案で?


 僕の頭の中は完全に混乱していた。

 正直な話でも何でもなく、僕には満点回答の自信があった。それは傲りであるとか、油断であるとかではなく、努力と自身の能力に裏打ちされたものである。

 それ故に信じられなかった、

 自分よりも優れた人間が存在するという事実そのものを、僕は到底許容できず困惑した。そして、未曽有の事態に対する僕の困惑はすぐに二種類の疑問に変わる。それはすなわち「あの女は何点取ったのか。」そして「僕は何点取ったのか。」である。二つの疑問が僕の頭の中を縦横無尽に駆け巡る。

 いつの間にか俯いていた自分に気が付き前を向く。壇上には彼女が立ち、体育館にはマイクを通して彼女の声が響いていた。僕の頭の中の停滞とは関係なしに飯田春奈の新入生挨拶は滞りなく進んでいたけれど、話している内容が僕の頭に入ってくることはなかった。

 視界がゆがんでいる、座っているのさえつらく感じた。何とか正気を保つために深い深呼吸を一度する。四月上旬のまだ冷たさを残した空気が口から喉を通り肺を満たしていく。突如として深呼吸を始めた僕に両隣に座る生徒は怪訝そうな顔を浮かべていたけれど。

 新入生の挨拶は終わり飯田春奈が自分の席へと戻ってくる。僕は彼女の姿を目で追う。自分の中で好敵手として認定した人間の顔を目に焼き付けた。出席番号はおそらく2番だろう。あの時下駄箱にあったローファーは彼女のもので、入学式の打ち合わせを行うために早めに学校に来ていたものだったのかもしれない。二時間ほど前の出来事を振り返りながらそんなことを考えた。



 入学式を終えて教室に戻った僕たちは、各自の席に着席して五十嵐先生の話を聞く。高校生になるにあたっての心得のようなものの説明を受けつつ欠伸をしながら飯田春奈の席を見る。彼女は僕や3番と同じく最後方の真ん中の席に座っていた。先生の話を聞くべくまっすぐと前を見ているため、僕が彼女を見ていることには気が付いていないだろう。


「俺の話の途中に欠伸とか、いい度胸だな吉野。」


 指摘された僕は前を向き直る。


「退屈な話をする先生が悪いのでは?法律は守れ、勉強はしろ、人様に迷惑はかけるな、なんて今時小学生でもわかりますよ。」


「確かに、吉野の言うとおりだ。だけど一つ足りない、俺が言いたいことっていうのはおおむねその三つだ。そして四つ目は、」


 五十嵐先生はにやりと笑う。


「面白く生きること」


「なんじゃそりゃ。」


 少しの沈黙の後、そう言ったのは3番だった。教室にいる全員の気持ちを代弁した一言だったのは間違いなく、僕も心の中でうなずいた。


「お前らはまだ知らないかもしれないけれどな、高校生活ってのは思っているよりも、予想しているよりも短いんだよ。三年間を棒に振りたきゃ勝手にしてもらって構わんが、面白く生きようとする人間とそうでない人間が過ごす三年間には明確な差がある。これはきっとお前らが卒業するときに気が付くことだ。

 それをわざわざ、お前らが『なんで教えてくれなかったんだ。五十嵐め、あの野郎。』って思う前に教えてやったことに感謝しろ。そんじゃあ、今日はここまでだ、解散。寄り道はほどほどにして帰れ。飯田、号令。」


「ふぇっ?あ、えっと、きりーつ」


 突如指名された彼女は驚きながらも号令をかけ、それを合図として僕らは立ち上がった。


「気をつけー、れーい」


 こうして僕の高校生活一日目は終わった。

 一日目の感想としては、驚いた時に『ふぇっ?』なんて応答をする奴がこの世に存在していたことに驚愕したし、喋り方が賢く見えない人間に敗北した自分を心底呪わざるを得ないと言ったところだろう。



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